死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第十五章 暴かれる監視

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碧人は、静かな夜道を歩いていた。遥の話を聞いてからというもの、頭の中が騒がしくて眠れなかった。
(岡部……遥の職場の上司)
あの事故の直前、遥が感じていた「誰かの気配」は、あの男のものだったのかもしれない。碧人の中で、過去に抱いた「観察する快感」がわずかに目を覚ます。
(同じ“観察者”の視線には……覚えがある)
翌朝、碧人は遥には何も告げず、彼女の職場近くに足を運んだ。
スーツ姿の人々が行き交う中、食品メーカーのビルの出入り口を遠巻きに眺める。やがて、見覚えのある男が姿を現した。

岡部。40代前半。爽やかさと穏やかさを兼ね備えた雰囲気。だがその目には、微かに狂気の匂いがあった。
(……優しさは、仮面だ)
岡部は足早に歩き、近くのビルの裏手――ゴミ置き場の横に消えた。
碧人は距離を保ちながら尾行する。やがて岡部は古びたマンションの一室へと入っていった。
碧人は入口の表札を確認する。名字は出ていない。郵便受けにはシールが貼られ、中が見えないようになっていた。
(間違いない。この男、何かを隠してる)
その日の夜、碧人は自分でも驚くほど冷静だった。ゴミ捨て場の回収時間を調べ、タイミングを見計らってマンションのゴミ袋のひとつを持ち帰った。
中には、奇妙なものが混じっていた。

・レシートの束――遥の最寄り駅近くのコンビニ
・使用済みのマスク――女性用サイズ
・破られたメモ用紙の断片──
 「いつも見ているよ」
 「君が笑ってくれるだけでいい」
そして――小型カメラのパッケージ。

碧人の指が止まった。
(……これは、遥の部屋に……?)
彼の中で、冷たい何かが広がっていく。
(このままじゃ、遥が壊される)
翌朝、碧人は遥の部屋のドア付近、エアコンダクト、観葉植物の裏、照明のカバー――ありとあらゆる箇所を丹念に調べた。
そして、観葉植物の鉢裏に――極小のカメラを発見する。
「……やはり」
誰が設置したかなど、もはや明白だった。


遥が仕事から帰宅したとき、碧人は穏やかな表情で迎えながら、ひとつだけ尋ねた。
「……遥。最近、部屋の中で誰かに見られてるような気がしたこと、ない?」
遥は一瞬、動きを止めた。
「……ある。けど、あれは……ただの思い過ごしだと思ってた」
碧人は、カメラを包んだハンカチを差し出した。
遥は最初、それが何か分からなかった。ただ、碧人の視線の真剣さに、じわじわと胸が締め付けられていく。

「これ、君の部屋の観葉植物の鉢の裏から見つけた」
「……っ」
頭が真っ白になった。
「……ちょっと、待って、それ……うそ……うそでしょ?」
声が震える。視界がにじむ。足元が崩れるような錯覚に襲われた。
「……見られてたってこと? ずっと? 私が、ひとりで……」
遥の手がわなわなと震え、身体ごと崩れ落ちそうになった瞬間――
「いや、これはごく最近仕掛けられたようだ。以前からではない、新しいんだ。」
遥の気を静めようと言った。
「でも、じゃあ、いつから?」
声が大きくなる。
「……遥」
碧人が支えるように肩を抱いた。遥はその腕の中にすがるように身を寄せた。
「いや……いや……そんなの、気持ち悪い……無理……!」
呼吸が乱れる。涙がこぼれる。顔を押し付けるようにして碧人の胸元にしがみつく。
「こわい……! 私、部屋で普通に……服も……寝てるときも……」
碧人は強く抱きしめ返した。
「大丈夫。もう見させない。絶対に守る。君に触れさせたりしない」
遥はその言葉に、涙を流しながら何度も小さくうなずいた。
彼の腕の中だけが、唯一の逃げ場だった。
(お願い……どうか、壊れても、離れないで……)


夜の静寂。遥はベッドに膝を抱えて座っていた。
シャワーを浴びたあとも、まだ全身が震えていた。タオルの感触すら、誰かの視線が残っている気がしてならなかった。
(……盗撮されてた。全部……見られてた)
着替えたときも。眠っていたときも。笑っていたときも。泣いていたときも。
それを思うだけで、吐き気がした。

「遥」
そっと声をかけた碧人が、マグカップを手にしてそばに座る。
「少し、落ち着いた?」
遥は、かすかに首を振った。
「……まだ、怖い。さっきも……電気を消したら、どこかに誰かがいる気がして……」
碧人は静かに頷くと、マグカップをテーブルに置いた。
「君が話してくれた“岡部”のこと、調べた」
「え……」
「彼の住んでるマンション、部屋番号、職場の出退勤の時間。全部、把握した。今日、後をつけて確認した」
遥の心臓が跳ねた。
「……まって、そんなこと……危ないよ……」
「君に何かあるほうが、よっぽど危ない」
碧人の声は穏やかだった。けれど、その奥に沈んだ音があった。

窓の外で風がざわめいていた。閉じたカーテンが微かに揺れるたび、遥の心もざわつく。
部屋は明るく、静かだったはずなのに――視線の痕跡が、まだどこかに残っているようで落ち着かない。
「遥に話したいことがあるんだ」
そう切り出した碧人の声は、驚くほど静かだった。
遥はベッドに座ったまま顔を向ける。彼はソファの端に腰を下ろし、カップを手にしていたが、その視線は自分の指先に落ちていた。

「最近……変なんだ」
「変?」
「夢を見るんだ。夜になると、知らない部屋の匂いがして、誰かを抱きしめている感覚があって……でも、起きたら何も覚えてない。ただ……胸がざわざわしてる」
「……怖い夢?」
「怖いっていうのと、ちょっと違う。……居心地がいいような、でも、気持ち悪いような」
碧人の言葉は途切れがちで、思い出すたびに自分でも意味が分からないように見えた。
「自分じゃない誰かを生きてる気がするんだ。目が覚めても、“俺ってこんな人間だったっけ”って……そんな気がすることが、最近すごく多くて」
遥は息を止めた。
「“こんな人間”って……どういう意味?」
碧人は一度、静かに目を閉じた。沈黙の間、その肩がごく微かに震えていた。

「……わからない。わからないけど……なんか、自分の中に“何か”がいる気がして。ずっと黙ってて、奥でじっとこっちを見てるような……欲しがってるような、そんな感覚がする」
遥は思わず彼の手を握った。その手は冷たかった。
「……それって、きっと事故のせいだよ。記憶の断片が混ざって、夢と現実がぐちゃぐちゃになってるだけだよ」
碧人は小さく首を振った。
「でもね……もし、それが“本当の俺”だったとしたら? もし、俺が“何かを欲してた”人間だったら……。遥を見ていて、知らないうちに、手を伸ばしてしまいそうになったら……」
遥の心臓がきゅっと音を立てた。
「……そしたら、私はちゃんと止めるよ。あなたの手を握って、ちゃんと戻してあげる」
碧人は俯いたまま、少しだけ息を吐いた。

「君にそう言われると、信じたくなるんだよ……“戻れるかもしれない”って」
彼の手を包むようにして、遥はそっと囁いた。
「大丈夫。あなたは、いまここにいる。ちゃんと、ここにいるよ」
そう言いながらも、遥の声は少し震えていた。怖かった。彼の中に蠢く“何か”が、自分を飲み込む日が来るかもしれない――そんな未来が、確かに想像できてしまうから。
けれど同時に、遥は思っていた。
(私が離れたら、この人は壊れる。壊れて、誰かを壊す側に戻ってしまう)
だったら、怖くても傍にいよう。たとえ、この手が喉元に伸びるその瞬間まで。

―深夜
碧人は立ち上がった。引き出しから手袋と小さな工具ポーチを取り出すと、音を立てないように玄関を出た。
向かった先は、岡部のマンションだった。


ビルの屋上。風に翻る黒い外套が、夜気に溶けていた。
烏牙は、遠く下のマンションを見下ろしていた。フェンス越しに視線を走らせるその目は、暗闇の中にただ一人、迷いなく進む男――如月碧人を捉えていた。
(……来たか)
手には懐中時計。秒針の律動に合わせて、死の軌道がぶれないかを観測している。
(本来、私の担当ではない。だが“彼の死”と“彼によって死ぬ予定の者”が交差した今、こうして監視が必要とされた)
碧人は、マンションのゴミ置き場で何かを拾い上げ、顔を曇らせる。
(表情が変わった。怒りか、憎悪か。……いや、“正義”のつもりか)
死神は、対象者以外に干渉はできない。姿も、声も、届かない。
それでも、烏牙は息を飲んだ。
碧人の手がポケットに伸びたとき――そこに何を握っているか、彼はすでに予測していた。
(彼が手をかければ、運命は“元の流れ”に戻る)
(だがもし、止まるなら――)
懐中時計の針が、止まりかけていた。
(……選べ、如月碧人。私には届かぬその手で、“誰を救い、誰を壊す”のか)
ビルの上で、烏牙の目だけが、わずかに揺れた。
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