日本語教師日誌

藤堂Máquina

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7月17日

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7月17日

今日の授業は一つ。
ほんの2時間前に昨日の分の日誌を書き上げたところなのに、また一コマしかないため日誌を書いている。
このコマは私は明日のコマだと勘違いをしていたため、自分の中では急遽という形であった。
準備に関しては私は何日も前に済ませるタイプの人間のため、問題はないのだが心の準備というものはできればほしい。
そうは言っても今日の学生は日本語も上手で、会話がメインのため不安は何もない学生である。
今日のトークテーマは学生がはじめて日本を旅行した時の話で、京都清水寺が最初のテーマとなった。
学生はその説明をするために適切な言葉を探そうと模索しており、清水の舞台のことを「あの、、、バルコニーみたいな、、、」と言っていた。
あそこをバルコニーと表現した学生ははじめてであり、少々笑ってしまった。
また学生は日本に行くたびに日本人の英語を勉強している中学生か高校生くらいの人に話しかけられるということも言っていた。
街頭で外国人にアンケートをして、英語力を鍛えるというよくある勉強方法である。
そのため、英語で話しかけられたようだが、この学生は生憎英語が得意ではない。
全く話せないということもないのだが、基本的には使わないし、日本人の勉強中の英語では訛りがあったよく分からなかったようだ。
そのため、当時も勉強中だった日本語で話してその場は何もなかったそうだ。
日本人は「外国人は英語を話す」というイメージが強いが、必ずしもそうではない。
ヨーロッパ一部や、アメリカなどは英語を話し、それ以外の国でも、所謂「先進国」と呼ばれるそれらは使える人は多いだろう。
そもそも日本に来られるくらいの経済力のある人なら、それなりの教養があるだろうから、そのようなイメージを持つことも強ち間違えではないのだが、世界が縮小化している今の状況を考慮するとやはり考え方を見直すべきだろうとは思う。
特に私のように日本語しか話せないのに外国に行こうとするバカもいるくらいだ。
他の国にそのような人がいたってなんら不思議はない。
世界は狭くなっているとはいえ、それでも世界は広いのだ。
今日の学生はロシア人で、ロシアの面積は実に日本の45倍ほどあるという。
人口は日本とあまり変わらないらしいのだが、広いということは多様化を促進させる。
日本ですら方言や違う言語があるのだから、ロシアのような国ではどうなってしまうのだろうか。
北の国にも行ってみたいものである。
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