死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第十章 揺らぐ信頼の距離

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三日後、遥の家の前に トヨタ ヤリス が停まった。
マンションのエントランスから出た彼女は、一瞬その車を見て立ち止まった。
(えっ……車?)
運転席の窓がスッと下がり、碧人の穏やかな笑顔が覗く。
「おはよう。寒くなってきたね」
「……おはよう。これ……」
「うん。レンタカー。電車だと乗り換えも多いし、由梨さんの家、ちょっと遠いでしょ?」
遥は一瞬戸惑ったまま、それでも頷いて助手席に乗り込んだ。

車内にはほのかなシトラス系の芳香剤の香りと、碧人の落ち着いた気配が漂っていた。
都心から八王子へ向かう道のりは、思った以上に長かった。 カーナビが示す道を進みながら、碧人はときおり優しく話しかけてくる。
「高校の頃は、どんな子だったの? 由梨さんと」
「うーん……目立たないグループだったけど、笑いのツボが似ててね。いつも一緒にいた」
そんな会話を重ねながらも、遥の心の中には別の感情が芽生えていた。
(……なんで、こんなに安心できるんだろう)
何気ない雑談。穏やかな運転。緊張感のない沈黙すら心地よい。
(ほんの数ヶ月前まで、この人は“私を殺す運命の人”だったはずなのに……)
信じている。
完全に、無防備に。
助手席にいる自分が、こうも自然に彼を受け入れていることが、ふと怖くなった。
(私……何を信じてるの? 記憶を失ってる“今の彼”? それとも、変わった“運命”?)
そして、心の奥でふいに浮かんだもうひとつの問い。
(……そもそも、本当に“あの人”の言ってたことは正しかったの?)
“あなたはこの男に殺される運命です”
そう言い切った死神。
けれど──こんなにも人の痛みに寄り添い、友人のことを心配してくれる彼が、そんなことをするようには思えなかった。
(あれは、ただの妄言……? それとも、まだ見えてない何かがあるの?)
そんな遥の内心を知ってか知らずか、碧人がふと口を開いた。
「何かあったら、すぐに言って。僕は味方だから」
その言葉に、遥はこくんと小さく頷いた。
信じたい、信じていたい。
でも、その感情がどこから来るのか──自分でも、まだ分からなかった。

ーその頃
烏牙は遠くからその車を見下ろしていた。
屋上のフェンス越しに、遠ざかる車のテールランプをじっと睨みつけるように見つめる。
(……なにをしている、私は)
遥と碧人のやり取りを何度も観察してきた。
それなのに──どうして、彼女と“あの男”が親しげに笑い合っているのを見て、こんなにも胸がざわつくのか。
(彼女を殺させたいのか? それが本当に“私の仕事”なのか?)
本来なら、冷静に記録通りの運命へ導くのが任務だ。 けれど、遥と会話を重ねるうちに、彼女の素直な言葉と瞳が、烏牙の中で何かを崩していた。
(近づきすぎた……私は)
忠告はした。運命も伝えた。
それなのに──彼女は碧人と、まるで恋人のようにふるまっている。
「……どうして、そうなる……っ」
誰にも届かぬ声を吐き捨て、烏牙は拳を握った。
このままいけば、運命通り彼女は碧人に殺される。
──それでいいのか?
それで“完了”になるのか?
(いや、私は……それを望んでいるのか?)
風が冷たく頬を撫でる。
烏牙は空を見上げた。
答えのない問いが、胸の奥で渦を巻いたまま、消えていかなかった。


やがて車は、八王子の閑静な住宅街の一角に差し掛かった。
どこか寂しげな並木道を抜け、古びた二階建てのアパートの前で、碧人は静かに車を停める。
一人の男性がその前に立っていた。
コートのポケットに両手を突っ込み、落ち着かない足取りで地面を蹴るようにしていたのは、和馬だった。
遥は助手席のドアを開け、慌てて降りて手を振る。

「和馬さん!」
彼はホッとしたような笑みを浮かべて、すぐに歩み寄ってきた。
「来てくれてありがとう」
軽く会釈を交わしたあと、遥は少し戸惑いながら碧人の方を振り返る。
紹介するべきなのに、言葉が詰まる。
「こちら、碧人さん。えっと……その……」
“彼氏”とは言えない。
“知り合い”にしては、信頼しすぎている。
どんな言葉を選んでも、今のこの関係性にはフィットしない。
碧人はそんな彼女の逡巡を感じ取ってか、淡く微笑みながら自ら名乗った。
「初めまして。彼女の友人の……碧人と申します」
和馬はわずかに眉をひそめながらも、礼儀正しく頷いた。

「……三日前から、幼稚園には出てないんです。休むって連絡もなくて、昨日からは完全に連絡が取れません。でも、夜には電気が点いてて……たぶん、家の中にいると思うんですが」
言いながらも、和馬の目は不安と焦りで濁っていた。
沈黙が流れる。
「行ってみましょう」
遥が小さく呟き、三人は無言でアパートの外階段を上った。
鉄製の階段がギシギシと軋むたび、胸の奥に冷たい不安が沈んでいく。
2階の一番奥──由梨の部屋の前に立つと、誰もが言葉を失った。
遥がチャイムのボタンに手を伸ばし、指先を震わせながら押す。
チン……。
簡素なチャイムの音が、ひどく冷たく空気に溶けた。
何秒経っても、返事はない。
ドアの向こうに気配は感じられず、それでも遥の胸は、妙な確信でざわついていた。
(いる……絶対に、中にいる……)

屋根の上に、黒いコートをまとった細身の影が立っていた。
烏牙──死神は、無表情でその光景を見下ろしていた。
しかし、心の中ではざわめきが止まらなかった。
(まさか……こんなにも早く……)
この場に彼女──遥がいることが、まず間違いだった。 本来、死神の視点からすれば、“予定された死”には関係者が介入しないのが通例だ。
だが今、彼女は“誰かを救おうとしている”。
彼女の選択が、新たな運命の分岐点を生みかねない。
(もし、この中で何か起きたら……その死は私の担当になるか?)
冷たい風が、彼の前髪を乱す。
唇を引き結びながら、烏牙はその場に腰を下ろした。
これ以上、運命が壊れるわけにはいかない。 だが──
(……本当に、そうだろうか?)
彼の脳裏に、遥の顔が浮かぶ。
自分の言葉を信じようとしてくれた、けれど信じきれず揺れているあの表情。
彼女のその曖昧な迷いが、なぜか彼の心を掴んで離さない。
(どうして私は──こんなにも彼女たちを見届けたくなっている?)
死神の視線の先で、遥がもう一度チャイムを押した。
ドアの内側から──カタン、と何かが倒れる音が微かに響いた。
三人が顔を見合わせた刹那、烏牙の背筋がゾクリと震える。
その音には、明らかに“生きている気配”があった。


「いたのか、烏牙」
突然、屋根の反対側から聞こえた低い声に、烏牙はハッとして振り返った。
そこには、自分と同じ黒衣をまとった男──もう一人の死神が立っていた。 身長はやや低く、目元には眠たげな影。だがその瞳は鋭く、状況を見抜くような静けさをたたえていた。
「……何をしている」
「俺か? 待機中だよ。あの部屋の女、境界にいる。生と死の狭間だ」
烏牙はわずかに目を見開いた。
「つまり……まだ、運命は決まっていないのか?」
「いや、決まっている。だが“いつ”死ぬかは、別の話だ」
その言葉は、まるで曖昧な詩のようだった。
「お前もそうだろ? 君の担当も“死ぬ”と決まっている。でも、過程とその時刻には変数がある」
烏牙は黙り込んだ。
確かに、死神としての業務では“結果”は不変だ。だがそこに至るまでの“道”が、幾つも存在することは、彼自身も知っている。
「……その死、今日なのか?」
「それは彼女と、そしてお前たち次第だな」
もう一人の死神は、屋根の縁に腰を下ろし、飄々とした様子で足をぶらつかせながら下界を眺めた。
「まったく……俺はこの寒い中、ただ待ってるだけなんだよ。お前がしくじるから、こっちは呼ばれるんだ」
皮肉を含んだ笑みに、烏牙は答えなかった。 その視線は再び、由梨の部屋の前で戸惑う遥たちへと向けられていた。
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