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5 佐野政親
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第三話 大坂 佐野政親
大坂の町は――噴火の灰さえ飲み込むほどの熱と喧噪に満ちていた。
道の両側には商家が軒を連ね、呼び込みの声が波のように重なってゆく。
川面には荷を満載した舟が絶えず行き交い、櫓のきしむ音と水の匂いが、町そのものの息遣いのように漂っている。
人々は今日の糧を求め、笑い、怒鳴り、値をまけと押し合いへし合いしていた。
――だが、その活気の外縁、少し奥へ入ったところに、別の時間が沈む屋敷があった。
塀は高く、門は固く閉ざされ、庭木も剪定の鋏を待つように静まり返っている。
町の騒ぎは、ここまで来ると遠い潮騒にしか聞こえない。
そしてその静けさは、穏やかさではなく、獲物を待つ獣の沈黙に近かった。
屋敷の座敷。
燭台の火が一つ、ゆらゆらと揺れている。
その淡い灯りの中央で、佐野政親(さの まさちか)は文机に向かい、膝を崩さずに座していた。
机の上には一通の書状。
質の良い和紙に、くっきりとした筆跡。
差出人の名を見ただけで、背筋が自然と正される――田沼意次。
佐野はそれを三度、四度と読み返した。
文は短い。
余計な飾りがないぶん、命の刃は鋭く刺さる。
「お菊を確保せよ」
それだけ。
理由も、手段も、猶予も書かれていない。
だが佐野には分かっている。
この一行の裏に、どれほどの怒気と焦りが押し込められているかを。
佐野の口端に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「――殿もまた、よほどお急ぎのようだ」
笑いは小さい。
しかし、燭の火がそれに反応するように揺れ、座敷の影がわずかに歪む。
そのとき。
す……
障子が、滑るように音もなく開いた。
外の雨の匂いが、ひやりと座敷へ這い入る。
黒装束の男たちが、影のまま現れた。
歩みの足音が畳に残らない。
湿った夜気をまとったその気配は、人の形をしていても、どこか獣に近い。
先頭に立つのは、伊賀の忍びの頭領。
年を重ねた皺が深く刻まれ、肌は日に焼けて硬い。
目だけが異様に澄み、獲物を射抜くような鋭さがある。
老練の影を背にまとい、ただ立つだけで座敷の空気の温度が変わった。
頭領は膝を折り、低く一礼する。
「遠路、御呼び立てに応じて参上仕った」
声は低く、かすれ、石を擦るような響き。
謝意もへつらいもない。
あるのは“命を受ける者の簡潔さ”だけだった。
佐野は扇を閉じ、畳に置いた。
わずかに姿勢を整えると、静かに言葉を返す。
「……噴火で世は揺れておる。
館林も灰に沈み、城主は恐れで身を隠したと聞く」
頭領の眉が微かに動く。
佐野はその反応を見逃さず、言葉を続けた。
「混乱の中、表を守る手は薄くなる。
この機を逃せば、次はない。
――役目を果たしてもらう」
頭領は頷く。
そこには迷いがない。
だが、その目は誓いではなく“確認”を求めていた。
「狙うは――あの御方にて?」
ひと呼吸置いて問うその声音には、すでに答えの匂いが混じっている。
佐野は目を細め、笑みの形を崩さぬまま頷いた。
「心得ておろう」
それだけ。
余計な説明はない。
むしろ言葉を重ねるほど、密談は軽くなることを佐野は知っていた。
だが、座敷に沈んだ空気は、すでに目的を明確に刻んでいる。
お菊。
館林に在る定信の妹。
巫女であり、珠と深く関わる女。
そして――敵に渡せば、世の流れさえ変えかねぬ存在。
この密談のすべては、そこへ収束していた。
頭領はさらに一段、声を低くする。
「すぐに人を動かそう。
灰に沈んだ館林ならば、隙は多かろう」
佐野は燭の炎を見つめたまま答える。
「……頼むぞ。
儂も直ぐに出る」
その声音は、燭の火よりも冷たかった。
まるで抜いた刃を、鞘へ戻す直前の温度。
佐野の一言を合図に、黒装束たちは一斉に身を引いた。
膝を上げる音すらなく、畳の上を滑り、影が影へ溶けるように障子の向こうへ消えていく。
雨の匂いが、また遠のいた。
残された座敷で、佐野はしばし動かなかった。
燭の炎が揺れるたび、彼の目の奥の黒がちらりと覗く。
やがて口端をわずかに歪め、扇で火をあおいだ。
ふっ。
炎が大きく揺れ、
その影は佐野の顔を怪しく照らした。
町の外は賑やかに生きている。
だがこの座敷では、すでに“奪う段取り”が整っていた。
第四話 江戸 田沼意次
深夜。
江戸城下の屋敷街は、ふだんなら夜更けでもどこかに提灯の灯が滲み、遠くの路地から笑い声や犬の吠えが運ばれてくる。
――だが今宵は違った。
風が止み、木々も鳴らず、眠りの底へ沈む前の街が、まるで息を潜めて“何か”を待っているような静けさに包まれている。
その沈黙の中心にある屋敷の一室。
燭の火が一つ。
弱々しく揺れながら、部屋の隅にまで届かない光を落としていた。
田沼意次は、居間の畳にひとり座していた。
背筋は崩れず、袴の皺ひとつ乱れていない。
だがその整い過ぎた姿が、かえってこの場の異様さを際立たせている。
意次の前には、古びた文箱が置かれていた。
漆黒に塗られた箱。
蓋には褪せた梵字がいくつも刻まれ、その上を、幾重にも結び目を作った紐が絡め取るように縛っている。
さらにその紐の上から朱の封印が塗り込められ、
年月を経たはずの赤は、まだ生きているかのように鈍く光沢を放っていた。
意次は長い指で、その朱をなぞった。
指先が触れた瞬間、箱の内側から、かすかな“脈”のようなものが伝わった気がした。
もちろん錯覚だ。
そう思うべきだと知りながら、
意次の瞳は、燭の炎を映して妖しく揺れた。
「……やはり言い伝えは真であったということか」
声は低い。
この部屋の闇に溶けてしまうほど低いのに、
その響きには、古いものを嘲るような冷たさが宿っていた。
「田保の女どもが、三百年もの間守り通してきた封……」
意次は朱の封印を撫でながら、ゆっくりと笑う。
「巫女の血にすがり、
ずっと力を封じておったか」
言葉の端に、軽蔑と、ほの暗い歓びが絡みつく。
巫女。
あの血がなければ、封は保てぬ。
あの血がなければ、珠は眠らぬ。
――ただその事実だけが、意次にとっては何より愉快だった。
意次はゆるやかに印を切り、
細い刃を取り出すと、紐を一本ずつ断っていった。
す、す、す――
縄が切れるたびに、
室内の空気が一段ずつ重くなる。
湿った土の匂いが、どこからともなく這い出してくる。
燭火が、ふっと息を吹き返したように大きく揺れ、部屋の影が、意次の周囲でゆっくりと伸び縮みした。
最後の結び目を落とした、その刹那。
ぐ……
地の底から、呻き声のような響きが上がった。
掛け軸がひくりと震え、
漆の盆がかすかに鳴り、
畳の目に滲んだ闇が、波のようにゆらめく。
意次は微動だにしない。
「……これぞ“忍神”の扉よ」
薄い笑みが口元に浮かんだ。
封が崩れ、蓋がわずかに持ち上がる。
中から姿を見せたのは、干からびた巻物と、
黒ずんだ珠座の札――
そして、光を奪われたように暗い、何かの“器”だった。
蓋を開いた瞬間、
見えぬ力が吹き上がり、
ばたりッ!
障子が唐突に倒れ、
外の闇がなだれ込む。
その時だ。
遠く、信州の山々が呻きを上げた。
誰の耳にも届かぬほど遠いはずの地の底の響きが、なぜかこの一室へだけは届いたような気がした。
――地の底に縛められていたものが、解き放たれたのだ。
やがて、浅間山は火を噴く。
それが偶然か、必然か。
意次は、確かめようとも思わなかった。
必要なのは真偽ではない。
“世が揺れる”という結果だけだ。
意次は瞑目し、呼吸を整えた。
額に薄い汗が浮かんでいたが、
その表情は疲労ではなく、むしろ何かに触れた者の恍惚に近い。
「……よい」
そう呟いて目を開く。
「これで均衡は崩れた。
忍神は再び世に現れる」
言いながら、珠座の札をゆっくりと指先で撫でる。
そこに刻まれた名は、まだ読めない。
だが意次は、その札が示す先に何があるかを“知っている顔”をしていた。
「そして、この混乱は……
我が望む世を形作る」
障子の外から、側近が恐る恐る姿を見せた。
声は震え、膝が畳に擦れる。
「老中様……浅間山、大噴火の報にございます」
意次は目を細めただけで驚かない。
すでに聞いていたかのように、静かに息を吐く。
「知っておる。
これこそが前触れよ」
燭火が、意次の横顔を鋭く照らす。
その影が畳に落ち、まるで別の人物のようにゆらめいた。
「――定信」
名を呼ぶ声が、闇を噛む。
「そなたの巫女の血が、いかほどのものか……
試させてもらおうぞ」
扇をひらりと振る。
炎は大きく揺れ、
闇はさらに深まった。
文箱の中の“何か”は、まだ眠っている。
それが目覚めた時、誰の味方になるのかも、どれほどの災いを呼ぶのかも、意次自身さえ正確には知らない。
――だが知らぬほうがよい。
知らぬものほど、人は支配しやすい。
巫女の血も、珠の謎も、すべては“手の内に置くための闇”にすぎない。
意次は燭の炎を見つめたまま動かなかった。
その瞳には、世が焼け落ちる景色が、すでに映っているようだった。
大坂の町は――噴火の灰さえ飲み込むほどの熱と喧噪に満ちていた。
道の両側には商家が軒を連ね、呼び込みの声が波のように重なってゆく。
川面には荷を満載した舟が絶えず行き交い、櫓のきしむ音と水の匂いが、町そのものの息遣いのように漂っている。
人々は今日の糧を求め、笑い、怒鳴り、値をまけと押し合いへし合いしていた。
――だが、その活気の外縁、少し奥へ入ったところに、別の時間が沈む屋敷があった。
塀は高く、門は固く閉ざされ、庭木も剪定の鋏を待つように静まり返っている。
町の騒ぎは、ここまで来ると遠い潮騒にしか聞こえない。
そしてその静けさは、穏やかさではなく、獲物を待つ獣の沈黙に近かった。
屋敷の座敷。
燭台の火が一つ、ゆらゆらと揺れている。
その淡い灯りの中央で、佐野政親(さの まさちか)は文机に向かい、膝を崩さずに座していた。
机の上には一通の書状。
質の良い和紙に、くっきりとした筆跡。
差出人の名を見ただけで、背筋が自然と正される――田沼意次。
佐野はそれを三度、四度と読み返した。
文は短い。
余計な飾りがないぶん、命の刃は鋭く刺さる。
「お菊を確保せよ」
それだけ。
理由も、手段も、猶予も書かれていない。
だが佐野には分かっている。
この一行の裏に、どれほどの怒気と焦りが押し込められているかを。
佐野の口端に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「――殿もまた、よほどお急ぎのようだ」
笑いは小さい。
しかし、燭の火がそれに反応するように揺れ、座敷の影がわずかに歪む。
そのとき。
す……
障子が、滑るように音もなく開いた。
外の雨の匂いが、ひやりと座敷へ這い入る。
黒装束の男たちが、影のまま現れた。
歩みの足音が畳に残らない。
湿った夜気をまとったその気配は、人の形をしていても、どこか獣に近い。
先頭に立つのは、伊賀の忍びの頭領。
年を重ねた皺が深く刻まれ、肌は日に焼けて硬い。
目だけが異様に澄み、獲物を射抜くような鋭さがある。
老練の影を背にまとい、ただ立つだけで座敷の空気の温度が変わった。
頭領は膝を折り、低く一礼する。
「遠路、御呼び立てに応じて参上仕った」
声は低く、かすれ、石を擦るような響き。
謝意もへつらいもない。
あるのは“命を受ける者の簡潔さ”だけだった。
佐野は扇を閉じ、畳に置いた。
わずかに姿勢を整えると、静かに言葉を返す。
「……噴火で世は揺れておる。
館林も灰に沈み、城主は恐れで身を隠したと聞く」
頭領の眉が微かに動く。
佐野はその反応を見逃さず、言葉を続けた。
「混乱の中、表を守る手は薄くなる。
この機を逃せば、次はない。
――役目を果たしてもらう」
頭領は頷く。
そこには迷いがない。
だが、その目は誓いではなく“確認”を求めていた。
「狙うは――あの御方にて?」
ひと呼吸置いて問うその声音には、すでに答えの匂いが混じっている。
佐野は目を細め、笑みの形を崩さぬまま頷いた。
「心得ておろう」
それだけ。
余計な説明はない。
むしろ言葉を重ねるほど、密談は軽くなることを佐野は知っていた。
だが、座敷に沈んだ空気は、すでに目的を明確に刻んでいる。
お菊。
館林に在る定信の妹。
巫女であり、珠と深く関わる女。
そして――敵に渡せば、世の流れさえ変えかねぬ存在。
この密談のすべては、そこへ収束していた。
頭領はさらに一段、声を低くする。
「すぐに人を動かそう。
灰に沈んだ館林ならば、隙は多かろう」
佐野は燭の炎を見つめたまま答える。
「……頼むぞ。
儂も直ぐに出る」
その声音は、燭の火よりも冷たかった。
まるで抜いた刃を、鞘へ戻す直前の温度。
佐野の一言を合図に、黒装束たちは一斉に身を引いた。
膝を上げる音すらなく、畳の上を滑り、影が影へ溶けるように障子の向こうへ消えていく。
雨の匂いが、また遠のいた。
残された座敷で、佐野はしばし動かなかった。
燭の炎が揺れるたび、彼の目の奥の黒がちらりと覗く。
やがて口端をわずかに歪め、扇で火をあおいだ。
ふっ。
炎が大きく揺れ、
その影は佐野の顔を怪しく照らした。
町の外は賑やかに生きている。
だがこの座敷では、すでに“奪う段取り”が整っていた。
第四話 江戸 田沼意次
深夜。
江戸城下の屋敷街は、ふだんなら夜更けでもどこかに提灯の灯が滲み、遠くの路地から笑い声や犬の吠えが運ばれてくる。
――だが今宵は違った。
風が止み、木々も鳴らず、眠りの底へ沈む前の街が、まるで息を潜めて“何か”を待っているような静けさに包まれている。
その沈黙の中心にある屋敷の一室。
燭の火が一つ。
弱々しく揺れながら、部屋の隅にまで届かない光を落としていた。
田沼意次は、居間の畳にひとり座していた。
背筋は崩れず、袴の皺ひとつ乱れていない。
だがその整い過ぎた姿が、かえってこの場の異様さを際立たせている。
意次の前には、古びた文箱が置かれていた。
漆黒に塗られた箱。
蓋には褪せた梵字がいくつも刻まれ、その上を、幾重にも結び目を作った紐が絡め取るように縛っている。
さらにその紐の上から朱の封印が塗り込められ、
年月を経たはずの赤は、まだ生きているかのように鈍く光沢を放っていた。
意次は長い指で、その朱をなぞった。
指先が触れた瞬間、箱の内側から、かすかな“脈”のようなものが伝わった気がした。
もちろん錯覚だ。
そう思うべきだと知りながら、
意次の瞳は、燭の炎を映して妖しく揺れた。
「……やはり言い伝えは真であったということか」
声は低い。
この部屋の闇に溶けてしまうほど低いのに、
その響きには、古いものを嘲るような冷たさが宿っていた。
「田保の女どもが、三百年もの間守り通してきた封……」
意次は朱の封印を撫でながら、ゆっくりと笑う。
「巫女の血にすがり、
ずっと力を封じておったか」
言葉の端に、軽蔑と、ほの暗い歓びが絡みつく。
巫女。
あの血がなければ、封は保てぬ。
あの血がなければ、珠は眠らぬ。
――ただその事実だけが、意次にとっては何より愉快だった。
意次はゆるやかに印を切り、
細い刃を取り出すと、紐を一本ずつ断っていった。
す、す、す――
縄が切れるたびに、
室内の空気が一段ずつ重くなる。
湿った土の匂いが、どこからともなく這い出してくる。
燭火が、ふっと息を吹き返したように大きく揺れ、部屋の影が、意次の周囲でゆっくりと伸び縮みした。
最後の結び目を落とした、その刹那。
ぐ……
地の底から、呻き声のような響きが上がった。
掛け軸がひくりと震え、
漆の盆がかすかに鳴り、
畳の目に滲んだ闇が、波のようにゆらめく。
意次は微動だにしない。
「……これぞ“忍神”の扉よ」
薄い笑みが口元に浮かんだ。
封が崩れ、蓋がわずかに持ち上がる。
中から姿を見せたのは、干からびた巻物と、
黒ずんだ珠座の札――
そして、光を奪われたように暗い、何かの“器”だった。
蓋を開いた瞬間、
見えぬ力が吹き上がり、
ばたりッ!
障子が唐突に倒れ、
外の闇がなだれ込む。
その時だ。
遠く、信州の山々が呻きを上げた。
誰の耳にも届かぬほど遠いはずの地の底の響きが、なぜかこの一室へだけは届いたような気がした。
――地の底に縛められていたものが、解き放たれたのだ。
やがて、浅間山は火を噴く。
それが偶然か、必然か。
意次は、確かめようとも思わなかった。
必要なのは真偽ではない。
“世が揺れる”という結果だけだ。
意次は瞑目し、呼吸を整えた。
額に薄い汗が浮かんでいたが、
その表情は疲労ではなく、むしろ何かに触れた者の恍惚に近い。
「……よい」
そう呟いて目を開く。
「これで均衡は崩れた。
忍神は再び世に現れる」
言いながら、珠座の札をゆっくりと指先で撫でる。
そこに刻まれた名は、まだ読めない。
だが意次は、その札が示す先に何があるかを“知っている顔”をしていた。
「そして、この混乱は……
我が望む世を形作る」
障子の外から、側近が恐る恐る姿を見せた。
声は震え、膝が畳に擦れる。
「老中様……浅間山、大噴火の報にございます」
意次は目を細めただけで驚かない。
すでに聞いていたかのように、静かに息を吐く。
「知っておる。
これこそが前触れよ」
燭火が、意次の横顔を鋭く照らす。
その影が畳に落ち、まるで別の人物のようにゆらめいた。
「――定信」
名を呼ぶ声が、闇を噛む。
「そなたの巫女の血が、いかほどのものか……
試させてもらおうぞ」
扇をひらりと振る。
炎は大きく揺れ、
闇はさらに深まった。
文箱の中の“何か”は、まだ眠っている。
それが目覚めた時、誰の味方になるのかも、どれほどの災いを呼ぶのかも、意次自身さえ正確には知らない。
――だが知らぬほうがよい。
知らぬものほど、人は支配しやすい。
巫女の血も、珠の謎も、すべては“手の内に置くための闇”にすぎない。
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