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Episode③ 魂の居場所

第12章|みんなの記憶に残るもの <14>『エイチアイ石鹸株式会社』幹部の話し合い(大山彦和の回想  その1)

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<14>


ベタベタした重い空気がうっとおしい、梅雨の午後。

佐倉社長の指示で、社長室に、白田はくた人事部長、谷川営業部長、そして総務部長の私が集められていた。

この日の非公式会議の議題は、私の部下である広瀬くんの処遇について、だった。


社長が切り出した。
「今日みんなに集まってもらったのは、総務部の広瀬君の件について、だ。彼が『ALS』という難病に冒されていることは、以前から共有しているとおりだ。大山君、その後、病状はどうなんだ」


「あ、はい。定期的にかかりつけ医にも通院していますし、月に1回、産業医の鈴木先生に面談をしてもらい、心身の健康状態確認や、就業上必要な配慮の提案を受けています。しかしなにぶん、ALSは現代医学で治すことができない病気だそうで………。最近は筋力低下が進み、できることが徐々に減っています」
私が答えた。


「徐々に減っている、というのは、曖昧だな。具体的に達成できている仕事量としては何割くらいだね」社長が言う。


「え~、と。元気だったころの8割くらいの仕事量は、こなしているかなと………思います」私は少しおまけをした。


「そりゃ嘘だろ、大山ァ」
私の言葉に、横から谷川営業部長が言った。彼は、私より数年先に入社した先輩なので、今でも兄貴分のようなところがあった。
「8割なんて到底こなせていないはずだ。よくて2割ってところだな。彼、サンプル倉庫の隅の小部屋で働いているから、この前、鉢合わせた。そこで少し話をしたら、タイピングも、指一本でゆっくり、なんとかぽちぽちやっている状態らしいじゃないか。“普通の人の10倍は時間がかかります”、と言っていたよ。それに白田、最近は欠勤も多いんだろう? 」
谷川さんが、人事部長の白田さんに水を向けた。


「そうですねぇ。確かに彼は今日も会社を休んでいます……。
体調が不安定なようで、有給休暇はとうに使い切ってますので、休みの申請があったときは“欠勤”で処理しています」
事実のみを淡々と、白田さんが答えた。


「そうか。困ったな………」社長は腕組みをした。
「白田君。先日、『障害者雇用』という制度があると聞いた。広瀬君に病気をおおやけにしてもらい、障害者手帳の申請をしてもらってはどうだろうか」



「はい………。それは制度上は、可能なんですが」
白田さんが言い淀んだ。


「どうしたんだね」社長が問う。


「例えば足を切断しているとか、聴覚障害だとか、障害がある程度定まっていると、会社としても対処がスムーズですが………。広瀬くんの場合、障害はしていくわけです。この前、テレビでALS患者の特集をやっていたので見ましたが、いずれはベッド上で寝たきりになり、人工呼吸器をつながないと死んでしまう病気だとか………。
そういう状態の人を、障害者雇用制度があるからといって、社員としていつまで受け入れることができるのか、人事の私にも自信がありません」


「……………」

広瀬くんは、仕事を続けたい、と口癖のように言っていた。
会社さえ了承すれば、彼から仕事を辞めることはないだろう。

しかし彼がいずれ車椅子になったとき、この会社の環境は、あまりにも彼にとって、障壁が大きい。
専門の介護要員をつけられるわけもない。


「これを機に、やはり、在宅勤務制度を作るというのはどうでしょうか」私が言った。

社長はじめ会社上層部が、在宅勤務導入に反対しているのは知っていたが、もう一度押してみた。


「それは前にも言った通りだ。うちの会社は、顔を合わせて仕事をする全体方針なのだよ。それに先ほど白田人事部長が言ったように、在宅勤務であっても将来的に広瀬君が続けられるかどうか、わからないだろう……」社長に意見は却下された。



「自分は、会社の人事がしっかり話を付けるべきだと思いますよ」

谷川さんが言った。

「ご存知の通り、洗剤みたいな日用品は単価が安くて、1個商品が売れても粗利あらりは微々たるもんです。だから外資系の体力があるところは、大規模仕入で原料費を抑え、広告費をかけて派手なCMを打ちまくり、規模の経済で市場を独占しにかかってくる。それでもうちは、長年の『エイチアイ石鹸』のファンに支えられながら、誠実な商売姿勢でそれと戦っている。
こんな雨の日も、うちの営業部隊はお客様先に出かけていって、売り場で少しでもいい場所を確保したいと頭を下げて回り、1円、2円の値付けにこだわって商売してるんです」


窓の外に視線を遣りながら話した谷川さんの言葉に、社長は深く頷いていた。

谷川さんが続けた。
「彼の給料額を具体的に自分は知らないが、仮に人件費が300万円だとしても、それだけの予算があれば、会社のためにできることがいっぱいある。営業だってそうだし、内勤のメンバーにだって。
いつも社員は、節電だ、経費節減だと、『エイチアイ石鹸ブランド』を存続させるために、涙ぐましい努力をしているんです」


「谷川営業部長のおっしゃることは、私も同感です。しかし………人事から退職交渉するというのも荷が重い………。社長から仰って頂けないでしょうか」白田さんが手もみをした。


「うーん。ウチの会社は、『家族的経営』がモットーだ。一度社員として迎え入れたら、終身雇用をする慣習でやってきた。どうやって伝えたらよいものか。悩ましいな」

社長も広瀬くんを追い出したいわけではないし、いざとなると、腰が引けていた。

「大山君。この件は、主治医と産業医に任せるしかないだろう」社長が言った。



「えっ………と、言いますと………」


「医者が、医学的見地から見て、もう働けない、と言ったら、そこで終わりにするしかない。我々は所詮、病気については素人だ。専門家に任せよう」

その社長の言葉に、反対する者はいなかった。



当時、主治医に対する定期的な就業可否の問い合わせは行っていたが、返ってくる診断書はいつも同じで、『通常勤務が可能。就業制限なし』とだけ記載されていた。

医学知識のない私が見ても、今の広瀬くんの身体が“通常の勤務”に耐えられないことは明白なのに、何故主治医はこんな診断書を寄越すのだろうか、と思ったが、主治医からすれば会社の状況など知る由もないことだし、自分の患者には出来る限り肩入れしたい気持ちがあったのかもしれない。

ただ、非現実的な診断書を盲信して、言葉通りに制限も配慮もせず広瀬くんに通常勤務をさせたら、きっと早晩、彼は無理がたたって倒れてしまう。そのような事態は絶対に避けたかった。


そのため、広瀬くんが働けるかどうかの最終判断は結局のところ、産業医の鈴木先生を頼るしかない、と思っていた。


「大山部長。次に産業医が来社するときには僕も同席するから、スケジュール、教えてくれ」白田人事部長が言った。

「あ、はぁ。………承知いたしました」


私はそう答え、こんど鈴木先生と、あらためてじっくり話をしなければ、と想像した。

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