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第三章 カタブツ王太子は愛妻家
第一話 振り返る
しおりを挟む(やはりコーエンはよい男だ)
王太子リヒャードはすっかり静かになった自身の応接室を見渡し、しみじみと思う。
つい先程まで、双子の弟王子コーエンに妹王女エーベル、それから六つ年の離れた弟王子バルドゥールがリヒャードの応接室に集い、久方ぶりにきょうだいの語らいをしていた。
もともとは偶然予定のあいたリヒャードと双子の弟妹とで、チェスをしないかというものだった。
しかしそこに末の王子が、初心で微笑ましい恋の相談に訪れ、そこで弟の話に耳を傾け、三者三様の助言をしたのである。
間もなく十八になる第三王子バルドゥールは、魑魅魍魎の跋扈する王宮内で育った王子であるにも関わらず、歳の割に純朴で擦れずに素直に育った。
国王と王妃も末っ子バルドゥールには甘かったが、それ以上にリヒャードやコーエン、エーベルが彼を可愛がった。
そのためか、やや頼りなく甘えたところや考えの足りないところもあるが、心根が優しく、また頑固で芯の強いところもあり、その行く末についてリヒャードはさほど心配していない。
リヒャードが長年気掛かりであったのは、甘えん坊の第三王子バルドゥールではなく、軽薄な素振りを見せながら実のところとんでもない傑物である第二王子コーエンについて。
窓からは夕暮れ時の茜色が差し込み、リヒャードの黄金の髪を赤く染め上げる。
リヒャードは表に出したものの、一局も対峙することのなかったチェス盤を眺めた。
もしリヒャードがコーエンと一局交えていたら。
(あ奴の注意が最後まで保てば、私が勝つことはないだろう)
リヒャードとコーエン。二人の年の離れた弟であるバルドゥールの前で、コーエンはリヒャードを超人と称した。しかしリヒャードからすれば、超人はコーエンである。
一つ年下の弟、第二王子コーエン。
昔から何につけても比較され育ってきた。そして紙一重の差でコーエンが優れていた。
(いや。実際は紙一重などではない。コーエンが私に譲り、また奴の興味が続かなかっただけだ)
リヒャードは優れた資質を持つ王太子だ。
自身が優秀であることに疑いは持たない。だがコーエンがそのリヒャードを上回っていることもまた、疑いの余地はない。
努力のリヒャード。天才のコーエン。
教師陣が二人をしてそう呼んでいることは、リヒャードもコーエンも知っていた。
へらへらと笑いながら自分を慕うコーエンを弟として愛しく大事に思う一方、厭わしく憎たらしく思う己の狭量さ、心の醜さにリヒャードは苦しんだ。
リヒャードは自分よりよっぽど、コーエンの方が王太子として、後の国王として適しているとコーエンの才を妬んだ。
単純に学業であったり権謀術数に優れているというだけではない。
人心の機微に疎く融通の利かないリヒャード。
王太子であるリヒャードに集う者達の本音と目的を掴みきれず、右往左往しては独断し、非情で冷酷な王子と恐れられる。
一方でコーエンはいとも容易く人心を掌握し、柔軟に人いきれを泳いでいく。
リヒャードは父国王の御宸襟が読めなかった。
なぜ自分が王太子なのか。
コーエンとは年もたった一つしか変わらない。リヒャードもコーエンも共に王妃の子。それならば、資質のより優れたコーエンが王太子となるべきではないのか。
リヒャードは椅子の背に深く凭れ掛かり、組んだ両手を腹の上に載せる。顎を天井に突き出し、ずるずると頭髪を椅子の背になすりつけては瞑目する。
過去を思い返すリヒャードの口の端が不敵にあがる。
(幼かったな……。適するか適さぬか。私がコーエンの兄であることもまた、資質の一つであるというのに。無論コーエンが立太子されたとて、奴ならうまくやっただろうが)
余計な争いを生じないためにも、長兄であるリヒャードの立太子が望ましいなど。
あの頃のリヒャードには納得がいかなかったのだ。リヒャードが自身の努力で得た能力ではなく、リヒャードが長兄であることこそに価値があるなど。単に生まれた順のみが優先されるなど。それならば自分は何のために高みを目指しているのか。
民のためだ、という答えは、そのときのリヒャードの頭からすっかり抜けていた。
己より優秀な弟を前に敵愾心を燃やし、弟より前へ、先へゆかんと。
あるいは取り返しのつかぬ己の過ち故に、玉座にすわるべくは果たして。
王太子の座に留まるか否か。
その苦悩は、自身の自尊心と贖罪とを満たそうとするだけに過ぎなかった。
公人であることと私人であることを混同し、為政者として在るべき姿、思考を捨ておいてしまっていた。
前提を間違え、私人としての思考で、公人としての苦悩を抱えているつもりでいた。
それだから、答えは出なかった。
それに気がついたのは、当時の婚約者バチルダに指摘されてようやくのこと。
バチルダは言った。
リヒャードの得心のためだけにコーエンを王太子にさせるなと。
「それはリヒャードが満足したいだけじゃ。自身より優れた者こそが王太子であれなど。おぬしのその傲慢な思想こそが国を乱すというのに。王族とは、国が良く回り、民が良く暮らすための歯車に過ぎぬ。歯車が自己を主張するでない。国がリヒャードを王太子であれと望むなら、素直に受け入れよ」
婚約者の辛辣な言葉がリヒャードの胸を貫いた。
そのとき初めて、リヒャードはバチルダの顔を正面から見たように思う。バチルダは大層美しい皇女だったが、それまでの逢瀬は単なる義務であり、公務であり、リヒャードの心に何ら残ることはなかった。
「そうか……。私は奢っていたのだな」
リヒャードはバチルダの言葉を噛みしめ、頷いた。
「うむ。わらわにはそう見えた。しかしリヒャードのその生真面目なところ、融通の利かなさ、思い込みの激しさもまた、愛しく思うぞ。それは誠実で真摯であるがゆえ。リヒャードはよい男じゃ」
顔を真っ二つにしたかと思うほど、大きな口を開けて無邪気に笑うバチルダ。
幼いながらも老成し威厳に満ちた口調のバチルダだが、その頬は少女らしく薔薇色に染まり、リヒャードに告げた言葉に内心照れていることが伺えた。
リヒャードは目の前の少女に生涯をかけて愛を育み捧げようと誓った。
それは婚約者としての義務、つまりいずれ国を治める王太子としての義務から起きた決意ではなかった。
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