141 / 293
Episode③ 魂の居場所
第11章|エイチアイ石鹸株式会社 <8>蘇る思い出(鈴木風寿の視点)
しおりを挟む
<8>
「鈴木先生、失礼します」
夕方、『株式会社E・M・A』の個室でメール返信作業をしている最中に、保健師の足立がドアをノックして入ってきた。
「今日の訪問に関する報告書、会社のデータ共有ボックスに入れましたので、ご確認をお願いします」
「わかりました。のちほど確認しておきます。そういえば、大山さんの保健指導はどうでしたか」
ちょうどたった今、『エイチアイ石鹸株式会社』の大山さん宛に、彼女の保健指導練習に協力してもらったお礼のメールを、送ろうと思っていたところだった。
「初めてのわりには、結構ちゃんとできたかな、と……。クリアしやすそうな具体的目標を決めて、次回面談までに生活習慣を変えて頂くお約束をしましたので、次回お会いするのが楽しみでもあり、怖くもあり………」
足立は話をするとき、表情が面白いようにコロコロ変わる。考えていることがそのまま顔に出るタイプなのだろう。
彼女の感情がいちいち手に取るように伝わってしまう点は、保健師として吉と出るのか凶と出るのか、迷うところなのだが………、妙な気取りが無いのは美点といえなくもないし、基本的に人との関わりが好きで情に厚い性質でもあるようだから、看護職に向いているタイプと言えると思う。
今回も、大山さんを精一杯支援したいという熱意は、その身振り手振りから伝わってきた。
「なるほど。熱血保健指導の効果が出るといいですね。その他には、何か気になることはありませんでしたか」
「あっ。そういえば。大山さんから帰りに、『ピップーカちゃん』の洗剤サンプルを頂いたんです。もらってしまっても大丈夫でしょうか? 」
「大山さんが下さったのならば、頂いておけばよいでしょう。産業医や保健師にとって、契約先の製品に触れることは、社員や企業をより深く理解することにつながります。
僕も以前もらったことがあります。足立さんも試してみてください。あの会社の洗剤類、なかなか使い心地がいいんですよ」
「やった~♥ じゃあ、ありがたく頂いておきますね! 私、キャラクターの『ピップーカちゃん』、前から好きなんです! 」
足立は心底嬉しそうな様子で、顔がパッと華やいだ。
わずか数百円の日用品をもらってここまで喜ぶとは、可愛らしい。
「ほかには特にありませんか」
「あ…………あと、『エイチアイ石鹸株式会社』って、」足立が言い淀んだ。
「何でしょうか」
「あの、以前、鈴木先生の判定で会社を辞めた、病気の社員さんがいたとお聞きしたのですが…………」
―――彼女の言葉に、俺は内心、軽く動揺した。
初回訪問でいきなりその話を聞きつけるとは。
大山さんが話したのだろうか……?
足立が言っているのはおそらく、元総務部社員の広瀬さんのことだろう。
しかし、あのケースは…………
「足立さんはまだ新人ですので、まずはよくあるスタンダードな症例パターンを経験された方がよいと思います。あのケースは少し特殊でした。もう終わったことですし、気にしなくて大丈夫です」
「えっ………あ、はい。…………わかりました」
俺の言葉を聞いて、足立はそれ以上追及しなかった。
彼女は頭を下げ、それでは失礼します、と部屋を出て行った。
――――『エイチアイ石鹸株式会社』の広瀬さん。
今でも忘れることはない。脳裏に、鮮やかに思い出が蘇ってくる。
……………あれは、俺がまだ駆け出しの産業医だったころのことだ。
「鈴木先生、失礼します」
夕方、『株式会社E・M・A』の個室でメール返信作業をしている最中に、保健師の足立がドアをノックして入ってきた。
「今日の訪問に関する報告書、会社のデータ共有ボックスに入れましたので、ご確認をお願いします」
「わかりました。のちほど確認しておきます。そういえば、大山さんの保健指導はどうでしたか」
ちょうどたった今、『エイチアイ石鹸株式会社』の大山さん宛に、彼女の保健指導練習に協力してもらったお礼のメールを、送ろうと思っていたところだった。
「初めてのわりには、結構ちゃんとできたかな、と……。クリアしやすそうな具体的目標を決めて、次回面談までに生活習慣を変えて頂くお約束をしましたので、次回お会いするのが楽しみでもあり、怖くもあり………」
足立は話をするとき、表情が面白いようにコロコロ変わる。考えていることがそのまま顔に出るタイプなのだろう。
彼女の感情がいちいち手に取るように伝わってしまう点は、保健師として吉と出るのか凶と出るのか、迷うところなのだが………、妙な気取りが無いのは美点といえなくもないし、基本的に人との関わりが好きで情に厚い性質でもあるようだから、看護職に向いているタイプと言えると思う。
今回も、大山さんを精一杯支援したいという熱意は、その身振り手振りから伝わってきた。
「なるほど。熱血保健指導の効果が出るといいですね。その他には、何か気になることはありませんでしたか」
「あっ。そういえば。大山さんから帰りに、『ピップーカちゃん』の洗剤サンプルを頂いたんです。もらってしまっても大丈夫でしょうか? 」
「大山さんが下さったのならば、頂いておけばよいでしょう。産業医や保健師にとって、契約先の製品に触れることは、社員や企業をより深く理解することにつながります。
僕も以前もらったことがあります。足立さんも試してみてください。あの会社の洗剤類、なかなか使い心地がいいんですよ」
「やった~♥ じゃあ、ありがたく頂いておきますね! 私、キャラクターの『ピップーカちゃん』、前から好きなんです! 」
足立は心底嬉しそうな様子で、顔がパッと華やいだ。
わずか数百円の日用品をもらってここまで喜ぶとは、可愛らしい。
「ほかには特にありませんか」
「あ…………あと、『エイチアイ石鹸株式会社』って、」足立が言い淀んだ。
「何でしょうか」
「あの、以前、鈴木先生の判定で会社を辞めた、病気の社員さんがいたとお聞きしたのですが…………」
―――彼女の言葉に、俺は内心、軽く動揺した。
初回訪問でいきなりその話を聞きつけるとは。
大山さんが話したのだろうか……?
足立が言っているのはおそらく、元総務部社員の広瀬さんのことだろう。
しかし、あのケースは…………
「足立さんはまだ新人ですので、まずはよくあるスタンダードな症例パターンを経験された方がよいと思います。あのケースは少し特殊でした。もう終わったことですし、気にしなくて大丈夫です」
「えっ………あ、はい。…………わかりました」
俺の言葉を聞いて、足立はそれ以上追及しなかった。
彼女は頭を下げ、それでは失礼します、と部屋を出て行った。
――――『エイチアイ石鹸株式会社』の広瀬さん。
今でも忘れることはない。脳裏に、鮮やかに思い出が蘇ってくる。
……………あれは、俺がまだ駆け出しの産業医だったころのことだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる