憤慨

ジョン・グレイディー

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第二十五章

ゴーストタウンに彷徨う霊

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 巨大地震の脅威と「鬱」の忍び寄り。

 現在の脅威と過去の怨念が瞬く間に手を結んだ。

 俺は一先ず、静観を装い、地震と「鬱」の動向を注視することにした。

「奴らは、お前をどうするつもりか?」

 俺の心が、ある意味、怖いもの見たさの躍動感に煽られるかのように俺に囁く。

「直に分かる!」

 俺は俺の心の悪い好奇心に釘を打つかのように一刀両断した。

 俺には、薄々分かっていたのだ…、俺の処遇を…

 未曾有の有事、「鬱」の活性化、それによる過去のトラウマの来訪、それら招かざる客らの集結は、自ずと俺に自己防衛を強いることとなっていた。

 自己防衛とは?

 そう、「怒り」だ!

 この数日間において、俺の「怒り」のエネルギーは、かなり蓄積されたように思われていた。

 あれだけ気怠かった気分は吹っ飛び、あれだけ重かったコンクリートのような脚は、嘘のように軽くなり、その脚取りは、すがるく、力強く踏み込みがなされていた。

 何かが変わった…

 日常の一つ一つの動作に、俺は何かから脱皮したような、変化したような、奇妙な感覚に包まれていた。

 口調も変わってきた。

 凄く乱暴になっていった。

 しかし、鬱状態の苛立ちではない、それとは全く違う。

 敢えて言うならば、戦闘的な「怒り」であった。

 戦場の戦士、戦う間、切傷の痛みは感じない。
 敵の血飛沫を浴びても、それは水のように感じる。
 残忍、残酷な行為も自然の行動のように身体が行う。
 
 それはある意味、野蛮でもある。

 文化的な物に価値は全くなかった。

 さらに、それは、無神論的な物でもあった。

 有事に神の御姿は見えない。

 万人が神に救いを求める有事、神はお忙しいのだ。

 そして、被災者は気付く。神の恩恵はないものであることを…

 祈りは嘆きとなり、やがて、絶望に取って変わり、そして、神は次第に忘れられる。

 それが有事の世界であり、戦場そのものの姿である。

 そこで必要とされるのは、「怒り」のみである。

 現状への憎しみの「怒り」は、現状からの脱出・奪回へのエネルギーへと繋がる。

 そのエネルギーは邪鬼の如く、「怒り」以外の感情を保持しない。

 粗暴、乱暴、無法、無秩序、無情、といった粗悪なカテゴリーが周囲を包囲するのだ。

 俺にはそれが、手にとるように見てとれた。

 俺は他の勇敢な社員5名と共に、崩壊していた3階書庫から顧客ファイル150冊を確保した。

 俺はそのファイルを元に現地確認をし、その所有者と連絡を取り、再興に向けた支援を行う事を計画した。

 平時、40人規模の不動産営業部は俺を含み6名体制で復興支援に動き出した。

 他の部署の支援はない。

 しかし、この有事、野蛮な風潮がまかり通る。

 会社資金、会社所有の動産、自動車、備品、消耗品、ガソリンチケット等々、現地調査に必要な物資は、力ずくで手に入れる事ができた。

 総務課、会計課も瀕死の状態で機能していない。

 その中に確実な伝達手段であるコミュニケーションは成立しない。

 作業着を着込み、顔面、土煙を被り、掌が傷だらけの我々6名の行動を制止する事ができる者など、誰一人として居なかった。

 ある意味、多くの無言の民、物を言えない一般社員から応援さえ受けていた感じであった。

 必要な物資を言うだけで、背広部隊は、我々作業着部隊に物資を調達してくれた。

 そこには既に会社内の組織構造は存在せず、臆病者の部長連中は、完全に居場所を失い、下手に口出しすると、俺から怒鳴られる仕末であった。

「腐れ!邪魔するなと言った筈だ!二度と顔を出すな!家に帰って寝とけボケっ!」と
 
 そこには、礼儀や遠慮は全く存在しない。

 激しい「怒り」に駆られた怒号、暴力が、それに代わる。

 俺から殴られるお偉方もいた。

 俺から蹴られるお偉方もいた。

 役立たずの弱虫連中は、50歳過ぎて、小学生のようにビビり泣きじゃくっていた。

 これが有事なのだ。

 これが戦場なのだ。

 無傷の者は許されないのだ。

 敵前逃亡し、後頭部を撃ち抜かれるのは許されないのだ。

 真っ向正面、突撃し、眉間に弾を撃ち込まれ、即死する奴が賛美される世界なのだ。

 俺は感じていた。

「怒り」の徐々なる蓄積と共に、俺の生来の資質が開花しているのを感じていた。

 何も怖くなくなった。

「鬱」の恐怖は、俺の「怒り」の薪となった。

 過去のトラウマ、「高貴の微笑み」は、俺の「怒り」の潤滑油となった。

 俺は四六時中、「怒り」狂っている事が出来たのだ!

 4月25日。

 今でも忘れない日付である。

 被災地に大雨警報が発令された日だ。

 巨大地震の強烈な揺れにより、大地に傷痕を負った被災地。

 益城町の農地は、幅80cmの亀裂が長さ100mに渡り走っていた。

 阿蘇山の外輪山は、直径10mの巨巌を国道に何個も転がしていた。

 阿蘇市に通ずる国道に掛かる大橋は崩落していた。

 軟弱な地盤は、少しの雨で土石流となり、瓦礫となった家屋を川下まで流した、数多くの遺体も一緒に…

 そんな脆弱しきった被災地に、線状態前線が南下し、季節外れの大雨が追い討ちをかけて来た。

 余震により揺れ動く大地の低音の嘆きと、天空を覆った黒雲から悪魔の稲光が恐怖の高音を轟き響かせ、被災地は次第に地獄の様を呈していった。

 町中に警報サイレンも鳴り響いた。

 各役場には自衛隊が陣地を張った。

 熊本市の北部中心地を流れる白川は、瞬く間に増水し、川色は青から黒へと変化した。

 そんな中、俺は最大の被災地である益城町に向かった。

 いつ地盤沈下が発生してもおかしくない状況下、同行する社員は1名に絞り、自発的な意思のある40代の係長を伴うことにした。

 この日は、第一回目の現地調査の日であり、顧客との約束の日であった。

 危険を押してまで行かなければならないのか?

 日程を変更すれば良いではないか?

 できない!

 被災地に安全地帯はない。
 
 益城町の人々は、この大雨の中、瓦が落ち、ブルーシートを被せただけの建物の中に居住しているのだ。

 仮設住宅など、そんなもん、全くない被災直後の大雨である。

 逃げる場所もない。

 市役所も町役場も崩壊している被災直後…

「危険だから、日を改めます。」など、そんな概念はこの地には通用しない。

 どこもここも危険なのだ!

 日を改めて、大丈夫な明日など無いのだ!

 今日しかないのだ!

 今しかないのだ!

 俺は約束どおり、午前10時に益城町の顧客の家のある地区内駐車場に辿り着いた。

 雨脚は強くなり、駐車場下の川の水嵩はぐんぐんと増水していた。

 天空の状況などお構いなしに、地下のコアから沸き起こる余震は、この日も被災地の地上物全てを足元から揺らし続けていた。

 俺は部下を伴い、初めて、被災後の益城町の中心部に足を踏み入れた。

 県道から橋を渡り、街区へ延びる階段を降った。

 そして、真正面の建物を見遣った。

 その建物はブルーシートで覆われていた。

 かつて二階建であった事が嘘のように、ぺっしゃんこに潰れていた。

 部下の話では、当該家屋内に取り残された家族4人が亡くなったそうだ。

 大雨が叩きつけるブルーシートは、無惨な殺人現場を隠す役割も兼ねているかのようであった。

 隣の家も潰れている。

 真向かいの家も同じだ。

 その通りをおずおずと進み、街のメイン通りに出た。

 愕然とした。言葉が出なかった。何も言えなかった。

 ゴーストタウン…

    忘れ去られた街…

    生活できる建物はない!

 全ての残骸建物の玄関口に赤紙が貼られている。

 危険建物として!

 ブルーシートなど全くない。

 必要ないからである。

 外気分断性を堅持すべき人工物は健在しておらず、大雨に叩きつけられ、このまま土に還るつもりである瓦礫があるだけであった。

 時折、メイン通りをパトカーが文字どおりパトロールしている。

 何でも、最近になり、火事泥棒が頻繁に発生しているとのこと。

 崩壊し、生き埋めになった被災者の霊を土足で踏み躙り、残された金目の物を盗みに入る、正に盗賊。

 南北朝時代の時代劇映画、あの「羅生門」、黒澤明の映画画像が思い出された。

 俺達は一つ一つの家屋の残骸を注視しながら、約束場所の顧客の家に向かった。
  
 部下の持つ市街図の住所地図は、全く役に立たなかった。かえって、地図に従わず、辛うじて残された電柱に貼られた地番看板をチェックしながら前に進む方が正確であった。

 傾倒した電柱から伸びる電線は折れ曲がり、破損した箇所から火花を上げていた。

 そこに降りかかる大雨により、「ジューッ、ジューッ」と水蒸気の煙が辺りに立ち込めていた。

 やっとのこと、約束場所である家屋の前に辿り着いた。

 その家も、周りの家屋と同じように赤紙が貼られた危険建物であった。

 約束時間を少々回った時、一台の軽自動車がこちらに近づいて来た。

 その軽自動車から、俺達と同じ様に作業服を着込んだ初老の男性が降りて来て、此方に会釈をした。

 おそらく例の顧客であると思われ、俺達も近づいて行った。

 初老の男性は顧客ではなく、その息子であった。

 所有者である父親は、昨夜、息を引き取ったとのことである。

 その息子は、俺達を家屋に案内した。

 玄関口ではなく、裏口から中に入って行った。

 俺達も躊躇なく中に入って行った。

 天井、梁が悉く一階居間に墜落しており、箪笥、食器棚、電灯、家電等、あらゆる物が、そこに集められていた。

 息子は言った。

「そこで、親父は四日間、生き埋め状態だったたい。昔の人は強かねぇ~。背骨が折れて、四日間、飲まず食わずでも息をしとったばい。苦しかったよぉねぇ~、早よ、死ねば良かったとにねぇ~、強かけん、苦しんだとよぉ~…」と

 そして、息子は瓦礫の山の中から小型の金庫を引っ張り出し、鍵の掛かってない扉を開け、中から家屋の権利証を取り出し、俺に渡した。

 俺は頭を下げ、その権利証を受け取り、当該家屋の火災保険会社の担当にメールで確認番号を送信した。

 当該送信が済むと、権利証を息子に返した。

 息子に言った。

「公費解体申請を市役所に出して頂き、その証明書を貰ったら連絡してください。保険会社には連絡していますので、お客様は何も手続きしなくても、保険金が口座に入金されます。」と

 息子は俺に礼を言い、さらにこう言った。

「親父が死んだけん、此処には家を建てんかも知れん。それでも、アンタらさんは、構わないかねぇ?」と

 構わない、差し支えないとしか言えなかった。

 東日本大震災から10年も経たず、比較的地震の発生が少ないとされた、この熊本でも巨大地震が発生した。

 この益城町、この家屋でも、実の父親が生き埋めにされ、晒し者にされ、想像を絶する苦痛を味わいながら死んで行った。

 遺族がこの地に家を構えない!
という意思を邪魔するものはあるのか?

 そんなものはない!

 この現場を見た者なら分かる!

 此処はゴーストタウンだ!

 地獄の一丁目だ!

 復興したくても、この地を避けたい!

 先祖皆んな、地震に呑み込まれた。

 哀愁など執着心などあるはずがない!

 安全な場所を探さなければならない。

 誰もがそう思った、その時は…

 子孫を残す生き物ならば、この場所を必ず避ける、それは本能的な感覚、自然な感覚であった。

 美談などないんだよ。

 先祖と共にこの地に足を埋めるなど、震災後の美談は取って付けられた作り話に過ぎないのだ。

 4月25日午前10時30分、熊本県上益城郡益城町、此処には、約40名の無惨な犠牲者を出した事実と、

 そこには、成仏したくても成仏できない哀れな霊が彷徨い、それらが居座ろうとする幽霊屋敷が立ち並んでいるだけだ!

 そう形容するしかない悲惨な情景、正にゴーストタウンと化した街が存在しているだけであった…

 
 
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