20 / 21
20.王太子殿下は失恋する
しおりを挟む
信じられない思いでエルシャの背中を見送った。彼女は私に未練はないとばかりに軽やかな足取りで一度も振り返ることもなく去っていった。呆然と座りしばらく魂を飛ばした。我に返ると私は覚束ない足取りで宰相室に向かう。
「ラモン……。私はエルシャに振られたぞ……」
「でしょうね。だいたい好かれていると信じ込んでいた謎の根拠が知りたい。あの日からまともな親交も持っていなかったのに」
ラモンは私にめっぽう口が悪い。エルシャが池に落ちた事件からは特に。父である陛下は母を亡くしたことを不憫に感じているようで私を甘やかしてくれるがラモンは意地が悪い。
「私の意地が悪いのではなくマティアス殿下が阿呆なのです」
言葉に出さなかったが考えを読まれた。宰相が有能なのはいいことだが今は辛い。
「普通、幼馴染の男女は初恋同士で結ばれるのではないのか?」
「エルシャの初恋はエッカルトなので、それはありえませんね」
「ええっ?」
私ではないのか……。ショックだ。思わず深い溜息を吐いた。確かに子供の頃の私は傲慢な振る舞いが目立った。エルシャと出会った頃も無意識に自分の身分が高いという態度で接してしまっていた。私が癇癪を起こすと年下のエルシャが仕方なさそうに折れるのもイラッとした。無駄にプライドが高かったのは認める。
あの頃は母上が亡くなり塞ぎがちだった。ラモンが案じて自邸へと招いてくれた。最初の頃はエッカルトやシュトームが相手をしてくれたが、何の遠慮も手加減もなく私に剣の稽古をつける。あっという間にぼろぼろにされ途中で遊ぶのをやめてしまった。今考えればあの剣の稽古で体を動かしたおかげで、夜ぐっすり眠れるようになっていた。彼らは何だかんだと配慮していてくれたが当時の私は気付いていなかった。その後はエルシャとボードゲームをしたが、彼女は尋常じゃなく強かった。負けるたびに私が怒るので時々わざと負けていたようだ。ドムス公爵邸に通うようになってからプライドはズタボロになった。
それでも王太子と一線を引かれず遊べる時間は確かに私の心を癒してくれた。エルシャはとにかく可愛らしい子供だった。真ん丸の緑の瞳をパチパチと瞬くのは人形のようで、幼い子特有の舌ったらずで「マティ」と呼ばれるのは面映ゆかった。揶揄うと頬を膨らませるのでその顔見たさに少しだけ意地悪もした。いつかこの子がお嫁さんになったらいいなと思っていた。
自慢の親友の格好いいカメレオン「シュタルク」とエルシャにも友達になって欲しかったのだが、いつも逃げられる。なぜこの可愛さが分からないのか不思議だった。
疎遠になってしまうきっかけの事件は、我ながら酷かったという自覚はある。私はエルシャが大事にしていた小鳥の縫いぐるみを池に投げてしまった。「お母様のプレゼント!」と嬉しそうな顔に嫉妬した。もう私は母上に会えないのにと……。そんなことをするつもりはなかった。完全に衝動的だった。エルシャは小鳥の縫いぐるみを拾うために池に入ってしまった。私は助けに行こうとしたが従者に止められたので騎士に命じてすぐに助け出した。
無事ではあったがその晩エルシャは「ことりさんごめんね」とうなされていたとラモンに教えられた。「小さな子供が溺れれば命が危うかった。あなたはエルシャを殺しかけたのです」ラモンの断罪は容赦がなかった。それにより私は自分の愚かさを自覚し後悔した。子供だからといって許されるようなことではない。してはいけないことをしたのだ。
私は深く反省し、謝りたいと頼んだがラモンは「二度と会わせん!」と面会を許してくれなかった。王太子といっても宰相には逆らえない。せめて見舞いにと選んだ品を贈った。大きく強く逞しい鹿の剥製だ。その素晴らしさに感激してもらえると思っていたのになぜか不評でエルシャは怖がって泣いたそうだ。
結局、それ以降会う機会はなかったが私はエルシャに密かな恋心を抱き続けていた。
せめて贖罪の為に周囲から認められるよい王太子になれるよう日々研鑽し励んだ。貴公子然とした笑みを浮かべ紳士としての振る舞いも完璧だ。勉強だって手を抜くことはなかった。傲慢な私は卒業したと自負していた。
そんなある日、ある噂を耳にした。エルシャはドムス公爵夫人のもと淑女教育に励みそれは王家に嫁いでもやっていけるくらいの実力を身につけていると。
「そうか。エルシャも私を思い日々励んでくれているのか」そう信じていたのだが、エルシャが婚約したと聞かされ呆然とした。何でもボンノ伯爵が勝手に決めたとラモンが怒っていた。それなら王命で破棄させればと言ったらラモンから腹に一発食らわされた。父上は呆れた顔で私を見てラモンを不問にした。解せぬ。
夜会でエルシャと会っても王族と貴族として挨拶を交わすのみだ。すっかり女性らしく美しくなったエルシャを見るたびにドキドキした。彼女と話をしたい。ラモンの監視が厳しく私からは話しかけられない。出来ればエルシャから気軽に話しかけて欲しかったが婚約者がいては仕方がないと諦めた。
その後、婚約者が駆け落ちをして破棄されたと聞きホッとした。それも束の間で再度婚約を結んだと聞かされる。その時もラモンは激怒していたがむやみに婚約解消を繰り返させればエルシャの評判に関わると様子を見ることになった。
しばらく経つとその婚約も解消され、いよいよかと私は浮き立つ心を隠しながらラモンからの言葉を待っていた。
ところがラモンから聞かされたのはエルシャが私の婚約者になるということではなくアルタウス伯爵と婚約を結んだということだった。
「いや~。オリスは見どころのあるいい奴だ。エルシャを安心して任せられる」
ホクホクと満足顔で頷くラモンに怒りが湧く。
「なぜだ!! エルシャは私の婚約者になることを望んでいたのではないか? どうしてアルタウス伯爵と婚約しているのだ?」
ラモンは冷たい視線で私を見た。その威圧に背筋が凍る。
「はっ? 殿下は頭が湧いていらっしゃるのですか? エルシャが殿下を好きだなんて話を誰かしましたか? エルシャは『マティ』のことなんて何とも思っていませんよ」
わざと『マティ』と呼ぶのも癇に障る。その呼び方はエルシャにしか許していない。
「しかし! 王太子妃教育も同然の勉強をしていると聞いた。それはそういう意味ではないのか?」
「馬鹿馬鹿しい。エルシャは勤勉で向上心がある子なんです。王太子妃になりたいなんて思っていませんよ。ただ一生懸命学んでいただけです。それを自分の都合のいいように解釈するなんて図々しいにも程がある」
「そんな……。私はエルシャが妃になるものだと……」
「そもそもマティアス殿下はエルシャを妃に望んでいることを誰かに相談しましたか? 少なくとも私は聞いていません。普通に考えればもっと高位の令嬢が候補になりますね」
ラモンの馬鹿にするような言い方に私はムッとして言い返す。
「そなたたちは側近なのだから、いちいち口に出さなくても私の思いを察知して根回しするべきだろう?」
ラモンは私を侮蔑した。それは王族に向けるような視線ではない。
「どんな暴君を目指しているのですか? 政略でなく恋愛で妃を迎えたいのなら自分で動き心を尽くすべきでしょう。その受け身の姿勢で相手に愛してもらえるとでも思っているのですか? 少なくとも王は、あなたの父上は周囲の反対を押し切って王妃様を迎えたが、それはそれは苦労して必死でしたよ。何もしないで座っているだけで望みが叶う筈がない」
「父上と母上が?」
両親が恋愛で結ばれた話は知らなかった。父上が母上を大切にしていたのは知っていたが今度聞いてみよう。
「本当にエルシャを好いているなら私の反対を押しのけて交友を続けるべきだった。せめて結婚を望むのなら自分から婚約の打診くらい何故しなかった? チャンスはあったはずです。オリスはエルシャの婚約者になるために自分から動いた。殿下には始めからその資格がありませんでしたね」
ラモンは吐き捨て私のプライドをこっぱみじんに砕いた。立ち直れない……。私は机に突っ伏して額を打ち付けた。心も額も痛い……。ラモンはニヤリと笑うと再び私を地獄へ突き落とした。
「これでマティアス殿下も初恋に終止符を打てたことでしょう。そろそろ本格的に見合いを始めます。それと王太子教育が不足していますね。恋愛以外はまともなのに残念なことです。とにかくエルシャが将来幸せに過ごす為にもこの国の主が暗君では困ります。私は甘やかしませんのでそのつもりで」
「…………………」
「ああ、マティアス殿下。それでもあなたが権力を使ってエルシャを手に入れようとしなかったことについては評価しています。これでも私はあなたに期待しているんですよ」
ラモンは言い終えるとさっさと部屋を出ていった。私の未来は前途多難だ。いったいどうなるのか……。
「ラモン……。私はエルシャに振られたぞ……」
「でしょうね。だいたい好かれていると信じ込んでいた謎の根拠が知りたい。あの日からまともな親交も持っていなかったのに」
ラモンは私にめっぽう口が悪い。エルシャが池に落ちた事件からは特に。父である陛下は母を亡くしたことを不憫に感じているようで私を甘やかしてくれるがラモンは意地が悪い。
「私の意地が悪いのではなくマティアス殿下が阿呆なのです」
言葉に出さなかったが考えを読まれた。宰相が有能なのはいいことだが今は辛い。
「普通、幼馴染の男女は初恋同士で結ばれるのではないのか?」
「エルシャの初恋はエッカルトなので、それはありえませんね」
「ええっ?」
私ではないのか……。ショックだ。思わず深い溜息を吐いた。確かに子供の頃の私は傲慢な振る舞いが目立った。エルシャと出会った頃も無意識に自分の身分が高いという態度で接してしまっていた。私が癇癪を起こすと年下のエルシャが仕方なさそうに折れるのもイラッとした。無駄にプライドが高かったのは認める。
あの頃は母上が亡くなり塞ぎがちだった。ラモンが案じて自邸へと招いてくれた。最初の頃はエッカルトやシュトームが相手をしてくれたが、何の遠慮も手加減もなく私に剣の稽古をつける。あっという間にぼろぼろにされ途中で遊ぶのをやめてしまった。今考えればあの剣の稽古で体を動かしたおかげで、夜ぐっすり眠れるようになっていた。彼らは何だかんだと配慮していてくれたが当時の私は気付いていなかった。その後はエルシャとボードゲームをしたが、彼女は尋常じゃなく強かった。負けるたびに私が怒るので時々わざと負けていたようだ。ドムス公爵邸に通うようになってからプライドはズタボロになった。
それでも王太子と一線を引かれず遊べる時間は確かに私の心を癒してくれた。エルシャはとにかく可愛らしい子供だった。真ん丸の緑の瞳をパチパチと瞬くのは人形のようで、幼い子特有の舌ったらずで「マティ」と呼ばれるのは面映ゆかった。揶揄うと頬を膨らませるのでその顔見たさに少しだけ意地悪もした。いつかこの子がお嫁さんになったらいいなと思っていた。
自慢の親友の格好いいカメレオン「シュタルク」とエルシャにも友達になって欲しかったのだが、いつも逃げられる。なぜこの可愛さが分からないのか不思議だった。
疎遠になってしまうきっかけの事件は、我ながら酷かったという自覚はある。私はエルシャが大事にしていた小鳥の縫いぐるみを池に投げてしまった。「お母様のプレゼント!」と嬉しそうな顔に嫉妬した。もう私は母上に会えないのにと……。そんなことをするつもりはなかった。完全に衝動的だった。エルシャは小鳥の縫いぐるみを拾うために池に入ってしまった。私は助けに行こうとしたが従者に止められたので騎士に命じてすぐに助け出した。
無事ではあったがその晩エルシャは「ことりさんごめんね」とうなされていたとラモンに教えられた。「小さな子供が溺れれば命が危うかった。あなたはエルシャを殺しかけたのです」ラモンの断罪は容赦がなかった。それにより私は自分の愚かさを自覚し後悔した。子供だからといって許されるようなことではない。してはいけないことをしたのだ。
私は深く反省し、謝りたいと頼んだがラモンは「二度と会わせん!」と面会を許してくれなかった。王太子といっても宰相には逆らえない。せめて見舞いにと選んだ品を贈った。大きく強く逞しい鹿の剥製だ。その素晴らしさに感激してもらえると思っていたのになぜか不評でエルシャは怖がって泣いたそうだ。
結局、それ以降会う機会はなかったが私はエルシャに密かな恋心を抱き続けていた。
せめて贖罪の為に周囲から認められるよい王太子になれるよう日々研鑽し励んだ。貴公子然とした笑みを浮かべ紳士としての振る舞いも完璧だ。勉強だって手を抜くことはなかった。傲慢な私は卒業したと自負していた。
そんなある日、ある噂を耳にした。エルシャはドムス公爵夫人のもと淑女教育に励みそれは王家に嫁いでもやっていけるくらいの実力を身につけていると。
「そうか。エルシャも私を思い日々励んでくれているのか」そう信じていたのだが、エルシャが婚約したと聞かされ呆然とした。何でもボンノ伯爵が勝手に決めたとラモンが怒っていた。それなら王命で破棄させればと言ったらラモンから腹に一発食らわされた。父上は呆れた顔で私を見てラモンを不問にした。解せぬ。
夜会でエルシャと会っても王族と貴族として挨拶を交わすのみだ。すっかり女性らしく美しくなったエルシャを見るたびにドキドキした。彼女と話をしたい。ラモンの監視が厳しく私からは話しかけられない。出来ればエルシャから気軽に話しかけて欲しかったが婚約者がいては仕方がないと諦めた。
その後、婚約者が駆け落ちをして破棄されたと聞きホッとした。それも束の間で再度婚約を結んだと聞かされる。その時もラモンは激怒していたがむやみに婚約解消を繰り返させればエルシャの評判に関わると様子を見ることになった。
しばらく経つとその婚約も解消され、いよいよかと私は浮き立つ心を隠しながらラモンからの言葉を待っていた。
ところがラモンから聞かされたのはエルシャが私の婚約者になるということではなくアルタウス伯爵と婚約を結んだということだった。
「いや~。オリスは見どころのあるいい奴だ。エルシャを安心して任せられる」
ホクホクと満足顔で頷くラモンに怒りが湧く。
「なぜだ!! エルシャは私の婚約者になることを望んでいたのではないか? どうしてアルタウス伯爵と婚約しているのだ?」
ラモンは冷たい視線で私を見た。その威圧に背筋が凍る。
「はっ? 殿下は頭が湧いていらっしゃるのですか? エルシャが殿下を好きだなんて話を誰かしましたか? エルシャは『マティ』のことなんて何とも思っていませんよ」
わざと『マティ』と呼ぶのも癇に障る。その呼び方はエルシャにしか許していない。
「しかし! 王太子妃教育も同然の勉強をしていると聞いた。それはそういう意味ではないのか?」
「馬鹿馬鹿しい。エルシャは勤勉で向上心がある子なんです。王太子妃になりたいなんて思っていませんよ。ただ一生懸命学んでいただけです。それを自分の都合のいいように解釈するなんて図々しいにも程がある」
「そんな……。私はエルシャが妃になるものだと……」
「そもそもマティアス殿下はエルシャを妃に望んでいることを誰かに相談しましたか? 少なくとも私は聞いていません。普通に考えればもっと高位の令嬢が候補になりますね」
ラモンの馬鹿にするような言い方に私はムッとして言い返す。
「そなたたちは側近なのだから、いちいち口に出さなくても私の思いを察知して根回しするべきだろう?」
ラモンは私を侮蔑した。それは王族に向けるような視線ではない。
「どんな暴君を目指しているのですか? 政略でなく恋愛で妃を迎えたいのなら自分で動き心を尽くすべきでしょう。その受け身の姿勢で相手に愛してもらえるとでも思っているのですか? 少なくとも王は、あなたの父上は周囲の反対を押し切って王妃様を迎えたが、それはそれは苦労して必死でしたよ。何もしないで座っているだけで望みが叶う筈がない」
「父上と母上が?」
両親が恋愛で結ばれた話は知らなかった。父上が母上を大切にしていたのは知っていたが今度聞いてみよう。
「本当にエルシャを好いているなら私の反対を押しのけて交友を続けるべきだった。せめて結婚を望むのなら自分から婚約の打診くらい何故しなかった? チャンスはあったはずです。オリスはエルシャの婚約者になるために自分から動いた。殿下には始めからその資格がありませんでしたね」
ラモンは吐き捨て私のプライドをこっぱみじんに砕いた。立ち直れない……。私は机に突っ伏して額を打ち付けた。心も額も痛い……。ラモンはニヤリと笑うと再び私を地獄へ突き落とした。
「これでマティアス殿下も初恋に終止符を打てたことでしょう。そろそろ本格的に見合いを始めます。それと王太子教育が不足していますね。恋愛以外はまともなのに残念なことです。とにかくエルシャが将来幸せに過ごす為にもこの国の主が暗君では困ります。私は甘やかしませんのでそのつもりで」
「…………………」
「ああ、マティアス殿下。それでもあなたが権力を使ってエルシャを手に入れようとしなかったことについては評価しています。これでも私はあなたに期待しているんですよ」
ラモンは言い終えるとさっさと部屋を出ていった。私の未来は前途多難だ。いったいどうなるのか……。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,335
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる