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第5話 不安の芽に水をやりたくないのに
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「ヴィオレーヌ様」
何をするでもなく、ただぼんやりと内庭の花を眺めていたある日。
声をかけられて振り返るとそこにいたのは、シュザンヌ・ロダン侯爵令嬢だった。華やかな扇を広げている。
アルバート様の婚約者候補として名が上がったこともあるご令嬢で、婚約者に選ばれた私をいまだ敵視してくるなかなか厄介なお方だ。
ご自分のお身体のことが気にかかるストラウス殿下は、ご婚約者を選ぶことを控えておられて現在も婚約者がおらず、空きになっているその座をロダン侯爵家が狙っているという噂もある。
「ごきげんよう、ヴィオレーヌ様」
「シュザンヌ様、ごきげんよう」
「アルバート殿下が国のため、民のために魔王討伐に出られることに深く感銘を受け、心よりの敬意を申し上げます。アルバート殿下は、今とてもお忙しくされておられるご様子ですね」
「はい」
「聖女様に付きっきりとか」
アルバート様とティアナさんの関係性は、どこまで噂されているのだろうか。洗濯場で話していた侍女らの話は、口を滑らせた人を特定できるごくごく内密の話だ。
あの場で話すことは配慮が足りなかったが、もし噂が広がってしまえばただでは済まないことを理解しているはずの彼女らは、あれ以上話を広げていないとは思う。
「そうですね。聖女様も慣れぬ王宮でのお過ごしはご不安でしょう。アルバート殿下はそのことをご考慮し、ご温情をかけていらっしゃいます」
「まあ! ヴィオレーヌ様はお心が広い方なのですね。こう言っては不敬になりますが、ヴィオレーヌ様の方がより聖女様だと思いますわ」
私は何とも言い返せず、ただ複雑な表情で笑みを浮かべた。
「ねえ、ヴィオレーヌ様。良いことをお教えいたしましょうか?」
扇で隠された口元はきっと嘲りを含み、不敵に微笑んでいるのだろう。そんな彼女が私にいい話を持ってくるとは到底思えない。
アルバート様は私に彼を信じようという温かな希望を与えてはくれたが、不安の芽を全て刈り取ってくれることはできなかった。今、私がしなければならないことは不安の芽に水をやらないということだ。大きくする肥料をやってはならない。
だからこんな方の話は聞くべきではなくて……。
けれど、身を翻してこの場から去るための私の足は固定されたままだ。
「聖女様はとてもご奔放な方のようですね」
「え?」
「幾人もの男性と逢い引きしているそうですわ」
反射的に彼女を見やってしまったが、私は一呼吸を置いて口を開いた。
「シュザンヌ様が直接ご覧になったわけではないのでしょう。そんなことをたやすく口にされるものではありません。不敬となりますよ」
シュザンヌ様は私をまじろぎもせずに黙って私を見つめていたが、小さく笑みをこぼすと目を伏せる。
「そうですね。失礼いたしました。おっしゃる通りですわ」
一度は反省を見せた彼女だったが、目を開けた次の瞬間は私に挑戦的な視線を向けた。
「――ですが、魔王討伐隊の騎士や術師らと婚約しているご令嬢らが婚約破棄されたり、不実を告白されたりして泣いていることは事実ですのよ」
「え?」
つまりそれは……全ての元凶はティアナさんだということなのだろうか。
私の疑問を解消してくれることも可能なはずなのに、彼女は素知らぬふりして笑みを浮かべるのみだ。
「わたくしが知り得た確かな情報から申せますのは、聖女様は男性のお心を惹きつけてやまないお力もお持ちのようだということですね。ヴィオレーヌ様も」
どうぞお気を付けあそばせと私の耳元に囁くと、シュザンヌ様はくすりと笑う。
固まる私を置き、それではごきげんようと彼女は去って行った。
大丈夫よ、大丈夫。
アルバート様は、私を信じて欲しいとおっしゃったのだもの。
噂話はあくまで噂話。シュザンヌ様も私を敵視しているから意地悪で言っただけにすぎない。自分の目で確認したわけでもないのに翻弄されるのは、私との愛を、未来を語ってくれたアルバート様に失礼だ。
そうだ。アルバート様のお言葉を支えに今自分がやるべき妃教育を一生懸命こなそう。
私は強く決意した。
それからアルバート様とお話できる時間が相変わらず少なくても、お二人の鍛錬進行状況などが耳に入ってきても、私は心穏やかに過ごすことができた。……過ごすように努力した。
魔王討伐隊が出発するのもあと二日と迫り、王宮では慌ただしさを感じていたが、私の日常生活に変化はない。いつものごとく気分転換にお庭に行くことにした。
そこは内庭とは違う、王族と王族近親者となる者のみ入れる場所だ。庭の奥まった一角にあるその場所は、辺りが緑で囲まれた外部を遮断するようなちょっとした特別空間。アルバート様との秘密の場所でもある。
誰も寄りつかないため、最近では一人で入り浸ることが常態化していたが、近づくにつれてぼそぼそとした人の声が聞こえてきた。
引き返すか一瞬迷ったが、好奇心で足を進めたところ。
「……らなくていい。不安な気持ちは分かる」
聞き慣れた男性、アルバート様の声が耳に入った。
誰かと話しているらしい。
行っては駄目。行っては駄目。
警告と警鐘音が頭に響くのに、私の足は前へ前へと歩を進めていた。
木々の間から声のする方へと視線をやるとそこにいたのはアルバート様と――後ろ姿からでも分かるティアナさんだった。
「アルバート様」
媚びを含んだ声で呼びかけ仰ぎ見るティアナさんに、アルバート様は彼女の後頭部の髪にそっと手を差し込む。
「君の不安を取り除こう。私の――愛で」
アルバート様は私にだけ向けていた熱を帯びた青い瞳でティアナさんを愛おしそうに見つめ、ゆっくりと顔を近づけた。
何をするでもなく、ただぼんやりと内庭の花を眺めていたある日。
声をかけられて振り返るとそこにいたのは、シュザンヌ・ロダン侯爵令嬢だった。華やかな扇を広げている。
アルバート様の婚約者候補として名が上がったこともあるご令嬢で、婚約者に選ばれた私をいまだ敵視してくるなかなか厄介なお方だ。
ご自分のお身体のことが気にかかるストラウス殿下は、ご婚約者を選ぶことを控えておられて現在も婚約者がおらず、空きになっているその座をロダン侯爵家が狙っているという噂もある。
「ごきげんよう、ヴィオレーヌ様」
「シュザンヌ様、ごきげんよう」
「アルバート殿下が国のため、民のために魔王討伐に出られることに深く感銘を受け、心よりの敬意を申し上げます。アルバート殿下は、今とてもお忙しくされておられるご様子ですね」
「はい」
「聖女様に付きっきりとか」
アルバート様とティアナさんの関係性は、どこまで噂されているのだろうか。洗濯場で話していた侍女らの話は、口を滑らせた人を特定できるごくごく内密の話だ。
あの場で話すことは配慮が足りなかったが、もし噂が広がってしまえばただでは済まないことを理解しているはずの彼女らは、あれ以上話を広げていないとは思う。
「そうですね。聖女様も慣れぬ王宮でのお過ごしはご不安でしょう。アルバート殿下はそのことをご考慮し、ご温情をかけていらっしゃいます」
「まあ! ヴィオレーヌ様はお心が広い方なのですね。こう言っては不敬になりますが、ヴィオレーヌ様の方がより聖女様だと思いますわ」
私は何とも言い返せず、ただ複雑な表情で笑みを浮かべた。
「ねえ、ヴィオレーヌ様。良いことをお教えいたしましょうか?」
扇で隠された口元はきっと嘲りを含み、不敵に微笑んでいるのだろう。そんな彼女が私にいい話を持ってくるとは到底思えない。
アルバート様は私に彼を信じようという温かな希望を与えてはくれたが、不安の芽を全て刈り取ってくれることはできなかった。今、私がしなければならないことは不安の芽に水をやらないということだ。大きくする肥料をやってはならない。
だからこんな方の話は聞くべきではなくて……。
けれど、身を翻してこの場から去るための私の足は固定されたままだ。
「聖女様はとてもご奔放な方のようですね」
「え?」
「幾人もの男性と逢い引きしているそうですわ」
反射的に彼女を見やってしまったが、私は一呼吸を置いて口を開いた。
「シュザンヌ様が直接ご覧になったわけではないのでしょう。そんなことをたやすく口にされるものではありません。不敬となりますよ」
シュザンヌ様は私をまじろぎもせずに黙って私を見つめていたが、小さく笑みをこぼすと目を伏せる。
「そうですね。失礼いたしました。おっしゃる通りですわ」
一度は反省を見せた彼女だったが、目を開けた次の瞬間は私に挑戦的な視線を向けた。
「――ですが、魔王討伐隊の騎士や術師らと婚約しているご令嬢らが婚約破棄されたり、不実を告白されたりして泣いていることは事実ですのよ」
「え?」
つまりそれは……全ての元凶はティアナさんだということなのだろうか。
私の疑問を解消してくれることも可能なはずなのに、彼女は素知らぬふりして笑みを浮かべるのみだ。
「わたくしが知り得た確かな情報から申せますのは、聖女様は男性のお心を惹きつけてやまないお力もお持ちのようだということですね。ヴィオレーヌ様も」
どうぞお気を付けあそばせと私の耳元に囁くと、シュザンヌ様はくすりと笑う。
固まる私を置き、それではごきげんようと彼女は去って行った。
大丈夫よ、大丈夫。
アルバート様は、私を信じて欲しいとおっしゃったのだもの。
噂話はあくまで噂話。シュザンヌ様も私を敵視しているから意地悪で言っただけにすぎない。自分の目で確認したわけでもないのに翻弄されるのは、私との愛を、未来を語ってくれたアルバート様に失礼だ。
そうだ。アルバート様のお言葉を支えに今自分がやるべき妃教育を一生懸命こなそう。
私は強く決意した。
それからアルバート様とお話できる時間が相変わらず少なくても、お二人の鍛錬進行状況などが耳に入ってきても、私は心穏やかに過ごすことができた。……過ごすように努力した。
魔王討伐隊が出発するのもあと二日と迫り、王宮では慌ただしさを感じていたが、私の日常生活に変化はない。いつものごとく気分転換にお庭に行くことにした。
そこは内庭とは違う、王族と王族近親者となる者のみ入れる場所だ。庭の奥まった一角にあるその場所は、辺りが緑で囲まれた外部を遮断するようなちょっとした特別空間。アルバート様との秘密の場所でもある。
誰も寄りつかないため、最近では一人で入り浸ることが常態化していたが、近づくにつれてぼそぼそとした人の声が聞こえてきた。
引き返すか一瞬迷ったが、好奇心で足を進めたところ。
「……らなくていい。不安な気持ちは分かる」
聞き慣れた男性、アルバート様の声が耳に入った。
誰かと話しているらしい。
行っては駄目。行っては駄目。
警告と警鐘音が頭に響くのに、私の足は前へ前へと歩を進めていた。
木々の間から声のする方へと視線をやるとそこにいたのはアルバート様と――後ろ姿からでも分かるティアナさんだった。
「アルバート様」
媚びを含んだ声で呼びかけ仰ぎ見るティアナさんに、アルバート様は彼女の後頭部の髪にそっと手を差し込む。
「君の不安を取り除こう。私の――愛で」
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