図書室で公爵弟に恋をしました。今だけ好きでいさせてください。

四折 柊

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9.可憐な令嬢

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 王宮に到着すると先に馬車を降りたクラウスが手を差し出す。エリーゼはとっさにその手を取ろうとしたが慌てて引っ込めた。その行動にクラウスは表情を曇らせ手をおろしエリーゼを見つめる。
 目の合った一瞬の時間がエリーゼにはとても長く感じられた。クラウスは表情を消すと先に歩き出した。その後ろを三歩ほどの距離を空けてついて行く。いつもなら彼の隣を歩いていたがこれが本来の二人の距離だ。顔を上げ彼の広い背中を見つめながら許されない距離を思い知らされ心が締め付けられる。
 王宮内を進み図書館に入るとクラウスが窓口で手続きをする。

「エリーゼさん。奥の個室を借りました。そこで作業をします」

「あの、奥に私は入れないのでは……」

「私と一緒なら大丈夫です。今その申請もしましたから安心して下さい」

 王宮図書館の一般公開エリアの奥にはもう一つ扉があり、その先には持ち出しの出来ない高価な本や禁書そして個室スペースがあり侯爵家以上の人間もしくは一定以上の役職の文官しか入室が許されていない。もちろんエリーゼが立ち入ることはできない場所だ。クラウスと同行することで許可が出るらしい。

 個室まで歩く途中でクラウスは必要と思われる本を棚から抜き出しながら歩く。文官をしているだけあって何がどこにあるか把握しているようだ。

 奥まで行くと個室がありクラウスは扉に使用中の札をかける。
 ここを使うのは王族や高位貴族だからなのか中は想像したより広く、立派な長テーブルが2台に椅子が4脚あり、本を広げ調べものをするには十分なスペースがある。クラウスは集めた本と持っていた厚みのある書類の束を机に広げる。

「こちらの調査書を分かる範囲で訳してください。専門用語など不明なのは飛ばして構いません。終わったものから私が確認して補記します。この量を今日中に終わらせなければならないので大変だと思いますがよろしくお願いします」

「分かりました」

「隣国語の辞典を持ってきました。よかったら使ってください」

 流石というかクラウスは先程の気まずさなど微塵も感じさせずテキパキと仕事の指示を出す。エリーゼも気持ちを切り替え書類の翻訳を始めた。クラウスの用意してくれた本はとても参考になり使いやすかった。没頭してしまえば音すら感じないほど集中して進めることができた。
 切りのいい所で顔を上げると斜め前にいるクラウスが本を見ながら何かを書き写している。その男性らしい固く大きな手が持つペンは滑らかに動き綺麗な文字が次々と現れる。作業中だというのにエリーゼはその手にドキドキしてしまい思わず頬が赤くなる。いつまでもその姿を見ていたいと思ったが見惚れている訳にはいかないと気持ちを引き締め再び作業に集中した。6時間ほどかかったが無事に完成させることができた。

「エリーゼさん。ありがとうございました。無事に終わりました。この訳ができていないと商談が進められないので本当に助かりました。休憩もできないままで申し訳ありません。遅くなりましたがどこか店に寄って食事にしましょう」

「いえ、今日はこのまま侯爵邸へ帰ります。クラウス様はそのまま馬車で行ってください。私は一人で帰れますから」

 クラウスは首を左右に振るとエリーゼの言葉を拒絶する。

「今日は無理を言って手伝ってもらっています。ずっと働き通しで疲れているのに一人で帰す訳にはいきません。食事を一緒に摂りたくないならせめて侯爵邸まで送らせて下さい」

 そう言ってクラウスが立ち上がった瞬間、ノックもなく扉が開き鈴を転がしたような少女の声がした。

「クラウス様! お会いしたかったです!」

 はやる気持ちが抑えられなかったのか入室の断りもなく少女は入ってきた。走ってきたのか僅かに息を切らして顔も上気している。レースがたっぷりとあしらわれた高価な水色のドレスを着た可愛らしい令嬢だった。精悍なクラウスの隣に可憐な花の様な少女が並ぶと1枚の絵画のように美しい。

「シュナイダー侯爵令嬢。今日はどうしてこちらに?」

「お父様とお食事の予定があって王宮まで迎えに来たのです。そしたらクラウス様がこちらにいると聞いたので、ぜひクラウス様もご一緒にとお誘いしたくて来ました」

 その令嬢は花が綻ぶような笑みをクラウスに向けると甘えるように彼の腕に抱き着いた。それはあまりに自然な仕草でエリーゼはショックを受け目を逸らす。

「せっかくですが仕事で屋敷に戻らなければいけないので遠慮させて頂きます」

 そっけなく言うとクラウスはその手をさりげなく外し令嬢と距離を取ろうとする。
 彼女は何故手を離されたのか不思議そうに首を傾げたが躊躇うことなくもう一度クラウスの腕に自分の腕を絡めた。今度は外させないとでも言うように強く。無邪気で何の疑問も持たない彼女の行動にエリーゼの心が悲しみの悲鳴をあげる。

「クラウス様はお仕事熱心ですね。文官はもう辞められたのに公爵家のお仕事が忙しいのですか? でもどうか今日は私の為に時間を作ってください。昨日はせっかくのお茶の時間を少ししかご一緒出来なくて残念に思っていました。婚約のお話も早く進めたいですしお願いします」

「シュナイダー侯爵令嬢。そのお話はお断りしたはずですが?」

 令嬢はクラウスの言葉を冗談でしょうと笑い飛ばす。

「まあ、クラウス様。侯爵家への婿入りを断るなんておかしなことをおっしゃるのね。それと私の事はカタリーナとお呼びになってください。そうだわ。お仕事の事ならそこにいる侍女に公爵様に伝言をしてもらえばよろしいでしょう?」

 彼女の甘えるような声が耳に張り付き頭に響く。この場にいることが耐えられなくてエリーゼは先に帰ろうと荷物をまとめた。エリーゼの地味な姿を見れば侍女だと思うのは当然なのにそれに傷ついてしまった自分自身も許せなかった。

「シュナイダー侯爵令嬢。彼女は侍女ではありません。彼女は」

 エリーゼはその先の言葉を聞きたくなくて咄嗟に遮った。

「クラウス様。先に帰りますね」

 早口で伝えると令嬢に会釈をしてその横を足早に通り過ぎ図書館を後にした。後ろからエリーゼを呼ぶクラウスの声が聞こえたが顔を俯け立ち止まることなく外に向かった。
 クラウスはエリーゼを追ってはこなかった。



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