本当はあなたに好きって伝えたい。不遇な侯爵令嬢の恋。

四折 柊

文字の大きさ
15 / 33

15.あなたとのダンス

しおりを挟む
 リックはいつも忙しそうだ。ジリアンがお使いでお店に行って二人でお茶をしていても彼を訪ねて来る人は多い。男爵令嬢のファニー以外にも女性が話しかけにやってくる。たいていは甘い声でデートのお誘いをしている。

 リックは仕事上の相手なので明確に突き放さないがやんわりと断っている。そんな資格はないのに「彼に近づかないで」そう言いたくなる。彼は魅力的な男性だから、女性に言い寄られるのは当然だ。いつかきっとたった一人を選ぶ。それがジリアンではないと思うと胸が引き裂かれそうだった。
 今夜も夜会に出なければならない。憂鬱な気持ちで準備のためにエヴァの部屋に向かう。

「ジリアン。今夜はこれに着替えて夜会に出なさい。主催者は公爵家です。くれぐれもみっともない振る舞いはしないように。これは特に高価なドレスなのだから汚さないように気を付けて。あと宝石も傷をつけないように注意しなさい。どれもあなたには到底弁償できるようなものではないのだから」

「はい。おく、伯母様」

 夜会に出るための支度をするときはアンからジリアンになりエヴァを「伯母様」と呼ぶ。普段は「奥様」なのでつい言い間違えそうになる。

「ジリアン。手袋を忘れずにね。決して外さないように」

「かしこまりました」

 これも夜会に出るたびに言われる。伯母付きの侍女の手を借りて深紅のドレスに着替える。今夜のドレスもデコルテは大きく開いている。いつもより派手な色にデザインだ。所謂男性受けしそうなものでジリアンの趣味ではない。

 やや派手目の化粧を施しライトベージュの髪はアップにして赤いバラの髪飾りをつける。最後に上等な絹の美しい刺繍が施された特注品の手袋をする。

 伯母はジリアンの全身を確かめると仕上がりに頷きながらも不快そうに眉を寄せた。ジリアンを着飾ることが不本意なのだろう。

 公爵邸に着くとイヴリンは足取りも軽く会場に向かう。ジリアンは気が重くて仕方がない。結婚したくないがもしも縁談がまとまってしまえばリックのことを諦められるのかもしれない。主催者の公爵家の三男であるヒューゴは自分に婚約を申し込んできた相手だ。エヴァはジリアンとの話は断りイヴリンへの婿入りを打診中らしい。正直なところ断ってくれたのは有難いが、気まずいので今夜ヒューゴと接触することは遠慮したいものだ。

 会場入りしてしばらくすると、スラリと洗礼された柔和な男性が声をかけてきた。懸念通りヒューゴに声を掛けられてしまった。ヒューゴはモテるようで若い令嬢が彼に秋波を送っている。イヴリンもうっとりと見惚れている。

「こんばんは。イヴリン嬢、ジリアン嬢。一曲お願いできますか?」

 挨拶の後すぐにジリアンに手を差し出しダンスに誘う。さすがに断れなくて手を取る。イヴリンは目を見開くと自分が最初にダンスを誘われなかったことに対して苛立ったようで、ジリアンをキッと睨みつけたが気付かなかった振りをしてヒューゴの手を取った。

 イヴリンは飛びぬけて美人ではないが大きな瞳が愛らしく守ってあげたくなるような雰囲気がある。イヴリンも男性からダンスを誘われているようだが断ってこちらをじっと見ている。
 ジリアンは音楽に合わせてヒューゴとステップを踏む。彼はそつなくリードをしてくれていた。

「ジリアン嬢。私ではお気に召さなかったのでしょうか? 正直断られて落胆しました。私は三男ですが親から子爵位を譲ってもらうことが決まっています。贅沢とまではいきませんが不自由な生活はさせませんよ。イヴリン嬢との話が進んでいますが正直婿入りは気を遣うので敬遠していました。出来れば私とのことをもう一度考えては頂けませんか?」

 やはりその話になってしまった。

「申し訳ございません。伯父と伯母が決めるので私にはどうすることも……」

「ああ、やはりそうでしたか。あなたの傲慢で我儘だという噂と実際の立ち振る舞いが一致しないのできっと事情があるのだと思いました。ですがカーソン侯爵夫妻があなたの親権を持っている以上仕方ありませんね。ごり押ししてジリアン嬢を困らせる訳にもいかないので引き下がりましょう。残念です」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 ヒューゴは終始穏やかだった。そして詳しく話せない事情も汲み取ってくれたようでホッとした。社交界で伯父夫婦はジリアンを庇う発言をしながらさりげなく貶めていたようだが、分かる人には分かってしまうようだ。

 ヒューゴは曲が終わるとジリアンを壁際に連れて行き今度はイヴリンの手を取った。イヴリンは嬉しそうにホールへ向かっていく。たぶん今回の夜会はヒューゴとイヴリンのお披露目的な意味合いがあったのだろう。ヒューゴの様子ではすでにイヴリンとの婚約は受け入れているように見える。彼がジリアンに求婚したのは恋情ではなく何か利点があったに違いない。だからジリアンが絶対に必要だった訳じゃない。そのことは気持ちを少しだけ軽くした。

 ジリアンはボーイから果実水を受け取り喉を潤した。バナンもエヴァも公爵夫妻と歓談中だ。

「アンさん?」

 ジリアンは自分を呼ぶ声に体を強張らせた。この声は……。ゆっくりと振り向き声の主を見る。視界に入った男性は自分より頭一つ分ほど背が高い。いつもはラフな格好しか見たことがないが今はテールコート姿だ。金色の髪を後ろに撫で付け貴公子然とした姿に自分の知っている彼なのかと一瞬疑問に持ち思わず問いかけるように名を呼んでしまった。

「リックさん?」

「ああ、やはりアンさんだった。なぜここに?」

 ジリアンは返答に詰まり視線を彷徨わせる。思わぬ場所で密かに想いを寄せる相手との邂逅にどうしていいか分からない。リックはジリアンに手を差し出した。

「一曲踊って頂けますか?」

 逡巡するがこのまま話すよりダンスをしている方が不自然ではないだろう。いや、それはいい訳だ。彼と踊って見たかった。

「はい」

 そのままホールに入るとリックに腰を支えられる。曲に合わせて踊り出した。彼はジリアンの耳元で小さな声で問いかける。

「レディ。お名前を伺っても?」

「ジリアン……ジリアン・カーソンと申します」

「カーソン侯爵家のご令嬢?」

「……はい。事情があってメイドとして働いていますが貴族籍に入っています。リックさんは何故ここに?」

 もうこれ以上、隠すことは出来ない。ジリアンに神様がリックを諦めるためのチャンスをくれたのかもしれない。彼との最初で最後のダンスを思い出に、この恋を終わらせるようにとの思し召しだ。

「私は仕事の付き合いで来ました。あなたが私の求婚を拒否した理由はこのせいでしょうか?」

 事情の全てを話すことは出来ない。もしここで話せばみっともなく泣いてしまいそうだ。ジリアンは眉を下げ小さく謝ることしかできない。

「ごめんなさい」

「あなたの心は私に向かってくれていますか?」

「あっ…………」

 言葉を呑み込み唇を噛み目を逸らした。それ以上何も言わないジリアンにリックは問い詰めたりしなかった。

「分かりました。ジリアン嬢。せっかくだから今はダンスを楽しみましょう」

 伏せていた顔を上げリックを見ると柔らかい笑みを向けられた。彼はどこまでもジリアンに優しい。それならば今は甘えさせてもらおう。

「はい。リックさんはダンスがとても上手ですね」

 ヒューゴも上手だったがリックと踊る方がしっくりくる。

「教養として一応身につけているからね。アンさんの足を踏むようなへまはしないから安心して欲しい」

「まあ。ふふふ」

 お互いの目を見つめ合いながらこの時間を心に刻む。お慕いしている人とのダンス。素敵な時間。それはあっという間に終わってしまった。静かに礼をしてリックのエスコートで再び壁際に戻ってきた。そこにエヴァが足早に近寄ってきた。

「ジリアン。そちらはどなた?」

 今までの幸福な時間が消え、エヴァの厳しい声を聞き背中に冷たい汗が流れる。

「カーソン侯爵夫人。初めまして、グリーン商会のリックと申します。いつもご利用ありがとうございます」

 リックはさっきまでの砕けた雰囲気を消し去り、よそゆきの顔を貼り付けてエヴァに丁寧に腰を折った。

「グリーン商会? ああ、バナンのワインを注文している……そう、そうなのね……。それで? ジリアンに何か用でも? この子はまだ婚約者がいないので平民と懇意にしているなど噂が立つと迷惑するのよ」

「それは配慮が足りませんでした。私はただ彼女のルビーのネックレスが素晴らしいものなので、お話をお聞きしたいと思いお声をかけさせて頂いたところです。厚かましくもダンスまでお誘いしてしまい申し訳ございません」

 戸惑うことなく理由を告げるその表情は隙のない商人そのものだった。エヴァはリックを一瞥すると返事をせずにジリアンの腕を掴む。

「ジリアン。あなたは先に帰りなさい。私たちは公爵ご夫妻と大切な話があります」

「はい。伯母様」

 ジリアンは一度だけリックの姿を目に焼き付けるように見つめ、帰宅のためにその場を離れた。屋敷に戻るとエヴァ付きの侍女が手際よくドレスを脱がせアクセサリーも回収していく。さっと湯浴みをすませると使用人棟の天井裏の自室に戻った。
 
 ジリアンはリックの手を取りダンスを踊ったことを思い出していた。彼の手を取りくるくると踊る。なんて素敵な一時。あの時間は大切な思い出となったが、エヴァに見られたのはよくなかった。彼に迷惑をかけることにならなければいいと願いながら目を閉じたが、今夜はいろいろなことがあり過ぎて眠れそうもなかった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

放蕩な血

イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。 だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。 冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。 その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。 「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」 過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。 光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。 ⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜

しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。 高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。 しかし父は知らないのだ。 ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。 そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。 それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。 けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。 その相手はなんと辺境伯様で——。 なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。 彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。 それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。 天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。 壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

転生公爵令嬢は2度目の人生を穏やかに送りたい〰️なぜか宿敵王子に溺愛されています〰️

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リリーはクラフト王子殿下が好きだったが クラフト王子殿下には聖女マリナが寄り添っていた そして殿下にリリーは殺される? 転生して2度目の人生ではクラフト王子殿下に関わらないようにするが 何故か関わってしまいその上溺愛されてしまう

処理中です...