死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第二十三章 薄皮の下の檻

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金属音とともに、チェーンをかけたまま、玄関のドアを数センチ開けた。
ドアの向こう、岡部が立っていた。
白シャツに細身のパンツ。髪型も整っている。
どこからどう見ても“普通の人”の外見だった。

「遥ちゃん……無事だったんだね」
やさしく笑うその目に、遥は言いようのない違和感を覚えた。
「心配だったよ。職場にも来ないし、連絡も取れないし。
……ここがわかって、ごめん。でも、君のこと放っておけなかった」
(どうしてここがわかるの)
遥は喉までこみ上げてくる疑問を、声にできなかった。
「大丈夫? 中に入って話してもいい?」
その一言に、背中がぴんと緊張した。
遥は首を横に振る。
チェーンが遮っているとはいえ、この距離は近すぎる。
「碧人が、君を殺すかもしれないって、ずっと思ってた。
僕ね、……君の家の前、何日も様子を見てたんだ」
(やっぱり……)
その言葉で、背中に冷たいものが走った。
「君は誰かに守られないとだめだ。
あんな奴から君を救えるのは、僕だけなんだよ」
声が、やさしいのに熱すぎた。

(この人……変わってない。むしろ、悪化してる)
遥は震える声で言った。
「帰ってください。……お願い」
岡部の目がわずかに細くなった。
だが、無理やりこじ開けようとはしなかった。
それどころか、低く囁くように言う。
「君が後悔しないといいけど。
僕は、最後まで味方でいたかった」
その言葉に、寒気がした。
岡部は最後まで笑顔を崩さず、静かに踵を返して去っていった。
ドアが閉まる音がした瞬間、遥の膝が崩れ落ちた。


部屋の中に戻った遥は、ソファに倒れ込む。
(ここにいては……だめだ)
壁に耳を当てる。足音は遠ざかっていくが、いつ戻ってくるかわからない。
(碧人も、岡部も、どっちも怖い)
(でも、一番怖いのは――“ここに居続けること”)
逃げなければ。
ただの引きこもりでは、もう済まされない。
自分の命を、自分で運ばなければいけない。
遥は立ち上がり、部屋を見渡した。
鞄の中に財布、最低限の着替え、薬、身分証――。
(どこへ……)
(どこへ逃げれば、“誰のものにもならずに”済むの)


スーツケースを引きずるようにして、遥は夜の街をさまよっていた。アパートを出たものの、どこに行けばいいのか分からなかった。
ネカフェも、ホテルも、どこも人の出入りが多すぎる。
(見つかるかもしれない……また、あの目で見つめられる)
逃げ場のない恐怖に、足が自然と向かった先は――親友・由梨の家だった。
二階建ての古いアパート。その玄関の前で、遥は立ち尽くした。
(迷惑かけたくない……でも……) (助けて……ほしい……)
インターホンに指をかけたまま、何度もためらっていると――

「……え? 遥?」
買い物袋を提げた由梨が、坂の下から上がってきた。 「どうしたの? こんな時間に……顔、真っ青じゃん」
遥は小さく首を振り、かすれる声で言った。
「……ごめん、少しだけ……話、聞いて……」


由梨の部屋。湯気の立つカップを両手で包みながら、遥はぽつりぽつりと語り出した。
「……私、追われてるの。たぶん、殺されるかもしれない」
由梨の表情が凍りつく。
「碧人が……おかしくなったの。目が、冷たいの。私のこと、ずっと見てて……何を考えてるかわからないのに、全部見透かされてるような……そんな目で……」
「鍵を替えても、スマホを壊しても、来るの。見てるの。……夢でも、現実でも、もうわからない」
「信じてたのに……助けてくれた人だったのに……今は、怖い。信じられない」
「警察も、会社の人も、家族も……誰にも言えなかった。誰も信じてくれない。誰も、信じられない……」
涙が止まらず、言葉にならない声が漏れる。
由梨は何も言わず、そっと隣に座り、肩に手を置いた。 「……うちにいなよ。少し、休もう。眠って」
遥はただ、うなずくしかできなかった。

深夜1時を回った頃。
由梨の部屋は静まり返っていた。
リビングの隣、布団にくるまった遥は、ようやく浅い眠りについたようだった。
由梨はそっとスマホを手に取り、寝室のドアを閉めると、廊下の窓際へ移動した。
小さな声で、恋人・和馬に電話をかける。
「……もしもし、遅くにごめん。ちょっと、相談したいことがあって」


電話越しに和馬の声が響く。
「遥ちゃん? 急にどうしたの?」
「来たの。うちに……スーツケース抱えて。泣きながら“殺されるかもしれない”って……」
由梨の声はかすかに震えていた。
「なんかね……わたしも最初はびっくりしたんだけど、話聞いてたら……ちょっと、おかしいの。
 言ってることに筋が通ってないし、すごく怯えてるんだけど、誰のことも信用してないの。私のことさえも」
「……妄想っぽいってこと?」
「うん……わたしも昔、パニック起こしたことあったから、なんとなく分かるの。
 たぶん、精神的に限界きてる……病院、行ったほうがいいと思う」
しばらく沈黙の後、和馬が答えた。
「そっか……うん、ちょっと心配だね。
 あ、そういえば――前に会社のバーベキューに誘われたときさ、
 遥ちゃん、上司の人とすごく仲良さそうだったじゃん?」
「うん……岡部さん、って人だよね?」
「そうそう。その人、LINEまだ繋がってるんだよ。
 ちょっと連絡して、会社で最近の様子、聞いてみようか?」
「え……でも、それは……」
「大丈夫、変なことは言わないよ。あくまで“最近見かけないから心配してる”って感じで。
 由梨も何かあったら不安でしょ?」
由梨は返事をしなかった。

迷いの沈黙のまま、画面の明かりが彼女の頬を照らしていた。
その背後――扉の向こうでは、遥が浅い寝息を立てていた。
知らぬ間に、自分の意思とは違う場所で、
新たな“監視の網”が広がり始めていた。
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