婚約破棄されて帝国軍の聖女として励むことにしました

白石あかね

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馬車。それは貴族の象徴であり、優雅な旅の代名詞……などというのは、舗装された王都の石畳の上だけの話だ。
 帝国の荒野を行く軍用馬車は、もはや「車輪の付いた拷問器具」以外の何物でもない。

「……将軍様。私は今、人生で初めて『重力』という概念に殺意を抱いておりますわ」

 私は、向かい側に座るゼノス将軍に向かって、恨みがましい視線を送った。
 ガタガタと激しく跳ねるたびに、私の自慢の(といっても軍支給の)髪飾りが揺れ、胃の中の朝食が「出口はどちらですか?」と迷子になっている。

「我慢しろ。帝都までは最短の行軍ルートを通っている。これでも貴様のために、クッション性を高めた特注の座席を用意させたのだぞ」

「この岩のように硬い板が、クッション? 帝国の辞書には『柔らかい』という言葉が存在しないのでしょうか。……ああ、もう! それよりも、この窓から入ってくる砂埃ですわ! 私の肺が砂漠化してしまいます!」

 私は我慢ならず、指先をパチンと弾いた。
 瞬間、馬車を包み込むように薄い白銀の膜が展開される。
 『広域・空気清浄結界』。
 本来なら高位の防御魔法に分類される術式を、私は単なる「埃除け」として贅沢に使い捨てた。

「……おい。今、貴様が使ったのは、王国の王宮魔導師が三人がかりで維持するレベルの障壁ではないか? それを、掃除の手間を省くためだけに使うな」

「手間ではありません、生存本能ですわ。……見てください、外の景色を。あんなにドロドロとした空気が漂っているのに、平然としていられる将軍様の感覚を疑いますわ」

 窓の外。帝都へと続く街道沿いには、いくつかの宿場町や村が点在している。
 だが、そこには国境付近ほどではないにせよ、魔導文明の「澱み」が確実に蓄積していた。
 人々は顔を伏せ、どこか活気がない。
 土地のエネルギーが枯渇し、不純物が循環を止めている証拠だ。

「……この辺りの村々は、ここ数年、不作と流行病に悩まされている。帝都の魔導省も調査に入っているが、原因は不明だそうだ」

 ゼノスが苦々しく呟く。
 私はフンと鼻を鳴らし、勝手に馬車の扉を開けようとした。

「……何をする、リリアーナ!」

「決まっているでしょう。あんなに不潔な場所を通り過ぎるなんて、私の教育方針が許しません。将軍様、馬車を止めなさい。……今すぐ、あの村の『大掃除』を敢行いたしますわ!」

 制止するゼノスの手を振り切り、私は停車した馬車から飛び降りた。
 そこは、街道沿いの小さな村だった。
 村の中央にある広場には、濁った水が溜まった井戸があり、そこを中心に、村人たちが力なく座り込んでいる。

「……汚い。あまりにも、救いようがなく不衛生ですわね」

 私の第一声に、村人たちが驚いたように顔を上げた。
 泥にまみれた旅装束(だが、浄化魔法で新品同様に光っている)の少女と、その後ろに控える恐ろしげな黒い鎧の将軍。

「な、なんだ、あんたたちは……。ここはもう、神様に見放された村だ。近寄ると病がうつるぞ……」

 一人の老人が、掠れた声で警告する。
 だが、私はその言葉を無視して、井戸の縁に立った。

「神様が見放した? いいえ、貴方たちが『掃除』をサボっただけですわ。……いいですか、よく見ていなさい。汚れというのは、溜め込むから呪いに変わるのです」

 私は両手を広げ、これまで以上に巨大な魔力の渦を生成した。
 狙うのは、村の地脈。
 詰まった血管を通すように、純粋な光の奔流を大地へと流し込む。

「『ハイパー・グロリアス・クリーンアップ』!!」

 瞬間、爆音と共に純白の光柱が村の中心から立ち上った。
 光の波は円状に広がり、建物の煤を剥ぎ取り、枯れ果てた畑の土を深呼吸させ、そして濁りきった井戸水を、クリスタルのように澄み渡った聖水へと叩き変えていく。

「……ああっ! 井戸が! 井戸の水が綺麗になってる!」
「息が……息がしやすいぞ! 体が熱い、力が湧いてくる!」

 村人たちが次々と立ち上がり、歓喜の声を上げる。
 枯れていた果樹には一瞬で花が咲き、空を覆っていた薄汚い雲が割れ、黄金の陽光が降り注いだ。

 奇跡。
 そう呼ぶ以外にない光景。
 だが、私にとっては「溜まった埃を払った」程度の認識だ。

「……さて。将軍様、お待たせしましたわ。これでお茶の水の心配はなくなりました。出発しましょう」

 私が涼しい顔で馬車に戻ろうとすると、背後から地響きのような音がした。
 振り返れば、村人全員が、そして警護の兵士たちまでもが、その場に平伏していた。

「あ、ああ……。女神様……! 奇跡を運ぶ聖女様だ!」
「軍の連れているお嬢様は、本物の救世主だったんだ……!」

 口々に叫ばれる賞賛の言葉。
 ゼノス将軍は、天を仰いで深い溜息をついた。

「……リリアーナ。貴様、隠密移動という言葉を知っているか? これでは、帝都に着く頃には貴様の噂で国中がひっくり返っているぞ」

「隠密? そんなネズミのような真似、公爵令嬢の美学に反しますわ。……それに、将軍様。見てくださいな」

 私は、遠くにそびえ立つ帝都の城壁を指差した。

「あそこには、この村の何百倍もの『淀み』が見えます。……楽しみですわね。あの巨大なゴミ屋敷を、私の手でどこまで磨き上げられるか!」

「……皇帝陛下。申し訳ありません。どうやら、とんでもない嵐を連れてきてしまったようです」

 ゼノスの祈るような呟きを乗せて、馬車は再び走り出した。

 街道沿いの村々で、次々と「奇跡」を無自覚にばら撒きながら。
 「軍事帝国の死神」と呼ばれた第四騎士団が、今や「聖女の親衛隊」として民衆に熱狂的に迎えられるという、前代未聞の事態を引き起こしながら。

 私たちはついに、大陸最強の都――帝都オーガストの門を潜った。
 門を抜けた瞬間、私の鼻を掠めた「古びた魔道具の焦げた臭い」。

 私は、扇で口元を隠しながら、獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべた。

「さあ、始めましょうか。帝国全土の大掃除を!」
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