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10.ごめんなさい。私にも打算がありました
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ブルメスター侯爵邸の中に入れば落ち着いた調度品が並び品の良さが窺える。案内された応接室は広く腰掛けたソファーはふかふかで座り心地がよかった。出されたお茶に手を伸ばす。
「マリエル。自分の屋敷だと思ってゆっくりくつろいでくれ」
「ありがとうございます。バート様」
お言葉に甘えて出された焼き菓子も有り難くいただく。
丁度小腹が空いていたので嬉しい。カラフルなクッキーが美しく盛られた皿をじっと見る。できれば全種類、ご賞味したいところだ。ちなみに今応接室にいるのはアル様とクルト様、カサンドラ様に私とバート様だ。視線を感じてそちらを見ればアル様が私を見てくすりと笑った。何か変だったかしらと首を傾げる。
「マリエルは変わっていないわね。物怖じしなくて緊張もしないでしょう? 初めて来た国の知らない屋敷の応接室で、早速寛いでお茶をしているのってすごいわ」
懐かしそうな顔で誉めて?くれていると思ったが心配になって一応確認した。
「えっと、それは長所と受け止めていいのでしょうか?」
「もちろん、そうよ。マリエルのそういう所、私ずっと憧れていたのよ」
なんと! 天使様に憧れて頂けるなんて図々しい性格でよかった。
しばらくするとノックと共に扉が開いた。そこに現れたのは背の高い美女だった。意志の強そうな目がバート様にそっくりだ。
「バート。お帰り。皆さま、お出迎えも出来ず申し訳ありません。ようこそ、ブルメスターへ」
そう言って美女はウインクをした。悩殺されてしまいそう。豪快な挨拶が気持ちいい。
「姉上。もう少し畏まってください。クーニッツ伯爵ご夫妻が驚いてしまいますよ」
「バートは固いわね。改めまして、ヒルデガルト・ブルメスターと申します。私のことはヒルダとお呼びください。侯爵家の長女でバートの姉です。弟がお世話になりました。両親と兄は病院で診察中なのでご挨拶できず申し訳ございません。夜には戻ると思います。皆さまを歓迎します。どうぞ寛いでお過ごしください」
バート様の言葉にヒルダ様は改めて挨拶をして下さった。ヒルダ様に対して私たちも順番に挨拶をした。
「初めまして。クルト・クーニッツと申します。そして妻のカサンドラです。こちらこそ息子がお世話になりありがとうございます」
「初めまして。マリエル・ベルツと申します。この度は滞在をお許し頂きありがとうございます。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるとヒルダ様は私をじっと見る。私が首を傾げるとヒルダさんは意味深にニンマリと口角を上げたが何もおっしゃらなかった。
「さて、アルはご両親と十年振りの再会ね。まずはきちんと話をしなさい。バートはマリエルさんの相手をしてあげてね。私は病院に戻るわ。では皆さま晩餐でお会いしましょう」
どうやらヒルダさんは仕事中で診察の間の休憩時間を使ってきてくれたようだ。申し訳なくて恐縮してしまう。
「マリエル。疲れていないなら庭にでも行かないか?」
「はい。行きたいです」
バート様の案内で庭に出れば一面に薔薇の花が咲いていた。その美しさに目を奪われながら先に進むと、すでにテーブルと椅子が用意されていた。バート様が椅子を引いてくれたのでお淑やかに腰を下ろす。
テーブルには侍女が新しいお茶と先程とは違う焼き菓子を並べる。こちらも全部ご賞味したい……が、それだと晩餐がお腹に入らなくなるかもしれない。そちらも楽しみなので悩ましい気持ちになりながらお皿を見つめれば、それに気づいたバート様がくすりと笑う。
「菓子はほどほどにしておいた方がいいだろう。この菓子なら明日も用意させるから心配しなくていい」
「はい!」
私はぱあっと顔を輝かせ、晩餐を考慮した上で菓子に手を伸ばした。
「マリエルは……アルを見ても驚かなかったな。気付いていたのか?」
「いいえ。全く知りませんでした。でもどんな格好をしていてもアル様は素敵なので問題ないです」
驚きよりも美しさに圧倒されて気にならなかった。
「そうか」
バート様は優しい笑みを私に向けた。そのまま二人で薔薇を愛でながらまったりと過ごした。沈黙もバート様となら気まずくならない。
「バート。マリエルと話がしたいのだけどいい?」
アル様がバート様に声をかける。ご両親との話は終わったようで私と話す為に来てくれたようだ。
アル様の瞳は真っ赤になっているが表情は穏やかだった。クルト様とカサンドラ様とのお話はアル様にとっていいものになったようだ。
「分かった」
バート様は席を立つとそのまま屋敷へと戻られた。その空いた席にアル様が座る。侍女が彼のための新しいお茶を置いた。
「マリエル」
「はい」
緊張感が漂い私は背筋を伸ばした。アル様は私に向かって深く頭を下げた。美しい金髪がサラリと流れる。
「ずっと……黙っていてごめんなさい。もっと早く打ち明けなければならなかったのに。マリエルとの婚約も継続したままであなたの大切な時間を奪ってしまったわ」
「いいえ。以前お手紙で解消したいとおっしゃっていただいていたのを私が無理を言ったのですからアル様は悪くありません。実は私にも事情があって仮であっても婚約を継続していたかったのです。そこには打算があってずるをしたので謝らないで下さい。私はアル様を利用したんです」
アル様は顔を上げると不思議そうな顔をした。いきなりずるをしたと言っても意味が分からないだろう。
「ずる?」
「はい。実は私、社交界でとっても評判が悪いのです。アル様もご存じだと思いますが私はお転婆で貴族令嬢らしくないでしょう? 領地にいるときに領民に交ざって麦踏みをしているところを、とある貴族令嬢に見られてしまって、はしたない令嬢と噂されていたのです。それだけなら事実ですし仕方がないと思っていたのですが、いつの間にか社交界で身持ちの悪い令嬢として噂されるようになってしまいました。私が夜会に出席しても遊び目当ての男性に声をかけられることが多く、アル様との婚約を建前にいろいろな誘いを断っていたのです。婚約が解消になれば新たな婚約者を探す必要がありますが、自分を蔑んで接してくるような男性との縁など結びたくなかったのです」
「麦踏み……それだけでそんな酷い噂になるの?」
「これは自業自得なんです」
アル様は悔しそうに奥歯を噛みしめている。怒ってくれている。
噂は悪意を持つ人によって尾ひれがつく。弁解しても払拭することは難しい。貴族令嬢が麦踏みをするなどあり得ない。噂を流されたのは15歳の時だった。まだ淑女としての自覚が弱く自由に振る舞い過ぎていた。ちなみに三年経った今でもその噂は消えていない。
私は貴族に向いていないのかもしれない。
まだ15歳の少女が身持ちが悪いという不名誉な噂をたてられれば傷つき落ち込んでしまう。そして社交界を恐れ嫌悪してしまった。それから私は社交から距離をおいた。幸い我が家は社交に力を入れなくても成り立つ。私はそれに甘えさせてもらっていた。
アル様の留学が長引いていることからいずれ破談になるだろうと臆測され、いろいろな縁談が私のところに舞い込んでいた。私と結婚するということはベルツ伯爵家の婿になれる。爵位こそ伯爵家だが我が領地は大きなダイヤモンド鉱山を抱えている。ベルツ領から出荷するダイヤモンドは良質で高値で取引され各国の王家との取引もしている。婚約者がいる状態であっても潤沢にある資産を我が物に出来ると考えての縁談が引っ切り無しに来る。私の悪い噂を抜きにしても私との結婚には旨味があるのだ。たとえ国内にいなくてもアル様の存在はその縁談を断る正当な理由となる。
もちろん当初はアル様を純粋に慕っていたので結婚出来ることを夢見ていた。だが、度重なる帰国の拒絶に私との結婚が嫌なんだと考え始めていた。
それでも心のどこかでお医者様になるための勉強が忙しいだけで、きっといつか帰国して結婚してくれるのではないかという期待もあった。年々その期待も薄れていった。他に愛する人が出来たのかもしれない。私では駄目なんだという諦めを抱くようになった。
アル様が留学して十年経ち私も18歳になる。そろそろ限界だと思っていた。それに私の都合で継続していたことにも罪悪感があった。アル様は解消を望んでいる。アル様の幸せの為にも早く解消するべきだと分かっていたが、この婚約が自然消滅のような形でなくなってしまうのは嫌だった。私にとってアル様は初恋で大切な人。今の自分にとって恋ではなくなってしまったかもしれないが、それでも純粋な好きな気持ちは続いていた。婚約を解消するなら会ってきちんと終わらせたかった。
もうずっと前から次の再会が、アル様との別離になる覚悟はできていた。
「マリエル。自分の屋敷だと思ってゆっくりくつろいでくれ」
「ありがとうございます。バート様」
お言葉に甘えて出された焼き菓子も有り難くいただく。
丁度小腹が空いていたので嬉しい。カラフルなクッキーが美しく盛られた皿をじっと見る。できれば全種類、ご賞味したいところだ。ちなみに今応接室にいるのはアル様とクルト様、カサンドラ様に私とバート様だ。視線を感じてそちらを見ればアル様が私を見てくすりと笑った。何か変だったかしらと首を傾げる。
「マリエルは変わっていないわね。物怖じしなくて緊張もしないでしょう? 初めて来た国の知らない屋敷の応接室で、早速寛いでお茶をしているのってすごいわ」
懐かしそうな顔で誉めて?くれていると思ったが心配になって一応確認した。
「えっと、それは長所と受け止めていいのでしょうか?」
「もちろん、そうよ。マリエルのそういう所、私ずっと憧れていたのよ」
なんと! 天使様に憧れて頂けるなんて図々しい性格でよかった。
しばらくするとノックと共に扉が開いた。そこに現れたのは背の高い美女だった。意志の強そうな目がバート様にそっくりだ。
「バート。お帰り。皆さま、お出迎えも出来ず申し訳ありません。ようこそ、ブルメスターへ」
そう言って美女はウインクをした。悩殺されてしまいそう。豪快な挨拶が気持ちいい。
「姉上。もう少し畏まってください。クーニッツ伯爵ご夫妻が驚いてしまいますよ」
「バートは固いわね。改めまして、ヒルデガルト・ブルメスターと申します。私のことはヒルダとお呼びください。侯爵家の長女でバートの姉です。弟がお世話になりました。両親と兄は病院で診察中なのでご挨拶できず申し訳ございません。夜には戻ると思います。皆さまを歓迎します。どうぞ寛いでお過ごしください」
バート様の言葉にヒルダ様は改めて挨拶をして下さった。ヒルダ様に対して私たちも順番に挨拶をした。
「初めまして。クルト・クーニッツと申します。そして妻のカサンドラです。こちらこそ息子がお世話になりありがとうございます」
「初めまして。マリエル・ベルツと申します。この度は滞在をお許し頂きありがとうございます。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるとヒルダ様は私をじっと見る。私が首を傾げるとヒルダさんは意味深にニンマリと口角を上げたが何もおっしゃらなかった。
「さて、アルはご両親と十年振りの再会ね。まずはきちんと話をしなさい。バートはマリエルさんの相手をしてあげてね。私は病院に戻るわ。では皆さま晩餐でお会いしましょう」
どうやらヒルダさんは仕事中で診察の間の休憩時間を使ってきてくれたようだ。申し訳なくて恐縮してしまう。
「マリエル。疲れていないなら庭にでも行かないか?」
「はい。行きたいです」
バート様の案内で庭に出れば一面に薔薇の花が咲いていた。その美しさに目を奪われながら先に進むと、すでにテーブルと椅子が用意されていた。バート様が椅子を引いてくれたのでお淑やかに腰を下ろす。
テーブルには侍女が新しいお茶と先程とは違う焼き菓子を並べる。こちらも全部ご賞味したい……が、それだと晩餐がお腹に入らなくなるかもしれない。そちらも楽しみなので悩ましい気持ちになりながらお皿を見つめれば、それに気づいたバート様がくすりと笑う。
「菓子はほどほどにしておいた方がいいだろう。この菓子なら明日も用意させるから心配しなくていい」
「はい!」
私はぱあっと顔を輝かせ、晩餐を考慮した上で菓子に手を伸ばした。
「マリエルは……アルを見ても驚かなかったな。気付いていたのか?」
「いいえ。全く知りませんでした。でもどんな格好をしていてもアル様は素敵なので問題ないです」
驚きよりも美しさに圧倒されて気にならなかった。
「そうか」
バート様は優しい笑みを私に向けた。そのまま二人で薔薇を愛でながらまったりと過ごした。沈黙もバート様となら気まずくならない。
「バート。マリエルと話がしたいのだけどいい?」
アル様がバート様に声をかける。ご両親との話は終わったようで私と話す為に来てくれたようだ。
アル様の瞳は真っ赤になっているが表情は穏やかだった。クルト様とカサンドラ様とのお話はアル様にとっていいものになったようだ。
「分かった」
バート様は席を立つとそのまま屋敷へと戻られた。その空いた席にアル様が座る。侍女が彼のための新しいお茶を置いた。
「マリエル」
「はい」
緊張感が漂い私は背筋を伸ばした。アル様は私に向かって深く頭を下げた。美しい金髪がサラリと流れる。
「ずっと……黙っていてごめんなさい。もっと早く打ち明けなければならなかったのに。マリエルとの婚約も継続したままであなたの大切な時間を奪ってしまったわ」
「いいえ。以前お手紙で解消したいとおっしゃっていただいていたのを私が無理を言ったのですからアル様は悪くありません。実は私にも事情があって仮であっても婚約を継続していたかったのです。そこには打算があってずるをしたので謝らないで下さい。私はアル様を利用したんです」
アル様は顔を上げると不思議そうな顔をした。いきなりずるをしたと言っても意味が分からないだろう。
「ずる?」
「はい。実は私、社交界でとっても評判が悪いのです。アル様もご存じだと思いますが私はお転婆で貴族令嬢らしくないでしょう? 領地にいるときに領民に交ざって麦踏みをしているところを、とある貴族令嬢に見られてしまって、はしたない令嬢と噂されていたのです。それだけなら事実ですし仕方がないと思っていたのですが、いつの間にか社交界で身持ちの悪い令嬢として噂されるようになってしまいました。私が夜会に出席しても遊び目当ての男性に声をかけられることが多く、アル様との婚約を建前にいろいろな誘いを断っていたのです。婚約が解消になれば新たな婚約者を探す必要がありますが、自分を蔑んで接してくるような男性との縁など結びたくなかったのです」
「麦踏み……それだけでそんな酷い噂になるの?」
「これは自業自得なんです」
アル様は悔しそうに奥歯を噛みしめている。怒ってくれている。
噂は悪意を持つ人によって尾ひれがつく。弁解しても払拭することは難しい。貴族令嬢が麦踏みをするなどあり得ない。噂を流されたのは15歳の時だった。まだ淑女としての自覚が弱く自由に振る舞い過ぎていた。ちなみに三年経った今でもその噂は消えていない。
私は貴族に向いていないのかもしれない。
まだ15歳の少女が身持ちが悪いという不名誉な噂をたてられれば傷つき落ち込んでしまう。そして社交界を恐れ嫌悪してしまった。それから私は社交から距離をおいた。幸い我が家は社交に力を入れなくても成り立つ。私はそれに甘えさせてもらっていた。
アル様の留学が長引いていることからいずれ破談になるだろうと臆測され、いろいろな縁談が私のところに舞い込んでいた。私と結婚するということはベルツ伯爵家の婿になれる。爵位こそ伯爵家だが我が領地は大きなダイヤモンド鉱山を抱えている。ベルツ領から出荷するダイヤモンドは良質で高値で取引され各国の王家との取引もしている。婚約者がいる状態であっても潤沢にある資産を我が物に出来ると考えての縁談が引っ切り無しに来る。私の悪い噂を抜きにしても私との結婚には旨味があるのだ。たとえ国内にいなくてもアル様の存在はその縁談を断る正当な理由となる。
もちろん当初はアル様を純粋に慕っていたので結婚出来ることを夢見ていた。だが、度重なる帰国の拒絶に私との結婚が嫌なんだと考え始めていた。
それでも心のどこかでお医者様になるための勉強が忙しいだけで、きっといつか帰国して結婚してくれるのではないかという期待もあった。年々その期待も薄れていった。他に愛する人が出来たのかもしれない。私では駄目なんだという諦めを抱くようになった。
アル様が留学して十年経ち私も18歳になる。そろそろ限界だと思っていた。それに私の都合で継続していたことにも罪悪感があった。アル様は解消を望んでいる。アル様の幸せの為にも早く解消するべきだと分かっていたが、この婚約が自然消滅のような形でなくなってしまうのは嫌だった。私にとってアル様は初恋で大切な人。今の自分にとって恋ではなくなってしまったかもしれないが、それでも純粋な好きな気持ちは続いていた。婚約を解消するなら会ってきちんと終わらせたかった。
もうずっと前から次の再会が、アル様との別離になる覚悟はできていた。
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