日本語教師日誌2

藤堂Máquina

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11月19日(木)

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11月19日(木)

今日の授業は2つ。
先に書いておくが、1週間ほど更新が止まるかもしれない。
少し休みを取る予定なのである。
現地の授業の方は休めないため、授業こそするものの、内容を書き記しておくがどうかは分からない。
その一方で、授業とは関係ないことについてはここではなく、別にタイトルを設けて書き残そうと思っている。
もちろんめんどくさくなったり、忙しかったりするとそれもどうなるか分からないが、できるだけ続けようとは思っている。
今日は朝に1つと夜に現地の授業があった。
朝の授業の学生は、今日をもってとりあえず2週間くらい休むらしい。
私も休むタイミングだったため、それはこちらとしても好都合だった。
内容は読解だったが、これまた目に見えて早くなった。
文字数の多いものを渡しているのだが、それでも時間はむしろ短くなっている。
一般的な文法について、特に読む際の理解についてはほぼ問題なく理解できている。
時折知らない言葉が出てきたり、珍しい接続詞が出てくると一瞬止まるが、簡単に置き換えられたり、写真で説明できるものばかりであるため、すぐに再開される。
名詞で止まる際も、固有名詞であり、例えば「ガラパゴス」とか「カレーライス」とか、英語に直すとすぐ分かるものであり、それこそ時間はかからない。
それに一度教えると、大抵の場合は2度と聞いてこない。
時々、頭に入らない言葉があるらしく、その場合は複数回聞かれることがあるが、その回数は通算しても数えるほどである。
記憶力なのか、言語的なセンスなのかは分からないが、羨ましい限りである。
現地の授業に関しては、新しい学生が来た。
新しい学生は、今テーマは私のクラスと同じと聞いていたが、会話があまりできない感じであった。
私のクラスは正直難しいと思う。
理由は簡単で、日本語ばかり使うからである。
そのため、私の授業を理解するためには、日本語をよく聞かなければならない。
私は難しい言葉自体を使わないものの、非日本語圏学習者からしたらどれだって難しいだろう。
難しいというか、聴き慣れないため、大変だろう。
しかし今の私の学生たちは本当によく頑張ってくれていると思う。
時々私はここにも「助詞ができない」とか、そういう愚痴をこぼすが、会話能力に関しては、それなりによくできていると思っている。
私が個人で教えていれば、それで充分だと思うほどである。
しかし、学習者たちがもし日本に留学しようと考えているならば、試験を受けなければならず、当然文法も正確に理解しなければならないのだ。
そのため、学校に所属している教師という立場からすると、どちらかというと会話能力よりも文法能力を重視すべきと考えてもおかしくはない。
しかし私の個人的なモットーとしては会話できないと意味がないと思うため、どうしても会話を重視してしまう。
正直私は満足しているし、今形容詞を教えているのだが、覚えて使ったりできているところを見ると、頑張っている学生たちはとてもかわいい。
毎回一生懸命準備して、私なりにわかりやすい説明を心がけているだけのことはある。
本当はオンラインではなく、教室で教えたいのだが、オンラインでやっている割にも頑張っていると思う。
もう少し宿題をやってくれると嬉しいが、それは高望みみたいなものだろう。
学生たちは得意なことと苦手なこともあると思う。
南米の人たちは、落ち着きのない人も多く、きっと中には1人で勉強するのが苦手な人もいるかもしれない。
だからそのあたりについては大目に見ることにしている。
学校の方針というか、学校に所属している教師の選ぶ選択ができていないところをみると、私は教師に向いていないのかもしれない。
その一方で私は満足を感じているところを考えると、独り善がりなのかなんなのかは分からないが、これについてはきっと何年経っても答えはでないと思う。
少なくとも私が感じているのは、私がうれしく思ったり、楽しく思ったりできている以上は、少しくらいは学生たちもそれを感じることができるだろう、ということである。
逆にそれがなかったら、学生たちも黙々とつまらないタスクをこなすことになるだろうということである。
ここにいるのも多分もうそう長くはない。
お金をもらって授業を提供している以上、残された時間を無駄にしないようにしなければならない。
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