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四章
夢見た日常
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目を開けると、目の前に真っ白な天井が広がっていた。
自室のベッドの上。
朝だろうか。外からは小鳥がさえずる声と共に無邪気にはしゃぐ子供たちの笑い声が聞こえてくる。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽の光が、天井に細い境界線を引いていた。
俺はしばらく、呆然と虚空の一点だけを見つめていた。
しかし徐々に眠気の残滓が薄れていき、頭がクリアになってくると、自らに起きている異常な事態に気が付いた。
「……な、なんで……⁉」
俺は勢いよくベッドから起き上がった。
―――確か俺は神社にいたはず……それなのにどうして……
視線を下げて自分の身体を見る。何故か俺はパジャマ姿だった。
これは、一体―――
俺はベッドから下り、カーテンを開ける。
網膜を焼くような朝陽が一気に部屋の中に流れ込んできて、俺は思わず右腕で両目を庇った。
しばらくしてゆっくりと腕を退かすと、外には雲一つない、透き通るような青空が広がっていた。道の真ん中ではランドセルを背負った子供たちが数人でじゃれ合っている。
そんな子供たちの頭上を、桃色の花びらがひらひらと過ぎていた。
桜の花びらだ。
……桜―――?
俺は窓を開け、外に手を出してみる。
暖かい。肌を刺すような寒さを感じない。まるで春のような気温だ。
どういうことだ……確か、今は冬のはず……
頭が追い付かない事態に、俺が言葉を失っていると、
トントントントンッ―――
廊下の方から刻みの良い足音が聞こえてきた。その足音は俺の部屋の前で一瞬だけ止まると、
「ユウ君、おっはよー!」
扉が乱暴に開かれ、制服姿の少女が一人、勢いよく部屋の中に飛び込んできた。
その少女を見て、俺はまさに心臓が止まる思いだった。
「お前……なんで……」
目の前の光景が信じられなかった。
「およ? 珍しいね。ユウ君が一人で起きてるなんて」
少女は驚いたように、鳶色に輝く大きな瞳をぱちくりとさせている。
もう会うことは叶わないと思っていた、もうその姿をこの目で見ることはできないと思っていた少女が、俺の前に立っていた。
「ユウ君?」
固まっている俺を心配したのか、少女が俺の顔を覗き込んでくる。
ほのかに甘い香りが、彼女の動きに合わせてふわりと漂ってきた。
ぱさぱさに乾いていた口内を唾液で湿らせ、俺は、懐かしい彼女の名前をゆっくりと呟いた。
「……みらい」
「ん? なに?」
みらいが小首を傾げる。
「お前……どうして……」
「え?」
「どうしてお前……生きてるんだよ?」
「えっ⁉ なんでいきなり私、存在を否定されてるの⁉」
ビックリ仰天と言うように、彼女は両手を顔の高さにまで上げた。
「いや、だって、お前……」
彼女は確かに死んだはず。初音に拳銃で撃たれ、灰色の屋上で光の粒子となって消えていったはず。忘れるはずがない。
夢であったらいいと何度願ったことか。過去に戻ってやり直したいと、何度神様に祈ったことか―――
それともこれは、そんな俺の想いが見せている、幻とでもいうのだろうか。
俺はおもむろに手を伸ばし、彼女の頬に触れてみた。
「ひゃっ⁉」
へんてこな悲鳴をあげて、彼女は小動物のようにその場から飛び退く。
「いきなり何⁉」
触れられた。
確かな温もりもあった。幻などではない。
現実……なのか……?
「もう! まだ寝ぼけてるの?」
腰に手を当て、彼女が半眼で俺のことを睨んでくる。
「いくら春で気持ちが良いからって、あんまり寝ぼけてちゃダメだよ!」
「えっ、春?」
俺は再び窓の方を見る。
開けた窓から風が吹き込み、カーテンの裾を柔らかく揺らしていた。
やはり寒さは感じられなかった。
「ほら、いつまでもぼーっとしてないで、早く下に行って朝ごはん食べようよ。初音ちゃんはもうとっくに起きてるよ」
「…………初音が?」
階段を駆け下りてリビングの扉を開けると、香ばしいパンの焼けた匂いが、俺の鼻孔をくすぐってきた。
半分だけ開け放たれたテラス窓からは、暖かな風が入り込み、レースカーテンをふうわりと膨らませている。
そんな香りと風に乗って、懐かしい懐かしい彼女の声が、俺の耳を優しく撫でてきた。
「あ、お兄ちゃん。おはよう」
その声の主を認めた瞬間、俺はまさに膝から崩れ落ちそうになった。
背中まで伸びた艶やかな黒髪。前髪から除く黒い大きな瞳。
胸にピンクのリボンの付いた可愛らしい制服に身を包んだ俺の妹―――時坂初音が、ダイニングテーブルの椅子にちょこんと座ってこちらを見つめていた。小さな手にはこんがりと焼けたトーストが、一口ほど食べられた状態で握られている。
「……初音……?」
俺は彼女の名前を、恐る恐る口にした。
今度こそ本当に幻で、呼んだ瞬間にその存在が霧のように消えてしまうのではないかと怖かったのだ。
しかし、
「どうしたの、お兄ちゃん?」
頭の上にはてなマークを浮かべたような顔をしながら、初音は小首を傾けた。
「本当に、初音……なんだよな」
俺は近づいて、彼女の顔を両手で包み込む。
「わっわわっ、なっ、何するの⁉」
俺の奇行にビックリした彼女は、トーストを皿の上に落とし、パタパタと両腕を振りながら目を白黒させた。
やはり触れられるし、確かな温もりがある。幻影なんかじゃない。
俺の妹―――時坂初音は、確かにここにいる。
「ちょ、ちょっと何してるの⁉」
その時になってようやくリビングに入ってきたみらいが、慌てて俺を初音から引き剥がした。
「もうっ! 今日のユウ君変! 調子乗り過ぎ! 無神経! セクハラ! 不純異性交遊!」
初音を背中に庇いながら、みらいがシャーッとこちらを威嚇してくる。
かつての俺ならそこで反射的に謝っていたところだが、今はそれどころではなかった。
思考が追い付いていかない。もう混乱に次ぐ混乱だ。
一体何がどうなっているんだ? 俺は、頭がおかしくなってしまったのか?
それともこれは夢? 俺の脳が見せている、都合の良い夢なのだろうか?
いや、しかし―――
五感の全てから伝わってくるこの情報量―――柔らかい光、ぱさぱさに乾いた舌、暖かな空気、香ばしい匂い、掌から感じた彼女たちの温もり―――とても夢の質とは思えない。
もしかするとここは天国で、俺は、死んでしまったのだろうか―――?
俺は、恐る恐る彼女たちに訊ねる。
「なあ、もしかしてここってさ…………あの世、なのか?」
たっぷりと間を持たせて俺がそう言うと、彼女たちは一瞬ぽかんと口を開けた後に、はぁと同時にため息を吐いた。
「そんなわけないでしょ。いつまで寝ぼけてるの?」
「お兄ちゃん、どこかで頭でも打っちゃったの?」
本気で心配そうな顔を向けられた。
「そ、そうだよな。ごめん……」
自分の質問が馬鹿馬鹿しくなって、今度は慌てて謝罪した。
俺は改めて、みらいと初音を交互に見る。
と、そこでようやく、俺は初音が制服を着ているという点に違和感を覚えた。
「初音、お前今、何年生だ?」
「えっ? 中学三年生……だけど?」
みらいの後ろから顔を覗かせながら、キョトンとした表情で初音が答えた。
「中三? ということは、俺は―――」
「高校二年生、でしょ?」
みらいが口を挟んできた。
「初音が中三で、俺たちが高二、そして春……ということは、今はあの事件が起こるよりも前なのか?」
初音とみらいが起こしたあの事件は、今年……いや、俺が高二の夏のことだ。今が春ということは、ここは事件が起こるよりも数ヶ月前ということになる。
「事件って何?」
訝し気な顔でみらいが訊いてきた。
「覚えてないのか?」
「……何を?」
彼女は眉に寄せた皺をさらに深くした。
「あの事件だよ。家が燃えて、同級生が何人も死んで、校舎がめちゃくちゃになったあの事件。覚えてないのか?」
俺は思わずみらいに詰め寄ったが、彼女は初音と顔を見合わせた後に、ふるふると首を横に振った。
「馬鹿な……」
絶句する。
いや、ここが事件が起こるよりも前の世界だとするのなら、彼女たちが知らないのも当然か―――
だとするなら、俺が経験したあの事件は一体何だったのか。ここが夢でも死後の世界でもないとするならば、俺は、タイムスリップでもしてきたのだろうか?
この世界は一体―――?
「くすっ」
俺が事態を呑み込めずにフリーズしていると、初音が小さく笑い声を漏らした。
「さっきから何言ってるのお兄ちゃん? そんな事件があったら忘れるわけないじゃない」
「いや……だって―――」
「それとも怖い夢でも見て、それを誤魔化そうとしてるの?」
くすくすと初音が笑っている。
「……夢?」
あの事件は夢だったのか? 確かに、非現実的な出来事が多い事件だった。
霊力、呪い、ポルターガイスト―――
あれが本当に現実のことだったかと問われれば、そうだと即答できる自信はない。あまりにも非現実極まりない出来事が多すぎた。
一夜にして見る悪夢にしては長すぎる気もしたが、それほどまでに、俺は長い時間、眠りに就いていたということなのだろうか。
あれが夢で、こちらが現実。
だとするなら―――
「そう、か……夢、か……」
確かめるように俺は呟いた。
これ以上に、幸せなことはなかった。
「そうだよ」
「変なお兄ちゃん」
「そうか……それは、よかった……よかった……」
身体の力が一気に抜け、俺は崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
「ユウ君⁉」
「お兄ちゃん⁉」
驚いた彼女たちが俺の周りに集まってくる。
「どうしたのユウ君? 具合でも悪いの?」
「そんなに怖い夢だったの?」
泣きそうになった。
「……ああ……悪い夢、だったんだ……」
みっともない。声が震えてしまっている。
「……そう、大変だったんだね……」
みらいが子供をあやすように、よしよしと俺の頭を撫でてくれた。
「お兄ちゃん、可哀想」
俺の不安を吸い取ろうとするように、初音がぎゅうと俺の胸に抱き着いてきた。
そんな彼女たちの声が、温もりが、他の何よりも愛おしかった。この瞬間の気持ちを、俺は恐らく一生忘れない。
あの悪夢を現実にしないために、これからは俺が彼女たちのことを護っていく。
俺はそう、自分の胸に強く誓った。
自室のベッドの上。
朝だろうか。外からは小鳥がさえずる声と共に無邪気にはしゃぐ子供たちの笑い声が聞こえてくる。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽の光が、天井に細い境界線を引いていた。
俺はしばらく、呆然と虚空の一点だけを見つめていた。
しかし徐々に眠気の残滓が薄れていき、頭がクリアになってくると、自らに起きている異常な事態に気が付いた。
「……な、なんで……⁉」
俺は勢いよくベッドから起き上がった。
―――確か俺は神社にいたはず……それなのにどうして……
視線を下げて自分の身体を見る。何故か俺はパジャマ姿だった。
これは、一体―――
俺はベッドから下り、カーテンを開ける。
網膜を焼くような朝陽が一気に部屋の中に流れ込んできて、俺は思わず右腕で両目を庇った。
しばらくしてゆっくりと腕を退かすと、外には雲一つない、透き通るような青空が広がっていた。道の真ん中ではランドセルを背負った子供たちが数人でじゃれ合っている。
そんな子供たちの頭上を、桃色の花びらがひらひらと過ぎていた。
桜の花びらだ。
……桜―――?
俺は窓を開け、外に手を出してみる。
暖かい。肌を刺すような寒さを感じない。まるで春のような気温だ。
どういうことだ……確か、今は冬のはず……
頭が追い付かない事態に、俺が言葉を失っていると、
トントントントンッ―――
廊下の方から刻みの良い足音が聞こえてきた。その足音は俺の部屋の前で一瞬だけ止まると、
「ユウ君、おっはよー!」
扉が乱暴に開かれ、制服姿の少女が一人、勢いよく部屋の中に飛び込んできた。
その少女を見て、俺はまさに心臓が止まる思いだった。
「お前……なんで……」
目の前の光景が信じられなかった。
「およ? 珍しいね。ユウ君が一人で起きてるなんて」
少女は驚いたように、鳶色に輝く大きな瞳をぱちくりとさせている。
もう会うことは叶わないと思っていた、もうその姿をこの目で見ることはできないと思っていた少女が、俺の前に立っていた。
「ユウ君?」
固まっている俺を心配したのか、少女が俺の顔を覗き込んでくる。
ほのかに甘い香りが、彼女の動きに合わせてふわりと漂ってきた。
ぱさぱさに乾いていた口内を唾液で湿らせ、俺は、懐かしい彼女の名前をゆっくりと呟いた。
「……みらい」
「ん? なに?」
みらいが小首を傾げる。
「お前……どうして……」
「え?」
「どうしてお前……生きてるんだよ?」
「えっ⁉ なんでいきなり私、存在を否定されてるの⁉」
ビックリ仰天と言うように、彼女は両手を顔の高さにまで上げた。
「いや、だって、お前……」
彼女は確かに死んだはず。初音に拳銃で撃たれ、灰色の屋上で光の粒子となって消えていったはず。忘れるはずがない。
夢であったらいいと何度願ったことか。過去に戻ってやり直したいと、何度神様に祈ったことか―――
それともこれは、そんな俺の想いが見せている、幻とでもいうのだろうか。
俺はおもむろに手を伸ばし、彼女の頬に触れてみた。
「ひゃっ⁉」
へんてこな悲鳴をあげて、彼女は小動物のようにその場から飛び退く。
「いきなり何⁉」
触れられた。
確かな温もりもあった。幻などではない。
現実……なのか……?
「もう! まだ寝ぼけてるの?」
腰に手を当て、彼女が半眼で俺のことを睨んでくる。
「いくら春で気持ちが良いからって、あんまり寝ぼけてちゃダメだよ!」
「えっ、春?」
俺は再び窓の方を見る。
開けた窓から風が吹き込み、カーテンの裾を柔らかく揺らしていた。
やはり寒さは感じられなかった。
「ほら、いつまでもぼーっとしてないで、早く下に行って朝ごはん食べようよ。初音ちゃんはもうとっくに起きてるよ」
「…………初音が?」
階段を駆け下りてリビングの扉を開けると、香ばしいパンの焼けた匂いが、俺の鼻孔をくすぐってきた。
半分だけ開け放たれたテラス窓からは、暖かな風が入り込み、レースカーテンをふうわりと膨らませている。
そんな香りと風に乗って、懐かしい懐かしい彼女の声が、俺の耳を優しく撫でてきた。
「あ、お兄ちゃん。おはよう」
その声の主を認めた瞬間、俺はまさに膝から崩れ落ちそうになった。
背中まで伸びた艶やかな黒髪。前髪から除く黒い大きな瞳。
胸にピンクのリボンの付いた可愛らしい制服に身を包んだ俺の妹―――時坂初音が、ダイニングテーブルの椅子にちょこんと座ってこちらを見つめていた。小さな手にはこんがりと焼けたトーストが、一口ほど食べられた状態で握られている。
「……初音……?」
俺は彼女の名前を、恐る恐る口にした。
今度こそ本当に幻で、呼んだ瞬間にその存在が霧のように消えてしまうのではないかと怖かったのだ。
しかし、
「どうしたの、お兄ちゃん?」
頭の上にはてなマークを浮かべたような顔をしながら、初音は小首を傾けた。
「本当に、初音……なんだよな」
俺は近づいて、彼女の顔を両手で包み込む。
「わっわわっ、なっ、何するの⁉」
俺の奇行にビックリした彼女は、トーストを皿の上に落とし、パタパタと両腕を振りながら目を白黒させた。
やはり触れられるし、確かな温もりがある。幻影なんかじゃない。
俺の妹―――時坂初音は、確かにここにいる。
「ちょ、ちょっと何してるの⁉」
その時になってようやくリビングに入ってきたみらいが、慌てて俺を初音から引き剥がした。
「もうっ! 今日のユウ君変! 調子乗り過ぎ! 無神経! セクハラ! 不純異性交遊!」
初音を背中に庇いながら、みらいがシャーッとこちらを威嚇してくる。
かつての俺ならそこで反射的に謝っていたところだが、今はそれどころではなかった。
思考が追い付いていかない。もう混乱に次ぐ混乱だ。
一体何がどうなっているんだ? 俺は、頭がおかしくなってしまったのか?
それともこれは夢? 俺の脳が見せている、都合の良い夢なのだろうか?
いや、しかし―――
五感の全てから伝わってくるこの情報量―――柔らかい光、ぱさぱさに乾いた舌、暖かな空気、香ばしい匂い、掌から感じた彼女たちの温もり―――とても夢の質とは思えない。
もしかするとここは天国で、俺は、死んでしまったのだろうか―――?
俺は、恐る恐る彼女たちに訊ねる。
「なあ、もしかしてここってさ…………あの世、なのか?」
たっぷりと間を持たせて俺がそう言うと、彼女たちは一瞬ぽかんと口を開けた後に、はぁと同時にため息を吐いた。
「そんなわけないでしょ。いつまで寝ぼけてるの?」
「お兄ちゃん、どこかで頭でも打っちゃったの?」
本気で心配そうな顔を向けられた。
「そ、そうだよな。ごめん……」
自分の質問が馬鹿馬鹿しくなって、今度は慌てて謝罪した。
俺は改めて、みらいと初音を交互に見る。
と、そこでようやく、俺は初音が制服を着ているという点に違和感を覚えた。
「初音、お前今、何年生だ?」
「えっ? 中学三年生……だけど?」
みらいの後ろから顔を覗かせながら、キョトンとした表情で初音が答えた。
「中三? ということは、俺は―――」
「高校二年生、でしょ?」
みらいが口を挟んできた。
「初音が中三で、俺たちが高二、そして春……ということは、今はあの事件が起こるよりも前なのか?」
初音とみらいが起こしたあの事件は、今年……いや、俺が高二の夏のことだ。今が春ということは、ここは事件が起こるよりも数ヶ月前ということになる。
「事件って何?」
訝し気な顔でみらいが訊いてきた。
「覚えてないのか?」
「……何を?」
彼女は眉に寄せた皺をさらに深くした。
「あの事件だよ。家が燃えて、同級生が何人も死んで、校舎がめちゃくちゃになったあの事件。覚えてないのか?」
俺は思わずみらいに詰め寄ったが、彼女は初音と顔を見合わせた後に、ふるふると首を横に振った。
「馬鹿な……」
絶句する。
いや、ここが事件が起こるよりも前の世界だとするのなら、彼女たちが知らないのも当然か―――
だとするなら、俺が経験したあの事件は一体何だったのか。ここが夢でも死後の世界でもないとするならば、俺は、タイムスリップでもしてきたのだろうか?
この世界は一体―――?
「くすっ」
俺が事態を呑み込めずにフリーズしていると、初音が小さく笑い声を漏らした。
「さっきから何言ってるのお兄ちゃん? そんな事件があったら忘れるわけないじゃない」
「いや……だって―――」
「それとも怖い夢でも見て、それを誤魔化そうとしてるの?」
くすくすと初音が笑っている。
「……夢?」
あの事件は夢だったのか? 確かに、非現実的な出来事が多い事件だった。
霊力、呪い、ポルターガイスト―――
あれが本当に現実のことだったかと問われれば、そうだと即答できる自信はない。あまりにも非現実極まりない出来事が多すぎた。
一夜にして見る悪夢にしては長すぎる気もしたが、それほどまでに、俺は長い時間、眠りに就いていたということなのだろうか。
あれが夢で、こちらが現実。
だとするなら―――
「そう、か……夢、か……」
確かめるように俺は呟いた。
これ以上に、幸せなことはなかった。
「そうだよ」
「変なお兄ちゃん」
「そうか……それは、よかった……よかった……」
身体の力が一気に抜け、俺は崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
「ユウ君⁉」
「お兄ちゃん⁉」
驚いた彼女たちが俺の周りに集まってくる。
「どうしたのユウ君? 具合でも悪いの?」
「そんなに怖い夢だったの?」
泣きそうになった。
「……ああ……悪い夢、だったんだ……」
みっともない。声が震えてしまっている。
「……そう、大変だったんだね……」
みらいが子供をあやすように、よしよしと俺の頭を撫でてくれた。
「お兄ちゃん、可哀想」
俺の不安を吸い取ろうとするように、初音がぎゅうと俺の胸に抱き着いてきた。
そんな彼女たちの声が、温もりが、他の何よりも愛おしかった。この瞬間の気持ちを、俺は恐らく一生忘れない。
あの悪夢を現実にしないために、これからは俺が彼女たちのことを護っていく。
俺はそう、自分の胸に強く誓った。
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