死神の誤算と策略、私の運命はもう変わらない

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第十九章 白霧の回廊

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第十九章一話 白霧の回廊

--中庁(なかのつかさ)
そこは、死神たちが集い、記録を保ち、すべての“命の終端”が定められる場所。
 白く煙る回廊には音がなく、足音すらも霞に溶ける。空も地もない空間に、ひとつの回廊だけが存在していた。
 その一角。円形の観測室の外縁で、烏牙は佇んでいた。
彼の視線の先には、一枚の記録映像――
奏という男が、喫茶店の裏手で猫に餌をやり、微笑む姿が揺らいでいた。
 「……まだ、間に合う」
かすかに呟いた声に、後方から冷たい声が割って入った。
「また、それか」
振り返ると、黒衣の死神――那刃が立っていた。
 彼の瞳は銀の氷のようで、迷いを許さない刃の意志を帯びていた。
「おまえはもう一線を越えている。遥の運命に干渉した時点で、観測者ではない。
……そして今また、奏を救おうとしている」

 「奏を救うことに反対なのか?」
「問題は“救う”かどうかじゃない。“選ばれた死”に手を加えることそのものが問題なんだ」
那刃の言葉は、明確だった。
「それは人間の情に過ぎない。死神としてあるまじき迷いだ」
 沈黙。
烏牙は視線を逸らさなかった。映像の中の奏の笑顔を、見つめたまま。
 「……俺は、遥に出会ったときから、少しずつ変わった。否定はしない。
だが――“間違った運命”だってある。奏の死が、そのひとつかもしれないと思ってる」
「何を根拠に、“間違い”だと断言できる?」
 「根拠などない。ただ、遥の変化が、それを証明している気がするんだ。
人間が、死に向かいながら他者を救おうとする。その意志に、希望があると……俺は思っている」
那刃は、あからさまに眉をひそめた。
「……甘い」
 「甘いさ。でも、それでも……“彼らは変わろうとしている”。
遥も、碧人も、奏も、そして――陸翔も」
那刃は小さく舌打ちした。

「おまえは、最初から規律を軽んじていた。
死神の本分を見失えば、我々はただの“迷える存在”になる」
だが、そこまで言って、那刃の言葉がわずかに淀んだ。
「……けれど、私も気づいている」
 「……?」
「遥という女に関わって以来、私の中にも“ノイズ”がある。
感情とは異なる……けれど確かに、“揺れ”が生まれている」
烏牙は、ゆっくりと那刃を見た。
 「それを、恐れているのか?」
「“恐れている”わけではない。
ただ――私たちは選ばれた存在だ。“人間と違う”からこそ、死を見届ける資格がある」
 「でも、おまえもわかってきたんじゃないか? 遥のような存在が、“死の制度”そのものに楔を打ってくる可能性を」
那刃は視線を外した。
「可能性など不要だ。死は、終わりであり、秩序だ」
 「……終わりに希望があってもいい。そう思った時点で、俺たちはもう“中立”じゃいられない」
再び、沈黙が落ちた。
 二人の間に、白い靄が流れ込む。中庁の深奥から響く観測機の音が、かすかに揺れた。

「……私は、“最後まで任務を全うする”。その覚悟は変わらない」
 「俺もだ。ただし、その“任務”が何なのか――俺はもう、以前とは違う意味で見ている」
やがて、那刃は一歩だけ烏牙に近づき、低く囁いた。
「おまえがどれほど揺れようと、私は“刈るべき命”を見逃さない。
……だが、もし奏を救って世界がどう変わるか、その結末も、私自身の目で見るとしよう」
烏牙は静かにうなずいた。
 「それでいい。最後まで見届けよう。
遥の選択が、奏の生死が、そして陸翔の未来が――どう世界を変えるか」
 二人の死神は、もう一度、映像に視線を向けた。
その先には、ただ何気ない日常を生きる一人の青年の姿。
 だが彼の一歩が、運命の均衡を揺るがすことを――誰よりも死神たちは知っていた。


第十九章二話 選ばれた休日

 土曜の夜。奏とのレストランでの食事を終えて、帰宅した遥は、眠れずにいた。
部屋の明かりはつけたまま。窓の外は春のように穏やかで、冷たさはなかった。
 でも、遥の胸の奥には、ひとつの寒さが居座っていた。
 (このまま、何もせずに日曜を迎えるなんて――無理だよ)
 死神の言葉を思い出す。
 “奏の死は、明日”。
黙って見送るなんてできない。彼がどう死ぬかなんて分からなくても、ただ一緒にいたい。
 スマホを握ったまま、何度も画面を見つめては、やめかけた。
でも、ついに――LINEではなく、電話のボタンを押した。
 着信音が二度鳴ってから、奏が出た。
「もしもし、遥さん?」
その声を聞いた瞬間、堰が切れたように遥の喉が詰まる。
 言葉にしようとしたのに、息だけが震える。

 「遥さん? どうかした?」
「……奏くん。……お願い。明日……明日、休んでくれない?」
 それは、震える声だった。涙をこらえきれず、抑えようとしても滲み出る気持ちが、声の震えに乗っていた。
 「……どうしたの? 何か、あった?」
「ううん……ただ……どうしても、明日、一緒に過ごしたいの。……どうしても」
 言えない。死ぬ運命だなんて、告げられたことも、信じられないと知っている。
でも――それでも。
 「……わかった」
一瞬の沈黙のあと、奏は静かに言った。
 「今、会社の上司に連絡してみる。……たぶん、なんとかする」
 
 十分ほど経って、奏からメッセージが届いた。
 > “無理やりだけど休みにした。上司には「どうしても」って言った。
 > 何かあったら呼び出されるかもしれないけど……たぶん大丈夫”
 遥は胸に手を当てて、震える息を押さえた。
 > “ありがとう……ほんとに、ありがとう”
 
 しばらくして、奏からもう一通。
 > “明日さ、どこ行こうか。俺、行きたいとこあるんだ”
 > “――遊園地。できれば、朝から夜までいよう。ずっと、遥さんと一緒にいたい”
 その言葉に、遥は思わず涙をこぼした。
 涙の意味がわからないまま、スマホを胸に抱きしめた。

 日曜の朝。
空は晴れて、季節外れの暖かい日差しが街を包んでいた。
 待ち合わせは、文京区の「東京ドームシティ」。
目的地は、その中にある「後楽園ゆうえんち」――今は「アトラクションズ」という名の遊園地だった。
 二人は朝9時すぎに合流した。開園とほぼ同時に入場する人の波の中、遥と奏は、静かに微笑み合った。
「……今日、ずっといようね。暗くなるまで」
 遥がそう言うと、奏は頷いた。
 「うん。……何時間でも一緒にいる」
 それは、遠足のようで、でも心のどこかで“別れの覚悟”が混じる、特別な一日だった。
 笑う時間が、嬉しいのに切なかった。
嬉しければ嬉しいほど、失いたくないと思ってしまう。
 遥も、奏も、そのことに気づいていた。
でも、何も言わなかった。
言葉にしてしまえば、壊れてしまいそうだったから。


第十九章三話 母の差し伸べられた手

 スマホが震えた。
駅のホームの片隅、誰もいないベンチに腰かけた陸翔は、それが母親からの着信であることを確認してから、躊躇いなく応答した。
 「……もしもし?」
電話越しの声は、震えていた。焦りと困惑と、どうしようもない混乱が入り混じった、そんな声だった。

「リク、とうちゃんが……危篤だって……!」
 「……え?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「お前、行けるか? とうちゃんのとこ……病院に。私はまだ東京にいる、陸翔のとこ行くから、一緒に行こう?」
 「ちょ、ちょっと待ってくれ……無理だよ。今仕事中なんだよ」
焦る気持ちが、口先で弁解に変わった。
「仕事中って……父親が死ぬんだよ!? 仕事なんて休めばいいじゃない、誰が怒るってのよ!」
 「……だから、無理なんだって。かあちゃんだって、アイツがどうなったって知らないって言ってたじゃん。向こうには向こうの家があるんだろ?」

「それでもだよ……。私じゃない、私じゃないんだよ、リク。
あんた自身がさ、とうちゃんの最期を見届けなきゃ、一生後悔するんじゃないかって思って……そう思って、電話したの」
母の声は、次第に涙を滲ませていた。
「私たちを捨てた男だったかもしれない。でも、あんたの――本当の父親なんだよ」
喉がつまった。何も言えなくなった。
切れかけていた記憶の糸が、急につながる。

 小さな頃に見た父の背中。手を引かれて歩いた、数少ない日々。
何も知らずに過ぎ去っていった、愛されなかったと思い込んでいた過去。
そんな過去が、いま、目の前で“終わった”のだ。
 「……今、どこにいるんだ?」
ようやく絞り出した声に、母はすぐに答えた。
「ホテルのロビー。昨日のとこ……泊まってるとこだよ。ずっと、ここにいるから」
陸翔は一度、目を閉じた。
(俺は――何をしてる? このまま行けば、人を傷つける。死ぬ。全部、終わる)
でも今、電話の向こうには、自分を見捨てなかった母がいる。
たった一人、この地獄から手を差し伸べてくれている。
その手は、小さくて、かよわい。
けれど、いまの陸翔には――唯一、信じられる命綱だった。
 「……待ってろ。今すぐ行くから」
通話を切り、立ち上がる。
目黒駅の雑踏が耳に戻る。
誰も彼を気に留めない世界のなかで、陸翔の足は、確かに母のもとへと動き始めていた。
 “運命”という名の崖から落ちる寸前で、
陸翔は――母の声に、命をつないだ。

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