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第7話 婚約を白紙に
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魔王討伐への出発前日、私はアルバート様に執務室へ呼び出された。
「いよいよ出発は明日となった。君にも伝えておかなくてはと思って足を運ばせて悪かった。かけてくれ」
アルバート様は来客用のソファーを指し示し、自身は向かい側に座る。そして当然のようにティアナさんを自分の横に座らせた。
苦々しい思いをしながらも丁重に挨拶を述べる。
「いいえ。とんでもないお話でございます。アルバート殿下、聖女ティアナ様。ご武運長久を心よりお祈り申し上げます」
「ありがとう」
アルバート様が感謝の言葉を述べてくれる一方で、ティアナさんは、え? と驚いたように声を上げて可愛らしく小首を傾げた。
「長久って、長く戦いに身を投じろということでしょうか。私たちは、できるだけ早く魔王討伐を終わらせて帰ってきたいと思っているのですが」
彼女の物言いに思わず眉をひそめたが、アルバート様はそれを無邪気さや無知だと取ったのだろう、くすりと笑う。
「そうではなく、ヴィオレーヌは勝利や幸運が長く続くようにと願ってくれているんだ」
「そ、そうだったのですね。教養がないものですから、本当に失礼いたしました」
やだ恥ずかしいとティアナさんは薄紅に染まった頬を手で隠すと、彼は彼女の肩に手をやり、これから学んでいけばいいと優しく微笑んだ。
彼女の肩に触れるその手は、友人や討伐隊である同志のそれではなく、恋仲にある異性に使う手のようだとぼんやりと思う。
すると、私の視線に気付いたアルバート様がティアナさんの肩から手を外した。――かと思われたが、今度は彼女の細い腰に腕を回し、自分の身に寄せた。
「それと君を呼びだした用件としてもう一つある。もしかしたら聡明な君にならもう分かっているかもしれないが」
アルバート様は一度ティアナさんを愛おしそうに見つめて微笑んだ後、私に視線を向けて笑みを消した唇を開いた。
「結論から言おう。君との婚約を今一度白紙に戻し、これからティアナとの未来を考えていきたいと思う」
ああ……。
やはりそうなるのね。
分かっていた。分かっていたけれど、アルバート様からの面と向かっての言葉は好奇心に満ちた噂よりも、二人の逢瀬を目撃した時よりも私の胸に刃を突き立てる。
「魔王討伐準備までのこのふた月、一日のほとんどを彼女と共にしていた。厳しい鍛錬の中、時には彼女がつらさゆえに自分の殻に閉じ籠もったり、私が自信を喪失して弱音を吐いたりしたこともあった。しかしそんな時はいつも二人慰め支え合ってきたんだ。そうした日々を過ごしている内にいつしか私とティアナの間には愛が芽生えていた。――いや。真実の愛に目覚めたというのが正しいだろう」
もう私の前でもティアナ嬢と呼ぶことさえしないアルバート様は、彼女の頬を慈しむようにそっと触れる。
「同年代の令嬢はシミ一つない美しい肌をし、手傷など負うこともない。ただ豪華絢爛なドレスを身につけて優雅に微笑み、銀のスプーンをたおやかに回してお茶と他愛もない話に興じるだけ。一方で、彼女の細い肩には誰にも抱えきれないような重圧がのしかかっているんだ」
まるで責められているようだ。いや。実際責めているのだろう。彼女が傷つき必死で鍛錬していた間、君は一体何をしていたのかと。
「いいえ、いいえ。アルバート様。それは単に私がその宿命を背負っただけのことで、貴族のご令嬢方には何ら落ち度はありません」
「ティオナ、そんな君だから。他人を思いやれる君だから守りたいと思った。私がこの手で守るべき女性だと」
「っ、アルバート様」
熱い視線を交わし合う二人の愛をただ黙って見せつけられるのみ。
……見せつけられるのみ? 冗談じゃないわ。
いつの間にか自分の膝の上で作っていた拳が震えている。
「ですが!」
私のいつにない叱責の声で我に返った二人は、弾かれたように私に視線を向けた。
「アルバート様とわたくしの婚姻は王室と公爵家の契約なのです。アルバート様のご一存だけでこの婚約を不履行にすることはできません。ましてティアナさんは平民でいらっしゃいます。身分差がございます」
「ああ。そうだな。だがこの国を救った聖女なら話は別だろう。むしろ王室は体面に何よりも重きを置く。民の人気が高い聖女を王室に迎えたいと言えば、陛下も大歓迎してくれるはずだ」
そこまで言うとアルバート様は心苦しそうに目を細める。
「もちろん君に対して大変申し訳ない気持ちはある。だから慰謝料も君が望むだけ用意しよう。また、ランバルト公爵家をこれまで以上に重用することも考えてある。折り合いがつくまで公爵とは話し合いをするつもりだ」
「です――」
「ヴィオレーヌ様」
私が反論しようとすると、ティアナさんは私の名を呼んで遮った。悲しそうに身を小さくする。
「ヴィオレーヌ様、私からも謝罪申し上げます。こんなことになって大変申し訳なく思っています。本当にごめんなさい。ですが、この恋心を抑えきることはどうしてもできなかったんです」
「ティアナ……私もだ」
潤んだ上目遣いで見るティアナさんを、アルバート様はたまらないと言ったようにさらに身を引き寄せる。
夢心地でしなだれかかる彼女の柔らかそうな髪を指で優しく梳かすと、私に視線を流して事務的に言った。
「君とのことは討伐から帰還した時に、皆の前で発表することにする。悪いが心の準備だけはしておいてくれ。話は以上だ」
その夜。
泣いて泣いて泣いた。
自分の一生分を泣いたのではないかと思うほど泣いた。
確かに私はこれまで信じて信じて、ただ信じて待っていただけだった。私は何もしてこなかったのだ。
だから。
全てを涙で綺麗さっぱり流しきった私は動くことに――した。
「いよいよ出発は明日となった。君にも伝えておかなくてはと思って足を運ばせて悪かった。かけてくれ」
アルバート様は来客用のソファーを指し示し、自身は向かい側に座る。そして当然のようにティアナさんを自分の横に座らせた。
苦々しい思いをしながらも丁重に挨拶を述べる。
「いいえ。とんでもないお話でございます。アルバート殿下、聖女ティアナ様。ご武運長久を心よりお祈り申し上げます」
「ありがとう」
アルバート様が感謝の言葉を述べてくれる一方で、ティアナさんは、え? と驚いたように声を上げて可愛らしく小首を傾げた。
「長久って、長く戦いに身を投じろということでしょうか。私たちは、できるだけ早く魔王討伐を終わらせて帰ってきたいと思っているのですが」
彼女の物言いに思わず眉をひそめたが、アルバート様はそれを無邪気さや無知だと取ったのだろう、くすりと笑う。
「そうではなく、ヴィオレーヌは勝利や幸運が長く続くようにと願ってくれているんだ」
「そ、そうだったのですね。教養がないものですから、本当に失礼いたしました」
やだ恥ずかしいとティアナさんは薄紅に染まった頬を手で隠すと、彼は彼女の肩に手をやり、これから学んでいけばいいと優しく微笑んだ。
彼女の肩に触れるその手は、友人や討伐隊である同志のそれではなく、恋仲にある異性に使う手のようだとぼんやりと思う。
すると、私の視線に気付いたアルバート様がティアナさんの肩から手を外した。――かと思われたが、今度は彼女の細い腰に腕を回し、自分の身に寄せた。
「それと君を呼びだした用件としてもう一つある。もしかしたら聡明な君にならもう分かっているかもしれないが」
アルバート様は一度ティアナさんを愛おしそうに見つめて微笑んだ後、私に視線を向けて笑みを消した唇を開いた。
「結論から言おう。君との婚約を今一度白紙に戻し、これからティアナとの未来を考えていきたいと思う」
ああ……。
やはりそうなるのね。
分かっていた。分かっていたけれど、アルバート様からの面と向かっての言葉は好奇心に満ちた噂よりも、二人の逢瀬を目撃した時よりも私の胸に刃を突き立てる。
「魔王討伐準備までのこのふた月、一日のほとんどを彼女と共にしていた。厳しい鍛錬の中、時には彼女がつらさゆえに自分の殻に閉じ籠もったり、私が自信を喪失して弱音を吐いたりしたこともあった。しかしそんな時はいつも二人慰め支え合ってきたんだ。そうした日々を過ごしている内にいつしか私とティアナの間には愛が芽生えていた。――いや。真実の愛に目覚めたというのが正しいだろう」
もう私の前でもティアナ嬢と呼ぶことさえしないアルバート様は、彼女の頬を慈しむようにそっと触れる。
「同年代の令嬢はシミ一つない美しい肌をし、手傷など負うこともない。ただ豪華絢爛なドレスを身につけて優雅に微笑み、銀のスプーンをたおやかに回してお茶と他愛もない話に興じるだけ。一方で、彼女の細い肩には誰にも抱えきれないような重圧がのしかかっているんだ」
まるで責められているようだ。いや。実際責めているのだろう。彼女が傷つき必死で鍛錬していた間、君は一体何をしていたのかと。
「いいえ、いいえ。アルバート様。それは単に私がその宿命を背負っただけのことで、貴族のご令嬢方には何ら落ち度はありません」
「ティオナ、そんな君だから。他人を思いやれる君だから守りたいと思った。私がこの手で守るべき女性だと」
「っ、アルバート様」
熱い視線を交わし合う二人の愛をただ黙って見せつけられるのみ。
……見せつけられるのみ? 冗談じゃないわ。
いつの間にか自分の膝の上で作っていた拳が震えている。
「ですが!」
私のいつにない叱責の声で我に返った二人は、弾かれたように私に視線を向けた。
「アルバート様とわたくしの婚姻は王室と公爵家の契約なのです。アルバート様のご一存だけでこの婚約を不履行にすることはできません。ましてティアナさんは平民でいらっしゃいます。身分差がございます」
「ああ。そうだな。だがこの国を救った聖女なら話は別だろう。むしろ王室は体面に何よりも重きを置く。民の人気が高い聖女を王室に迎えたいと言えば、陛下も大歓迎してくれるはずだ」
そこまで言うとアルバート様は心苦しそうに目を細める。
「もちろん君に対して大変申し訳ない気持ちはある。だから慰謝料も君が望むだけ用意しよう。また、ランバルト公爵家をこれまで以上に重用することも考えてある。折り合いがつくまで公爵とは話し合いをするつもりだ」
「です――」
「ヴィオレーヌ様」
私が反論しようとすると、ティアナさんは私の名を呼んで遮った。悲しそうに身を小さくする。
「ヴィオレーヌ様、私からも謝罪申し上げます。こんなことになって大変申し訳なく思っています。本当にごめんなさい。ですが、この恋心を抑えきることはどうしてもできなかったんです」
「ティアナ……私もだ」
潤んだ上目遣いで見るティアナさんを、アルバート様はたまらないと言ったようにさらに身を引き寄せる。
夢心地でしなだれかかる彼女の柔らかそうな髪を指で優しく梳かすと、私に視線を流して事務的に言った。
「君とのことは討伐から帰還した時に、皆の前で発表することにする。悪いが心の準備だけはしておいてくれ。話は以上だ」
その夜。
泣いて泣いて泣いた。
自分の一生分を泣いたのではないかと思うほど泣いた。
確かに私はこれまで信じて信じて、ただ信じて待っていただけだった。私は何もしてこなかったのだ。
だから。
全てを涙で綺麗さっぱり流しきった私は動くことに――した。
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