リトルブランク

ざらべ

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矛盾②

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 放課後の瀬古は、夕方の17時になるまでひたすら残り続けている。何か用があり、それまでの時間つぶしで残っているようだ。
 だから真野は、それを利用して生徒が教室からいなくなるのを見計らった。
 やっぱり人目ってあるから、できれば皆がいないときに話しかけたい。
 しかし、この日は思いの外生徒がなかなか帰らなかったため、随分と待つ羽目になった。
 俺はてっきり、生徒は帰るか、残って勉強するか、部活に行くかのどれかだと思っていたけど、用もないのにダラダラと喋り続ける生徒がそれなりにいた。
 真野は仕方なく明日の小テストに向けて、英語の勉強をしながら時間をつぶした。
 その間、頭の片隅では瀬古に何て声を掛けようかシミュレーションしながら、ぼちぼち問題を解いた。
 そうしてようやく生徒がいなくなると、真野はテキストを閉じて帰り支度をしながら心の準備をした。そして瀬古の様子を伺いながらそっと近づいた。
 普段すぐに帰る真野は、てっきりいつものようにまた眠っているか、スマホをいじっているかのどちらかだろうと思っていた。
 しかし、意外にも彼は真面目に勉強していた。目を疑ったが、ここから見る限りでは真剣に勉強しているように見えた。だから、声を掛けるのに躊躇う気持ちが一瞬真野の胸を覗いた。

「あのー……勉強中悪いんだけどー」
「……!」

 瀬古は机に映った人影でハッと顔をあげて、瞬時に何か書いていたノートを閉じた。

「あー……。えっと、何も見てないから安心して。それに、見ていたとしても見なかったことにするから」
「…………」

 見た感じ勉強していた訳ではないようだ。一瞬ちらりと見えたが、何か絵を描いていた。何を描いていたかはわからなかったけど。

「……なに?」
「あっ、えっと、さっき佐々木が俺に声を掛けてきてさ」

 真野は緊張した胸を落ち着かせて早速本題を話し始めた。
 ガランとした教室には、運動部が乱雑に脱ぎ捨てた制服が床に落ちていたり、机と椅子に掛けられたりしていた。
 吹奏楽部のフルートとトランペットが反響し合いながら上から微かに聞こえてきた。これを聞くといつも放課後だなと思う。

「瀬古、図書委員の集会ちゃんと行きなよ」
「集会?」
「ああ、毎週水曜日に集まっているらしいから放課後少しでもいいから行った方がいいよ。みんな待っているみたいだから」

 瀬古は少し考えながら、「真野も図書委員なのか」と訊いてきた。
 俺も図書委員なら、この呼びかけは無駄じゃないが、生憎全くの無関係だ。

「おれは違うよ」
「じゃあ、なんであんたが」

 それはこっちだって聞きたい。なんで俺が橋渡ししないといけないんだろう。
 それもこれも、こいつと同室だという自分の運の悪さにつくが。

「まあ、それは色々あってな。とりあえず行けよ、絶対に」

 そう言うと、真野は瀬古の返事を待たずにさっさと去っていった。これでひとまず重要なことは言ったから何も文句は言われないはずだ。あとはもう知らない。関係ない。



 そう思っていたのに、残念ながらそれだけでは終わらなかった。いやこれを機に、味を占めて今度はあの女の取り巻きたちが話しかけてきた。
 「瀬古にこれを渡してほしい」だの「こう言ってほしい」だの最初は小さなお願いだったが、徐々に要求が強くなってきた。
 「瀬古は夜何をしているのか」「彼女はいるのか」などと全くどうでもいい内容ばかりになってきた。何より直接言えば済むことなのに、何でわざわざ俺を介して言ってくるのか、理由は明白だったけど腹が立った。
 要はみんな怖いんだ、瀬古が。真偽が不明の噂を真に受けて、怖がっている。何をされるか全くわからないから近づけない。
 転校当初から薄々醸し出していた彼に対しての「恐怖」という感情が、今では顕著になっていた。
 でも、たかがこんな理由で利用される俺は堪ったものじゃないし、何よりも断れない自分にイライラした。
 そういうジレンマを抱きつつ、何度目かの伝達をしていた時、ふいに瀬古がため息をついてこう言った。

「伝達もうしてこなくていいよ」

 瀬古の目は笑っていたが、声は冷たかった。校舎案内をしたとき以来、あのウザったい絡みは一切してこなくなった。瀬古は真野に対して、皆と同じような不愛想な態度で接していた。

「いや、でもあいつらが」
「それは無視すればいいだけの話だろ」
「は? お前はそう言うけど」
「無視し続ければ、あいつらも渋々俺に話しかけてくるようになるだろ」
「そうは言っても、そう簡単に断れるはず……」

 すると瀬古の目がスッと冷たくなった。そして唇のピアスを指先でいじりながら首を傾げてこう言った。

「それはなんで断れない? 怖いから? あの女達の要求を断れば何を言われるかわからないから?」
「そういう訳じゃ」

 図星なのか、図星じゃないのか。自問自答した。
 図星だった。そうだ。俺は怖いんだ。集団でいる人と話すことが怖い。俺の返答次第で皆の反応が大きく変わる。どう思われるか気になった。
 もし自分が誤った回答をした場合、きっと集団で物凄い悪口を言われる。たとえその場に自分がいないとしても、悪口の標的になることが怖かった。
 口から息が断続的に漏れた。明らかに混乱している真野を前に、瀬古は目を細めてにんまり笑った。

「あ、それとも、女子に頼られることが滅多にないから嬉しくて従っているだけ?」
「……っ!」

 その言葉に真野は顔をあげて瀬古を睨んだ。
 けど、瀬古はそれからすぐに「嘘だよ」と言って笑った。

「とにかく、もう伝達してこなくていい。こき使わせて悪かったな」

 そう言うと、瀬古からは笑顔が消えて、いつもの無表情な顔に戻っていた。そして再びノートを開いて絵を描き始めた。
 胸に薄くて透明な膜が張られていくのを、真野はゆっくりと感じていた。



 瀬古と同部屋だと知ったとき、真野は真っ先に新潟にいる両親のことを思い浮かべた。
 ああ、父さん母さん俺本当に終わったかもしれない。本来なら少年院にいかなきゃいけない奴と同じ寝床で生活しなきゃいけなくなっちゃったよ。これじゃあ無事に卒業できるかわからないよって。
 それを心の中で、何度も呟いて留めた。
 両親は物心ついたときから俺に厳しい人だった。
 嘘をついたらデザート禁止とか、約束を破ったら1週間口を利かなかったり、言うことを聞かないときは外に出されたり、泣いて縋っても数週間許してくれないこともあった。
 当時はこんな仕打ちをあんまりだと思っていたけど、あの厳しい躾のおかげで、人の気持ちを理解することができる人間になったと思う。
 怒るとすごく怖かったけど、それでも愛情だけは人一倍注いでくれた。
 一人っ子っていうのもあるけど、何より二人にとっては待望の子供だったらしく、妊娠が発覚した時には親族中に泣いて報告したらしい。俺が生まれてくるまで、母はお腹を摩りながら毎日読み聞かせをして、父は精力がつく食べ物をよく作ったらしい。
 生まれてからはゾウ好きの俺のために、休日は車で片道3時間の動物園へ連れて行ってくれたり、授業参観にも必ず来てくれたり、慣れない手つきで体操袋を編んでくれたり、友達と喧嘩した時は相談にのってくれたり……。
 本当に沢山の愛情をもらったと思う。共働きで必ずしもずっと家にいるわけではなかったけど、彼らなりの愛し方をしてくれた。
 だからこそ、瀬古と同部屋だと知ったとき、この不安をどうしても両親に吐き出したかった。上京して何とか今日まで上手くいっていたけど、とうとうもう難しいかもって。
 俺は今まで瀬古の噂は単なるデタラメで、信じている奴は幼稚だと軽蔑していた。が、実際は俺の方が何倍も信じていて稚拙だった。
 そして、その自分の愚かさに気付いたのも今だ。
 本当に瀬古が悪い奴なのか、人を傷めつけた経験があるのかそんなことわからない。
 だって、俺はその現場を見たわけではないし、直接本人から聞いたわけじゃないから。
 ただ人から聞いただけ。たったそれだけだ。
 周りが執拗にアイツを避けて、噂を広めていくのをみて、いつしか俺も瀬古に対してどう接すればいいか、変なことを言わないようにしようとか、激しく差別していた。
 そうして、俺は瀬古へ関わってこないでほしいと言った。アンテナを張ってアイツが近づいてこようとする素振りが見えたら、すぐに逃げた。アイツを見ないように視線から排除した。
 そこまで徹底していたくせに、いざ瀬古からもう自分と関わらなくていいと言われると、気持ちが大きく揺らいだ。別にアイツに情が移ったわけじゃない。話したこともほとんどないし、寧ろ馬鹿にされて嫌いだった。
 ただ、今思えばあの時瀬古からクラスの連中と一緒だと思われることが嫌だったのかもしれない。
 結局、真野もみんなと同じく噂を信じる馬鹿なんだと思われることが心底嫌で溜まらなかったのだ。
 そこまで考えて、ふと思った。
 じゃあ俺は瀬古とどうなりたいのだろう、と。
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