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【第二章】
25.アブナイ人
しおりを挟む大学の講義棟の間にある中庭のベンチに座っていた。
ここは時間帯によっては人気が少なく、静かな場所だ。今は莉央と河本を待っている。僕は二人を待っている間、おにぎりを齧ろうと、口を大きく開けたところだった。
「お兄さん、この間大丈夫だった?」
短い金髪。今は服で隠れているけど、彼の腕の皮膚には絵が描かれているはずだ。声をかけてきたのはあの夜、自販機の横から僕を連れて行こうとしたケイだった。
彼の顔をはっきりと覚えていたわけではないけど、背格好と声であの夜の記憶が呼び起こされた。
僕はそのままおにぎりにかぶりつき、口いっぱいに米を含んだままコクコクと頷いた。
あの夜は気が付かなかったが、ケイは素朴で清潔感のある顔をしていた。目鼻立ちは控えめだけど、品が良いと言う言葉が合う。軽薄な金髪を除けば、初対面で彼の容姿に悪印象を持つ人はいないだろう。
だけど、僕はあの日の夜にあった出来事をレオンや秋山に伝えたときに、「そいつは危ないやつだ!」と散々言われ、すっかり不信感を抱いてしまい、二度と会いたくないし、会うこともないと思っていた。それなのに、突然目の前に現れたケイのせいで、飲み込んだ米がなかなか喉を通っていかず、僕はそれをお茶で無理やり流し込んだ。
「よかった、覚えてんだ?俺のこと。俺、ケイね。お兄さん牧瀬くんでしょ?女の子たちが噂してた、かっこいいって」
ケイは僕の隣に腰を下ろした。そして、右手を差し出しているが、僕はその手を取らなかった。
「アブナイ人って、言われた」
そう言うと、ケイは一瞬眉毛を持ち上げ、その後でゲラゲラと声を上げて笑い出した。
「牧瀬くんめちゃくちゃストレートに言うね。逆に嫌な気しないわ」
何がおかしかったのか、僕にはさっぱりわからない。
「ごめんごめん、この前は魔が刺したって言うかさ、そんな感じ。だから許して?俺普通に牧瀬くんと友達になりたい」
「友達?」
「うん。ほんとはさ、あの時同じ大学って気がついてて、そんで仲良くなりたいなって思ったんだけど、ちょっとやり方間違えちゃって」
そう言って、ケイはその控えめな顔立ちに、柔和な笑顔を浮かべている。
確かに彼はちょっと強引だったけど、マタタビ状態の僕に手を貸してくれて、休ませようとしてくれていた。帰りたかったから迷惑に感じたけど、ケイにしてみたら親切のつもりだったのかも知れない。
僕はおにぎりの二口目を頬張った。
「いいよ」
もぐもぐしながらそう答えると、ケイは「ホント?」と光が差したように明るい表情になった。
「ねえ、じゃあさ、連絡先おしえて?」
急に、ケイの手が僕の膝の上に乗った。僕は驚いてその手を凝視してしまった。そのまま無意識におにぎりの最後の一口を頬張った。そしてポケットを探り、スマホを取り出し、IDの画面をケイに示した。
ケイは「ありがとう」といいながら、慣れた手つきでスマホに僕の連絡先を登録している。その間も何故かどかされない膝の上の手に、僕は強い違和感を覚えていた。
「ケイ、手、どけて?」
「ん?なんで?」
一応膝からは退けられた。だけど、今度はその手が僕の手を握り、引き寄せるとケイの顔が僕の目の前まで近づいた。
口元を僕の耳に寄せたケイはふっと息を吐くように笑っている。
「俺さ、牧瀬くんの秘密、知っちゃった」
その言葉で僕の肩はびくりと大きく跳ね上がった。
体を引いて、ケイから距離を取ったけど、彼は僕の手を離さないまま、その顔に柔和な笑顔を浮かべている。どことなく、春日を思い出させるその表情に、僕は背中の毛が逆立つような居心地の悪さを感じた。
「ひみ……つ……?」
聞き返してみたものの、聞き返すまでもなくあのことだ。僕は彼の視界から消えた後で猫に姿を変えたと思ってけど、そうでは無かったらしい。あの時、見られていたんだ。
「牧瀬くん真っ青だけど、大丈夫?」
大丈夫?と聞きながら、ケイは心配するよりも僕の反応に満足しているようだった。
僕はその間あらゆる考えを巡らせた。
① 人間の前で猫にならない、猫だとバレてはいけません!
これが起こるとどうなるか。
春日に記憶を整理される。それはいい、なんなら今からすぐに家に帰って春日に縋りつきたいくらいだ。ケイの記憶を消して欲しい。
だけど問題はもう一つ。
『もしルールを破ったら僕が全部記憶を消すよ。もっと悪さをしたら、君たちは二度と人間にはなれなくなる』
春日の声が頭の中でリピートしている。
あんなに注意されたのに、お酒を飲んでマタタビになって、門限を破って猫バレした僕の所業は、果たして春日の言うところの『悪さ』に該当するのだろうか?
その答えはおそらく春日にしかわからないだろう。それとなく確認しようにも、あの切り傷みたいな細い目で見つめ透かされ、何もかも暴かれてしまいそうだ。もし『悪さ』だと判断されて仕舞えば、僕はもう二度と人間になれないし、吉良くんの恋人にもなれないのだ。
「言わないで!」
僕はケイの腕のあたりの衣服を掴み、縋るように体を寄せた。
もし、ケイが吉良くんに僕が猫だとバラしたら、吉良くんの記憶も消されてしまうかもしれない。それで僕が人になれなくなったら、吉良くんの中で僕はどこにも居なかったことになってしまう。
「絶対、言わないで、吉良くんに!」
僕の様子に、ケイは最初少し驚いたように瞬きしていたが、すぐにその口元にニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「いいよ、言わない。そのかわりさ、今週末俺に付き合ってくんない?」
「つきあう?」
「そ、一緒にお出かけ」
「門限ある」
「何時?」
「……夜7時」
「本当は?」
「……12時」
「すげぇ嘘つくじゃん」
ケイはまたゲラゲラ笑うと僕の肩を叩いた。
「ま、とにかく、付き合ってくれたら黙っててあげるから、よろしく頼むよ」
そう言って立ち上がると、後で連絡するとでも言いたげに、手に持ったスマホをひらひら振りながら、向こうのほうへと言ってしまった。
なかなかまずいことになってしまった。ただ、週末ケイに付き合えば、誰にも言わないでいてくれるのであれば、そんなに難しいことじゃ無い。
春日に打ち明けるリスクを冒すよりも、ここはケイの言うとおりにした方がよさそうだ。
僕はとりあえず、もう一つコンビニおにぎりを手に取って、外装フィルムに手をかけた。ちなみに、未だかつて海苔を破らずに剥がせたことがない。背中を丸めてフィルムをあたふた弄っていると、突然頭上から手が伸びて、僕の手元からツナマヨおにぎりを奪い去った。
神の手か、と驚いて僕は頭上を仰ぎみた。
「誰?いまの」
ツナマヨおにぎりを取り上げたのは、吉良くんだった。
さっきケイに声を掛けられた時との僕の心境差がエグい。ただ一言声を掛けられただけなのに、僕は自然と胸が高鳴り、無いはずの尻尾がぴんと空を向いている。
「道で会った!」
「ん?道で?」
吉良くんは僕のツナマヨおにぎりのフィルムを慣れた手つきで剥がしながら、さっきケイが座っていた場所に腰を下ろした。
僕のためにフィルムを剥がしてくれているのかと思ったら、吉良くんはそのままそのおにぎりをがぶりと食べてしまった。
「道でって、それナンパじゃん」
「ナンパ?わからない」
吉良くんの口の中に消えていくツナマヨおにぎりを見送りながら僕は吉良くんにそう切り返した。
「まあ、いいや。つか、コレお前の?」
もぐもぐ口を動かしながら、吉良くんが足元に置いた鞄から、コレをとり出して僕の膝の上に置いた。
見覚えのあるブルーのシューズケースに僕は驚いて何も言わずに手を伸ばした。
それは僕が無くして、数日前散々レオンと探し回った、シューズケースだった。
「ソウ!」
慌てて確かめるように中を確認するとちゃんと吉良くんが選んでくれたシューズが入っている。
「ケースに見覚えがあったから拾ってきたんだけど、妙なところに落ちてたぞ?」
「ありがとう!吉良くん!これスゴイ探してた!」
「お前、あの辺行ったの?」
「ウレシイ!よかった!」
「俺の話聞いてる?」
「ミツカラナイかと思った」
驚きと嬉しさのあまり、吉良くんの声が耳に入っていなかったらしい僕の顎を、吉良くんがぐいっと掴んで自分に向けさせた。
「あの辺行ったの?」
「イッタナイ」
「いや、どっちだよそれ」
吉良くんはまた「まあいいや」と言いながら、さっきまで僕のおにぎりを持っていた手を地面の上で叩いている。
「そういやさ、お前、夏休み明けの合宿の参加確認返して無いだろ?幹事が困ってたぞ?」
「がっしゅく」
「おう、早めにだいたいの人数把握したいんだと」
確かに、サークルのグループチャットに連絡が入っていたけど、文章が長いし、リンクがあちこちついていて複雑だった。後でみようと思ってそのまま忘れていた。
僕はスマホを手にして、そのメッセージ画面を映す。吉良くんが横から僕の手元を覗き込んだ。
「内容わかりにくかったのか?」
「うん」
僕が頷くと、吉良くんは指で僕のスマホ画面のリンクをタップした。
「このキャンプ場、毎年行ってるんだけど、外岩登れるスポットが多くてさ。まあ、登らないやつも、川で釣りできたり、バーベキューしたりとかできるから、普段来ないやつも結構参加すんだよ」
「ふうん?」
外岩というときに、吉良くんは大きな岩の画像を指さしたので、多分それに登るということなのだろう。僕は吉良くんの話を聞きながら、スマホの画面を必死に覗き込んでいた。
「バーベキューはこれな。去年の写真」
今度吉良くんは自分のスマホを取り出して、画面を僕に見せてくれた。
鉄板の上に乗った美味しそうなお肉と、楽しそうなサークルメンバーの写真だ。
「バーベキューって肉焼いて食うやつな。わかるか?」
「うん!わかった!」
吉良くんの説明はわかりやすかった。つまり、合宿とはみんなで外で岩に登ったり、肉を焼いて食べる遊びをするということだ。
「んで、どうする?来る?」
吉良くんは言いながら、僕の顔を覗き込んだ。
こんなに近くで吉良くんの顔を見るのが久しぶりな気がして、僕はうっかり見惚れてしまいそうだった。
「吉良くんは?行くの?」
「俺?もちろん行くよ」
「じゃあいく!吉良くん行くなら行く!」
そんなの決まっている。岩に登れてお肉を焼いてみんなで食べる。その上、吉良くんがいるなら、僕に行かない理由はない。
僕の答えに、吉良くんは口元に笑顔を作った。僕は無意識に吉良くんの口元見ていたら、不意にそれが近づいて、小さな音を立てて僕の唇に触れた。
すぐに離れていったけど、僕は驚いて吉良くんの顔を見たまま2度ほど瞬きをした。
なんでか、吉良くんも驚いた顔をしている。
「やべ、間違えた」
「マチガエタ?」
僕から顔を逸らし、吉良くんは口元を抑えている。
「今の無し」
そう言って、もう一方の手をひらひらと僕の眼前で振っている。
「吉良くん!間違えてないよ!ダイジョブ!もっかい!」
僕は目の前の吉良くんのてを両手で掴むとグッと吉良くんの横顔に顔を寄せた。
吉良くんは慌てて僕の肩を押し返す。
「アホ、やめろ」
吉良くんは立ち上がると、僕から距離を取るように、一歩前に出て振り返った。
仕切り直しとでもいうように、小さく咳払いをしている。
「じゃあ、合宿はいくのな?俺から幹事に伝えとくけどいい?」
「うん、いく」
「ん。じゃあ、俺行くわ」
そう言って、吉良くんは向こうを向いて講義棟の方へと歩いていった。
僕がその背中を見送っていると、数メートル先で吉良くんが振り返る。
「おまえさ、あんまり変な奴に付いてくなよ?」
「変な奴?」
「さっきの……道で声かけられるとか、詐欺とかそういうのもあるから」
「うん!わかった!」
吉良くんは僕が頷いたのを確認しても、まだ少し信用しきれないような表情だった。僕がもう一度大きく頷くと、小さくため息のような息を吐いて苦笑して、それから「じゃあな」と言って今度こそ立ち去った。
吉良くんの背中を見送った後、もう一度スマホに目を落とすと、見慣れないメッセージが表記されている。開いてみると、それはさっき僕のIDを教えたケイからだった。
『週末よろしくね』と書かれたあとに、意味深な猫のスタンプが押されている。
それを見て、僕の胸は騒ついた。
応援ありがとうございます!
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