死神の誤算と策略、私の運命はもう変わらない

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第二十章 断ち切れぬ鎖

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第二十章一話 断ち切れぬ鎖

 陸翔は走っていた。
目黒駅からホテルまでは、徒歩で20分ほどの距離。
それが今は、永遠にも感じられた。
 母が待っている。
たった一人、救おうとしてくれる人間が、
この世界にまだ残っている。
その手を、今なら掴める――
 だが。
「おい、仁科」
その声が、背後から低く響いた。
振り返るより先に、足が止まった。
「どこに行くんだ? 集合場所と方向が違うだろ」
 数人の男たちが、道の脇から現れた。
リーダー格の男は、赤いジャケットを着たスキンヘッドの加藤――田沼の右腕とも言われている男だ。
 (……ヤバい。見張られてた)
背筋が凍る。全身の血が、一瞬で冷える感覚。

 「……親父が、危篤なんだよ。母ちゃんから連絡が来たんだ……。
 これから病院に向かうんだよ、頼む、今日は見逃してくれ」
「だからどうした」
加藤の目が、冷たく笑った。
「お前も今、死にそうなんだぞ?」
 「……お願いします。マジで……。
 日を改めて……絶対やります。必ず、実行します。
 だから……今日だけは……!」
「……あーあ」
加藤が顎をしゃくると、背後の男たちがじりじりと距離を詰めてくる。
「そんな甘っちょろいこと、通用するわけねぇだろ、あ?」
 「……っ!」
 (ダメだ、話が通じる相手じゃない)
視界の端で、母の言葉がフラッシュバックした。

 ――「選びな、自分の人生を」
 (だったら、今しかねぇだろ)
陸翔は、加藤の胸に向かって、全力で体当たりをかました。
 「ッ……!?」
加藤の体がぐらりと揺れた。
 その一瞬の隙を突いて、陸翔は踵を返し、走り出した。
怒号が背後から響く。
「てめぇ、待ちやがれッ!」
「止めろ!追えッ!」
 後ろで足音が増える。
心臓が爆音のように脈打ち、喉が焼ける。
 (逃げなきゃ……逃げなきゃ……!)
陸翔は、ただ前を見て走った。
 そこに、“母”がいた。
自分が捨てなかった、唯一のものが、そこに――


第二十章二話 静かなる歪み

 園内放送が軽快な音楽を流している。
後楽園ゆうえんちは、どこまでも平和だった。
ジェットコースターのレールが青空を切り裂き、子どもたちの歓声が空に弾ける。
観覧車はゆっくりと回り、ベンチでは恋人たちが笑い合っていた。
 遥と奏も、その中にいた。
――午前十時から午後一時まで。
数時間が、奇跡のようにゆっくりと流れていた。
 遥は不思議に思った。
(今日が“終わる”のが怖いって思ってるから、時間が遅く感じるのかな)
普通なら、楽しい時間はすぐに過ぎていくはずだ。
 でも、今日だけは違った。
「このまま続いてほしい」という祈りが、逆に時間の進みを遅くしているかのようだった。
 
 二人は園内のカフェテリアでランチをとった。
奏はトマトソースのオムライス。遥はチーズハンバーグとパン。
 窓際の席に座り、陽の光を背に受けながら、小さな笑い声と箸の音が混ざる。
 「遥さん、食べるの早いよ」
「……緊張してるからかも」
 「緊張? なんで?」
「なんとなく……今日って、ちょっと、特別だから」
奏は笑って「確かにね」と言った。
 
 そのときだった。
奏のスマホが震えた。
画面を見た奏の表情が、少しだけ曇る。
 「ごめん、ちょっと出るね」
耳にスマホを当て、立ち上がる。
遥はその背中を見ながら、胸の奥がじんわりと冷えていくのを感じた。
 数分後、奏が戻ってきた。
 「……仕事、行かないと」
「……仕事?」
 「うん。店長から。今日午前中に届くはずだった配送トラックが事故で遅れてるらしくて。
 午後の便と重なって、今、現場が大混乱みたいなんだ。人も足りてなくて」
奏は、申し訳なさそうに眉を寄せた。
 「本当にごめん。俺、今日は絶対休もうと思ってたんだけど……さすがに無視できない」
 
 遥は、無言でうつむいた。
(やっぱり……そう簡単には、運命は変わらない)
(“一緒にいれば助かる”って信じてたのに――)
 胸の奥で、焦りがじわじわと膨らむ。
歯車が狂い始めた。死神の言った“時間”が近づいている気がした。
 
 でも、遥は顔を上げた。
瞳に決意の光を宿したまま、言葉を吐いた。
「……私も、行く」
 「え?」
「お店まで、一緒に行く。仕事が片付くまで、私、ホームセンターで待ってるよ」
 「遥さん、でも……遊園地、もう……」
「いいの。私は、今日、奏くんと“夜まで”一緒にいるって決めたの。
 そうしなきゃ、後悔するって分かってるから」
 奏は、しばらく沈黙して、やがて、ほんの少し微笑んだ。
 「……ありがとう。じゃあ、行こうか。俺の職場まで、電車で20分くらいだから」
 遥は頷いた。
ランチトレイを片付けながら、心の中で必死に祈っていた。
(お願い。もう誰も――邪魔しないで)


第二十章三話 母の声、世界を裂く

 陸翔がホテルの角を曲がった瞬間、視界の奥で母の姿が見えた。
ロビーの前、誰かを待つように落ち着きなく立っている。
 その姿を見つけたとき、心がほんの少しだけ緩んだ。
だが、すぐに緊張が戻ってきた。
足音――背後から。
「おい、仁科」
呼び止める声と同時に、加藤と手下たちが現れた。
 路地裏から、三人。完全に囲まれる形だった。
「どこに行くんだよ。集合場所と全然ちがうだろ」
陸翔は唇を噛んだ。
 「……親父が死にそうなんだよ。今、母ちゃんから連絡きたんだ。これから病院に行く」
 加藤は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに鼻で笑った。
「それはさっき聞いたよ、死にそうなのはお前もそうだと言ったはず」
 陸翔が言い返すより早く、ホテルのエントランスから母親が駆け寄ってきた。

 「なんなんだい、あんたら! リクはこれから私と一緒に病院に行くんだよ!」
 その声には、怒りと母としての誇りが混ざっていた。
加藤は振り返り、目を細めた。
「……仁科のお母さん、ですか? すいませんね。 でも、陸翔くん、これから大事な仕事があるんですよ」
 「仕事? ふざけんな……!」
陸翔が叫ぶ。「休むって言っただろ! 病院に行くってばよ!」
 その瞬間、手下の一人が陸翔の手首を無理やり掴んだ。
「おい、来い」
 「やめろ!」
すると、母がその手をつかんだ。
 小さくて、か弱い手。だが、震えひとつ見せなかった。
 「やめな! あんた、警察呼ぶよ!」
だが、男はにやつくばかりだった。陸翔は思わず叫ぶ。
 「かあちゃん、逃げろ! 俺は――」
 そのときだった。
母が突然、叫んだ。

 「――助けてください!! 殺される!! ヘルプッ!!!」

 その声は、空気を裂いた。
周囲の歩行者たちが、一斉に立ち止まり、目を向ける。
 買い物袋を持った主婦が。
スマホを片手にした学生が。
カップルが。
通行人たちが、徐々に輪を作り始めた。
 「どうしたの?」
「え、喧嘩?」「通報した方がいいんじゃ……」
 人の波ができていく。
誰かがスマホを掲げて撮影を始めた。
加藤が舌打ちをした。
「……チッ、まずいな」
彼は陸翔にだけ目を向け、ゆっくりと後ずさった。
「仁科……このままで済むと思うなよ」
そう言い捨てると、手下たちを促しながら、雑踏の中に紛れて消えていった。
 
 残されたのは、陸翔と母。そして、数十人の人々の視線だった。
陸翔は、震える手を見つめた。
そして、横に立つ母を見た。
 母の目には、涙が浮かんでいた。だが、強かった。
 「大丈夫だよ。リク、大丈夫」
 その声が、陸翔の背骨を震わせた。
 陸翔は、小さく頷いた。
 そして、何も言わずに母の隣に立った。
 その肩に――この世界の重さが、少しだけ和らいだ気がした。
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