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3.二人語らう
しおりを挟む勤め先の侯爵家にガーデンパーティーの出来事を正直に伝えて、お嬢様の授業がない日を公爵家のお仕事に行く日にすることを快く承諾してもらった。
ちょうど授業のない翌日からヘンケル公爵家の図書室に通う。お仕事で来ているのでお客様ではないが、何故か玄関で執事が丁寧に迎えてくれる。
お昼は図書室の隣の空き部屋を休憩室として昼食の場にしてくれる上にランチまで用意してくれるそうだ。花瓶を割った罪人には過ぎる厚遇である。
仕事内容は本の位置を目録通りに並べ替え、補修が必要な物はよけてまとめておく。あとは専門の職人が補修するそうだ。
簡単な作業だが本の位置がかなりバラバラになっている上に重さもある。地味なコツコツ作業であるが色々な種類の本を見ることができて楽しい。
読みたい本があるなら申告すれば貸していただけるそうだ。いいこと尽くめで震えてしまう。
エリーゼは図書室の端の棚から手をつけた。脚立を掛けて棚の上段から1冊ずつ丁寧に確認する。本に囲まれている幸せを噛みしめる。手を動かしながらもお昼休みはどれを借りて読もうか悩んでしまう。いや、今は作業に集中しなければと気合を入れる。
「?」
上機嫌で作業を進めていると足元からくつくつと笑う声に気がついた。
脚立の上から見下ろせば、まず癖のある柔らかそうな金髪が見え、そして眼鏡越しのアイスブルーの瞳と目が合った。
一目見たら忘れられない『高身長に見目麗しいお顔、現在王宮で優秀な文官として働いている25歳独身の好物件』と評判の公爵様の弟である。
何故ここにと思ったがエリーゼは慎重に脚立を降りると慌てて挨拶をした。
「はじめまして、本日より図書室の整理をすることになりましたエリーゼと申します」
なぜか肩を震わせている。
「ご丁寧にどうも。私はクラウス・ヘンケル。公爵家当主アーベル・ヘンケルの弟です。よろしく」
「あの? なにかおかしいことでもありましたか?」
「いえ、図書室の前を歩いていたら歌声が聞こえてきて、音程が……」
笑いながら教えてくれた。なんてことだ。無意識に歌ってしまったようだ。エリーゼは楽しいことに夢中になると無意識に歌い出すらしくて、両親には音痴だから外では気をつけるように言われていたのに……。
「もっ申し訳ありません。下手な歌を聞かせてしまって」
「いえ、笑ったりしてこちらこそ失礼でしたね。作業が捗るなら歌っていても大丈夫ですよ」
「いえ、気を付けます」
顔を真っ赤にしながら頭を下げた。穴に入りたい。今から急いで掘るので入らせてほしい。
クラウスは肩を揺らしながら部屋を出ていった。恥ずかしすぎる……。その後はなんとか心を無にして作業を続け、ぐったりしながら無事に帰宅した。できれば次のお仕事の日は顔を合わせずにいたいと夜空の星に祈った。
残念なことにエリーゼの願いは叶わなかった。
「おはようございます。クラウス様」
朝からクラウスは麗しいが、僅かに肩が揺れてる。思い出し笑いをされている可能性が大である。いろいろ諦めて気にしないことにした。
「おはよう。エリーゼさん。今日は探したい本があるのでしばらく図書室にいますが、私の事は気にしないで作業をしてください」
「はい。ありがとうございます」
絶対に歌うわけにはいかない。しっかりと意識を保って仕事に集中する。作業を続けているとクラウスが話しかけてきた。
「今日は歌わないのですか?」
「歌いません」 (前回は無意識だったので許してほしい)
「遠慮しなくても大丈夫ですよ?」
「お気遣いなく、本当に歌いません」
不思議なことに眉を下げ残念そうな顔をされている。まさか聞きたい訳ではないですよね……。
暫くするとクラウスは席を立ち本を数冊抱えて退出した。
ふうと息をつく。やはり作業に集中していても同じ部屋にいると緊張してしまう。
それは美形の圧というかなんというか。お茶会でちらりと見た時はあまり表情もなくて冷たい雰囲気を纏っていたけど案外気さくな方で話し易かった。
クラウスが退出したあと集中して作業していたらかなりの時間が経っていて、時計を見ればちょうどお昼である。切りのいいところまで進んだので休憩しようと隣の部屋に移動する。
扉を開けたらクラウスがテーブルにお昼のサンドイッチの乗った皿を二人分置いている所だった。
「申し訳ございません。わざわざ持ってきて下さったのですか? ありがとうございます」
「私は持ってきただけですよ。よかったらお昼をご一緒しませんか。というかそのつもりで私の分も持ってきてしまいました」
ニッコリといい笑顔で言われたら断ることなど出来るはずがない。緊張してサンドイッチが喉を通るか心配になる。
「はい、ぜひご一緒させて下さい」
何故こんな事になったと思いながら、せめてお茶くらいはとエリーゼが用意されていたポットからティーカップへお茶を注ぐ。
「「いただきます」」
向かい合わせに座りサンドイッチを手に取る。
意識したら公爵家のランチの味が分からなくなってしまうので気にしないように心掛け口の中のサンドイッチを味わう。ローストビーフが具のサンドイッチは豪華で本当に美味しい。じっくりと味わっていると正面で真剣な顔でサンドイッチを咀嚼するクラウスがいる。
クラウスの顔は整っていてうっかりすると見とれてしまう。
「このサンドイッチは私の好物なんだ。エリーゼさんの口に合えばいいが」
「ものすごく美味しいです。ローストビーフもですけどソースもとてもお肉にあっていますよね」
本日のサンドイッチはクラウスのリクエストだったらしい。
「ところでエリーゼさんは本が好きみたいだけどお気に入りの本とかあるかい?」
「本が好きそうに見えますか?」
「図書室で作業をしているときの満面の笑顔を見たらそうなんだろうと思ってね」
歌までうたって顔はにやけていたなど淑女失格だ。もう取り繕っても仕方ないので堂々と宣言した。
「はい、ものすごく大好きです。ちなみに一番好きな本は言語辞典です」
クラウス様は眼鏡の向こうの瞳を丸くしたあと、にっこりと笑う。
「私もだ。すごい偶然だね」
意外な反応に困惑してしまう。この話をすると理解できないという顔をされるのが普通だ。
「あの、引かないんですか? みんな恋愛小説とか推理小説ならわかるけど辞典って言うとなんか……あの……」
「馬鹿にされる? 私も聞かれたときに辞典というといつも変な目で見られるから分かるよ」
こんなところに仲間がいるなんて誰が想像できただろう。純粋に嬉しい。
「知らない言葉を調べる喜びだけでなく、ただ初めから読む楽しさもありますよね」
「言葉を網羅した素晴らしい集大成である辞典を一語ずつ読み進める幸せは何とも言えないな」
そのまま二人はお昼休みが終わるまで辞典について語り合った。
図書室に戻ろうとしたら何故か手を差し出された。
「あの……?」
困惑してクラウスを見上げれば、口元を綻ばせ優しい表情でエリーゼを見ていた。
「図書室は隣の部屋ですが、どうかエスコートをさせてください」
「えっ。大丈夫です。クラウス様を煩わせるようなことをさせられません」
想像もしなかったまさかの申し出に驚いてしまう。
「私がそうしたいのですが、嫌ですか」
「そんなことないです。ただ父以外の男性にエスコートをされたことがないので驚いてしまって」
「私が初めてですか。それは光栄だ。さあ、どうぞ」
嬉しいけれど恥ずかしい。緊張で指が震えるのを止められないまま、そっとクラウスの手に自分の手を添えた。指先から自分の心臓のドキドキが伝わらないよう祈りながら歩くことになってしまった。
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