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#20 領都フォーリー
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「楽しいです!」
マドハトの嬉しそうな声で目が覚めた。いつの間にか寝ちゃっていたのか。
外はもう明るく、馬車の後ろから外をずっと眺めているルブルムの後ろ姿が見える。マドハトはもう脇には居ない。
上半身を持ち上げ寝藁の束を乗り越えて確認すると、声は御者台の付近から――でも姿は見えない。
あれ? おいおい、マドハト?
慌てて飛び起きて御者台へと駆けつけると、マドハトはテニール兄貴の膝の上にちょこんと座っている。
「マドハト、おいっ……お前!」
確かにマドハトは呪詛に伝染したゴブリンの体ではなくなった。
でも、そのあと呪詛に伝染している俺にさんざんしがみついたり舐めてきたりしてたから、しっかり再伝染している。
カエルレウム師匠にも確認したから間違いない。
「大丈夫だよ、リテル。俺も伝染してるからさ。あの連中と腕相撲とかしてたせいでさ」
ああ、そういう伝染経路もあったのか――じゃなくて。
ゴブリン魔術師の魔術特異症で獣種に伝染するよう変異した呪詛は、俺の魔術特異症で更に変異した。今、俺や俺から伝染したマドハトが伝染している呪詛は新種なんだ――けど、まあ結果は同じか。カエルレウム師匠が作っている呪詛効果打ち消しの呪詛は、両方のバージョンに対応しているっぽいし。
「マドハト、フォーリーに着いてから先は、誰に対してもベタベタ触ったりしたらダメだぞ。ちゃんと約束できるか?」
「リテルさま! 僕、約束するです!」
返事だけは立派だが目を離しちゃいけないことが一つ増えた感じ……でもな。ケティの心配をかわすためにマドハトを無理やり連れてきたのはそもそも俺だからなぁ。
「リテルも御者やってみるか?」
「え、あ……お願いします!」
カエルレウム師匠からは、『魔力感知』上達のコツは『魔力感知』をしながら他の作業を行うのが一番いいと教えていただいた。
それに加えて御者技術を習得できるなんてありがたさこの上なし。
早速、御者台に座らせてもらいテニール兄貴から技術を習い始めると、ルブルムまでやってきた。
結局交代で御者技術を習いつつ、偽装の渦を維持しつつ『魔力感知』を切らさず、そして時々は魔法の復習というハードスケジュールに。
フォーリーを囲む大きな壁が見えて来る頃には、こめかみが痛くなるくらい脳みそが疲れ果ててしまった。
カエルレウム師匠には「痛みが出るうちはまだどこかで無駄な集中を消費している」って教えていただいてるからな――精進あるのみだ。
それでも徹夜ハイな感じに頭の奥の方で何かつかめそうな気配はしているんだけどね。
「リテルさま! 大きな壁です!」
マドハトだけじゃなく、ルブルムもソワソワしだした。
次第に近づいてくる外壁はカエルレウム師匠の塔よりも高く、横に延々と長い。
うちの学校の校舎は四階建てだけど、それよりはずっと高い。グラウンドに建ててある防球ネットが確か二十五メートルだっけかな。あれくらいはあるかも。
「リテル、お前がずっと見たいって言っていたフォーリーの外壁だ。デッカイだろ?」
テニール兄貴にそう言われて慌ててリテルの記憶を参照する。
いつかフォーリーに行ってみたいと言っていたリテル――の割りには俺は驚かな過ぎだったなと、マドハトやルブルムの態度を見ていて反省した。俺の感覚ではなく、リテルの感覚で行動するようにしないと。
「う、うん……驚き過ぎて……うまく言葉が出てこなかった」
「ははは。そうだろそうだろ」
ストウ村の人たちを騙しているような罪悪感が、この世界における俺という存在の異物感が、チクチクと胸を刺す。
いやいや。俺にはやることがあるだろう?
こんなところで凹んでいる場合じゃない。気を引き締めないと。
偽装の渦と『魔力感知』とを保ちながら、周囲の把握に努めよう。
テイラさんは馬車を停め、御者台から降りて馬へと近づきその首を優しく撫でる。
馬には休憩少なめで無理をしてもらったので、馬がバテてしまわないかずっと心配していたのだ。
市が立つのはまだ少し先のせいか、門前の通行証確認は俺たちの前に馬車が一台だけ――やがてその馬車は門の中へ通ることを許された。
門番がこっちに向かって手を振る。テイラさんが御者台へと戻ってきた。
「なんとか夕暮れ前に間に合ったな」
「ありがとうございます。無理までさせてしまって」
「気にすんなって。大事な用事なんだから」
馬車が門のすぐ手前まで近づくと門番がテイラさんの顔を見て笑う。
「なんだ、あんたらか。市まではまだあるぞ?」
「ああ、今回は彼らを送りにね。ルブルムさん、通行証を門番さんへ」
ルブルムはカエルレウム師匠から渡された表向きの通行証を見せる。
「おー。寄らずの森の魔女様のお弟子さんかい。ようこそ、フォーリーへ」
ルブルムが再び馬車に乗り込むと、俺たちは分厚い外壁の中をくぐり、フォーリーの外街へと入った。
壁の内側すぐは大きな広場になっており、そこから太い通路が二本、真正面に見える内壁に対して平行に両側へ伸びている。
「この辺は兵士宿舎と、ちょっと入り込むと領主農場だな。で、この後は連中を探しに行くのかい? 売春宿の方まで行くのなら送ってこうか?」
テニール兄貴の表情はエッチなやつじゃなく心配してくれているやつ。
「えっと、ルブルムの先輩って方が中街にいらして、いろいろと手を回してくださっているようなので、まずはその方のところへご挨拶にうかがう予定です」
中街はあの大きな内壁の向こう。富裕層のための区画で、その中にさらに城壁と領主様のお城とがある。
外街は一般人や旅行者向けの宿やら店やらが軒を連ねていて、一部区画は売春宿と言われている。
ただ、外街だけでも相当な広さがあるから、闇雲に探すのではとてもじゃないけど見つからない――ということで、フォーリーに住んでいるというカエルレウム師匠のお弟子さんに協力を仰いだらしいんだよね。魔術師免状にセットされている『遠話』という魔法で。
この『遠話』というものは、携帯電話みたいに便利なものかというとそうでもないらしい。電話だって待ち受けモードで電気を使うように、『遠話』を可能とする魔法品自体も待機電力ならぬ待機魔法代償を消費する。そして距離が離れればそれだけ『遠話』にかかる消費命も増えることになる。
それを解消するために、特別なつながりのある相手にだけという縛りを入れているようで、俺が知る限り、王都と領都、領監さんと領都、王監さんと王都、魔術師と魔術師組合、魔術師の師匠と弟子。オーダーメイドじゃない『遠話』魔法はこの五パターンだけっぽい。
「そうかい。俺たちは馬を休ませついでに仮眠を取って、すぐに引き返すからここでお別れだな」
テイラさんが笑顔で馬の背中を撫でる。
「気をつけて行けよ。ちゃんと帰ってくるんだぞ」
テニール兄貴が、やけに優しい表情を浮かべる。
「はい」
ルブルムと俺とマドハトはテイラさんたちと別れ、とりあえず外街と中街との境にある内壁南門を目指した。
領都フォーリーの中とはいえ、外街はまだストウ村で見かけるような格好の人も少なくない。夕暮れの中ゾロゾロと歩く集団は農作業を終えて帰宅する人たちだろうか。
地味に複雑な道を街の中へ中へと入り込むにつれ、目に見えて多かった兵士の数が減り、少し小綺麗な格好の人が増えてきた。外套を着たり、帽子を被ったり。ステッキみたいなものを持つ人もいる。
このへんはもう職人街になるのだろうか。店の取り扱い商品を想像できそうな看板を掲げる店が増えてきた。ただ商品は全て店の中のようで、人通りも減り始めてきたし、何となく寂しさを感じる。
道幅は馬車同士だとギリギリすれ違えなさげだが、ところどころにちょっとした広い場所があり、そこがすれ違いポイントになっている様子。そこには兵士と篝火が配置されていて、日本でいう交番感覚なのだろうか。
それにしても獣種が多様だ。
ほとんどが猿種と犬種だったストウ村と違って……獣種は耳の形で判別できるけれど、リテルにもわからない獣種が少なくない。
せめて耳を見てわかる獣種くらいは、その寿命の渦の特徴を覚えていこう。
ところでさっきから俺の手を握る力がどんどん増していっている気がするんだけど。俺の右手はルブルムが両手で、左手はマドハトが両手で。
二人の顔を見てみると、二人の不安げな表情がそのまま比例して握力に反映しちゃっている感じ。そうだよな。ルブルムに至っては、領都どころかストウ村にだって来たことなかったんだし。
少し会話でもして気持ちをほぐした方がいいのかな?
「ルブルム。先輩の家の住所とか聞いてきたんだっけ?」
「ディナ先輩は中街の――カエルレウム様の書き付けがある」
往来の真ん中で背負っている荷物を広げようとするルブルムを止め、慌てて路地裏へと入る。
「ルブルム、人通りがある場所では、お互い譲り合って行動するものだよ。どうしても屋外で荷物を広げたいときは、周囲に誰も居ない場所を選んだほうがいいと思う」
「わかった。街に慣れるのは大変そうだ」
「なんだい? 困っているのかい? 案内したげようか?」
背後からかけられた優しそうな声。
振り返るとそこには笑顔を浮かべた三人組。多分、全員男。
羊種、猿種、鼠種。服装からすると農業職ではない。胸元の空き具合からはなんとなくカタギじゃなさげな印象。
三人とも笑顔なんだけど……胡散臭いんだよなぁ。
「案内してくれるのか?」
ルブルム、疑わない子だな。
「せっかくのご厚意ですが、間に合ってますので失礼します」
二人の手を引いてその場を立ち去ろうとすると、マドハトはおとなしく着いてくるが、ルブルムは立ち止まる。
「リテル、案内してくれると言っているぞ」
「おやおや、乗り気なのは一人だけかぁ。残念、残念。なんならお嬢さんお一人だけご案内しましょうか?」
馴れ馴れしいのは羊種。
他の二人はニヤニヤしながら、さりげなく囲い込むように位置を移動する。このフォーメーションはアウトだよな。
「私はルブルムだ」
あー、個人情報を次々と……。
「へぇ、ルブルムちゃんかぁ。いいお名前だねぇ。こっちはリテル君。そちらの犬種さんは?」
俺はルブルムの手を強く引っ張る。ルブルムは一応ついては来るが、三人組を気にしている。
「リテル? 案内してくれると言っているぞ?」
「リテル君、ルブルムちゃん、嫌がっているぜ!」
羊種は笑顔を浮かべたまま、俺がつないでいるルブルムの手を外そうとした。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。イビキの主張が強め。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。「自分はホムンクルスだから」を言い訳にしがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・テイラさん
村長の息子。定期的に領都フォーリーを訪れている。猿種。
リテルたちをフォーリーまで送るために馬車を出してくれた。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
馬車の護衛として同乗している。
・親切を装う三人組
フォーリーの街で話しかけてきた羊種、猿種、鼠種の三人組。
ずっと笑顔を浮かべているが、胡散臭い。
■ はみ出しコラム【服】
以下はラトウィヂ王国におけるスタンダードな服装。
・村の住人
農業職の一般的な服装は、麻製のTシャツと膝上短パンか巻きスカート。短パンを留める腰紐がスタンダード。足元は革製のサンダル。
短パンタイプか巻きスカートかは、男女というよりも裕福さや尻尾の有無などで選ばれることが多い。貧しい者はサンダルではなく裸足。
門番や、森の中に入る狩人などは、短パンではなく長ズボンを着用し、サンダルではなく革製のブーツを履く。
寒い時期になると上から毛織物を羽織る。
・街の住人
つま先から足全体を覆うタイツっぽい形の麻製のズボン下を履くことが多い。靴もくるぶしくらいまでの革製の靴。
シャツは麻製だが、村でよく着られるようなシャツよりも装飾や色、模様などがついている。
耳の形を隠すことができる帽子も好んで着用する者が多い。
・兵士
装飾の少ない麻製シャツに長ズボン、革ブーツ。
その上からなめし革の革鎧を着け、寒いときにはさらに上から外衣をまとう。
・貴族
貴族の服は、街の住人の服装をさらに豪華にした感じで、ボタンやフリルがついた服が好まれる。また、素材も麻ではなく絹が用いられる。
シャツもかぶるTシャツタイプではなく、ボタンで留めるYシャツタイプ。
一部の富裕層には貴族でないにも関わらず、貴族の格好を真似る者もいる。
・下着
一部地域では幅広の布で胸部をぐるりと覆うタイプの服も存在するが、パンツやブラジャーの類は普及していない。
海や湖など水に入る場合は男女問わず上半身裸が普通である。
・スカート
売春宿の娼婦が「すぐできる」と好んで着用しているため、街の住人はあまりこれを好まない。
・生理用品
挟み綿、挟み草、当て布といった生理用品が存在する。
また、生理中に服の上から腰を覆う覆い布というものも存在する。
生理については特に忌まれることはなく、都市部ほど生殖の準備として必要な体の変化という認識が広まっている。周辺の村々へは監理官を通して情報が流布されている。
マドハトの嬉しそうな声で目が覚めた。いつの間にか寝ちゃっていたのか。
外はもう明るく、馬車の後ろから外をずっと眺めているルブルムの後ろ姿が見える。マドハトはもう脇には居ない。
上半身を持ち上げ寝藁の束を乗り越えて確認すると、声は御者台の付近から――でも姿は見えない。
あれ? おいおい、マドハト?
慌てて飛び起きて御者台へと駆けつけると、マドハトはテニール兄貴の膝の上にちょこんと座っている。
「マドハト、おいっ……お前!」
確かにマドハトは呪詛に伝染したゴブリンの体ではなくなった。
でも、そのあと呪詛に伝染している俺にさんざんしがみついたり舐めてきたりしてたから、しっかり再伝染している。
カエルレウム師匠にも確認したから間違いない。
「大丈夫だよ、リテル。俺も伝染してるからさ。あの連中と腕相撲とかしてたせいでさ」
ああ、そういう伝染経路もあったのか――じゃなくて。
ゴブリン魔術師の魔術特異症で獣種に伝染するよう変異した呪詛は、俺の魔術特異症で更に変異した。今、俺や俺から伝染したマドハトが伝染している呪詛は新種なんだ――けど、まあ結果は同じか。カエルレウム師匠が作っている呪詛効果打ち消しの呪詛は、両方のバージョンに対応しているっぽいし。
「マドハト、フォーリーに着いてから先は、誰に対してもベタベタ触ったりしたらダメだぞ。ちゃんと約束できるか?」
「リテルさま! 僕、約束するです!」
返事だけは立派だが目を離しちゃいけないことが一つ増えた感じ……でもな。ケティの心配をかわすためにマドハトを無理やり連れてきたのはそもそも俺だからなぁ。
「リテルも御者やってみるか?」
「え、あ……お願いします!」
カエルレウム師匠からは、『魔力感知』上達のコツは『魔力感知』をしながら他の作業を行うのが一番いいと教えていただいた。
それに加えて御者技術を習得できるなんてありがたさこの上なし。
早速、御者台に座らせてもらいテニール兄貴から技術を習い始めると、ルブルムまでやってきた。
結局交代で御者技術を習いつつ、偽装の渦を維持しつつ『魔力感知』を切らさず、そして時々は魔法の復習というハードスケジュールに。
フォーリーを囲む大きな壁が見えて来る頃には、こめかみが痛くなるくらい脳みそが疲れ果ててしまった。
カエルレウム師匠には「痛みが出るうちはまだどこかで無駄な集中を消費している」って教えていただいてるからな――精進あるのみだ。
それでも徹夜ハイな感じに頭の奥の方で何かつかめそうな気配はしているんだけどね。
「リテルさま! 大きな壁です!」
マドハトだけじゃなく、ルブルムもソワソワしだした。
次第に近づいてくる外壁はカエルレウム師匠の塔よりも高く、横に延々と長い。
うちの学校の校舎は四階建てだけど、それよりはずっと高い。グラウンドに建ててある防球ネットが確か二十五メートルだっけかな。あれくらいはあるかも。
「リテル、お前がずっと見たいって言っていたフォーリーの外壁だ。デッカイだろ?」
テニール兄貴にそう言われて慌ててリテルの記憶を参照する。
いつかフォーリーに行ってみたいと言っていたリテル――の割りには俺は驚かな過ぎだったなと、マドハトやルブルムの態度を見ていて反省した。俺の感覚ではなく、リテルの感覚で行動するようにしないと。
「う、うん……驚き過ぎて……うまく言葉が出てこなかった」
「ははは。そうだろそうだろ」
ストウ村の人たちを騙しているような罪悪感が、この世界における俺という存在の異物感が、チクチクと胸を刺す。
いやいや。俺にはやることがあるだろう?
こんなところで凹んでいる場合じゃない。気を引き締めないと。
偽装の渦と『魔力感知』とを保ちながら、周囲の把握に努めよう。
テイラさんは馬車を停め、御者台から降りて馬へと近づきその首を優しく撫でる。
馬には休憩少なめで無理をしてもらったので、馬がバテてしまわないかずっと心配していたのだ。
市が立つのはまだ少し先のせいか、門前の通行証確認は俺たちの前に馬車が一台だけ――やがてその馬車は門の中へ通ることを許された。
門番がこっちに向かって手を振る。テイラさんが御者台へと戻ってきた。
「なんとか夕暮れ前に間に合ったな」
「ありがとうございます。無理までさせてしまって」
「気にすんなって。大事な用事なんだから」
馬車が門のすぐ手前まで近づくと門番がテイラさんの顔を見て笑う。
「なんだ、あんたらか。市まではまだあるぞ?」
「ああ、今回は彼らを送りにね。ルブルムさん、通行証を門番さんへ」
ルブルムはカエルレウム師匠から渡された表向きの通行証を見せる。
「おー。寄らずの森の魔女様のお弟子さんかい。ようこそ、フォーリーへ」
ルブルムが再び馬車に乗り込むと、俺たちは分厚い外壁の中をくぐり、フォーリーの外街へと入った。
壁の内側すぐは大きな広場になっており、そこから太い通路が二本、真正面に見える内壁に対して平行に両側へ伸びている。
「この辺は兵士宿舎と、ちょっと入り込むと領主農場だな。で、この後は連中を探しに行くのかい? 売春宿の方まで行くのなら送ってこうか?」
テニール兄貴の表情はエッチなやつじゃなく心配してくれているやつ。
「えっと、ルブルムの先輩って方が中街にいらして、いろいろと手を回してくださっているようなので、まずはその方のところへご挨拶にうかがう予定です」
中街はあの大きな内壁の向こう。富裕層のための区画で、その中にさらに城壁と領主様のお城とがある。
外街は一般人や旅行者向けの宿やら店やらが軒を連ねていて、一部区画は売春宿と言われている。
ただ、外街だけでも相当な広さがあるから、闇雲に探すのではとてもじゃないけど見つからない――ということで、フォーリーに住んでいるというカエルレウム師匠のお弟子さんに協力を仰いだらしいんだよね。魔術師免状にセットされている『遠話』という魔法で。
この『遠話』というものは、携帯電話みたいに便利なものかというとそうでもないらしい。電話だって待ち受けモードで電気を使うように、『遠話』を可能とする魔法品自体も待機電力ならぬ待機魔法代償を消費する。そして距離が離れればそれだけ『遠話』にかかる消費命も増えることになる。
それを解消するために、特別なつながりのある相手にだけという縛りを入れているようで、俺が知る限り、王都と領都、領監さんと領都、王監さんと王都、魔術師と魔術師組合、魔術師の師匠と弟子。オーダーメイドじゃない『遠話』魔法はこの五パターンだけっぽい。
「そうかい。俺たちは馬を休ませついでに仮眠を取って、すぐに引き返すからここでお別れだな」
テイラさんが笑顔で馬の背中を撫でる。
「気をつけて行けよ。ちゃんと帰ってくるんだぞ」
テニール兄貴が、やけに優しい表情を浮かべる。
「はい」
ルブルムと俺とマドハトはテイラさんたちと別れ、とりあえず外街と中街との境にある内壁南門を目指した。
領都フォーリーの中とはいえ、外街はまだストウ村で見かけるような格好の人も少なくない。夕暮れの中ゾロゾロと歩く集団は農作業を終えて帰宅する人たちだろうか。
地味に複雑な道を街の中へ中へと入り込むにつれ、目に見えて多かった兵士の数が減り、少し小綺麗な格好の人が増えてきた。外套を着たり、帽子を被ったり。ステッキみたいなものを持つ人もいる。
このへんはもう職人街になるのだろうか。店の取り扱い商品を想像できそうな看板を掲げる店が増えてきた。ただ商品は全て店の中のようで、人通りも減り始めてきたし、何となく寂しさを感じる。
道幅は馬車同士だとギリギリすれ違えなさげだが、ところどころにちょっとした広い場所があり、そこがすれ違いポイントになっている様子。そこには兵士と篝火が配置されていて、日本でいう交番感覚なのだろうか。
それにしても獣種が多様だ。
ほとんどが猿種と犬種だったストウ村と違って……獣種は耳の形で判別できるけれど、リテルにもわからない獣種が少なくない。
せめて耳を見てわかる獣種くらいは、その寿命の渦の特徴を覚えていこう。
ところでさっきから俺の手を握る力がどんどん増していっている気がするんだけど。俺の右手はルブルムが両手で、左手はマドハトが両手で。
二人の顔を見てみると、二人の不安げな表情がそのまま比例して握力に反映しちゃっている感じ。そうだよな。ルブルムに至っては、領都どころかストウ村にだって来たことなかったんだし。
少し会話でもして気持ちをほぐした方がいいのかな?
「ルブルム。先輩の家の住所とか聞いてきたんだっけ?」
「ディナ先輩は中街の――カエルレウム様の書き付けがある」
往来の真ん中で背負っている荷物を広げようとするルブルムを止め、慌てて路地裏へと入る。
「ルブルム、人通りがある場所では、お互い譲り合って行動するものだよ。どうしても屋外で荷物を広げたいときは、周囲に誰も居ない場所を選んだほうがいいと思う」
「わかった。街に慣れるのは大変そうだ」
「なんだい? 困っているのかい? 案内したげようか?」
背後からかけられた優しそうな声。
振り返るとそこには笑顔を浮かべた三人組。多分、全員男。
羊種、猿種、鼠種。服装からすると農業職ではない。胸元の空き具合からはなんとなくカタギじゃなさげな印象。
三人とも笑顔なんだけど……胡散臭いんだよなぁ。
「案内してくれるのか?」
ルブルム、疑わない子だな。
「せっかくのご厚意ですが、間に合ってますので失礼します」
二人の手を引いてその場を立ち去ろうとすると、マドハトはおとなしく着いてくるが、ルブルムは立ち止まる。
「リテル、案内してくれると言っているぞ」
「おやおや、乗り気なのは一人だけかぁ。残念、残念。なんならお嬢さんお一人だけご案内しましょうか?」
馴れ馴れしいのは羊種。
他の二人はニヤニヤしながら、さりげなく囲い込むように位置を移動する。このフォーメーションはアウトだよな。
「私はルブルムだ」
あー、個人情報を次々と……。
「へぇ、ルブルムちゃんかぁ。いいお名前だねぇ。こっちはリテル君。そちらの犬種さんは?」
俺はルブルムの手を強く引っ張る。ルブルムは一応ついては来るが、三人組を気にしている。
「リテル? 案内してくれると言っているぞ?」
「リテル君、ルブルムちゃん、嫌がっているぜ!」
羊種は笑顔を浮かべたまま、俺がつないでいるルブルムの手を外そうとした。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。イビキの主張が強め。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。「自分はホムンクルスだから」を言い訳にしがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・テイラさん
村長の息子。定期的に領都フォーリーを訪れている。猿種。
リテルたちをフォーリーまで送るために馬車を出してくれた。
・テニール兄貴
ストウ村の門番。犬種の男性。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
馬車の護衛として同乗している。
・親切を装う三人組
フォーリーの街で話しかけてきた羊種、猿種、鼠種の三人組。
ずっと笑顔を浮かべているが、胡散臭い。
■ はみ出しコラム【服】
以下はラトウィヂ王国におけるスタンダードな服装。
・村の住人
農業職の一般的な服装は、麻製のTシャツと膝上短パンか巻きスカート。短パンを留める腰紐がスタンダード。足元は革製のサンダル。
短パンタイプか巻きスカートかは、男女というよりも裕福さや尻尾の有無などで選ばれることが多い。貧しい者はサンダルではなく裸足。
門番や、森の中に入る狩人などは、短パンではなく長ズボンを着用し、サンダルではなく革製のブーツを履く。
寒い時期になると上から毛織物を羽織る。
・街の住人
つま先から足全体を覆うタイツっぽい形の麻製のズボン下を履くことが多い。靴もくるぶしくらいまでの革製の靴。
シャツは麻製だが、村でよく着られるようなシャツよりも装飾や色、模様などがついている。
耳の形を隠すことができる帽子も好んで着用する者が多い。
・兵士
装飾の少ない麻製シャツに長ズボン、革ブーツ。
その上からなめし革の革鎧を着け、寒いときにはさらに上から外衣をまとう。
・貴族
貴族の服は、街の住人の服装をさらに豪華にした感じで、ボタンやフリルがついた服が好まれる。また、素材も麻ではなく絹が用いられる。
シャツもかぶるTシャツタイプではなく、ボタンで留めるYシャツタイプ。
一部の富裕層には貴族でないにも関わらず、貴族の格好を真似る者もいる。
・下着
一部地域では幅広の布で胸部をぐるりと覆うタイプの服も存在するが、パンツやブラジャーの類は普及していない。
海や湖など水に入る場合は男女問わず上半身裸が普通である。
・スカート
売春宿の娼婦が「すぐできる」と好んで着用しているため、街の住人はあまりこれを好まない。
・生理用品
挟み綿、挟み草、当て布といった生理用品が存在する。
また、生理中に服の上から腰を覆う覆い布というものも存在する。
生理については特に忌まれることはなく、都市部ほど生殖の準備として必要な体の変化という認識が広まっている。周辺の村々へは監理官を通して情報が流布されている。
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