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第2章:西獄谷編

第43話:神風のバラード

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「というわけで、しばらく旅行に出る事にします」

 結局、言わないで心配させるよりは言って置いた方がいいだろうという結論に至り、ミヤコは哲也、和子、淳そしてお腹が大きくせり出した美樹の前で正座をして頭を下げた。

 おそらく1週間もあれば帰ってこれるとは思うが、ミヤコ自体西獄谷ウエストエンドを見たことがないので谷の規模も危険性もわからない。まさか討伐に付いて行くとは哲也達に言うわけにもいかないので『ミラート神国をクルトさんというツアーガイドをつけて旅行する』という事にした。

「危険はないんだろうな?」
「結界が壊れたっていうのは、あれか。戦争とかじゃないんだよな」

 ううむ。さすが淳兄さん、きわどい線いってるな。

「いやいや。戦争なんて物騒なことはないです。結界が無くなって自由になったって感じ?クルトさんは強いので危険もあまりなさそうだし」
「ベルリンの壁みたいな感じかしら?国境がなくなったってことでしょ?なんか楽しそうよね」
「美樹さんも子供生まれたら、一緒に行きましょう」
「誰でも入れるってわけじゃないんだろ?パスポートとかビザとかいるのかな」
「っていうか、クローゼットから先はすでに異世界だし」
「何とかドアみたいな、漫画であったわねえ。あれがあれば簡単なのにねえ」
「土産持ってこいよ」
「……持って来れたらね」

 やっぱりこの家族はあまり物事に動じない。楽といえば楽だけど、この緊張感のなさは何かな。マロッカミルク酒とか、お土産で持って来れるか今度クルトさんに聞いてみよう。

 結局、虫除けの原液と消臭スプレーの原液、蚊連草の苗とミントの苗、各種薬草ハーブにピースリリーとサンスベリアはクルトに渡し、先にグレンフェールへ転送してもらう事にし、祖父母にも頼んでクルトと精霊の協力を得て、幾つかの苗は各地で育ててもらうことになった。下準備としてはまずまずだろう。

 精霊達はミヤコからのお願いにキャーキャーと嬉しそうに騒いで、嬉々として苗を運んで行った。

 さらに、ミラート神国にいる下町の職人たちがミヤコの持っていたボトルを研究し、あちらで製作が可能になったらしい。プラスチックの概念がないので、魔獣の腸と軟骨を使ったとかなんとか言っていた。加工過程がグロいので深く追求するのはやめにしたが。そして新たにクルトが研究を進めて風魔法と炎魔法を使ってハーブの精油抽出が簡単にできるようになった。

 魔法万歳である。

 必要ならば追加で消臭剤と虫除けスプレーを作ることもできるだろう。ただし、消臭スプレーのレシピも渡したが、やはり同じ効果のものは作れなかったらしくミヤコが作らなければならないが。
 
 剣を持てない女子供にはスプレーボトルである程度の危険が凌げるので、大量生産してもらうことになった。魔獣には効かないかもしれないが、それは討伐隊にお願いするしかない。スプレーで飛行性の魔虫や瘴気を払うだけでも、かなり楽になるだろうとクルトが言った。

 食料の心配もミヤコがする必要はないと言われたが、討伐隊員たちは「食材は提供するから、できればミヤコに作って貰いたい」とクルトに申し立てをしていたので、おそらく作る羽目になるのだろう。

「あいつら図々しくも…」

 とクルトがブツブツ憤慨していた。緑の砦での商売のこともあるのだろうけど、これは国を挙げての討伐だからね、とミヤコも苦笑した。キャンプ用の簡素な調理具を使うので大したものはできませんよと注意はしたが、遠征中はクルトの商売は上がったりだろう。残念だが仕方がない。

 クルトの率いる隊はまず、西獄谷ウエストエンドに一番近いとされるグレンフェールと言う町に向かう。そこで他の討伐隊と落ち合い作戦を立てる予定だ。

「転移魔法を使わずに移動となると二日、下手すれば三、四日かかる。グレンフェールから西獄谷ウエストエンドまでも徒歩で行けばかなりあるし、できるだけ体力は温存しておきたい」

 そうクルトが隊員に告げると、それに対して意見も返って来る。

「グレンフェールまでに少数の村があります。そこまではマロッカでという手もありますし、先にバーズの村まで行くのはどうですか」
「タバラッカの集団がホロンの水場を襲ったとの報告も入っています。冒険者が討伐に当たっているらしいが数が多いらしく苦戦しているようです」
「タバラッカって何ですか?」
「タバラッカは眉間にホーンを持った大型魔獣で水陸両用生物なんだ。今は発情期シーズンだから気が荒くなっている。結界が壊れて人が使う水場にも目をつけたんだな」

 ワニとかサイみたいなものだろうか。どちらにしても怒らせると怖そうな動物だ。

「わたしマロッカなら乗れますよ」

 ミヤコがクルトに進言すると、全員が目を丸くして驚いた。

「東の森で白いマロッカが居たでしょ。友達になったんです。森で薬草採取の時にも手伝ってもらったし、あの子なら多分大丈夫ですよ」

 ここ数週間、東の森に薬草摘みに行ったり精霊王と時間を過ごすうちに、好奇心旺盛な白マロッカと仲良くなったのだ。精霊の加護もついて、力強いトナカイによく似たマロッカには森の奥の方まで連れて行ってもらったり背に乗って遠出もした。気がつけば、ミヤコは鞍無しでもマロッカに乗れるようになっていた。

「野生のマロッカに鞍無しで乗れるだと?」
「白マロッカって神の使いとか聖獣とか呼ばれてるアレか」
「さすがは女神…やることが並みじゃないな」

 口々に称賛の声をあげる隊員たちを横目に、それならばバーズまではマロッカで行こうとクルトも同意した。討伐隊員たちはそれぞれに訓練されたマロッカを持っているので問題はない。クルトがミヤコのマロッカに同乗するという事で全員一致し、バーズへ向かうことになった。



 *****



 そして当日。

 ミヤコはTシャツの上にオレンジのウィンドブレーカーを羽織りハイキング用カーキ色のストレッチパンツ、ハイキングシューズという出で立ちでクルトの食堂に現れた。小ぶりの赤いバックパックには少量の食料と調味料、各種ハーブの種、掃除用品作成用の重曹パック、ファーストエイド・キットが入っている。

「準備万端です、クルト隊長!」

 ミヤコがおどけて敬礼をすると、クルトが破顔して眩しい笑顔でミヤコを迎えた。

 うっ!眩しい。いつ見てもイケメンだ。

 思わず手を翳して顔を塞いだミヤコに、クルトはミラートの女性がよく羽織るショールを手渡した。赤のベースで緑と金糸で幾何学模様を編み込んだショールだ。見た目は普段使いのショールだが実は特別な魔法付与も付いている。素材は火炎鼠の毛に魔法付与をつけ紡いだもので高等技術を要するものらしい。

 クルトならではの技術を使って作ったものだった。すごい。

「ミヤの格好はこちら側では目立つからこれを使って。魔法付与も付いているから物理攻撃や魔法攻撃も回避できる」
「わ、素敵。いいんですか?こんな素敵なもの」
「ミヤのために作ったんだから使ってもらえるとうれしい」
「あ、ありがとう、クルトさん」

 特別なものと聞いてミヤコは恐縮しながら羽織ると、それは脹脛ふくらはぎを隠すほどの長さだった。まるでマントだ。それを見てクルトは目を細めて微笑んだ。

「よく似合ってる。ミヤは小さいからな。小動物みたいだ」
「ひどい!これでも日本では平均的なのに」

 クルトはずり落ちたショールの裾を持って、ぐるぐるとミヤコに巻きつけると「行こう」と手をつないだ。まるでお兄さんと妹だ、とミヤコは思ったが、外に出ると隊員たちがなぜか顔を赤らめて「おお~」とか「うわ~」とか言いながら、のたうち回っていた。クルトは眉を寄せ彼らを睨みつけると、今度は狼狽えるミヤコの肩を抱いて「さっさと行こう」と先を急かせた。

 後ろでボソボソと隊員たちがする会話はミヤコの耳には届かなかった。

「うわ~、心せまっ!」
「しっかり自分の色入れちゃって独占欲モリモリっスね!」
「あのショール、ハルクルトさん作ったんですかね」
「今更誰を牽制してるんですかね、隊長は」
「そりゃあ、モンドだろ」


 緑の砦に集まったマロッカと隊員達はミヤコに呼ばれた白マロッカを見て息を飲んだ。

「まさに王者の風格だな」

 他のマロッカも有無を言わず白マロッカに頭を垂れ前足を折りこんで従う姿勢を見せる。ミヤコの白マロッカは精霊の加護を持ち、体も角も他のものより数段大きい。他のマロッカがグレーやクリーム色といった混じりのある体毛に対し、ミヤコのマロッカは純白と言っても良いほどの輝く白さを誇っていた。

「シロウって名前なんです」

「白いからシロウ?」などと思っても口に出すような無粋な者は居ない。

 シロウと呼ばれたマロッカはミヤコに鼻を擦りつけて甘えた様子を見せたが、クルトが近づくとジロリと睨みつけ鼻息を荒くした。ミヤコがクルトさんも一緒に、というのをイヤイヤと頭を振っていたが結局ミヤコに逆らえず、むすっとしながら同意した。

 クルトは肩をすくめて苦笑した。

「嫌われないように大人しくするよ」
「大丈夫ですよ。クルトさんは精霊に好かれてますから、この子もわかってます。ね、シロウ」

 ブル、と鼻を鳴らしミヤコが乗りやすいようにシロウは前足を折った。今回は遠出だし二人乗りだという事もあってちゃんと鞍もつけ、ミヤコが前に乗りクルトがその後ろに跨るとシロウは少しの重さも感じさせず、すっと立ち上がった。

 一度だけ隊員達のマロッカに目をやると、先頭を切って走り出す。それに弾かれたように残りのマロッカも後を続いた。

「二人乗りだというのにすごいな。他のマロッカがついてこれるか心配だ」

 クルトの一言でシロウは少しスピードを落とし、他のマロッカがついて来れるスピードに合わせてくれたようだった。

「頭がいいんですよ、シロウは」

 ミヤコは自分の事のように嬉しそうに笑い、シロウの首筋を撫でた。シロウは当然、というように鼻を鳴らす。そうして精霊の加護が他のマロッカにも伝わるようにミヤコは小さな声で唄う。

 祝福の歌。

 その声は風に乗り、隊員にも伝わり体が軽くなる。道々の草花も咲きほこり瘴気が払われていく。シロウの体がますます白く輝き、精霊たちも楽しそうに周りを踊った。隊員たちには精霊の姿こそ見えないが、キラキラと光が反射する様は見て取れたのだろう。ほうっとため息を吐き、ミヤコたちの後に続く。

 クルトは始めこそ、その歌の持つ力に目を丸くして前に座るミヤコの頭を眺めていたものの、そのうちミヤコの体に片腕を回して抱き寄せ、その旋毛つむじにキスを落とし、真っ赤に染まるミヤコの耳を見て満足そうに微笑んだ。

「早いとこバーズにつかないと手に負えなくなりそうッスね…」
「そうだな…見てる方が恥ずかしい」

 先頭を走るクルト達を見つめながら、アッシュとルノーははあ、と大きくため息を吐いた。
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