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2.弁償がご褒美

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 エリーゼは子爵令嬢だった。二年前まで貴族であったが領地持ちではなく貧しくはないが裕福でもない名ばかりの貴族である。婿を取るほどの名門ではないし両親ものんびりしていて老後は爵位を返上して田舎でのんびり暮らそうと計画を立てていたほどだ。そのためエリーゼは早く自立して自分の力で生きていきたいと思っていた。就職に有利になるよう勉強を頑張り学園でのテストは常に首位をキープした。

 学園の卒業を半年後に控えたある日、両親が事故で亡くなってしまう。頼れる親戚もいない状況は悲しむ余裕を奪った。生活が出来てこそ悲観することが出来るのだ。
 泣く泣く学園を中退し、爵位は維持費が払えないので返上した。いずれ返上の予定だったので未練はない。
 急いで働き先を探していたら、ある貴族の幼いご令嬢の家庭教師を紹介された。勉強は週に四日で住み込みである。これほどの好条件はないと飛びついた。たとえ我儘なお嬢様でも絶対に辞めないと意気込んでいたが、会ってみれば可愛らしい素直なお嬢様で心を打ち抜かれた。そこでの暮らしが落ち着いてくると両親を亡くした悲しみや果てしない孤独感がじわじわと心を締め付けてくる。それでも気遣ってくれたお屋敷の人達と可愛いお嬢様のお陰で乗り越えられた。

 そんな穏やかなある日、勤め先の侯爵夫人に呼び出される。

「エリーゼ、実は公爵家のガーデンパーティーの招待状を頂いたの。きっと独身の公爵様の弟さんの縁談のきっかけ作りね。流石にうちの娘は幼くていけないから、あなた行って来て下さいな」

「はっ?」

 いやいや、私が出席したら駄目なやつです。私婚活してませんし。

「ドレスならお嫁に行った娘のが残っているからそれを着て行けばいいわ」

 確かに公爵家に行けるようなドレスは持っていませんが。

「えっ?」

「出席さえしてくれれば結婚相手を探さなくてもいいのよ。公爵家だから美味しいお菓子やお茶があるわよ。デザートビュッフェだと思えばいいわ」


 わざわざ公爵家にデザートだけ食べに行く女なんていないと思いますし失礼ですよね?

「あの……」

「侍女長には伝えておくから支度を手伝ってもらいなさい。じゃあ、明日だからよろしくね」


 …………。私もう平民だし、そんな婚活パーティーには行きたくないんですが、しかも公爵家なんて敷居が高くて無理ですという言い訳は口の中に消え半ば強引に出席が決まってしまった。
 翌日侍女長が持ってきたドレスを着て公爵邸に送り出された。急展開過ぎて気持ちが追い付かない。



 そして先程の惨状である。
 記憶を手繰れば背中を押された後、アデリアの着ていた真っ赤なドレスが走っていくのが見えた。きっと彼女がわざとぶつかってきたのだ。子供みたいな嫌がらせだがこれは堪える。
 その場で彼女を取り押さえられれば、一緒に謝罪させて弁償代を折半させたのに今となっては証拠もないし悔しい。

 アデリアは学園にいた時からエリーゼに突っかかってきた。
 いや、エリーゼだけではなくアデリアより高位貴族であっても反撃できなさそうな気の弱いご令嬢にもだ。たぶんアデリアは爵位は低くても自分の方がいい女ですよ的な優越感に浸っていたのだろう。確かにその時からアデリアの胸は大きかったがそれで勝ち負けを競われるのは迷惑である。

 エリーゼに成績では敵わないから、爵位や洋服、持ち物で貶める。
 アデリアの伯爵家はかなり裕福のようだったので、散々貧乏人扱いをされた。エリーゼは物欲がないし身だしなみはきちんとしている自負があったので、何を言われても嫌味に反応しない。そうするとエスカレートして物を隠されたり服に水を掛けられたりといろいろあった。その時間を勉強に充てればいいのに嫌がらせに無駄な努力をしている。腹は立ったが相手の方が爵位が上ではあるし、揉め事を起こして就職が不利になるのを恐れて我慢したのだ。

 学園を出てもう二年、いい大人になってもまだやるのかと呆れてしまう。人間の中身はそう簡単には成長しないものらしい。それにしてもあの時言い返さなければこんなことにはならなかっただろう。自分の対応の失敗を大いに反省した。
 いや、それよりも公爵様に謝って花瓶の代金の弁償を分割払いにしてもらわないときっと払えない。

 さすが公爵家と言うくらい豪華な応接室で待っていると、ヘンケル公爵様じきじきにいらっしゃった―――。

 「エリーゼさん、お待たせしてすいません」

 てっきり家令と話をすることになると思っていたので不意打ちに焦りが増す。
 すぐさま立ち上がり90度に腰を折りお詫びをする。

「ヘンケル公爵様、この度は高額な……いえ、大切な花瓶を割ってしまい申し訳ございません。あいにく、弁償するだけのお金がないので体(労働)で返させてください」

 体で返すってなんだ……咄嗟に出た言葉であるが自分で呆れる。
 言い切ると頭を下げたまま、公爵様のお言葉を待つ。頭上でくつくつと笑う声がする。

「顔をあげて座ってください。あの花瓶はそれほど高いものではない。弁償など気にしなくても大丈夫ですよ」

 その言葉にぱっと顔をあげる。座るように促され、恐縮しながら腰を下ろす。
 目の前のアーベル・ヘンケル公爵様は35歳で大人の色気と余裕を感じさせる紳士だ。
 威厳がある中にも温厚そうな人柄で優しい雰囲気を感じる。
 高位貴族でありながら晩婚で二年前にご結婚をされているが、その凛々しい顔は結婚していても変わらぬ人気と聞く。
 夫人は15歳年下で歳の差婚の溺愛である。公爵様の一目惚れでの熱烈な求婚の話は社交界で伝説のように語られているらしい。一途な男性は素敵である。
 真面目なエリーゼは弁償なしと言うのは受け入れがたい。有り難いが申し訳なさが勝るので全額は無理でも払える分は払いたい。

「公爵様、本当にありがたいことですが、さすがに全く支払わないわけにはいきません。全額は無理ですが出来る限りはお返ししたいと思っています。例えば……分割払い……とか?」

 公爵さまは長い足を組み思案顔でエリーゼに提案した。

「じゃあ、体で払ってもらおうかな?」

「はい。えっ! あの体と言っても労働的な!」

 愛妻家の公爵様の体で払うと言う言葉に顔が引きつりつつも労働的な意味でと強調する。

「もちろん、そのつもりだよ」

 公爵様は茶目っ気のある笑顔を見せた。エリーゼは自分の杞憂の恥ずかしさに顔を赤くする。

「うちの図書室の整理を頼みたい。ちょっと量が多いが、週に二日くらいの通いでお願いしたいが大丈夫だろうか? まあ、急がないから出来るだけ丁寧に仕事をしてほしい。なにしろ傷んでいる本もあるからね」

「はい、今の住み込みの仕事が週四日なので大丈夫です。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げ公爵様に顔を隠しながらにんまりしてしまう。
 エリーゼは大の読書家である。図書室は居るだけでパラダイスではないか。しかも名門公爵家の図書室など簡単に入ることは出来ない。
 これは弁償の代わりのお仕事なのにエリーゼにとっては完全にご褒美であった。



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