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第2部

ポリーの失敗 1

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 セシルは掴みどころのない人だった。

 自分だけが、セシルの裏の顔を知っている。そう思っていたのに、実は違う。
 その繰り返しに疲れ、セシルに惹かれ、振り回され捨てられた他の女同様、最後には道を分かたれた。
 セシルから直接、仕打ちを受けた女は、あたくしだけだったのかもしれないけれど。
 とはいえそれは、自業自得でもある。

 オルグレンの妖精一族と謳われる容姿は、おとぎ話から抜け出てきたようで、その微笑みは見る者の心を奪う。
 けれどもその微笑みに、彼の心は見当たらない。
 彼の心は伺い知れない。

 その違和感や物足りなさが、人の心を掻き立てる。
 彼に夢中になったり、嫌悪したり。結局、彼を追うことになる。

 ああ、そういう人なのね。

 挨拶をして。いくつか言葉を交わして。
 そうして判断したこと。

 セシルの中性的で、妖精のような微笑。優美な仕草。冷笑的な瞳。鋭利で厭世的な思考。
 その裏に潜むものは何かを探りたくなる。
 そんな魅力を、セシル本人はきちんと自覚している。
 それでいて持て余しているのは。

 きっと憎悪と怒りだわ。

 似ている、と思った。
 それだから、オルグレン=アスコット家、ウォールデン家の都合であったり。セシルとあたくし、互いに、個人の望みが叶うという、それだけでなく。
 共に生きる上で、よいパートナーになりうると感じた。

 思考がピタリと合う。
 共にいて心地よい。

 そう感じていたのが、あたくしだけとは知らず。







「レイディ。メアリー・ウォールデンとはあなたのことでしょうか?」

 女学校の馬車留場で馬車の順を待っていた折。友人達と歓談を交わす中、割って入る麗しい紳士がいた。
 振り返る間もなく、友人の一人があたくしの肘を軽く叩く。

「ちょっとポリー。どうしたの、こんなに素敵な殿方。あなた、どこで引っ掛けていらしたの」

 ポリーとはあたくしの愛称だ。
 こそこそと耳打ちされる、友人の浮かれあがった声につられぬよう、胸を抑える。するとあたくしの名を呼んだ、名の知れぬ紳士は美しいかんばせに、それは見事な微笑みを描いた。

「やあ。これは失礼。名を名乗っていませんでした。私はセシル・オルグレン。オルグレン=アスコット家の嫡男です」

 セシルの名乗りに、友人たちが歓声をあげた。

「ちょっと! ポリー! ねえ、お聞きになって?」
「オルグレン=アスコット家ですって?」
「あら! 私ですら知っているわ! 王家の血筋を引かれる高貴なお家ですわよ!」
「でもそうね。たしか、財産は……」

 話の矛先が不穏なものになりつつある気配に、目の前の紳士は眉をあげた。そこで友人たちは囀るのをやめ、目配せし合う。

「その通り。皆様、よくご存じの通り、我が領地、アスコット子爵領は先の水害により、とても貧しい。ええ、きっとここにいらっしゃるどなたよりも、僕は貧しいでしょう」

 セシルがおどけて目を回すと、友人たちは目を合わせ、「あら」と笑う。その笑い方は、だいぶ砕けたものに変わっていた。
 そして一人がここにいない友人の名を出す。絵物語から抜け出してきたような、華やかで美しい麗人を前に、ほとんど思慮に欠いた、のぼせきった調子で。

「そうとも限りませんわ。ちょうど今は外しておりますけれど、ここにはもう一人、オルグレンの姓を持つ方がいらっしゃるのよ」

 頬を染め、頭で考えるより先に口から言葉をつむぎ続ける友人は、気がついていない様子だった。彼女だけではない。ほかの友人たちも。
 抜け目のない、狡猾で鋭いまなざし。ほんの一瞬の冷酷な光が差したことに、誰も気がつかなかった。

「へえ、それはどなたかな。なにせオルグレンのといえば、血筋だけだともっぱらの評判ですからね」

 セシルの口ぶりもまた、友人たちに迎合するように品位を落とした。友人たちは嬉しそうに笑い合う。

「いやだわ。そんな失礼なこと、私たち、少しも考えたことはございませんわ!」
「ええ本当に! ちらりと頭によぎったこともございませんの」
「だって貴方様ほど美しい方に、私たち、お会いしたことなどございませんもの!」
「そうですわ! まったくその通りだわ! 女性にとって美しいことほど、他に価値を感じることはございましょうか」
「きっとないわ。だって私たち皆、それなりに裕福ですもの。新たな財を求めるよう願うのは、父親だけよ」
「それと母親もね」

 珍しく美しい人形を手に入れたばかりの友人たちは、我先にと口々に囀る。セシルは嫌悪するでもなく、嘲るでもなく、侮るでもなく、圧倒されるのでもなく。優美に微笑み、女の姦しさを受け入れていた。

「それは嬉しいな。ですが、残念なことに、あなた方のような美しいレイディを目にしたあとでは、僕がここに立っていることを覚えていてくれる人は、誰もいないでしょうね」

 よくある陳腐な世辞なのに、セシルの口からこぼれれば、それはまるで才気溢れる詩人の傑作、その一節のように響いた。
 友人たちは舞い上がり、慌てて口元を抑えたり、熱く火照った頬に手を当てたり、扇いだり。胸に手を置いたまま、くらりと後ろに傾いでいく者までいた。
 それをセシルが「おや」と背に腕を回すものだから、耳が痛くなるほどの歓声があがる。
 セシルが「大丈夫ですか?」と微笑みかけると、友人はうっとりと夢見心地な笑みを浮かべ、そのまま失神した。

「どうも大丈夫ではないらしい」

 眉をひそめる姿も麗しく、抱きかかえられた友人に他の者達は羨望のまなざしを向けた。

「まあ、素敵」
「貴公子そのものだわ」
「ええ、本当に。一番人気の役者だって彼ほど素敵じゃないわ」

 友人たちの囁きを微笑みで中断させると、セシルはあたくしを見た。口元には微笑みを湛え、射貫くような上目遣いで。
 口を閉ざした友人たちの視線が集う。

「彼女を送り届けたい。ですが僕が一人で付き添えば、彼女の不名誉となるでしょう。メアリー嬢、どうか付き添いを頼めますか?」
「ええ、もちろん。我が家の馬車で参りましょう」
「これは失礼。付き添いは僕の方だったな。恥ずかしいことに、ここ王都で、馬車どころか、一頭の馬すら僕自身のものじゃない」

 卑屈な台詞は、友人たちに聞かせるものだったのだろう。

「お可哀想! これほど美しい方の騎乗姿を見られないなんて、許せることじゃないわ」
「ええ、本当。馬の一頭くらい、お父様にお願いするわ」
「とびきりの白馬がお似合いになるに違いないもの。私からもきっと贈るとお約束してよ」

 セシルに詰め寄る友人たちにため息をつくと、セシルが小首を傾げた。

「やあ、これはありがたい。だけど馬の世話をする甲斐性もないんだ。だからレイディ方のご親切はとても嬉しいけれど、遠慮しておくよ」

 卑屈に続く卑屈。この後に続く友人たちの言葉は想像できた。
 まあ、なんて謙虚なの、それじゃあ馬は駄目ね、代わりになにがいいかしら――。
 いつまでも続く。それだから声を張り上げた。

「オルグレン様!」
「はい」

 セシルは微笑んだ。「では参りましょうか」と。
 当然友人たちは歓声をあげた。
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