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第2章:西獄谷編
第60話:妖精王の成れの果て
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「おまっ!どんな馬鹿力で俺を吹き飛ばしやがるっ!」
なんとか受け身をとってミヤコの元へ走ろうとするアイザックだが、精霊たちが総攻撃をかけ邪魔をする。
「てめえら!邪魔すんな!お前らのご主人様の命が危ねえんだぞ!」
精霊に向かって罵倒を飛ばすが、攻撃の手を休める様子はない。束になった精霊にアイザックは揉みくちゃにされ、奥地へと引きずられ、蹴り飛ばされて放り投げられる。その度に身体強化をかけ踏ん張り、受け身を取ったりするがキリがない。
「っおい!いい加減にっ…しろっ!!」
アイザックは背中に回してあった大剣を抜き払い、ブンッと振り回す。爆風が起こるが、空を切っただけで精霊には全くダメージにならず、飛び散った精霊たちはまた束になってアイザックに群がる。
「だあああ!どういやあ判るんだ!あの女を助けな、」
そう言いかけたアイザックの前に、どろりとした巨体に真っ赤な目を持つ黒い塊が現れた。液体化した肉界が地面に落ち、瘴気に変わる。ゲフゲフと息を吐き舌はだらりと口から下がり、よだれがたれ流れる様子は、もはや生き物でもない。体からは瘴気が溢れ出てまるで黒い陽炎のようだ。もともとは魔狼か。かろうじて四肢でたち、尻尾らしきものが揺れる。
「……瘴魔…!」
アイザックが大剣を構え、精霊たちも臨戦態勢に入った。
「見ろ!お前らのせいで面倒臭え事になったじゃねえか!」
アイザックは、突然味方に変わった精霊たちに唾を飛ばして悪態を付くが、精霊たちは慌てふためき飛び回り聞く耳を持たない。
瘴魔は瘴気を取り込みすぎて魔力が暴走した魔物の成れの果てだ。
魔力の弱いものは、瘴気を取り込み過ぎれば呼吸困難や毒素過剰で死に至る。だが元々魔性のもの、魔族や瘴気から生まれた魔獣は、瘴気の毒に耐えうるだけの力がある。しかもこの谷のように、何年も凝縮された瘴気を取り込むうちに、元々持つ魔力が活性化され暴走する。凶暴化した魔獣が、さらに狩りなどで魔力を貯めることで起こる魔力飽和に感化された体が突然変異を起こす。
そして出来上がるのが瘴魔。瘴魔に恐怖心はない。あるのは飢えと殺戮。
「殺るか、殺られるか」
アイザックはペロリと唇を舐めた。殺気がアイザックの身体から放出された。それが合図となり、瘴魔がアイザックに飛びかかる。
アイザックはひらりと身をかわし、片手で大剣を横に振りなぎ倒す。だが瘴魔の体はすでに身体と呼べるものではなく、どろりとした液体瘴気がアイザックの剣に纏わり付いた。切られた体は瘴気でいびつに癒着していく。
ぴっと剣を降り、禍々しい瘴気を振り落とした。地面に落ちた瘴気は黒く地を焼き、黒ずみを作った。
「チッ。実体も既にないのか。鬱陶しい奴だな…」
瘴魔がニヤリと笑ったような気がした。
「しゃあねえな。てめえみたいなのにぴったりの剣を見舞ってやる」
アイザックは大剣を体の中心へ引き立て剣先を顔の前へと移動する。
「<カタルシス>」
アイザックのが言葉を発すると、その口からすうっと青い煙のような気が上がり、剣先に纏わり付いた。ぼうっとした淡い青の気はブレードに広がり薄い膜を張る。青白い気は炎のようにゆらゆらと揺れる。
瞬間アイザックは踏み込んだ。
ヒュンと剣先が空を切ると青い気が刃のように走り瘴魔を切り裂く。瘴魔はアイザックに飛びかかろうとして、カクンと体が崩れ落ちるのを感じ、驚いたように後ろを振り返る。
振り返ったそこには、今まで意志を持って自分についてきていたはずの下半身がぼとりと地面に落ちている。その軌跡を視線でたどり、それが自分の体の一部だったものだと理解すると同時に、瘴魔は青い炎にジュッと焼き消された。
「へっ。カタルシスは浄化の炎だよ、バーカ」
残った気体が空気中に浄化されたのを見届けると、アイザックはがくりと片膝を地につけ、剣で上半身を支えた。息遣いも荒く顔は真っ青だ。
聖魔法はかなりの魔力を奪われる。すでにミヤに投げ飛ばされた時と精霊たちとの格闘で、防御魔法に魔力も使っていたからなおのことだ。
聖魔法【カタルシス】はアイザックの家系に代々伝わる原始の浄化魔法で、神官でもないアイザックには容易に使えない技だった。
「くそっ。嬢ちゃん、無事でいろよ…!」
アイザックはごろんと大の字に寝転がると、ミヤコから渡された桃のチューハイを取り出し、飲み干した。
*****
その頃。
「闇落ちした妖精王がデイダラボッチだなんて、聞いてないよ!精霊王!」
清く美しい光のはずの妖精王が、禍々しく盛り上がる負の塊に成り下がった。瘴気と月の光を編み込んで、果てしなく膨れ上がる負の力。水の精霊王の結界も限界を迎えているのか、キシキシと圧迫させる音が時々聞こえてくる。
ミヤコは唇をかんだ。
日の出まで持つか。
言霊を使っても浄化は無理かもしれないけど、出来ることは、ある。このまま妖精王を死神にさせてはいけない。ミラート神国に入ってから、ここ数日でミヤコの感性は水を得た魚のように成長を遂げている。自分自身不思議なほど、ストンと落ち着く気持ちがあることに気がついた。
クローゼットの向こう側で感じていた疎外感や違和感が急激に薄れていき、逆に本来の自分が頭を擡げてきている。覚えていない歌の記憶が浮かんだり、忘れていた感覚が戻ってくる感じ。妙な自信と蘇る記憶。ミヤコの経験ではない記憶。ミヤコの中の精霊の繋がりが、日に日に強くなっていく感覚がミヤコを満たしていく。
醜い瘴気の塊と化した妖精王は時折うめき声をあげ、ゴボゴボと喉を鳴らす。
「苦しいんだよね」
ミヤコは眉をしかめ、毒素にやられないよう零れ落ちる瘴気の液体を避けながら上を見上げる。
片手に掴んでいた薬草の種を前方に撒き散らし、浄化の歌を口ずさむ。地に落ちた種は成長と死滅を繰り返しながら液体からできた沼地を回復していく。そして生死を繰り返しながら腐った大地と木々の間に広がっていく。
精霊たちも力を貸してくれてる。頑張らなきゃ。
ミヤコは妖精王の成れの果てに向かってもう片方の手に掴んでいた薬草を投げつける。
スライム的な表皮に吸収される種は、それでも水分を吸い込んで芽を吹き出した。
「植栽!」
大声で言霊を発声すると、投げつけた種に向かって精霊たちが一斉に群がった。ミントが爆発的なスピードで妖精王に絡みつく。動きを封じられた妖精王の成れの果てから蔓のようにミントが覆いかぶさる。
「吸引!」
続けて放った言霊で薬草は一気に瘴気を吸い上げ成長を果たす。その葉の一枚一枚はミヤコの掌ほどの大きさに育つが、すぐに変色しボロボロと崩れ去る。新しい芽が次々飛び出しまた死に絶えていく。それを繰り返しながら尋常ではないスピードで妖精王全体を覆い尽くしていく。
妖精王の成れの果ては怒り狂ったように伸び上がり、束縛から逃れようとするが薬草は体の中から成長をしていき、逃れるすべはない。
あたり一面にミントの香りが強烈に広がる。キーンと耳鳴りが起こるほどの悲鳴がミヤコの鼓膜を打ち鳴らす。妖精王の成れの果てが熱した飴のようにぐにゃりと伸びねじり上がった。
もう少し。
「くっ!」
ボタリと落ちた瘴気がミヤコの足元に広がった。ミヤコの爪先から黒いシミが這い上がってくる。焼けるような激痛と熱を肌に感じながらミヤコは踏ん張った。
アイザックは大丈夫だろうか。精霊たちがあまり無体に扱っていなければいいけれど。どうか生き残って欲しい。そうして水の大精霊も助けてもらえるとありがたい。
渓谷全体が精霊王の成れの果てに感応して咆哮を上げた。ミヤコの体を蝕む瘴気は腰の辺りまで広がっている。結界がキリキリと悲鳴をあげる。とその時、キラリと山の間から光が差し込んだ。
朝日だ!
ミヤコはハッと息を呑み、ありったけの言霊を妖精王の成れの果てに投げつけた。
「洗 礼!!」
薬草が、精霊たちが妖精王の成れの果ての体を締め上げ、パンッという音とともに弾けた。音のない白い閃光が天地を割きあたりを真っ白に染め、遅れて衝撃波が渓谷を駆け抜けた。
衝撃波は渓谷に広がった瘴気を瞬時に浄化させ、腐敗した木々は消滅した。瘴魔や魔獣は断末魔の悲鳴をあげて空気に溶け込んでいく。光は徐々にその勢いを弱め、風景は色を取り戻していく。
そして静寂が訪れた。
ミヤコが残した覚醒の歌を精霊が運ぶ。
日の出とともにグレンフェールから蒔いてきた薬草が柔らかな朝日を受け、覚醒を祝う。門番はゲートを開けて驚きの声をあげ慌てて領主へ連絡を入れる。
町の外が森に変わった、と。
新鮮な空気と清々しい芳香が町に広がり、人々が家から出てくる。瘴気がないことに気づいた誰かが、討伐隊員や戦士に声をかける。町はにわかに騒がしくなった。「ミヤさんは一人で夜明け前に西獄谷へ向かった」と門番が青ざめて告げた。
アッシュの率いる討伐隊員たちは暗黙の了解で任務を開始する。
どうか、ご無事で。
それぞれの心に祈りながら。
***
強烈なミントの香りで目を覚ましたクルトは、ハッとして飛び起きた。横たわっていた体の横に一つ残された桃の酎ハイが視界に入る。
「……っミヤ!!」
クルトの声で、ルノーが頭を振りながら起き上がる。アイザックを探すが見当たらない。
そして気がついた目の前に広がるの光景は。
まるで爆弾を投下された後のように木々がなぎ倒され、山が削れ、そしてその中心にはあるはずのない湖が静かに佇んで朝日を反射していた。妖精王が弾け散った後にできたクレーターに、浄化された湧き水がたまってできた湖。あるいは浄化された聖域にあった沼地か。
朝日を受けて、さわさわと成長を続ける西獄谷の植物と薬草が凛とした静けさに香りをつけていく。
「ミ、ヤ…ミヤ。ミヤは、」
クルトは目を見開き、数歩谷に向かって足を踏み入れ、膝から崩れ落ちた。知らずと掴んだ薬草から爽やかな芳香が漏れる。
「ハルクルト隊長。探しましょう」
ルノーも立ち上がり、目の前の光景にふるりと小刻みに身体を震わせる。
「見つけるっス。きっと生きてるっス」
クルトが見上げると、ルノーがニッと笑い手を差し出した。クルトはぐっと唇を引き締めて、ルノーの手を取る。
「アイザックがおそらく一緒だ。行くぞ!」
「はい!」
二人は谷に向かって駆け出した。
==========
第2章 完。
3話ほど閑話が入り、第3章に突入します。
なんとか受け身をとってミヤコの元へ走ろうとするアイザックだが、精霊たちが総攻撃をかけ邪魔をする。
「てめえら!邪魔すんな!お前らのご主人様の命が危ねえんだぞ!」
精霊に向かって罵倒を飛ばすが、攻撃の手を休める様子はない。束になった精霊にアイザックは揉みくちゃにされ、奥地へと引きずられ、蹴り飛ばされて放り投げられる。その度に身体強化をかけ踏ん張り、受け身を取ったりするがキリがない。
「っおい!いい加減にっ…しろっ!!」
アイザックは背中に回してあった大剣を抜き払い、ブンッと振り回す。爆風が起こるが、空を切っただけで精霊には全くダメージにならず、飛び散った精霊たちはまた束になってアイザックに群がる。
「だあああ!どういやあ判るんだ!あの女を助けな、」
そう言いかけたアイザックの前に、どろりとした巨体に真っ赤な目を持つ黒い塊が現れた。液体化した肉界が地面に落ち、瘴気に変わる。ゲフゲフと息を吐き舌はだらりと口から下がり、よだれがたれ流れる様子は、もはや生き物でもない。体からは瘴気が溢れ出てまるで黒い陽炎のようだ。もともとは魔狼か。かろうじて四肢でたち、尻尾らしきものが揺れる。
「……瘴魔…!」
アイザックが大剣を構え、精霊たちも臨戦態勢に入った。
「見ろ!お前らのせいで面倒臭え事になったじゃねえか!」
アイザックは、突然味方に変わった精霊たちに唾を飛ばして悪態を付くが、精霊たちは慌てふためき飛び回り聞く耳を持たない。
瘴魔は瘴気を取り込みすぎて魔力が暴走した魔物の成れの果てだ。
魔力の弱いものは、瘴気を取り込み過ぎれば呼吸困難や毒素過剰で死に至る。だが元々魔性のもの、魔族や瘴気から生まれた魔獣は、瘴気の毒に耐えうるだけの力がある。しかもこの谷のように、何年も凝縮された瘴気を取り込むうちに、元々持つ魔力が活性化され暴走する。凶暴化した魔獣が、さらに狩りなどで魔力を貯めることで起こる魔力飽和に感化された体が突然変異を起こす。
そして出来上がるのが瘴魔。瘴魔に恐怖心はない。あるのは飢えと殺戮。
「殺るか、殺られるか」
アイザックはペロリと唇を舐めた。殺気がアイザックの身体から放出された。それが合図となり、瘴魔がアイザックに飛びかかる。
アイザックはひらりと身をかわし、片手で大剣を横に振りなぎ倒す。だが瘴魔の体はすでに身体と呼べるものではなく、どろりとした液体瘴気がアイザックの剣に纏わり付いた。切られた体は瘴気でいびつに癒着していく。
ぴっと剣を降り、禍々しい瘴気を振り落とした。地面に落ちた瘴気は黒く地を焼き、黒ずみを作った。
「チッ。実体も既にないのか。鬱陶しい奴だな…」
瘴魔がニヤリと笑ったような気がした。
「しゃあねえな。てめえみたいなのにぴったりの剣を見舞ってやる」
アイザックは大剣を体の中心へ引き立て剣先を顔の前へと移動する。
「<カタルシス>」
アイザックのが言葉を発すると、その口からすうっと青い煙のような気が上がり、剣先に纏わり付いた。ぼうっとした淡い青の気はブレードに広がり薄い膜を張る。青白い気は炎のようにゆらゆらと揺れる。
瞬間アイザックは踏み込んだ。
ヒュンと剣先が空を切ると青い気が刃のように走り瘴魔を切り裂く。瘴魔はアイザックに飛びかかろうとして、カクンと体が崩れ落ちるのを感じ、驚いたように後ろを振り返る。
振り返ったそこには、今まで意志を持って自分についてきていたはずの下半身がぼとりと地面に落ちている。その軌跡を視線でたどり、それが自分の体の一部だったものだと理解すると同時に、瘴魔は青い炎にジュッと焼き消された。
「へっ。カタルシスは浄化の炎だよ、バーカ」
残った気体が空気中に浄化されたのを見届けると、アイザックはがくりと片膝を地につけ、剣で上半身を支えた。息遣いも荒く顔は真っ青だ。
聖魔法はかなりの魔力を奪われる。すでにミヤに投げ飛ばされた時と精霊たちとの格闘で、防御魔法に魔力も使っていたからなおのことだ。
聖魔法【カタルシス】はアイザックの家系に代々伝わる原始の浄化魔法で、神官でもないアイザックには容易に使えない技だった。
「くそっ。嬢ちゃん、無事でいろよ…!」
アイザックはごろんと大の字に寝転がると、ミヤコから渡された桃のチューハイを取り出し、飲み干した。
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その頃。
「闇落ちした妖精王がデイダラボッチだなんて、聞いてないよ!精霊王!」
清く美しい光のはずの妖精王が、禍々しく盛り上がる負の塊に成り下がった。瘴気と月の光を編み込んで、果てしなく膨れ上がる負の力。水の精霊王の結界も限界を迎えているのか、キシキシと圧迫させる音が時々聞こえてくる。
ミヤコは唇をかんだ。
日の出まで持つか。
言霊を使っても浄化は無理かもしれないけど、出来ることは、ある。このまま妖精王を死神にさせてはいけない。ミラート神国に入ってから、ここ数日でミヤコの感性は水を得た魚のように成長を遂げている。自分自身不思議なほど、ストンと落ち着く気持ちがあることに気がついた。
クローゼットの向こう側で感じていた疎外感や違和感が急激に薄れていき、逆に本来の自分が頭を擡げてきている。覚えていない歌の記憶が浮かんだり、忘れていた感覚が戻ってくる感じ。妙な自信と蘇る記憶。ミヤコの経験ではない記憶。ミヤコの中の精霊の繋がりが、日に日に強くなっていく感覚がミヤコを満たしていく。
醜い瘴気の塊と化した妖精王は時折うめき声をあげ、ゴボゴボと喉を鳴らす。
「苦しいんだよね」
ミヤコは眉をしかめ、毒素にやられないよう零れ落ちる瘴気の液体を避けながら上を見上げる。
片手に掴んでいた薬草の種を前方に撒き散らし、浄化の歌を口ずさむ。地に落ちた種は成長と死滅を繰り返しながら液体からできた沼地を回復していく。そして生死を繰り返しながら腐った大地と木々の間に広がっていく。
精霊たちも力を貸してくれてる。頑張らなきゃ。
ミヤコは妖精王の成れの果てに向かってもう片方の手に掴んでいた薬草を投げつける。
スライム的な表皮に吸収される種は、それでも水分を吸い込んで芽を吹き出した。
「植栽!」
大声で言霊を発声すると、投げつけた種に向かって精霊たちが一斉に群がった。ミントが爆発的なスピードで妖精王に絡みつく。動きを封じられた妖精王の成れの果てから蔓のようにミントが覆いかぶさる。
「吸引!」
続けて放った言霊で薬草は一気に瘴気を吸い上げ成長を果たす。その葉の一枚一枚はミヤコの掌ほどの大きさに育つが、すぐに変色しボロボロと崩れ去る。新しい芽が次々飛び出しまた死に絶えていく。それを繰り返しながら尋常ではないスピードで妖精王全体を覆い尽くしていく。
妖精王の成れの果ては怒り狂ったように伸び上がり、束縛から逃れようとするが薬草は体の中から成長をしていき、逃れるすべはない。
あたり一面にミントの香りが強烈に広がる。キーンと耳鳴りが起こるほどの悲鳴がミヤコの鼓膜を打ち鳴らす。妖精王の成れの果てが熱した飴のようにぐにゃりと伸びねじり上がった。
もう少し。
「くっ!」
ボタリと落ちた瘴気がミヤコの足元に広がった。ミヤコの爪先から黒いシミが這い上がってくる。焼けるような激痛と熱を肌に感じながらミヤコは踏ん張った。
アイザックは大丈夫だろうか。精霊たちがあまり無体に扱っていなければいいけれど。どうか生き残って欲しい。そうして水の大精霊も助けてもらえるとありがたい。
渓谷全体が精霊王の成れの果てに感応して咆哮を上げた。ミヤコの体を蝕む瘴気は腰の辺りまで広がっている。結界がキリキリと悲鳴をあげる。とその時、キラリと山の間から光が差し込んだ。
朝日だ!
ミヤコはハッと息を呑み、ありったけの言霊を妖精王の成れの果てに投げつけた。
「洗 礼!!」
薬草が、精霊たちが妖精王の成れの果ての体を締め上げ、パンッという音とともに弾けた。音のない白い閃光が天地を割きあたりを真っ白に染め、遅れて衝撃波が渓谷を駆け抜けた。
衝撃波は渓谷に広がった瘴気を瞬時に浄化させ、腐敗した木々は消滅した。瘴魔や魔獣は断末魔の悲鳴をあげて空気に溶け込んでいく。光は徐々にその勢いを弱め、風景は色を取り戻していく。
そして静寂が訪れた。
ミヤコが残した覚醒の歌を精霊が運ぶ。
日の出とともにグレンフェールから蒔いてきた薬草が柔らかな朝日を受け、覚醒を祝う。門番はゲートを開けて驚きの声をあげ慌てて領主へ連絡を入れる。
町の外が森に変わった、と。
新鮮な空気と清々しい芳香が町に広がり、人々が家から出てくる。瘴気がないことに気づいた誰かが、討伐隊員や戦士に声をかける。町はにわかに騒がしくなった。「ミヤさんは一人で夜明け前に西獄谷へ向かった」と門番が青ざめて告げた。
アッシュの率いる討伐隊員たちは暗黙の了解で任務を開始する。
どうか、ご無事で。
それぞれの心に祈りながら。
***
強烈なミントの香りで目を覚ましたクルトは、ハッとして飛び起きた。横たわっていた体の横に一つ残された桃の酎ハイが視界に入る。
「……っミヤ!!」
クルトの声で、ルノーが頭を振りながら起き上がる。アイザックを探すが見当たらない。
そして気がついた目の前に広がるの光景は。
まるで爆弾を投下された後のように木々がなぎ倒され、山が削れ、そしてその中心にはあるはずのない湖が静かに佇んで朝日を反射していた。妖精王が弾け散った後にできたクレーターに、浄化された湧き水がたまってできた湖。あるいは浄化された聖域にあった沼地か。
朝日を受けて、さわさわと成長を続ける西獄谷の植物と薬草が凛とした静けさに香りをつけていく。
「ミ、ヤ…ミヤ。ミヤは、」
クルトは目を見開き、数歩谷に向かって足を踏み入れ、膝から崩れ落ちた。知らずと掴んだ薬草から爽やかな芳香が漏れる。
「ハルクルト隊長。探しましょう」
ルノーも立ち上がり、目の前の光景にふるりと小刻みに身体を震わせる。
「見つけるっス。きっと生きてるっス」
クルトが見上げると、ルノーがニッと笑い手を差し出した。クルトはぐっと唇を引き締めて、ルノーの手を取る。
「アイザックがおそらく一緒だ。行くぞ!」
「はい!」
二人は谷に向かって駆け出した。
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第2章 完。
3話ほど閑話が入り、第3章に突入します。
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