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第2部

33 似た者同士

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 一歩、また一歩と真珠姫に近づくアスコット子爵。
 アボット候爵と肩を並べていた前カドガン伯爵が、懸念露わな面持ちで、足を踏み出した。
 真珠姫の「ギル」という一声が、前カドガン伯爵を牽制する。
 アスコット子爵が振り返ったときには、前カドガン伯爵が不服そうに立ち止まったところだった。

 アスコット子爵の表情はこちらからは覗けない。だが、明らかに不穏な様子だ。
 芝居がかった様子で、胸に右手を当て、左手を大きく広げるアスコット子爵。

「やあ、やあ、やあ。これはギル。お優しいギル。おまえはこの毒婦に騙されているようだ」
「何の話だ」

 神経に触るようなアスコット子爵の猫なで声に、前カドガン伯爵は戸惑い気味だ。

「ほうら、やはり。ギルは聞いていないのだろう。そうだろう?」
「だから何を――」
「僕の妻は」

 前カドガン伯爵の問いを遮り、アスコット子爵がこちらに振り返る。指さす先には真珠姫。
 小首を傾げる様は、年齢不詳の人形のようで、血を分けた我が母ながらゾッとする。

「オルグレン一族の末端、いまや爵位を手放し、貴族籍を失った家の次女たる娘。その娘がかつてかろうじて貴族名簿に名を連ねていた頃、持参金なさ故に、その縁談を見繕われることが叶わなかった。
 娘は生きる術として職を探した。女学校出自であれば、裕福な商家で、娘たちの家庭教師となることもできた」

 今は昔といった調子の、滑らかなアスコット子爵の昔語りに、真珠姫が注釈にしゃしゃり出る。

「それがために、彼女があたくしに近づいたことは存じておりましてよ。付き合いのあるいずれかの家へ、縁を取り持って差し上げるつもりでしたもの」

 アスコット子爵は真珠姫の親切を受けて、形相の険悪さを増し、拳を握りしめた。
 真珠姫が子爵に微笑みかける。子爵は嫌悪に顔を歪めながらも、前カドガン伯爵へと言葉を続けた。

「だが必ずしも教職にありつけるとも限らない。特に頼りとした友人が、善人の面の皮を被った毒婦だったとしたら」
「まあ、それはお気の毒なことね。人を見る目はとても大事ですわ。何より養わなくてはならない最重要課題ではなくて? こと、ご自分の人生をどなたかに預けるのですものね」

 笑顔を絶やさずたおやかに応じる真珠姫のいやらしさが、アスコット子爵の憎悪を駆り立て、なおかつ子爵を打ち負かしている。
 前カドガン伯爵は呆れたようにため息をついたけれど、安堵しただろうことが窺えた。踏み出した足を戻し、アボット侯爵が耳元で囁いた何かに、頷き返している。
 侯爵は身を引き、ニヤリと笑うと、顎を手で撫でさすった。

 いたたまれない。
 空気がひりついているようで。

 そんな弱気なことを考えていると、アスコット子爵は深く息を吸い込んだ。
 アボット侯爵の好奇の視線を意識してなのか、怒りの自制を促しているように見えた。

「何も、すべて他人頼りにばかりしていたのではないさ。職を得ることが叶わずとも、せめて修道院に入れるくらいには、寄付金を用意する手立てがあったと――」
「あらそうでしたの」

 心から驚いたというように、真珠姫が頓狂な声をあげた。これにはアスコット子爵も思わず口を閉ざした。

「彼女、いつも貧していらしたわ。修道院への寄付金など、とてもあるようには……。ですから、ウォールデンの晩餐にもよく招きましたの。とても喜んでくださいましたわ」

 慈悲深いような、一点の曇りもない笑顔を浮かべる真珠姫。
 アスコット子爵の顔が怒りで赤黒く染まった。

「毒婦めが! そうやっていかにも親切そうな素振りで、優しげな笑みで、彼女をウォールデンに顔通ししたのだろうが! 人を騙すことにかけて、なんら罪悪を抱かない悪魔のような女め!」
「セシル。あなたにだけは言われたくありませんわ」

 鼻白む真珠姫に、アスコット子爵が薄笑いする。

「ああ、そうさ。僕と君は、いかにも似た者同士だ」
「過去にはあたくしも、そのように思っておりましたわ」
「過去? 君の為した罪は既に過ぎ去った可愛げのある過ちとして、流され許されたとでも?」

 身を屈めたアスコット子爵の鼻先が、真珠姫の頬にかすめるほど近づく。前カドガン伯爵が「セシル!」と鋭い叱声を飛ばした。
 アスコット子爵がゆっくりと前カドガン伯爵へ振り返る。

「ほら、ギル。おまえも騙されていたのさ。この女の美しい容姿に。どうだ? これでわかっただろう? この毒婦の罪深さ、なによりおぞましい、穢れきった悪魔のような本性が」
「セシル。ポリーが聖人であるとは私も言わない。だが――」
「『だが』じゃない、ギル」

 アスコット子爵が遮る。
 前カドガン伯爵は釈明したそうではあったけれど、子爵が苛立たしげに髪をかき上げるのを見て、口を閉じた。

「いまだ未練がましく、現実を受け入れられないのか? それともひょっとして」

 アスコット子爵が小さく息をのむ。

「まさか理解できていないのか? これほどまで明らかにしてやったのに」
「セシル。どうか私の話も聞いて――」
「いや、ギルはお人よしが過ぎるからな。僕がはっきりと説明してやるよ」

 アスコット子爵が、口元を引き締める。
 人が誰も耳にしたことのない、身の毛もよだつ、おぞましい罪。それを今からまさしく告発するというふうに。
 正義を胸に決意した強い瞳で。狂信的で盲目的な。

 違和感。
 そう。これだ。違和感。

 真珠姫がアスコット子爵夫人に為した、おぞましいこと。
 それについて、理解したくはないけれど、予想はついている。なにせ、あのウォールデン、非道な悪魔。祖父の名が出たのだから。
 とはいえ、アスコット子爵は、前カドガン伯爵を憎悪し嫌悪していたはずなのに。この構図はなんだろう。
 目の前で繰り広げられる舞台に振り落とされそうだ。

 前カドガン伯爵は眉尻を下げ、善意と正義の使者を振る舞うアスコット子爵に、応えあぐねている。

「アラン様……」

 何かおかしなような、胸騒ぎとは似て非なる、気まずさ、座りの悪さに、思わずアラン様を振り仰ぐ。
 アラン様もまた、戸惑っているようだった。眉尻を下げきった様子は、前カドガン伯爵の困り顔と、とてもよく似ていた。

 アラン様が「メアリー」とわたしの名を呼んだところで、アスコット子爵が重々しく口を開いた。

「つまりこういうことだ。僕の妻は生け贄にされたのさ。ウォールデンへのね。そこの毒婦が生家から抜け出すのに、置き土産とばかりに、哀れな友人を身代わりに差し出した。自らが追われぬよう、保身のためがだけに」

 アスコット子爵が晴れやかに笑った。これまで背負っていた、鬱陶しい全ての重荷をおろしきったかのようだった。

「どうだ? ギル。おまえはこれでもまだ、この毒婦を愛していると言えるのか?」
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