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第29話 絵空事
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シメオン様は腕を組んで細めた目で私を見た。
「あれほど薬師の矜持を泣いて訴えただろう」
「私に弟がいるからでしょうか。あどけなさが残る子供たちを見ると、私が守らなきゃって、庇護欲が湧くのです。ですが、薬師としての矜持を売り渡したわけでも捨てたわけでもありませんよ。今は少々、家出しているだけです。そのうち帰ってきます」
「お腹が空いたら帰ってくる思春期の子どもみたいに言うな……」
「それよりも旦那様。私は確かに訴えはしましたが、泣いて訴えはしませんでしたよ」
そう言うとシメオン様は一瞬目を見開いたけれど、すぐに目を伏せた。
「だが泣いたのは事実だろう」
「もしかして泣き声が外まで聞こえましたか?」
シメオン様は答えないけれど、きっと聞こえていたのだろう。だから翌朝、私の顔を見なかったのだと思う。
「私をあなたの一族に引き込んだことを……後悔していますか?」
聞いてみたかったことを尋ねると、シメオン様は視線を上げて私を真っ直ぐ見つめてきた。
「後悔していない。……いや。後悔することは止めることにした。そうでなければ巻き込まれた君があまりにもやりきれないだろう」
初めは、嘘でもいいから後悔していると言ってほしいと考えていた。けれどシメオン様のこの答えこそが、傷ついた心をほんの少しだけ癒やす唯一の言葉だったようにも思えた。
ただ、少し希望を言うのならば、もっと不遜な態度で後悔していないと言い切ってくれたらよかったのにとは思う。
「切羽詰まっていたとは言え、君こそ後悔しているのではないか?」
「私が後悔したのは、妻としてアランブール伯爵家にやって来たその夜だけです。その一夜も途中で気持ちを切り替えました」
私はメイリーンさんの言葉が力になったことを伝える。
「君は強いな。そんな言葉をかけられたとしても、それをすぐに自分の力に変えられるのは素直にすごいと思う」
「いいえ。私は強くないから強くあろうと虚勢を張るのです。手を強く握って歯を食いしばって。けれど虚勢も張り続ければいつか本物になります。本物になると信じて私はこれからも虚勢を張り続けます」
「……そうか」
「そしていつか旦那様に」
私はシメオン様にびしりと人差し指を突きつけた。
「いつの日にか、シメオン様を自分の足元に跪かせて、私が欲しいと愛を乞わせてやります!」
私の宣言に目を丸くしたシメオン様だったが、一拍後、噴き出した。
メイリーンさんの名言をそのまま引用してしまったけれど、愛を乞わせては大きく出すぎたかもしれない。
「ちょ、ちょっと笑いすぎですよ!」
噴き出してから笑いが止まらないシメオン様に、段々頬が熱くなってくる。自分だって言いすぎたと思っている。
「悪い悪い」
全然悪く思っていない様子で謝罪し、シメオン様は何とか笑いを収めることに成功した。いや。不敵な笑みを浮かべている。
「お望みなら、あなたが欲しいと愛を乞いながら跪くぐらいいつでもしてやるが?」
「結構です!」
私が熱くなった頬を膨らませると、シメオン様は目を細め、今度はふっと小さく笑った。
「ところで」
私は一つ咳払いして、話題を変える。
「ところで話を戻しますが、何人もの部下を抱えるアランブール伯爵の立場であっても、こういった国や王家を揺るがすような大きな出来事ではなくても、ご本人が調査に回るのですね」
「いや。むしろこういったところから王家と私腹を肥やす貴族の間で綻びが生じ始めたりするものだ。それが芽吹く前に刈り取るのが私たちの仕事だ。それに、次期アルナルディ侯爵になるための試験は始まっていると以前にも言ったと思うが、数をこなすことも評価の一つとなる」
もちろん大きな仕事をこなすと評価は一気に上がるのだろうけれど、こういった小さなものでも不穏な出来事をつぶしていくことが評価に繋がるということなのか。
「ただし実際のところ、標的と直接交渉したり、尋問したりするのは部下だ」
なるほど。確かに高位貴族であるアランブール伯爵、引いてはアルナルディ侯爵家一族の裏の仕事を知られるわけにはいかないだろう。それにいざという時に蜥蜴の。
「尻尾切りもできるものね。さすが冷酷非情な密偵集団」
「……声に出ているぞ」
「あら? ですが、ロドリグ・ダルトンさんの時は旦那様が直接お話しされましたよね」
「ああ。下級の貴族や部下では対応できない場合は私が動く。例えば今回のような多額の寄付で標的に接触する場合や、前回のように招待状が送られて来ないと入れない場所に潜入する場合とかな」
ロドリグ・ダルトンさんの時は仮面舞踏会だったから、部下に招待状さえ渡しておけばシメオン様ではなくても問題なかったのかもしれない。けれど私が同行すると言い出したから、シメオン様が急遽対応することになったのかもしれない。
「すべての密偵を統括するアルナルディ侯爵の地位にまで上り詰めれば、自身は小回りせず、指令を出すだけになるだろうが」
「旦那様はすべての密偵を統括する長になりたいのですか?」
「……実現させたいことがある。アルナルディ侯爵の地位を得るのはあくまでもその手段に過ぎない」
「実現させたいものとは何ですか」
シメオン様は私を貫き通すような目で見つめ、そして小さく笑った。
「今は絵空事過ぎて口に出すことさえ躊躇われる。いずれ話せる時が来たら話そう」
「もしかして、ワイン片手にアームチェアの背に身を任せてゆったりと座り、指先一つで部下に命令を出す立場になりたいとかですか?」
「……君はどういう目で私を見ているんだ」
軽蔑の目を向けた私に、呆れたような目を返したシメオン様だった。
「あれほど薬師の矜持を泣いて訴えただろう」
「私に弟がいるからでしょうか。あどけなさが残る子供たちを見ると、私が守らなきゃって、庇護欲が湧くのです。ですが、薬師としての矜持を売り渡したわけでも捨てたわけでもありませんよ。今は少々、家出しているだけです。そのうち帰ってきます」
「お腹が空いたら帰ってくる思春期の子どもみたいに言うな……」
「それよりも旦那様。私は確かに訴えはしましたが、泣いて訴えはしませんでしたよ」
そう言うとシメオン様は一瞬目を見開いたけれど、すぐに目を伏せた。
「だが泣いたのは事実だろう」
「もしかして泣き声が外まで聞こえましたか?」
シメオン様は答えないけれど、きっと聞こえていたのだろう。だから翌朝、私の顔を見なかったのだと思う。
「私をあなたの一族に引き込んだことを……後悔していますか?」
聞いてみたかったことを尋ねると、シメオン様は視線を上げて私を真っ直ぐ見つめてきた。
「後悔していない。……いや。後悔することは止めることにした。そうでなければ巻き込まれた君があまりにもやりきれないだろう」
初めは、嘘でもいいから後悔していると言ってほしいと考えていた。けれどシメオン様のこの答えこそが、傷ついた心をほんの少しだけ癒やす唯一の言葉だったようにも思えた。
ただ、少し希望を言うのならば、もっと不遜な態度で後悔していないと言い切ってくれたらよかったのにとは思う。
「切羽詰まっていたとは言え、君こそ後悔しているのではないか?」
「私が後悔したのは、妻としてアランブール伯爵家にやって来たその夜だけです。その一夜も途中で気持ちを切り替えました」
私はメイリーンさんの言葉が力になったことを伝える。
「君は強いな。そんな言葉をかけられたとしても、それをすぐに自分の力に変えられるのは素直にすごいと思う」
「いいえ。私は強くないから強くあろうと虚勢を張るのです。手を強く握って歯を食いしばって。けれど虚勢も張り続ければいつか本物になります。本物になると信じて私はこれからも虚勢を張り続けます」
「……そうか」
「そしていつか旦那様に」
私はシメオン様にびしりと人差し指を突きつけた。
「いつの日にか、シメオン様を自分の足元に跪かせて、私が欲しいと愛を乞わせてやります!」
私の宣言に目を丸くしたシメオン様だったが、一拍後、噴き出した。
メイリーンさんの名言をそのまま引用してしまったけれど、愛を乞わせては大きく出すぎたかもしれない。
「ちょ、ちょっと笑いすぎですよ!」
噴き出してから笑いが止まらないシメオン様に、段々頬が熱くなってくる。自分だって言いすぎたと思っている。
「悪い悪い」
全然悪く思っていない様子で謝罪し、シメオン様は何とか笑いを収めることに成功した。いや。不敵な笑みを浮かべている。
「お望みなら、あなたが欲しいと愛を乞いながら跪くぐらいいつでもしてやるが?」
「結構です!」
私が熱くなった頬を膨らませると、シメオン様は目を細め、今度はふっと小さく笑った。
「ところで」
私は一つ咳払いして、話題を変える。
「ところで話を戻しますが、何人もの部下を抱えるアランブール伯爵の立場であっても、こういった国や王家を揺るがすような大きな出来事ではなくても、ご本人が調査に回るのですね」
「いや。むしろこういったところから王家と私腹を肥やす貴族の間で綻びが生じ始めたりするものだ。それが芽吹く前に刈り取るのが私たちの仕事だ。それに、次期アルナルディ侯爵になるための試験は始まっていると以前にも言ったと思うが、数をこなすことも評価の一つとなる」
もちろん大きな仕事をこなすと評価は一気に上がるのだろうけれど、こういった小さなものでも不穏な出来事をつぶしていくことが評価に繋がるということなのか。
「ただし実際のところ、標的と直接交渉したり、尋問したりするのは部下だ」
なるほど。確かに高位貴族であるアランブール伯爵、引いてはアルナルディ侯爵家一族の裏の仕事を知られるわけにはいかないだろう。それにいざという時に蜥蜴の。
「尻尾切りもできるものね。さすが冷酷非情な密偵集団」
「……声に出ているぞ」
「あら? ですが、ロドリグ・ダルトンさんの時は旦那様が直接お話しされましたよね」
「ああ。下級の貴族や部下では対応できない場合は私が動く。例えば今回のような多額の寄付で標的に接触する場合や、前回のように招待状が送られて来ないと入れない場所に潜入する場合とかな」
ロドリグ・ダルトンさんの時は仮面舞踏会だったから、部下に招待状さえ渡しておけばシメオン様ではなくても問題なかったのかもしれない。けれど私が同行すると言い出したから、シメオン様が急遽対応することになったのかもしれない。
「すべての密偵を統括するアルナルディ侯爵の地位にまで上り詰めれば、自身は小回りせず、指令を出すだけになるだろうが」
「旦那様はすべての密偵を統括する長になりたいのですか?」
「……実現させたいことがある。アルナルディ侯爵の地位を得るのはあくまでもその手段に過ぎない」
「実現させたいものとは何ですか」
シメオン様は私を貫き通すような目で見つめ、そして小さく笑った。
「今は絵空事過ぎて口に出すことさえ躊躇われる。いずれ話せる時が来たら話そう」
「もしかして、ワイン片手にアームチェアの背に身を任せてゆったりと座り、指先一つで部下に命令を出す立場になりたいとかですか?」
「……君はどういう目で私を見ているんだ」
軽蔑の目を向けた私に、呆れたような目を返したシメオン様だった。
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