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10.悪魔の訴え
しおりを挟むディアナの自室は見た目よりも使い勝手を重視されており、貴族令嬢ではあるが比較的質素だった。年頃の娘ならば絢爛豪華な家具を置き、壁紙も美しいものに張り替え、シャンデリアを飾るのが一般的とされているのだ。
そんな自室にナインは仁王立ちしていた。彼は普段と変わらぬ表情を浮かべながらも、纏う空気はまるで違う。冷たく、怒気を含んだものだった。
近づくだけで圧迫感に圧倒され、ディアナは口をわなわなと震えさせる。
「ど、うして……ここに」
やっとのことで出た声は、まるで蚊の鳴くような声とでも言えば良いのか。姉の威厳などはまるでなく、肉食獣を目の前にした小動物のようだった。
(用事があったはずじゃなかったの……)
背中に一粒の汗がたらりと流れ落ちるのを感じる。
「どうしてでしょう?それは姉様が一番お分かりのはず」
語彙を強めて口を開いたナイン。徐々にその表情には、怒りの感情が溢れ出てきているのを推し量ることが出来た。彼は恐らく爆発寸前だ。
「…………ごめんなさい、ナイン」
ディアナは義弟の表情を見て、思わず口からは謝罪の言葉が飛び出していた。彼は義姉のことを深く心配したのだ。怒りの表情の裏には、悲しみや苦しみ、そして安堵が見てとることが出来るのだから。
「僕が…………僕が!どれだけ心配したと思っているのですか!?」
ナインの声には色々な感情がない交ぜになっていた。
己の軽率な行動で、義弟に思わぬ心労をかけてしまった。せめて伴のものをつけたり、伝言を残していくべきだったのだ。
(仮に、ナインがなにも言わずに家を飛び出したりしたら……私も同じように心配するものね)
申し訳なさに、ディアナは眉を下げる。
だがこれは言い訳のようにきこえるかもしれないが、ここ数日、ディアナは屋敷に軟禁されているようなものだったのだ。どこに行くにも兵に見張られており、安心できる場など一つもない。
開放感のない空間に、鬱憤が溜まっていくのは仕方がなかった。
婚約破棄を公衆の面前でされ、何事もないかのように振舞ってはいた。だが、何も感じなかったかと言われればそうではない。婚約破棄については既に割り切っている。だが、わざわざ貴族たちが集まる中で恥を晒されたのだ。それは思った以上には堪えることだった。
貴族の体面をなどと言うつもりはない。これはディアナのなけなしのプライドに関わるものなのだ。何度嘲笑を浴びようとも、いつまで経っても慣れるものではない。
そして、ここ数日で積もりに積もった鬱憤を晴らすには、外で思う存分過ごす他なかった。
(自分勝手なのは百も承知よ……。でもナインは、私が外に出たいと交渉しても受け入れてくれなかったに違いないのよ)
それどころか、見張りの目をさらに強化するだろう。ディアナには、彼の本質がよく分かっているのだ。
「私も勝手に屋敷から抜け出したことは悪かったと思ってるわ。本当にごめんなさい。……でも、見張りをつけるのはやり過ぎよ」
「だって!そうしなければ、それこそ勝手に屋敷を飛び出して戻ってきてはくれなくなるじゃないですか!?」
ナインは感情が爆発するかのように、声を張り上げる。その様子はまるで、母親に置いていかれた子供のようだった。
心細そうに顔を歪める義弟を見て、ディアナは思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
「僕、帰ってきてから姉様がいなくなって……どうすればいいのか分からなくなってしまいました。すぐに屋敷を飛び出して、探しに行きたかった。でも周りの皆はもう少し待てば帰って来る可能性もあると言うし。姉様は婚約破棄された今、あまり大ごとにするのは良くないと言って……」
「そうよね……私も、せめて手紙でも残していくべきだったわ」
「もうあと3分遅ければ、憲兵に連絡するところでしたよ!」
ディアナは怒りを滲ませるナインに一歩一歩と歩み寄り、手を伸ばせば届く距離まで近づいた。そして、彼のアッシュグレーの髪を慰めるようにして撫でた。
ナインは、ディアナの赤い瞳を今にも泣き出しそうな様子でじっと見つめる。それを見て、優しい手つきでゆっくりゆっくりと柔らかな髪を撫で上げた。
(きっと、心細かったのね)
まるで幼い子をあやすような行動のようだが、これは喧嘩した後などにもよくある二人の光景だった。ナインの頭を撫で続けると、不安を宿すヘーゼルの瞳は少しずつ落ち着きを取り戻していくのだ。
彼は目を細め、表情はうっとりとしたものへと変化していく。まるで犬のようだと、ディアナは愛らしく思った。
「姉様……」
「なに?どうしたの」
怒りから一転、寂しさを感じさせる声で話すナイン。それを優しく諭すような声で、ディアナは答えた。
ーー予想外の言葉を義弟は紡ぐとは知らず。
「僕は…………やはり、姉様が好きです。女性として愛してます」
(…………え?ま、またそれ!?)
「だから、他の男に取られるくらいなら……やっぱりあなたを家に閉じ込めておきたい」
(物騒すぎるわ……)
「姉様は美しくて、愛らしくて、素敵な女性だ。あなたを妻にと望む羽虫は、ごまんといるでしょう」
(は、羽虫!?)
ディアナの内心などはいざ知らず、ナインは苦虫を噛み潰したような表情で言った。そして言葉を続ける。
「だから、僕がそいつらから姉様を守ってあげます」
そう言ったあと義弟は表情を一変させ、何かを企むような微笑みを向けてきた。
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