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第二章 愚かな兄妹
第十二話 王太子の弁明
しおりを挟む衛兵が扉を開く。部屋に足を踏み入れると、背後で扉が閉まった。頭を下げ、家名の消えた名を名乗る。
「ただいま戻りました」
「よく戻った」
室内は大量の蝋燭に照らされ、ぼんやりと明るく、暖かかった。
リヒャード殿下はこちらに背を向けていた。暖炉に火掻き棒を突っ込み、混ぜ返している。パチパチと薪が爆ぜた。
「よく、戻ったな」
顔を上げると、ガウンに身を包んだリヒャード殿下が私を見ていた。火掻き棒を手にぶら下げたまま。彼は同じ言葉を繰り返した。
第二王子殿下の予測はなるほど、当たっていたのだと知れた。
「楽にするといい」
それ以上は深く追及することなく、リヒャード殿下は私を招いた。
意匠を凝らした肘掛けがあり、つづれ織りのタペストリーが張られた、豪奢な椅子。妹もよくこれに座った。あの子の特等席でもあった。
「コーエンが世話をかけたな。まずは体を温めよ」
ワインを注がれた錫のゴブレットが置かれる。礼を述べ、一気に煽った。
私がゴブレットを置くと、「好きなだけ飲め」とピッチャーを押し出され、リヒャード殿下もまた、飲みかけのワインを含んだ。
「あやつがおまえに、何か言ったか」
ワインを注ぐ手を止める。リヒャード殿下はまっすぐな眼差しで、私を見ていた。私はピッチャーを置いた。
「第二王子殿下は私に、あなた様を裏切るなと」
答えれば、リヒャード殿下は乾いた声で笑った。口の端を歪め、琥珀色の瞳は伏せられた。
「先に裏切ったのは、私だ」
そう言うと、リヒャード殿下は立ち上がった。ぐるりと部屋を一周する。私はワインを飲み、彼が口を開くのを待った。
「懺悔はしない。許しを乞うつもりはない」
リヒャード殿下は暖炉の前で立ち止まる。振り返り、私を見た。
「だが、誤りであったと認める」
先に目をそらしたのは私だった。ゴブレットを煽り、ふたたび酒を注ぐ。そして飲む。ピッチャーのワインが空になるまで、同じことを繰り返した。
リヒャード殿下は立ち上がり、ガラス張りのキャビネットを開けた。新たな酒瓶とカップを手に戻った彼は、それらを私に差し出した。
「これはワインより強い」
リヒャード殿下はまるで、私のための毒見をするかのように、カップに少しだけ酒を垂らして嘗めた。そして「強いな」と顔をしかめた。
忘れそうになるが、彼はいまだ成人していない少年だった。酒に強いはずもなく。
「私がいただきます」
「ああ」
トクトクと酒の注がれる音。薪の爆ぜる音。蝋燭の芯が燃える音。窓を叩く風の音。酒が私の喉を伝い、ぐびりと飲み込む音。
リヒャード殿下の視線をつむじに感じた。
「……弁明を」
「なに?」
ゴブレットに残るワインをちびちびやっているリヒャード殿下の白い手が、目に入った。彼は静かにゴブレットを置いた。
「弁明をしてくださいませんか」
「どこからすればよいだろうか」
リヒャード殿下は断らなかった。私の問いかけに、躊躇することなく答えた。
「わかりません」
だが、私自身、彼の口から何をどう聞きたいのか、わからなかった。リヒャード殿下は「そうか」と言った。そしてしばらく考える様子を見せ、彼は切り出した。
「私が考えていたのは、グリューンドルフ公が元に匿われれば、彼女の命は最も安泰だろうと。そういうことだった」
「はい」
「私は彼女の溌剌とした姿が好きだった」
カップを握る手に力がこもった。リヒャード殿下が、私のカップに酒を注いだ。
「彼女がよく笑い、平穏に暮らせる場所を与えたかった」
酒瓶が音もなくテーブルに置かれる。
「外界の騒音に囚われることなく。それまでの暮らしと、できうる限り、変わることなく」
私は酒を煽った。勢いよく流れ落ちる強い酒が、喉を熱くした。
「家族も誇りも、彼女が彼女であるための何もかもを奪う私が、何を差し出せるだろうかと。代償としてつり合いが及ばずとも、最良の地位と名誉と財と平穏を。それがグリューンドルフ公爵領ならば叶うのではないかと、そう考えた」
リヒャード殿下が言葉を止めたので、問いかけた。
「妹の思慕は」
既にわかりきったことを、ただ確かめるためだけに、彼の口から聞くためだけに言った。
「あなた様へと叶うはずのない想いを抱いた、愚かな妹の恋心には、お気づきでしたか」
カップを置き、顔を上げる。リヒャード殿下の琥珀色の瞳に、私の憎悪に満ちた醜い顔が映っていた。
彼は逃げずに、私を見返していた。そして言った。
「彼女の想いに気づくことのできなかった過ちを、許すことはない」
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