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第八章 死神の逡巡
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夜。ビルの屋上。
冷たい風がコートの裾をはためかせる中、烏牙はひとり佇んでいた。
片手に持つ『死者運命記録管理簿』を睨みつけるように開く。
「……書き換わってない、か」
紙面には相変わらず、“安曇遥、死亡予定日──未達成”の文字。
「……いや、待て。達成って何だ。そもそも、この形式がもうおかしい」
ページをめくっては戻し、まためくっては眉をひそめる。
「“運命が歪んだ”? 歪むってどういう状態? 運命が一本道じゃないなら、分岐はどう記録する?」
烏牙は記録簿を机に叩きつけて、叫びそうになるのを必死にこらえた。
「……そもそも、運命って!? 何を基準に“正しい”とする!? 誰が決めた!? 上司か!? 管理局か!? それとも、この本か!? そいつら何様だ!?」
ひとしきり暴れたあと、膝を抱えてしゃがみこむ。
「記憶が戻ったら、碧人はまた彼女を殺すのか……? だとしたら、今彼女が笑っているこの日々は“間違い”なのか……?」
無風のビル風に煽られ、ノートが数ページぱらぱらと捲れる。
「……いやいや、ちょっと待て。そもそも私が“整えた”せいで事故ったのに、それを正すって……もはや原状回復という名のさらなる改変では?」
誰にも聞かれていないのをいいことに、烏牙は両手で頭を抱えながらごろりと寝転んだ。
「もう訳が分からない……私は死神。任務は“死を導くこと”。でも、間違った運命から人を救ってはいけないなんて、誰が決めた……いや、だからそれが問題じゃないのか!」
ビルの縁に並べておいた空き缶がひとつ、微妙に傾いていた。
すぐさま起き上がり、しゃがみこみ、真っ直ぐに整える。
「よし。……これだけは……」
そしてふと。
缶を並べながら、自分でも気づかぬ小さな微笑みが、烏牙の口元に浮かんでいた。
*
薄暗い部屋の中、碧人は夢の中にいた。
いつもと同じ、湿った空気、冷たい床。 だが今回は、違った。
目の前に誰かが倒れている。 髪が濡れて、顔の見えないその人物の体に、自分の手が伸びる。
(愛しい)
そう思った。
(でも、違う……これじゃない……)
囁くように、夢の中の自分が呟いた。
──そして目が覚めた。
碧人はしばらく天井を見上げたまま動けなかった。 全身に薄く汗をかき、喉が乾いていた。
(夢に出てきたあの人……誰だったんだろう。あれは……死体?)
自分の手の感触が妙に生々しく思い出された。
その午後、碧人は遥に連絡を取った。
「急だけど、今夜会えますか? 少しだけ、話したい」
*
合流したのは、静かな図書館の裏手にある小さなカフェだった。
「……変な夢を見たんです」
彼はカップを両手で包むように持ちながら話し始めた。
「冷たい場所に誰かが倒れていて、僕がその人に触れていた。 懐かしくて、でも……違うって、心のどこかが言っていて」
遥は黙って聞いていた。
「……それ、怖くなかった?」
「不思議と……怖いとは違う感情でした。むしろ……恋しさ?みたいな……」
碧人の瞳は真っ直ぐだった。 だがその言葉が、遥の胸に小さな棘のように刺さった。
「夢の中のその人は、私……じゃなかったです?」
気づけば、そう訊いていた。
碧人は驚いたように遥を見て、そして微笑んだ。
「違います。でも……遥さんを見たとき、心が落ち着くのは、きっと何か繋がりがあるんじゃないかって思ってます」
遥は曖昧に笑いながら、心の奥でざわつくものを感じていた。
碧人の夢に現れる“誰か”。
──それが、彼の記憶の扉を叩いている。
死神の言葉が、また胸の奥で静かに鳴り始めていた。
冷たい風がコートの裾をはためかせる中、烏牙はひとり佇んでいた。
片手に持つ『死者運命記録管理簿』を睨みつけるように開く。
「……書き換わってない、か」
紙面には相変わらず、“安曇遥、死亡予定日──未達成”の文字。
「……いや、待て。達成って何だ。そもそも、この形式がもうおかしい」
ページをめくっては戻し、まためくっては眉をひそめる。
「“運命が歪んだ”? 歪むってどういう状態? 運命が一本道じゃないなら、分岐はどう記録する?」
烏牙は記録簿を机に叩きつけて、叫びそうになるのを必死にこらえた。
「……そもそも、運命って!? 何を基準に“正しい”とする!? 誰が決めた!? 上司か!? 管理局か!? それとも、この本か!? そいつら何様だ!?」
ひとしきり暴れたあと、膝を抱えてしゃがみこむ。
「記憶が戻ったら、碧人はまた彼女を殺すのか……? だとしたら、今彼女が笑っているこの日々は“間違い”なのか……?」
無風のビル風に煽られ、ノートが数ページぱらぱらと捲れる。
「……いやいや、ちょっと待て。そもそも私が“整えた”せいで事故ったのに、それを正すって……もはや原状回復という名のさらなる改変では?」
誰にも聞かれていないのをいいことに、烏牙は両手で頭を抱えながらごろりと寝転んだ。
「もう訳が分からない……私は死神。任務は“死を導くこと”。でも、間違った運命から人を救ってはいけないなんて、誰が決めた……いや、だからそれが問題じゃないのか!」
ビルの縁に並べておいた空き缶がひとつ、微妙に傾いていた。
すぐさま起き上がり、しゃがみこみ、真っ直ぐに整える。
「よし。……これだけは……」
そしてふと。
缶を並べながら、自分でも気づかぬ小さな微笑みが、烏牙の口元に浮かんでいた。
*
薄暗い部屋の中、碧人は夢の中にいた。
いつもと同じ、湿った空気、冷たい床。 だが今回は、違った。
目の前に誰かが倒れている。 髪が濡れて、顔の見えないその人物の体に、自分の手が伸びる。
(愛しい)
そう思った。
(でも、違う……これじゃない……)
囁くように、夢の中の自分が呟いた。
──そして目が覚めた。
碧人はしばらく天井を見上げたまま動けなかった。 全身に薄く汗をかき、喉が乾いていた。
(夢に出てきたあの人……誰だったんだろう。あれは……死体?)
自分の手の感触が妙に生々しく思い出された。
その午後、碧人は遥に連絡を取った。
「急だけど、今夜会えますか? 少しだけ、話したい」
*
合流したのは、静かな図書館の裏手にある小さなカフェだった。
「……変な夢を見たんです」
彼はカップを両手で包むように持ちながら話し始めた。
「冷たい場所に誰かが倒れていて、僕がその人に触れていた。 懐かしくて、でも……違うって、心のどこかが言っていて」
遥は黙って聞いていた。
「……それ、怖くなかった?」
「不思議と……怖いとは違う感情でした。むしろ……恋しさ?みたいな……」
碧人の瞳は真っ直ぐだった。 だがその言葉が、遥の胸に小さな棘のように刺さった。
「夢の中のその人は、私……じゃなかったです?」
気づけば、そう訊いていた。
碧人は驚いたように遥を見て、そして微笑んだ。
「違います。でも……遥さんを見たとき、心が落ち着くのは、きっと何か繋がりがあるんじゃないかって思ってます」
遥は曖昧に笑いながら、心の奥でざわつくものを感じていた。
碧人の夢に現れる“誰か”。
──それが、彼の記憶の扉を叩いている。
死神の言葉が、また胸の奥で静かに鳴り始めていた。
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