十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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34 器の意志

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第十六話 器の意志

 武蔵の背が遠ざかり、黒屍人の足音も霧みたいに消えていく。

 広場に残ったのは、割れた石畳と血の匂い、そして――
静かに立つ清十郎だけだった。

 旅笠の影に隠れていた顔が、今はもうはっきりと見える。
額に汗は浮いていない。

 呼吸も、荒れた戦の名残をすでに整え終えたように静かだった。
 肩や腕に浅い裂傷が走り、布に血が滲んでいるが、膝は折れず、背筋はまっすぐに伸びている。

 さっきまでこの場を押し潰していた殺気が抜け落ち、広場の空気が、ようやく“人の息を許す温度”に戻りはじめた。

 それでも石畳には、まだ武蔵の鉞が叩きつけた衝撃の余韻が残っていて、誰もが一度、言葉を探すように口を閉じたまま動けずにいる。

 その沈黙を破るように、金之助たちが清十郎へ駆け寄った。
慌ただしく近づきたいのに、相手の間合いを乱してはいけないという本能が最後の一歩を抑える。

 距離を詰めながらも、二人は清十郎の立つ円の縁で、きちんと止まった。

「おい! 無事か!?」
鉄之介が先に叫んだ。

 大槌を肩から降ろしかけたまま、自分でも驚くほど鋭い声が飛ぶ。
 ぶっきらぼうだが、さっき死線をくぐった者の確かな焦りが混じっていた。

 忠壽が駆け寄っていう。
「ご無事ですか?」

 金之助は半歩遅れて、その横に並ぶ。
息を切らしながらも目だけは落とさず、清十郎の傷の具合を丁寧に見極めてから、やわらかく言う。
「……怪我は、ありませんか」

 問いかけは静かだった。
助けた側の勢いではなく、むしろ“自分の手から離れた珠”への負い目と、目の前の男を案じる素直な優しさが、同じ温度で滲む声だ。

 清十郎は三人を見た。
旅の埃と血に濡れた衣の奥で、瞳の芯だけがまだ戦の炎を残している。

 だがその視線は、敵意ではなく、まずは受けた心配を受け止める静けさだった。

「……かたじけない」
短い礼。

 それだけで十分だと言わんばかりに、清十郎は一度、深く息を吸い直す。

 武門の者らしい古風な型の整い方が、逆にこの男の真っ直ぐさを強く見せた。
その仕草に、金之助の胸が少しだけ痛む。

 説明もできないまま、勝手に出た珠を清十郎に渡してしまった。
その重さが、今になってずしりと戻ってくる。

「いや……」
金之助は視線を落とし、巾着を握りしめたまま、かすかに首を振った。

「ちゃんと説明もしないまま、珠を……すまない。
 止められなかったんです」

 清十郎は眉を寄せ、自分の胸元――いや、もっと身体の深い場所へ手を当てるようにゆっくり指を浮かせた。

「珠……?」
噛み砕くように、一度だけ繰り返す。

「この、妙な感覚が珠なのか」
言いながら清十郎は、喉の奥、胸の底に残る熱の余韻を確かめるように静かに息を吸った。

 見えないはずの鼓動が、確かに身体の中心で脈打っている。
「……腹の内に、火種が落ちたような。
 いや、火というより――獣の息遣いだ。
 目を閉じれば、そこにいる」

 金之助はごくりと唾を飲む。
寅の珠が“勝手に選んだ器”。
その意味が、言葉ではなく現実として胸に落ちてくる。

 清十郎はふっと視線を上げ、遠ざかった武蔵の背の方角、そして血と破壊の痕が残る広場を一度だけ見渡した。

 その後、改めて二人へ向き直る。
「私は霧島清十郎」

 名乗りは短いが、芯が揺れない。
「隣の古河藩から来た」

 金之助は胸を張った。
まだ心臓の早さは収まっていない。
けれど、そのままの鼓動で答える。

「俺は、陸奥の金之助だ」

 鉄之介も一歩前へ出る。
さっきまでの荒さが嘘みたいに、
目だけは真剣だった。

「俺は鉄之介。よろしくな」

 清十郎は、忠壽を見る。
「先ほど名乗った、白河の本多と申す」

 清十郎は、ほんのわずかに口角を上げた。
笑みと呼ぶには淡い。

 けれど確かに、先ほどまでの孤絶の色ではない。
「ああ。よろしく」

 霧が引くように広場を離れた一団は、崩れた塀の向こう、人気のない路地へ滑り込んだ。

 血の匂いを引きずるように、武蔵の足取りだけが重い。
右腕の断面からはまだじわじわと血が滲み、鉞を握る左手にも、苛立ちの震えが残っている。

 それでも男は、痛みを煽るように荒く息を吐き、「食うぞ」とだけ言って、地面に腰を下ろした。

 虚舟は数歩先で立ち止まり、振り返ったまま、唸るように呟く。
「……おかしい。
 なぜ我らについたのに、武蔵殿を斬った?」

 自分の中で組み上げたはずの理が、どこかで軋んでいる。

 “確かに罠は嵌った”という確信と、
“なぜか結果だけが違う”という不気味さが、虚舟の表情を曇らせていた。

 そんな虚舟を横目に、お蘭は長い溜息をひとつ吐き、切断された武蔵の腕を持ち上げる。

 血のついた鉢巻で断面をぬぐい、それをまるで鍛冶場の鋼みたいに、ずいと押し当てた。

「おい、あんた。もっと喰いな」
軽い調子で言いながら、切断面と切断面を、ぴたりと合わせる。
「そうすりゃ、この腕もくっつくかもしれないよ」

 武蔵は眉ひとつ動かさない。
返事もない。
 ただ、地面に置かれた袋から干し肉を掴み、噛みちぎり、飲み込み、また掴む。

 ごり、ごり、と顎が鳴る。
血が喉を通って黒く唾液に混じり、それでも止まらない。

 食って、飲んで、食って、飲んで。
その執念じみた反復が、痛みも怒りも黙らせたまま、肉体を前へ押し進めている。

 虚舟はその様を見ながら、自分に言い聞かせるように、低く続けた。
「確かに……ハマったんじゃ。
 完璧に術は入った。
 あの手応えに偽りはない」

 その言葉に、武蔵の喉が、一度だけごくりと鳴った。

 そして唇の端を歪め、吐き捨てる。
「おい、じじい」

 食う手は止めない。
目だけが鋭く虚舟を刺した。
「てめえ、大した詐欺師だな。
 本当に珠使いか?」

 虚舟の眉が跳ねた。
怒りではない。 防衛のための反射だ。

「……いや、違う」
虚舟は即座に首を振る。
「あれは“術にかかった反応”だった。
 奴の精神が、想定を越えておっただけじゃ」

「言い訳はいいって、じじい」
武蔵がふん、と鼻を鳴らす。

 肉を噛み砕く音が、怒気の代わりに路地へ響く。

 そのときだった。
お蘭が、合わせた断面に指を当てたまま、目を見開く。

「……あ」
小さく声が漏れる。

 合わせ目の周囲が、じわりと熱を帯び、血が引き戻されるみたいに止まっていく。

 肉の裂けた境が、ぬるりと溶けるように塞がり始めた。

「おい、あんた」
お蘭は半ば呆れたように、半ば興奮したように言う。
「腕がくっついたよ」

「……あん?」
武蔵はようやく目を向ける。

 そこに右腕が“ある”ことを、まだ信じきれていない顔だ。

「動かしてみなよ」
武蔵は黙ったまま、右手をゆっくり握る。
指が、ぎこちなく、しかし確かに曲がった。

次の瞬間には肘が動き、肩が引き上がり――
「……おお」

 武蔵の喉から、思わず声が漏れる。
「動く動く」

 拳がきゅ、と握り込まれる。
さっきまでの断絶など最初からなかったみたいに。

 お蘭は目を丸くしたまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「すごいねえ……」

 驚き方が大げさなくらい素直で、それが逆に不気味さを薄めた。

 虚舟はその様子を見ながら、なおも視線を遠くへ向ける。

 清十郎の立つ広場の方角だ。
「……あの男」
声が、沈んでいる。

「どんな意志の持ち主なんじゃ。
 すさまじい精神力で、術を跳ね返したとしか思えん」

 武蔵は肩を鳴らし、新しく戻った腕をぶん、と一度振る。
「だから、言い訳はいいって」

 吐き捨て、左の鉞を持ち直す。
掌の馴染みを確かめるように、柄をぎゅっと握り込んだ。

 虚舟は、その苛立ちを真正面から受け止めず、むしろ静かに、奥へと沈んでいく。

「……しかし」
ぽつり、と漏らす。

「まだ可能性は、のこっておる……」
言い終えたとき、虚舟の口元が、ゆるりと緩んだ。

 それは勝ち誇りではない。
“次の算段に手を伸ばした者の笑み”だった。

 路地の奥で、風が一度だけ吹き抜ける。
黒い衣がはためき、一団はまた、影へ溶けるように歩き出した。

第十七話 寅の器 霧島清十郎

 左門は屋敷へ駆け戻ると、玄関を抜け、迷いなく奥の間へ通された。

 障子越しに灯りが揺れている。人の気配は濃いが、騒がしさはない。
 畳に膝をつき、息を整える間もなく、左門は頭を下げた。

「佐野様。表で起きたこと、急ぎご報告申し上げます」
 佐野は上座に端然と座したまま、わずかに顎を引いた。

 騒然たる気配を外から運んできた左門に対しても、表情は崩れない。
「申せ」

 その声は低く、落ち着き払っていた。
 左門は言葉を選びながら、順を追って話した。

 武蔵と清十郎の激突。
 清十郎に宿った寅の珠。
 剣気が変わり、武蔵の右腕が斬り飛ばされたこと。
 虚舟が叫び、黒屍人が撤退したこと。

 そして広場の空気が凍りついたまま残されたこと。
 佐野は一切の相づちを急がない。
目を据えて、ただ静かに聞き取っている。

 その脇で、お菊もまた黙して座し、報告の一語一語を胸に落としていった。

 話がひと区切りついたとき、廊下の足音が近づき、障子がすっと開いた。
 虎之進が入ってくる。

 血の匂いも土の汚れもない、どこか整った身なりのまま、当たり前のように上座へ寄った。

 虎之進は佐野の傍らに膝をつき、周囲に聞こえぬほどの声で、耳元へ何事か短く囁いた。

 佐野の目がほんのわずかに細まる。
その変化は一瞬で、すぐに常の静けさへ戻った。

 けれど、座の空気が半拍だけ軽くなる。
「そうか。それは吉報だ。ご苦労」
 佐野は虎之進へ淡々とそう告げた。

 虎之進は一礼し、すっと身を引く。
佐野は改めて、お菊へ視線を向けた。

「状況が、大きく変わったようです。お菊様」
言葉の端に、いまの報告と虎之進の囁きが重なる。

 それでも声は穏やかで、硬さがない。
「我らは一旦ここを退きますが……
 また必ず、お会いすることになりますので」

 そう言うと、佐野は立ち上がった。
左門も虎之進もそれに従い、余計な言葉を挟まず背を伸ばす。

 佐野たちは静かに礼をし、
護衛の伊賀衆とともに障子の向こうへ消えるように退出していった。

 残ったのは、灯りの揺れと、戦の匂いがまだ届かぬ奥の間だけ。

 障子が閉じきるのを待って、斎藤と吉村が、お菊へ身を寄せる。

「お菊様、どうなさいますか?」
 お菊はすぐには答えず、左門の報告の要をもう一度胸の中で辿った。

 清十郎の変貌。
 退いた虚舟たち。
 そして“吉報”とされた何か。

 やがて、静かに口を開く。
「とりあえず……忠壽様の指示に従いましょう」
 言葉は落ち着いているが、決して軽くない。

「状況は把握が必要です。
 いま動けば、かえって目を曇らせます」

 斎藤が深く頷き、吉村もそれに続いた。
「……そうですね」

 灯りがまた一つ、ほうと揺れた。
外の気配が変わりつつあることを、屋敷の奥も確かに感じ取り始めていた。

 佐野たちが去ってから、奥の間にはしばらく静けさが残っていた。
 お菊は座を崩さず、斎藤と吉村も控えの姿勢のまま、次の報せを待つ。

 ――そのとき。
廊下の向こうに、足音が複数重なって近づいた。
 急ぐ気配ではない。だが、迷いのない足取り。

 障子が静かに開く。
先に姿を現したのは忠壽だった。
 土埃と戦の匂いをわずかに纏いながらも、どこか晴れた顔をしている。

 その背後に金之助、鉄之介、そして――

 旅笠を外し、はっきりとした面差しを見せた男が立っていた。

 霧島清十郎。

 先刻まで広場で鉞の巨漢と斬り結び、なお立っていた、あの男だ。

 清十郎は一歩だけ前へ出て、畳に膝をつく。
 しなやかに、しかし武士らしい芯を残した所作だった。

「失礼つかまつる」
忠壽が奥へ進み、上座手前で止まると、軽く頭を下げた。

「お菊様、戻りました」
それから一拍置き、視線をまっすぐに上げる。

「戻る折、佐野殿らの一行と廊下で行き違いました。
 もう屋敷を退いた様子でございますね」
 お菊の眉がわずかに動く。
斎藤と吉村も、同じ方向へ意識を寄せた。

 お菊は忠壽へ視線を向け、短く頷く。
「ご無事で何よりです。……表は、どうなりましたか」

 忠壽は簡潔に首を振った。
「武蔵は退き、虚舟と黒屍人も引きました。
 ただし、こちらの状況も……今まで通りとはいきませぬ」

 言いながら、忠壽は清十郎へ手を添えるように示した。
「お菊様。
 この者が、霧島清十郎殿でございます」

 清十郎は顔を上げ、まっすぐにお菊を見る。
 瞳の奥に、まだ消え切らぬ橙朱の余韻が宿っているようにも見えた。

 だが、それを押しつける気配はない。
「霧島清十郎と申す。
 古河藩より参った。
 本日、助太刀を受けた恩、忘れはせぬ」

 お菊は微かに息を呑んだ。
報告で聞いた“寅の珠が宿った男”が、いま目の前にいる。
 その重さは、言葉の響きだけで伝わってくる。

「霧島殿。こちらこそ、よくぞお越しくださいました」
お菊は丁寧に礼を返した。
「傷は……いかがですか」

忠壽が横から答える。
「浅い傷のみ。命に別状なし。
 ただ、寅の珠が清十郎殿に宿りました。
 ――この事が、今後を左右します」

 斎藤と吉村が顔を見合わせる。
金之助は巾着の辺りを無意識に押さえ、沈んだ目で前を見た。
 鉄之介も口をへの字に結んだまま、妙に真剣だ。

 お菊はゆっくりと息を吐き、座を正す。
「……佐野殿らが退いたのも、
 この変化を察したからでしょうね」

 忠壽が頷く。
「間違いありませぬ。
 あちらは、状況が変わった瞬間に引きました」

 清十郎が、静かに口を開く。
「……敵が退いたのは、私の変化を見たゆえか」
「それとも、別の何かを得たからか」
 短い言葉だが、場の熱がぴんと張る。

 清十郎は状況を飲み込もうとしている。
 ただの助太刀では済まないことを、すでに理解している顔だ。

 お菊は一瞬目を伏せ、再び上げた。
「霧島殿。
 あなたに宿った珠のこと、そして我らの置かれた状況。
 隠して話せる段階ではありません」

 金之助が小さく身を固くする。
清十郎は黙って聞いていた。
「ここから先は、腹を割って話し合いたいと思います」

 お菊の言葉に、忠壽が応じる。
「はい。
 清十郎殿には、我らの目的と、珠の意味を正しく知っていただく必要がある」

 忠壽は清十郎へ向き直り、少し声を落とした。
「清十郎殿。
 あなたは、寅の器として選ばれた。
 それは、望まずとも――
 この戦いの中心に立つ、ということです」

 清十郎の眉がわずかに動く。
驚きではない。受け止めるための動きだ。
「……承知した」

「ならば、聞こう。
 我らが何と戦い、何を行おうとしているのか」
 忠壽が頷き、金之助と鉄之介へ目配せをする。

 二人は清十郎の背後に控える形で座り直した。
 吉村がそっと障子を閉め、外の気配を遮る。

 灯りの輪の中、お菊、忠壽、清十郎、そして金之助と鉄之介、斎藤、吉村。

 戦のあとに残った熱と、新たに生じた“寅”の鼓動が、ひとつの席へ集まり始めていた。

「では――」
お菊が静かに切り出す。

「まず、珠とは何か。
 そして“十二輝”とは何を意味するのか。
 そこから、お話ししましょう」

 お菊の語る「忍神の珠」の来歴と、封印の理を――
 清十郎は終始、口を挟まずに聞いていた。

 話が途切れ、部屋に小さな沈黙が落ちる。
 清十郎はゆっくり頷いた。

 その顔に迷いはない。
ただ、決意だけが静かに灯っている。
「……わかりました。
 微力ではありますが、私でよければ皆様と共に、この珠の封印に力を貸しましょう」

 忠壽が深く頭を下げた。
「かたじけない」

 金之助の表情がふっとほどける。
「……やっぱり、あなたは良い人だな」

 まるで安心がそのまま言葉になったみたいに、金之助は笑った。

 鉄之介も、うんと一つ頷いて続く。
「感謝するぜ、清十郎」
 その空気を、鉄之介の遠慮のない声が割った。

「しかしよぉ。
 笠取って顔をよーく見りゃ、なんか女みてぇな顔だな、お前」

「こら、鉄之介!」
金之助がすぐさま咎める。

 忠壽も苦笑しつつ、口調は真面目だ。
「鉄之介。お前は、思ったことをそのまま口にしすぎる」

 清十郎は少しだけ目を細めた。
叱るでも、怯むでもない。
「……いえ。構いません。
 よく言われますので」

「だろうな。身体も華奢だしな。
 だが、でたらめに強ぇ」
鉄之介は肩をすくめる。
「珠の力なしで、途中まであのデカブツと互角だったじゃねぇか」

 金之助の眼が真剣に戻る。
「そうです。
 あの剣技は、いったい何なのですか」

 忠壽が、ぽつりと呟いた。
「……柳生新陰流か」

 清十郎は首を横に振る。
「柳生新陰流ではありません。
 江戸柳生でも尾張柳生で もない。
 ですから“正当な新陰流”とも違うのです」

 清十郎の声は淡いが、言葉の端に揺るぎがない。
「我が系統は、石舟斎先生からの直系。
 無明新陰流(むみょうしんかげりゅう)と申します」

「知らねぇなぁ」
 鉄之介が即座に返す。

 清十郎は苦笑に近い淡さで頷く。
「一子相伝です。
 私も父から、ただ一人、教わりました」

「一子相伝とな……」
忠壽が目を見開く。

「よく途絶えなかったものだ」
金之助が、つい無邪気に挟む。
「じゃあ清十郎が、子に託すんだな」

「……そうなりますね」
清十郎が小さく頷いた。

その瞬間――鉄之介がニヤリとした。
「じゃ、絶対男の子が必要だな。
 はやく所帯もって気張れよ、清十郎」

「やめなさい、鉄之介殿」
 お菊の静かな一言が、刃みたいに落ちた。

 鉄之介は肩を竦めて口を閉じる。
金之助は小さく噴き、忠声は咳払いで場を整えた。

 清十郎は何も言わないが、その目に、微かな苦笑と――仲間の輪に入った温度が、確かに宿っていた。

 清十郎は、ひととおりのやり取りを聞き終えたあとも、しばらく黙っていた。

 場の空気を読み、距離を測り、言葉を選んでいる――そんな沈黙だった。

 やがて、静かに口を開く。
「……ひとつ、よろしいでしょうか」
 忠壽もお菊も、金之助も鉄之介も、顔を向ける。

 清十郎は、まず忠壽に視線を置いた。
「あなた方は、封印のために集まっている。
 それは理解しました」

 そこで、視線がゆっくり横に滑る。
止まった先は、金之助だった。
 清十郎の目は冷たくない。
けれど、武士の鋭さで“見極めよう”としている。

「……だが、ひとつ腑に落ちぬことがある」
金之助が瞬きをする。

「この陸奥殿――いや、金之助殿は……
 どう見ても、まだ幼い」
言葉は穏やかだが、遠慮はない。

 清十郎は続ける。
「それほどの年齢で、なぜこの戦いに身を投じているのですか。
 そして――」

 一度、呼吸を整える。
「あなたの“強さの質”が、他の方々と違うように思える」

 鉄之介が眉を上げる。
「質?」

 清十郎は頷いた。
「すべてをなぎ倒す鉄之介殿のような剛腕をお持ちのようではない。
 忠壽殿のように武の道を長年積んだ重さとも違う。
 ましてや、私の剣筋に似た系統でもない」

 金之助を見つめたまま、清十郎の声だけが淡々と、しかし確かに場を掴んでいく。

「それでもあなたは、あの場で“誰より早く状況を捉え”、誰より先に“躊躇なく踏み込もうとしていた”」

 金之助は、少しだけ目を伏せた。

「……子供が、ここにいてはならぬ、と言いたいわけではないのです」
清十郎がすぐ補う。

「ただ、理由を知りたい。
 私は、あなたを見誤りたくない」
その言い方は、どこまでも真っ直ぐで、金之助の胸に落ちた。

 金之助は、困ったように笑う。
けれどその笑みは、誤魔化しじゃない。
「……そう見えますか」

 清十郎は迷いなく頷く。
「ええ。
 戦場の空気を知る者ほど、幼さは隠せぬものです」

 金之助は一度、懐に手を入れた。
辰の珠がある場所。
そこを確かめる仕草が、癖みたいに自然で。

「俺も、自分がこんなとこにいるの、不思議に思うことがあります」
 言葉は柔らかい。

 けれど、芯は折れていない。
「ただ……逃げたくないんです。
 目の前で誰かが折れるの、見たくない」
 清十郎の瞳がわずかに揺れる。

 その返答は、剣の理屈じゃない。
けれど、武士の心に近い。

「……なるほど」
清十郎はゆっくり息を吐いた。

 金之助は続ける。
「俺が強いかどうかは、わかりません。
 でも、珠が“こうしろ”って言うときがある。
 ……いや、言葉じゃなくて、もっと奥で、勝手に身体が動く感じです」

 鉄之介が鼻で笑う。
「お前、ほんと不思議なやつだよな。
 ガキのくせに、腹の座り方だけは一丁前だ」

「鉄之介」
忠壽がたしなめるが、鉄之介は悪びれない。

「いや、褒めてんだよ」
金之助は少し照れて、首の後ろを掻いた。

 清十郎は、そのやり取りを見ながらも、目線はずっと金之助に置いている。
「……あなたは、恐れていないのですか」

 金之助は首を傾げる。
「怖いですよ。
 そりゃ、俺だって生きていたい」

 でも、と言って顔を上げる。
「怖いからこそ、誰かの怖さもわかるんです。
 ……だから、そこに手を伸ばしたくなる」

 清十郎は、静かに頷いた。
その表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「あなたは、戦いのためにここにいるのではないのですね」

「はい。じいさまに言われたように
 珠を守って、もういちど封印するためです」
短い返答。

 だが迷いのない声。
清十郎は目を閉じ、一拍置いた。
 胸の奥で、寅の鼓動がまだ生きている。

 その鼓動が、いま聞いた言葉と重なったように感じた。
「……よくわかりました」

 そして、改めて金之助に向き直る。
「幼さは、弱さではない。
 あなたの“質の違い”は、恐らくそこにあるのでしょう」
金之助が少し驚いた顔をする。

 清十郎は淡く笑う。
「戦場で、いちばん強いのは
 “剣の腕”ではなく、
 折れぬ心を持った者だ」

 その言葉に、金之助はふっと目を細めた。
「……清十郎さんって、やっぱり変な人ですね」

「そうですか」
「はい。
 でも、嬉しいです」

 その場に、すこしだけ温い空気が戻る。

 清十郎は次に、忠壽とお菊へ視線を移した。
「……もうひとつ、よろしいか。
 あなた方は、私に“封印に力を貸せ”と言った。
 ならば、次は私の番です」

 静かな声が、場に芯を通す。
「私は、あなた方の目的だけでなく、
 “敵の狙い”と“この先の道”を知りたい。
 ……教えてください。
 私は、仲間としてそれを受け止める覚悟があります」

 忠壽が、ゆっくりと頷いた。
お菊もまた、眼差しの奥で、清十郎という器の大きさを測り終えたように見えた。
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「影武者が、本物を超えてしまった——」 百姓の男が“信長”を演じ続けた。 やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。 貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。 戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。 炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。 家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。 偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。 「俺が、信長だ」 虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。 時は戦国。 貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。 そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。 その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。 歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。 (このドラマは史実を基にしたフィクションです)

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

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