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第6話 私たちだけの秘密
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叫べばいい。彼らの前に出て何をしているのと詰問すればいい。私はアルバート様の婚約者なのだから問い詰める権利がある。
頭ではそう思うのに、声が喉に張り付いたように出てこない。
私の不甲斐ないためらいによって、二人の顔が重なった。
密着させた体。互いの熱を貪り絡め合う扇情的な口づけ。時折唇から漏れる二人の熱くて切なげな吐息。
彼らの熱情があふれ零れて辺りに広がる。
思考が追いつかない。
アルバート様と私だけのものだった不可侵の聖域に亀裂が入り、軋みながら崩れ落ちていく光景を前に為す術もなく、ただ茫然と見つめるばかりだ。
やがて欲情が含まれた水音を立てて唇が離れた。
「ア、ルバート様ったら。こんな外でいけません。誰かに見られでもしたら……」
ティアナさんはアルバート様の腕の中で乱れた呼吸を整える。言葉はたしなめているが、声は甘ったるくて説得力がない。
「だが、外だとまた違って気持ちが昂ぶるだろう? いつにも増して艶めかしく、もっと欲しいと媚びているように見えるぞ」
外だとまた違って。いつにも増して。
内でするのとは違ってということ? いつもしていると……いうこと?
「もう! そんなことをおっしゃって意地悪」
「ははっ。大丈夫だ。誰もこんな辺鄙な場所に来やしない。ここは私と君だけの秘密の場所だ」
私と君だけの秘密の場所。
それはかつてアルバート様が私に向けて言ってくれた台詞だ。
「美しい緑に囲まれた素敵な場所ですね。私たち以外は誰も入り込むことができない世界を作ってくれているようだわ。ここがアルバート様と私だけの秘密の場所?」
「ああ。私とティアナだけの神聖で特別な場所だ」
私はなぜ大切にしていた場所が、目の前で汚されていくのを黙って見ているだけなのだろう。
これ以上見たくないのならば、二人の前に姿を見せればいい。それができないのならば、ここから立ち去ればいい。けれど震えた足から生えた根が地へと張り巡らせたように身動きすることができない。
「ふふっ。二人だけの秘密が増えていきますね」
彼女は可愛らしく華やいだ声を上げて彼を仰ぎ見た。
「そうだな。君のそんな可愛い笑顔を見られるのならば、もっともっと二人の秘密を作っていこう」
「ええ! 嬉しい。――あ。でも」
遠慮がちな彼女の声から表情を曇らせたのだろうということが分かる。
「そろそろ一番大きな二人だけの秘密を胸の奥に仕舞っておくのは……心苦しいです」
「ああ、そうだな。明日はいよいよ出発の前日だ。伝えることにしよう。彼女にも、私たちが戻ってくるまでには心の整理をしてもらわないといけないからな」
何を。彼女って誰のこと? 誰に何の心の整理をさせるつもりなの?
言いようもない不安が押し寄せて身動ぎし、足で小さく地を擦ってしまう。しかし二人は自分たちの世界に入り込んで何一つ気づいていない様子だ。
「はい。分かりました。やはり私も同席した方がいいですか?」
「ああ。私たちのことなのだからその方がいい」
「そうですよね。ですがとても不安です」
「私がいるんだ。私に全て任せておけばいい。君は私の側にいてくれるだけでいいんだ。不安など抱く必要はない。――まだ不安そうだな?」
アルバート様はティアナさんの頬に手を置くと、彼女はその手を取って顔を寄せる。
「ええ。不安です。アルバート様、私は不安です」
しかし声には不安を思わせる陰りなど微塵もあらず、むしろ悪戯っぽい声音だ。
「そうか。では君の不安を取り除かなければな」
「はい。取り除いてください。アルバート様の愛で」
「ああ。私の愛で」
くすりと笑うとアルバート様は顔を近づけて再び彼女に口づけを落とした。
本当は私がいることに気付いているのではないだろうか。彼女は二人が紡ぐ愛の深さを見せつけるかのように、まるで華麗なダンスをするかのごとく、口づけたままくるりと互いの位置を変える。
すると私と彼女の視線がぶつかった――かのように思われた。ティアナさんが勝ち誇り、笑むために目を細めたように見えたから。けれど私のことなど眼中になどないといった風にすぐに目を伏せた。
「――っ」
屈辱で体が震えだす。
これ以上はもう本当に耐えられない。ようやく足が動いた私は身を翻した。
「ん?」
さすがに人が動く気配を感じ取ったようで二人は離れたらしい。アルバート様の口から不審そうな声がもれた。
「今、何か物音が? いや。きっと、気位だけは高い毛並みの良い愛玩猫でも通ったんだろうな」
「え? ――ああ」
くすくすと楽しそうに嗤い合う二人。
「ね。アルバート様、私は? 私は何猫ですか?」
「そうだな。君は……泥棒猫ってところかな?」
「ひどぉい! アルバート様が奪われに来た側なのに」
「確かに。私が望んで奪われに行ったな」
「そうで――んっ!」
再び二人だけの愛の曲宴が始まろうとし、私は足取りおぼつかなくその場を後にした。
私を信じてほしい。
アルバート様は私に言った。
「だから彼を信じるの」
言葉を口にするとほんの少しだけ気持ちが盛り返してくる。
「ただわたくしは信じてさえすればいいの」
信じて信じて信じきるの。そう。信じさえすれば。
信、じて?
どうやって……信じればいいの?
私は自分の目で見たものを信じず、ただアルバート様の言葉だけを信じればいいの?
頭ではそう思うのに、声が喉に張り付いたように出てこない。
私の不甲斐ないためらいによって、二人の顔が重なった。
密着させた体。互いの熱を貪り絡め合う扇情的な口づけ。時折唇から漏れる二人の熱くて切なげな吐息。
彼らの熱情があふれ零れて辺りに広がる。
思考が追いつかない。
アルバート様と私だけのものだった不可侵の聖域に亀裂が入り、軋みながら崩れ落ちていく光景を前に為す術もなく、ただ茫然と見つめるばかりだ。
やがて欲情が含まれた水音を立てて唇が離れた。
「ア、ルバート様ったら。こんな外でいけません。誰かに見られでもしたら……」
ティアナさんはアルバート様の腕の中で乱れた呼吸を整える。言葉はたしなめているが、声は甘ったるくて説得力がない。
「だが、外だとまた違って気持ちが昂ぶるだろう? いつにも増して艶めかしく、もっと欲しいと媚びているように見えるぞ」
外だとまた違って。いつにも増して。
内でするのとは違ってということ? いつもしていると……いうこと?
「もう! そんなことをおっしゃって意地悪」
「ははっ。大丈夫だ。誰もこんな辺鄙な場所に来やしない。ここは私と君だけの秘密の場所だ」
私と君だけの秘密の場所。
それはかつてアルバート様が私に向けて言ってくれた台詞だ。
「美しい緑に囲まれた素敵な場所ですね。私たち以外は誰も入り込むことができない世界を作ってくれているようだわ。ここがアルバート様と私だけの秘密の場所?」
「ああ。私とティアナだけの神聖で特別な場所だ」
私はなぜ大切にしていた場所が、目の前で汚されていくのを黙って見ているだけなのだろう。
これ以上見たくないのならば、二人の前に姿を見せればいい。それができないのならば、ここから立ち去ればいい。けれど震えた足から生えた根が地へと張り巡らせたように身動きすることができない。
「ふふっ。二人だけの秘密が増えていきますね」
彼女は可愛らしく華やいだ声を上げて彼を仰ぎ見た。
「そうだな。君のそんな可愛い笑顔を見られるのならば、もっともっと二人の秘密を作っていこう」
「ええ! 嬉しい。――あ。でも」
遠慮がちな彼女の声から表情を曇らせたのだろうということが分かる。
「そろそろ一番大きな二人だけの秘密を胸の奥に仕舞っておくのは……心苦しいです」
「ああ、そうだな。明日はいよいよ出発の前日だ。伝えることにしよう。彼女にも、私たちが戻ってくるまでには心の整理をしてもらわないといけないからな」
何を。彼女って誰のこと? 誰に何の心の整理をさせるつもりなの?
言いようもない不安が押し寄せて身動ぎし、足で小さく地を擦ってしまう。しかし二人は自分たちの世界に入り込んで何一つ気づいていない様子だ。
「はい。分かりました。やはり私も同席した方がいいですか?」
「ああ。私たちのことなのだからその方がいい」
「そうですよね。ですがとても不安です」
「私がいるんだ。私に全て任せておけばいい。君は私の側にいてくれるだけでいいんだ。不安など抱く必要はない。――まだ不安そうだな?」
アルバート様はティアナさんの頬に手を置くと、彼女はその手を取って顔を寄せる。
「ええ。不安です。アルバート様、私は不安です」
しかし声には不安を思わせる陰りなど微塵もあらず、むしろ悪戯っぽい声音だ。
「そうか。では君の不安を取り除かなければな」
「はい。取り除いてください。アルバート様の愛で」
「ああ。私の愛で」
くすりと笑うとアルバート様は顔を近づけて再び彼女に口づけを落とした。
本当は私がいることに気付いているのではないだろうか。彼女は二人が紡ぐ愛の深さを見せつけるかのように、まるで華麗なダンスをするかのごとく、口づけたままくるりと互いの位置を変える。
すると私と彼女の視線がぶつかった――かのように思われた。ティアナさんが勝ち誇り、笑むために目を細めたように見えたから。けれど私のことなど眼中になどないといった風にすぐに目を伏せた。
「――っ」
屈辱で体が震えだす。
これ以上はもう本当に耐えられない。ようやく足が動いた私は身を翻した。
「ん?」
さすがに人が動く気配を感じ取ったようで二人は離れたらしい。アルバート様の口から不審そうな声がもれた。
「今、何か物音が? いや。きっと、気位だけは高い毛並みの良い愛玩猫でも通ったんだろうな」
「え? ――ああ」
くすくすと楽しそうに嗤い合う二人。
「ね。アルバート様、私は? 私は何猫ですか?」
「そうだな。君は……泥棒猫ってところかな?」
「ひどぉい! アルバート様が奪われに来た側なのに」
「確かに。私が望んで奪われに行ったな」
「そうで――んっ!」
再び二人だけの愛の曲宴が始まろうとし、私は足取りおぼつかなくその場を後にした。
私を信じてほしい。
アルバート様は私に言った。
「だから彼を信じるの」
言葉を口にするとほんの少しだけ気持ちが盛り返してくる。
「ただわたくしは信じてさえすればいいの」
信じて信じて信じきるの。そう。信じさえすれば。
信、じて?
どうやって……信じればいいの?
私は自分の目で見たものを信じず、ただアルバート様の言葉だけを信じればいいの?
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