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第九章 信じたい影
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碧人と会うのは、もう五度目だった。
映画に、美術館に、たわいもない散歩。 どれも穏やかで、静かで、安心できる時間。
──だけど、遥はずっと不思議だった。
(……なぜ、この人は、私の手を握ろうともしないんだろう)
今までの男たちなら、二度目のデートで確実に部屋に誘っていた。 わかりやすくボディタッチを繰り返し、下心を隠す素振りすらしなかった。
遥はそれが嫌だった。最初のうちは我慢していたけれど、結局はそういう関係になって、冷めていった。
でも──碧人は違った。
まったく触れてこない。 食事代もきっちり割り勘で、紳士的というより、どこか線引きをしているようにすら感じる。
「……つまらないと思ってるのかな、私といて」
ぽつりと呟いたその言葉に、誰も答えはくれない。
そう思う一方で、彼の誠実さが、遥の心の中で少しずつ信頼という名前の結晶に変わっていた。
(こんな人が、人を殺すなんて──)
公園のベンチに座って、缶コーヒーを手にした。
死神・烏牙の言葉が、何度も何度も脳裏をよぎる。
「彼の記憶が戻れば、あなたを殺すかもしれない」
(それが“運命”? 本当に……?)
缶を両手で包みながら、遥は小さく首を振った。
「……そんな運命、私が信じたくない」
その時、ふいにスマホが震えた。
【碧人】「お疲れさま。今日は楽しかった。また、来週も会える?」
画面に浮かんだ言葉を見て、遥は微笑んだ。
「うん。私も楽しみ」
送信ボタンを押しながら、胸の奥にわだかまる不安に蓋をした。
信じたい。彼を。
信じていたい。たとえ、この先、すべてが裏切りだったとしても──。
*
週末、遥は小さな喫茶店の窓際で待っていた。
約束している相手は、親友・由梨の彼氏──和馬。
会うのは三度目。最初はたまたま三人で食事したとき、その次は遥の会社のバーベキューパーティに由梨と一緒に招待したとき。
時間ぴったりに、少しラフなジャケット姿で現れた和馬は、椅子に腰を下ろすと、すぐに真剣な表情になった。
「突然呼び出してごめんね。……本題だけ言う」
遥は黙って頷いた。
「由梨の様子、最近どう?」
「……実は、1ヶ月くらい前に会ったきり。 最近はLINEも返事が短くて……。和馬さんは?」
「僕もだよ。……たまに一緒にいても、話しかけても、ぼんやりしてる時間が明らかに増えてて」
和馬は深く息を吐き、声を潜めた。
「正直に言う。あの子……ちょっと、危ないかもしれない」
遥の心臓が小さく跳ねた。
「危ない、って……?」
「部屋に引きこもってる日が続いたと思ったら、急に明るく振る舞ったり。職場ではモンスターペアレントに悩まされてるみたいだけど、話題にしようとすると笑って誤魔化す。 由梨、最近“嘘の笑い方”をするようになったんだ」
遥はその言葉に、自分も感じていた違和感が蘇ってきた。
(由梨……私の前でも、ああいう笑い方してた)
「ちょっと前、僕に“死んだら楽かな”って呟いたんだ」
和馬の声は震えていた。
遥は言葉を失った。
カップのコーヒーから立ち上る湯気が、ひどく冷たく感じた。
「……どうしよう」
そう呟いた遥の頬に、ひとすじの汗が伝った。
*
夜。部屋の明かりを落としたまま、遥はスマホを握りしめていた。
由梨の番号をタップする指が、少しだけ震えていた。
──プルル……プルル……。
「……もしもし?」
聞こえた声は、いつもの由梨の明るさとは違って、どこか乾いていた。
「由梨? 私、遥……。元気、してる?」
「……うん。まあ、それなりに」
「今度さ、会わない? 久しぶりにさ、ふたりでお茶でも」
少し間が空いて、由梨の返事が返ってくる。
「……ごめん。ちょっと無理かも。忙しいし」
「そんなこと言わないで。少しでも……ほんの少しだけでもいいから」
「……だから無理だって言ってるでしょ」
由梨の声が少し強くなった。
「ねえ、何かあったんでしょ? 和馬さんから聞いたよ。最近、調子悪いって……。私、心配なんだよ」
「心配って……私の何を知ってるの? 職場のこと? モンペのこと? 何も知らないのに、勝手に心配しないでよ!」
「でも、私は──」
「もういい!!」
ブツッ。
一方的に切られた通話音に、遥はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
画面が暗転し、自分の映った顔が青白く映る。
(……どうしよう)
そのとき、スマホが震えた。
【碧人】「こんばんは。今日の夕焼け、すごくきれいだったよ。見た?」
遥は震える手で返信を打とうとした。
「うん、ちょっとだけね。いい色だった」
数秒後、碧人からすぐに返事が来た。
「なんか……今、まずかった? それとも元気ない?」
一瞬、遥の手が止まる。
(……ダメだ、隠しても伝わっちゃう)
「大丈夫だよ。疲れてるだけ」
そう送った直後、自分の嘘に胸が痛んだ。
数秒後、碧人からまたメッセージ。
「無理してない? 今日、話せるなら聞くよ」
遥はしばらく悩んだ末に、ついに打ち込んだ。
「実は……由梨とさっき電話して。すごく拒絶されて、話も聞いてもらえなかった。心配でたまらないのに、何もできなくて……」
碧人の返信は、しばらくして届いた。
「今度、彼女のところへ一緒に行こう。ひとりで抱えないで」
その言葉に、胸がじんと熱くなる。
「今週の木曜日なら時間あるよ。それじゃ遅いかな?」
(甘えてる……分かってる。でも……今は、少しだけ……)
遥は返信を打った。
「ううん、ありがとう。じゃあ、木曜日にお願い」
映画に、美術館に、たわいもない散歩。 どれも穏やかで、静かで、安心できる時間。
──だけど、遥はずっと不思議だった。
(……なぜ、この人は、私の手を握ろうともしないんだろう)
今までの男たちなら、二度目のデートで確実に部屋に誘っていた。 わかりやすくボディタッチを繰り返し、下心を隠す素振りすらしなかった。
遥はそれが嫌だった。最初のうちは我慢していたけれど、結局はそういう関係になって、冷めていった。
でも──碧人は違った。
まったく触れてこない。 食事代もきっちり割り勘で、紳士的というより、どこか線引きをしているようにすら感じる。
「……つまらないと思ってるのかな、私といて」
ぽつりと呟いたその言葉に、誰も答えはくれない。
そう思う一方で、彼の誠実さが、遥の心の中で少しずつ信頼という名前の結晶に変わっていた。
(こんな人が、人を殺すなんて──)
公園のベンチに座って、缶コーヒーを手にした。
死神・烏牙の言葉が、何度も何度も脳裏をよぎる。
「彼の記憶が戻れば、あなたを殺すかもしれない」
(それが“運命”? 本当に……?)
缶を両手で包みながら、遥は小さく首を振った。
「……そんな運命、私が信じたくない」
その時、ふいにスマホが震えた。
【碧人】「お疲れさま。今日は楽しかった。また、来週も会える?」
画面に浮かんだ言葉を見て、遥は微笑んだ。
「うん。私も楽しみ」
送信ボタンを押しながら、胸の奥にわだかまる不安に蓋をした。
信じたい。彼を。
信じていたい。たとえ、この先、すべてが裏切りだったとしても──。
*
週末、遥は小さな喫茶店の窓際で待っていた。
約束している相手は、親友・由梨の彼氏──和馬。
会うのは三度目。最初はたまたま三人で食事したとき、その次は遥の会社のバーベキューパーティに由梨と一緒に招待したとき。
時間ぴったりに、少しラフなジャケット姿で現れた和馬は、椅子に腰を下ろすと、すぐに真剣な表情になった。
「突然呼び出してごめんね。……本題だけ言う」
遥は黙って頷いた。
「由梨の様子、最近どう?」
「……実は、1ヶ月くらい前に会ったきり。 最近はLINEも返事が短くて……。和馬さんは?」
「僕もだよ。……たまに一緒にいても、話しかけても、ぼんやりしてる時間が明らかに増えてて」
和馬は深く息を吐き、声を潜めた。
「正直に言う。あの子……ちょっと、危ないかもしれない」
遥の心臓が小さく跳ねた。
「危ない、って……?」
「部屋に引きこもってる日が続いたと思ったら、急に明るく振る舞ったり。職場ではモンスターペアレントに悩まされてるみたいだけど、話題にしようとすると笑って誤魔化す。 由梨、最近“嘘の笑い方”をするようになったんだ」
遥はその言葉に、自分も感じていた違和感が蘇ってきた。
(由梨……私の前でも、ああいう笑い方してた)
「ちょっと前、僕に“死んだら楽かな”って呟いたんだ」
和馬の声は震えていた。
遥は言葉を失った。
カップのコーヒーから立ち上る湯気が、ひどく冷たく感じた。
「……どうしよう」
そう呟いた遥の頬に、ひとすじの汗が伝った。
*
夜。部屋の明かりを落としたまま、遥はスマホを握りしめていた。
由梨の番号をタップする指が、少しだけ震えていた。
──プルル……プルル……。
「……もしもし?」
聞こえた声は、いつもの由梨の明るさとは違って、どこか乾いていた。
「由梨? 私、遥……。元気、してる?」
「……うん。まあ、それなりに」
「今度さ、会わない? 久しぶりにさ、ふたりでお茶でも」
少し間が空いて、由梨の返事が返ってくる。
「……ごめん。ちょっと無理かも。忙しいし」
「そんなこと言わないで。少しでも……ほんの少しだけでもいいから」
「……だから無理だって言ってるでしょ」
由梨の声が少し強くなった。
「ねえ、何かあったんでしょ? 和馬さんから聞いたよ。最近、調子悪いって……。私、心配なんだよ」
「心配って……私の何を知ってるの? 職場のこと? モンペのこと? 何も知らないのに、勝手に心配しないでよ!」
「でも、私は──」
「もういい!!」
ブツッ。
一方的に切られた通話音に、遥はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
画面が暗転し、自分の映った顔が青白く映る。
(……どうしよう)
そのとき、スマホが震えた。
【碧人】「こんばんは。今日の夕焼け、すごくきれいだったよ。見た?」
遥は震える手で返信を打とうとした。
「うん、ちょっとだけね。いい色だった」
数秒後、碧人からすぐに返事が来た。
「なんか……今、まずかった? それとも元気ない?」
一瞬、遥の手が止まる。
(……ダメだ、隠しても伝わっちゃう)
「大丈夫だよ。疲れてるだけ」
そう送った直後、自分の嘘に胸が痛んだ。
数秒後、碧人からまたメッセージ。
「無理してない? 今日、話せるなら聞くよ」
遥はしばらく悩んだ末に、ついに打ち込んだ。
「実は……由梨とさっき電話して。すごく拒絶されて、話も聞いてもらえなかった。心配でたまらないのに、何もできなくて……」
碧人の返信は、しばらくして届いた。
「今度、彼女のところへ一緒に行こう。ひとりで抱えないで」
その言葉に、胸がじんと熱くなる。
「今週の木曜日なら時間あるよ。それじゃ遅いかな?」
(甘えてる……分かってる。でも……今は、少しだけ……)
遥は返信を打った。
「ううん、ありがとう。じゃあ、木曜日にお願い」
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