死神と私と、優しい殺人鬼の想い出

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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第二十七章 決壊

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遥の震える手の中のペンダントが、微かにぬくもりを放っていた。
岡部が、ゆっくりと口角を歪めた。

「……そういえば言い忘れてたな。お前が殺した女たちの遺体、警察が見つけたよ」
その言葉に、碧人の目が僅かに揺れる。
「もう隠しようがない。お前は証拠を残しすぎた。……いや、そもそも隠す気なんてなかったのか? 本能に従って狩っただけのことだろ」
岡部の声はねちっこく、ぞっとするほど静かだった。
「お前はまたやる。遥のことも結局、獲物としか見てない。違うか?」
碧人は何も言わなかった。だが、その沈黙が何よりも遥の胸を締め付けた。
岡部は一歩、碧人に詰め寄る。
「遥は俺のものだ。お前なんかにはふさわしくない」
吐き捨てるようなその言葉に、遥は顔を上げた。
遥は顔を上げた。
 岡部と碧人の間に挟まれたまま、足がすくんで動けない。けれど、耳はその言葉を確かに捉えていた。
 ——遥は俺のものだ。
 脳内にその言葉が何度も反響する。そのたびに吐き気のような嫌悪が込み上げた。

「……わたしは……誰のものでもない……」
 声は震えていた。小さかった。でも、誰よりも自分自身にはっきりと届いていた。
 碧人が微かに目を見開いた。岡部は一瞬、眉をひそめる。
「君は錯乱してるんだ、遥ちゃん。何もわかってない……俺がずっと見守ってきた。君を守るために……」
「怖いのは、あなたのその言葉……」
 遥の唇が震えながらも言葉を吐き出す。その視線は岡部から、碧人へと移る。
 碧人は相変わらず何も言わなかった。ただ、遥を見ていた。深く、静かに。何も語らず、何も否定せず、ただその目で――。
 その目が、遥をさらに苦しめた。
 どうして何も言わないの。違うって言ってよ。私を、ただの“獲物”なんかじゃないって。

「……お願い、違うって言って……!」
 遥が叫ぶと同時に、岡部が再びナイフを握り直した。
「もういい、遥ちゃん。こんなやつに騙されるな。今ここで、終わらせる」
その空気を裂くように、岡部が動いた。 ナイフを持ったまま、遥の方へ向かってきた。
「だったら、お前ごと壊してやるよ……!」
その瞬間だった。
「遥に、指一本でも触れてみろ」
碧人の声が低く唸るように響いた。
岡部が立ち止まる。
「やっぱり、そうやって俺の邪魔をする。お前のその手は、すでに何人もの女の命を奪ってきたんだ。今さら、守るだと?」
岡部が碧人を睨みつける。
「お前の殺した女たちの遺体、全部見つかったと言ったろ。大きなニュースになってる。警察も動いてる。隠しても無駄だ。お前はまたやる……遥も、獲物としか見ていない。違うか?」
沈黙のまま、碧人は遥を見た。 その目に宿るものを、遥は読み取れなかった。
「遥は俺のものだ。お前にはふさわしくない」
岡部の叫びとともに、再びナイフが振り上げられた。
遥は思わず悲鳴をあげた。反射的に身体を後ろへ引く。
だが、次の瞬間、碧人が遥の前に飛び出していた。
鋭い金属音が響いた。碧人の腕が岡部の手首を掴んでいた。

「やめろ……遥に手を出すな」
その声は、静かだった。 怒りも、焦りも含まれていない。ただ、深い決意と絶望が滲んでいた。
岡部は目を見開いた。
「やっぱり……お前、思い出してるんだな……あの夜のことも、全部」
碧人は何も答えない。 その代わり、掴んだ手首をさらに強く握りしめた。
岡部のナイフが、ぽとりと草の上に落ちた。
「殺す気か……?」 岡部が苦しげに問うと、碧人はわずかに視線を落とし、そして言った。
「……それはお前次第だ」
だがその直後、岡部の目が鋭く光った。
「なら、こっちから答えてやるよ」
次の瞬間、岡部は足を払うように動き、碧人の体勢を崩すと、落ちていたナイフを素早く拾い上げた。
一閃。
碧人の腕に強い痛みが走り、鮮血が飛び散った。

「くっ……!」
苦悶の声と共に後退する碧人を無視し、岡部は遥の背後へ回り込む。
「動くな、遥ちゃん」
冷たい金属が頬に触れた。ナイフが遥の顔の前に突きつけられている。
「お前に遥ちゃんを殺されるくらいなら、俺がやる。……俺の獲物を奪われてたまるか」
その言葉は、これまでとは違っていた。 優しい仮面を脱ぎ捨てた、むき出しの本性。

「そうさ。俺はずっとこの女を苦しめたかったんだ。なぶり殺しにして絶望させる予定だったのに……お前が割り込んだせいで台無しだ」

遥の瞳が見開かれる。 岡部の声は、狂気そのものだった。
「お前なんかに先をこされてたまるか。遥は、俺が壊すんだ」
遥の背後から押しつけられたナイフの刃が、頬に触れるたびに冷たく震える。
岡部は遥を背後から拘束したまま、ゆっくりと語り出した。 その声は低く、どこか陶酔しているようだった。

「俺な……人生ってやつにずっと裏切られてきたんだよ」
遥も碧人も、返事をすることができなかった。岡部はそれすら気にせず、語り続ける。
「学生時代は地味でも真面目で、努力すれば報われると思ってた。目立たなくても、誠実でいれば……誰かが見てくれるって。でもどうだ? 女はチャラついた奴にばっかりなびいて、俺のことなんて誰も見向きもしなかった」
笑っている。だがその笑みは、痛々しいほどに歪んでいた。
「やっと結婚して、家庭を持てたと思ったら、妻は『こんな生活もう耐えられない』って出て行った。子どもまで連れて。俺は必死で働いてたのに……報われないなんて、おかしいだろ?」
遥の肩に、岡部の手がぎゅっと力を込める。
「会社じゃ、ミスの責任を押しつけられた。部下にも上司にも舐められて、出世の道も閉ざされた。なぁ、誰が悪い? 俺か? 違うだろ、世の中が間違ってるんだ」
声が少しずつ熱を帯びていく。
「女はな、いつだって俺を笑ってきた。内心じゃ軽蔑してるんだよ。『哀れな男』って顔で見てくるんだ。……お前もそうだったよな、遥」
遥の瞳に、明らかな恐怖が宿る。

「俺が差し出した親切も、忠告も、全部鼻で笑ってた。上司のフリしてやってたけど、心の中じゃバカにしてたんだ。そういう目、俺は見逃さない」
吐き捨てるような声。
「だからな……せめて、お前だけは俺のものにしたかった。支配して、怯えさせて、俺の“力”を思い知らせたかった。じゃなきゃ、俺の人生が報われねぇんだよ……!」
岡部の執着と被害妄想が、遥の身体を締めつけるようだった。 そしてその異常なほどの“正義感”は、自らの狂気を一切認めない、醜悪なまでの自己正当化に満ちていた。

「やっと手に入れたんだ……この瞬間を……」
岡部の声は恍惚としていた。
「お前が怯える顔を、この手で壊せる。それだけが、俺の生きてきた意味だったんだよ」
「やめて……」
遥の声はかすれていた。力も希望も、残されていない。
岡部の手が、ゆっくりと動き出す。
その刹那――。
「放せ」
低く、確かな声が響いた。
碧人だった。傷だらけの身体を引きずるように立ち上がり、再び遥と岡部の前に現れた。
「……また邪魔するのか」
岡部がナイフを握る手に力を込める。
「殺せよ。あんたの本性は、俺と同じだろ? あんたも女を殺して快楽を得てた。そんな奴が正義ヅラして俺を止めるなよ」
碧人はゆっくりと首を横に振った。

「俺は……変わったんだ」

「はあ? 変われるもんかよ、殺人鬼が!」
「過去は変えられない。でも――」
碧人の声が震えた。
「今、この瞬間の選択は……変えられる」
その言葉に、遥の心がかすかに震えた。
岡部の顔が、怒りで歪む。
「偽善者め……だったら、見せてみろよ。お前の“選択”とやらを!」
そう叫びながら、岡部は遥を盾に、ナイフを構えたまま後退し始めた。
空気が、張りつめる。
遥の頬に押し当てられたナイフの刃が、わずかに揺れた。岡部の手が興奮と緊張で震えていた。
遥の心臓は凍りついた。呼吸が浅くなり、手足の感覚が薄れていく。
「そうだ……こいつだけは、俺の手で。苦しませて、泣かせて、壊してやるって決めてた。お前が邪魔しなければ、今ごろ……」
岡部が歯を食いしばり、遥の髪に顔を近づける。
「なぁ遥、あのとき、俺の優しさに感謝したことあったか? ないよな。全部当たり前のように受け取って、心の中じゃバカにしてたんだ。だから今こうして、“教えてやってる”んだよ」
「やめて……」
遥の声はかすれて、風に溶けるほど弱々しかった。
そのときだった。

「――遥から離れろ」

低く、地を這うような声が、闇の中から響いた。
碧人が、血に染まった腕を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「また邪魔か……」
岡部が忌々しそうに吐き捨てる。
碧人は岡部を睨んだまま、一歩、また一歩と近づく。
「殺人鬼が人を助けるつもりか? お前も所詮、女を狩ることしかできない獣じゃないか」
「……その通りかもしれない」
碧人の声は静かだった。だが、その目だけは、鋭く研ぎ澄まされていた。
「でも今、目の前にいるこの女だけは――誰にも、渡さない」
その言葉に、遥の心が一瞬だけ反応する。
岡部が舌打ちし、遥をさらに強く拘束した。
「なら見せてみろよ、その覚悟を! お前がまた女を救えるなんて思うなよ! 俺はお前とは違う。俺は、この世界に復讐してんだ!」
そして、岡部がナイフを遥の喉元に押し当て――
その刹那、碧人が飛びかかった。
ナイフが閃き、血が散る。
闇夜に、悲鳴と衝突音が響いた。
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