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気がつく心
しおりを挟む「ジョセフとの約束を取り付けた。明日、行ってきなさい」
本日いきなり王前へと呼び出された。父親は威厳のある声で、開口一番にそう言ったのだ。
(ああ、とうとうやってきたわね)
ルーシアの心の中で、そう言葉を漏らした。彼女は苦笑しつつも、頭を下げる。
「……はい、かしこまりました」
ーージョセフ・マルグレッド、28歳。前妻を病で亡くしている。彼は私の〝婚約者〟だ。ただし、公式にはいまだ未発表のため仮の、ということだった。
実家は公爵家で嫡男。つまりは跡取りである。マルグレッド公爵家は代々財務大臣をこなしており、国においても重鎮である。
本来ならば第一王女であるルーシアは、国外へ嫁ぐ必要があるように思える。しかし大陸一の大国であるライオネル王国は不動の地盤を築いているため、その必要はなかった。
その上、王は娘であるルーシアを目に入れても痛くないほど溺愛している。
よって国内で不動の権力を握っているマルグレッド公爵家に嫁がせ、娘の地盤を安寧のものにしようとしているのであった。
(正直ありがた迷惑よね…。とは言っても、今まで断らなかった私が悪いのだけれど)
ルーシアは以前、結婚に全くと言っていいほど興味のなかった。だけれども第一王女としてはいずれ嫁がなければならなかった。そのため、両親の選んだジョセフが婚約者としてえらばれたのだ。
しかし、最近はふとした瞬間に〝彼〟の顔が浮かんでしまうのはどうしてなのだろうか。
(憂鬱だわ……)
そんなことじゃ相手に失礼だ。
邪念を払うように深呼吸をし、ルーシアは自室へと歩き出した。
*
街は大勢の人々が行き交い、非常に賑わっていた。ルーシアとジョセフはそんな様子を眺めながら、露店を見て回っていた。お忍びではあるが、護衛は後ろから見張っている。
今朝、ルーシアはジョセフの屋敷を訪ねた。11歳年上の彼は大人な笑みを浮かべ、短い顎髭をさすりながら迎えてくれた。そして応接間に案内され、お茶出される。
ジョセフはカップを手に持ちながら優雅な笑みを浮かべた。
「本日は城下へ行ってみませんか」
ジョセフは大人の色気を漂わせながら言う。
「……! えぇ、楽しみですわ」
正直、彼と二人きりでいる事を憂鬱に思っていた。そんなルーシアは、提案にすぐさま同意する。そして揃って街へと出かけたというわけだ。
二人は黒いマントをかぶり、並んで歩く。露天商が「この商品お安いですよ」「いい品入ってますよ、どうぞ見て行ってください」などと声をかけてくる。活気があり、ルーシアの心は少しだけ弾んだ。
「城下町を歩くのは久しぶりです」
「そうですか。実は私も最近は仕事が忙しく、あまり視察に来ることが出来なかったんですよ。城下に資金が巡っているか確認することも重要な仕事のうちとも言えるのですが、お恥ずかしい」
そう言うとジョセフは短く伸ばした顎髭をポリポリと掻いた。
ルーシアはそんな彼の様子を愛らしく思った。年上の男性に対して失礼だとは思うが。微笑ましく眺める。
「……王女殿下は、本当に私とご結婚なさるおつもりですか」
ジョセフは恐る恐る尋ねてきた。
その様子をみて、ルーシアは目の前の男は結婚に乗り気ではないのだと感覚で分かった。
彼は、亡くなった奥方を未だに愛しておられるのだろう。以前、風の噂でジョセフはとても愛妻家であると聞いたことがあった。そのため直ぐ、そう結論づける。
(今も忘れず、亡き奥さんを思っているこの人は、きっと愛情深い人なのね)
ルーシアはそう思い、ひっそりと微笑んだ。
「……私としては」
ルーシアが、ジョセフの問いに答えようと言葉を紡いだその瞬間。
「姫!!!」
後ろから、思ってもいない人物がルーシアを呼ぶ声が聞こえた。
「え?……ア、アレク様?」
ルーシアが振り向くと、お忍び用の黒いマントもかぶることなく我も忘れたアレックスが、息を切らしながらこちらに歩いてくるのが確認できた。
アレックスの表情は何故か怒っているように見え、ルーシアは目を瞬いた。
「姫」と呼んだことと、さらにアレックスのいつもの貴公子らしくない叫びのせいか周りの人々からの視線が集まっている。
(なんでこんなところにアレク様がいるの?それにマズイわ。お忍びで来たから街の人々は見て見ぬ振りをしてくれたのだろうけど、こんな風に呼ばれたのでは……)
何もせずとも集まってくる視線。
ルーシアは一人立ち止まり、思案した。王女として視線を受けることには慣れているが、こうも街中で目立つことなど滅多にない。それ故に、いつもより緊張しい気持ちが心を駆け抜けた。そうしている間に。
「あっ」
アレックスは、ルーシアの腕をを強い力で掴んだ。そして自分に引き寄せると、掴んでいた手はルーシアの手をきつく握り、城へと帰る方向に歩き出す。
高身長なアレックスの歩幅は、女性であるルーシアにとっては広い。ゆえに、小走りにならなければついていけなかった。前のめりに躓きそうになりながらも、ルーシアは歩みを進めた。
「ま、待って!」
ルーシアは振り返り、ジョセフの顔を見つめる。だが、当のジョセフといえば少しの間思案したのち、ニコリとこちらを見ながら微笑んだ。さらには、ついでのように手を振り返してきたのだ。
(こんなところでお茶目な一面出さなくてもいいじゃない)
ルーシアは途方に暮れながら、自分の手を引くアレックスの背中を見つめた。
町の人々はただの痴話喧嘩だと思ったのか、はたまた王女がこんな場所にいるわけないと考えたのか、興味を失ったようにいつもの生活へと戻っていく。
(なんでこんなにも怒っているのかしら。アレク様がここまで怒りを露わにするなんて……)
ルーシアは目を白黒させていたが、やがてバード家所有の馬車にたどり着いた。
「屋敷まで」
アレックスは御者に短くそう伝えると、馬車に乗り込む。ルーシアもそれに倣った。
息を整え、被っていた黒いマントを脱いだ。
そして二人は馬車の中で向かい合わせに座る。
いつもならばアレックスの朗らかな優しい笑みに胸を高鳴らせ、興味深い話に真剣な表情で頷くのだが、今回は違った。
(こんなに二人でいて息苦しいのは初めてだわ)
目の前のアレックスは、恐らくルーシアに対して怒っている。だが、ルーシアといえば何が彼をそこまで怒らせたのか分かっていない。
向き合う体と沈黙が痛すぎて、とりあえず何か述べなければとルーシアか口を開こうとした時。
「姫はあいつが好きなの?」
アレックスは脈絡もなく言い放った。ルーシアはいきなりの不躾な質問に、思わず目を大きくして慄く。そして、自然と口から言葉が漏れた。
「一体、どうしてそうなるのですか」
「だって、あの男と婚約……しているんだろ」
「……そうね」
アレックスは不機嫌な様子を隠さず眉をひそめた。
どうしてアレックスがその事を知っているのか。また、いきなり何故そのような質問をしたのか。そう問いかけようかと思った。しかし、今までにないほどの不機嫌なアレックスの様子にうまく口を開くことが出来ない。
「……」
「……」
重い沈黙が馬車の中を満たしていた。
車輪の音と馬の蹄の音がやけに大きく聞こえる。
ルーシアは不機嫌なアレックスを間近にし、居た堪れない気持ちになった。
悪い事をしているつもりは無い。それなのに何故だろう。
ーーーーきっと無意識のうちに責められているように感じたからだ。
そう思い至ったルーシアを尻目に、アレックスは大きくため息をついた。そして、聞こえるか聞こえないか分からないほど小さな声で、驚くべきことを囁いたのだ。
「君が…………好きなんだ」
ルーシアは思わず顔を上げる。
(き、聞き間違いかしら。今、アレク様が私のことを……!)
アレクの翠目の双眸を凝視する。
「そんなに見ないでくれ……」
彼は貴公子然とした顔は、みるみるうちに赤く染まっていった。その様子から、好きだと告白されたのは間違いようもない事実であった。
(聞き間違いなんかじゃないわ。彼は私のことが……好き。そう言ったのね)
そう分かった途端、ルーシアの鼓動は今まで以上の早さで、痛いほどに打った。ここまで動揺を覚えた言葉は生まれて初めてだろう。密かに考えるほどだった。
白磁のような肌も桃色に染まり、全身が熱く蕩けそうになる。
(なんでだろう、すごく……嬉しい)
ルーシアの心には今までにないほどの温かさと、言いようのない喜びでいっぱいになった。その幸せな気持ちは全身へと広がり、どこか甘く疼く熱を伝えていく。
そこでルーシアはやっと自覚したのだ。
ーーーーアレックスの事が好きだったのだ、と。
アレックスの事が好きだから、彼の女性関係の噂を聞いてモヤモヤした。
アレックスの事が好きだから、婚約者のジョセフの存在を憂鬱に思った。
全てアレックスへの恋情からの感情だったのだ。
不器用なルーシアはその感情を上手く許容しきれず、理解することも出来なかった。だから、溢れ出しそうな気持ちに蓋をしたのだ。
そう思った途端、気持ちが溢れるのと同時にブルーサファイアの瞳から一粒の雫が落ちた。流れる涙は唇の端から滑り込み、塩辛い味が舌の上に広がる。
それをきっかけに、次々と温かい涙が溢れ出していった。まるで、これまで我慢してきた気持ちがが決壊したかのように。
「っ!!ル、ルーシア姫!!!」
そんなルーシアの様子に、アレックスは焦りを含んだ声で強く叫ぶ。
恋情に気がついたルーシアは、ある一つの疑問を覚えた。その問いの答えによっては、せっかくのアレックスの告白も心から受け入れることは出来ない。
緊張を覚えながらも、ゆっくりと質問を投げかけた。
「ではどうして、他のご令嬢方と関係を持っていたのですか」
ルーシアは真剣な眼で見つめる。
ずっと聞きたくて、でも聞けなくて。晴れないモヤモヤを抱えてきたのだ。
それが男というものなのだろうか。それとも女性におモテになられるからなのか。色々と理由はあるだろうが、アレックスの本心を彼の口から聞きたかった。
「知って……いるんだね。まぁそうだよな。かなり派手に遊んでいたし」
アレックスは自嘲するように笑った。その眼は空虚でわびしく、虚空を見つめていた。そしてその後「不安にさせて悪かった」と彼女を見つめた。
「君と出会って、君と話して。どんどん惹かれていく自分がいた。でもどうしてもそれを認められない自分もいて」
「……」
「……やけになってたんだ。他の女と遊んでいれば、ルーシア姫のこと忘れられるんじゃないかって。……でもダメだった。彼女たちと触れ合っていても、ずっと頭に君のことがちらついてしまう」
ルーシアは息を飲む。
「君とのキスはどんな味がするのか。どんなキスをしてくれるのか。抱き心地はどんな風なのか。ずっとそんな妄想をしてた。ってなに言ってんだろな」
アレックス苦笑いをしながら言うと、すぐさま真顔になりいつもよりも獰猛な視線を寄越す。そしてルーシアのブルーサファイアの瞳から溢れる涙を指で拭った。
ぞくり、と脊髄から登るなにかを感じ、ルーシアはその視線から逃げるように目を逸らす。先程まで出ていた涙は、もう彼の色気に当てられて引っ込んでしまった。
側から見るとルーシアはまるで追い詰められた小動物のようにも見えた。
「なぁ、ルーシア姫。いや、ルーシア。君は俺のこと、どう思ってるの」
〝ルーシア〟そう呼んでくれたのは初めてだ。いつも以上に色気を含んだ声で尋ねてくる。その声に当てたルーシアは、背中を震わせた。そして同時に、震える喉から文字を吐き出すように口を開く。
「……わ……たしは」
「私は?」
アレックスが言葉を繰り返す。
ゆっくりと彼の双眸を見つめ、できるだけ丁寧に、思いが全て伝わるように言葉を紡いだ。
「アレク様が……いえ、アレクが好き」
陶器のような白い肌を桃色に染め上げ、悠然と微笑みながら。伝えるべきことを伝えたからか、ルーシアの心は不思議と軽くなった。
憧憬だと思っていたその思いは、少しずつ形を変えることで恋情へと変わったのか。はたまた、元から恋情であったのだろうかはわからない。
だかその恋心は、今もなおずっとずっと深まるばかりだ。
「ルーシアっ!!!」
アレックスが叫ぶように名前を呼び、恍惚とした表情でルーシアの腕を引く。そして、自身の膝の上に横抱きで座らせ、力一杯抱きしめた。馬車は、唐突なアレックスの行動のせいでガタリと揺れる。
彼の厚い胸板に耳を寄せ、速いテンポを刻む鼓動を聞く。それが自分と同じ速度以上で動いていることに安堵し、笑みを深めた。
抱擁は強く、ルーシアにとって苦しいほどのものであったが、この苦しみこそ二人の愛の証明のように感じられた。
抱擁の強さは愛の強さなのかもしれない。そんなことを考える自分自身の想像の可笑しさに、内心くすりと笑った。
「あぁ、ルーシア。嬉しいよ。俺も好きだ。愛してる」
「私も愛してます」
二人はお互いの顔を見つめ、顔をゆっくりと寄せる。そしてーーーー初めて唇と唇を触れ合わせた。
初めて触れる唇は少しカサついてて、だけれども体温で温かいなと、ルーシアは思った。
唇を通して、思いが繋がったのだ。
二人の思いの重なる初めてのキスは、馬車の中だった。
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