【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第1章 始動

6 肌に触れる物

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 草太そうたはその土地の磁場の乱れ…とでもいえばいいのだろうか、それは磁束密度が何ウェーバくらい周囲と違うなどといった物理的な数値に裏打ちされたことではなく、自分の立っている地点の気圧、磁束密度、匂い、光の強さなど、おそらく特定の物理量を総合した何かが今自分のいる周辺だけ違うように感じていた。あるいは人はそれを指して霊感という言うのかもしれないが、草太は生まれてから今に至るまで幽霊や霊魂といった類のものは見たことが一度も無かった。ただ、明らかに何かが違うことだけは着実に感じ取っていた。

 さらに、今目の前にある、穂乃香ほのかの言う「呪いの家」の雰囲気が異様だった。一見すると周りより少し大きいだけの普通の民家なのだが、目に見えないくらい小さい緑色の羽虫が無数に飛び回っている、そんな印象を受けた。門扉の無い生け垣を穂乃香が躊躇なく入って行くので、水中に潜るときのように大きく息を吸ってワンステップ勢いをつけてからその後を追った。広い庭を敷石に沿って歩いていくと、十メートルほど先にある家屋の玄関に到達する。建物自体は昔ながらの田舎の平屋で二階は無く、銀黒色の瓦屋根が重くのし掛かり、枯色の家の壁よりも厚みがあるように感じた。

 玄関の扉横の柱には達筆な毛筆調で「鮫島さめじま」と書かれた立派な木製の表札がかかっている。確かに事件の被害者宅だ。穂乃香が玄関の格子ガラス扉を引くが、鍵がかかっているようでびくともしない。それを見て、そらそうでしょと思った。こういう場合物語などではすっと扉が開いたりするが、現実にはそんなことある分けがない。そんなことを考えながら、草太は内心ホッとした。

「普通鍵がかかってるよね。ヒナちゃんとコハルちゃんは本当に中に入れたのかなあ?」

 草太の問いかけに、穂乃香は小首を傾げる。友達思いの少女のあどけなさと、多少の興味でここまで来たが、ここが潮時かなと思った。今なら少女から探偵料を受け取ることもなく、草太の裁量でタダにしてやってもいい。一乗寺いちじょうじには黙っておけばいいことだ。

「残念だけど、ここまでかな。そもそも家の中まで入ると不法侵入になるしね」

 そう言った草太の顔を、少女は悲しそうに見上げた。その捨てられた猫みたいな少女の表情に、草太はため息をついた。もう少しパフォーマンスだけでも入る努力をしてやるかと、玄関横の壁沿いに歩き、しっかりカーテンの引かれたガラス戸が開かないか確かめた。当然そこも開くわけもなく、角を曲がって横の濡れ縁に出る。そこも雨戸がぴっしりと閉められ、中に入れそうな扉は無かった。

 と、裏手からガタンと音がし、ビクンと肩を上がらせる。恐る恐る音のした方の角を曲がると、反対側の角を曲がる濃紺のオンブレチェック柄のシャツを着た男の後ろ姿が見えた。

「あ、ちょっと待って!」

 逃げる人を反射的に追う犬のように、咄嗟に追いかけて同じ角を曲がる。が、そこにはもう男の姿はなく、さらに次の角を曲がってちょうど家を一周しても、玄関前に心配そうにこちらを見る白いワンピース姿があるだけだった。

「男がこっちに走って来なかった?」

 少女は二、三度首を振り、草太は生け垣を走り出て当たりを見回す。周囲は田んぼに囲まれていて百メートルほど先の隣りの家まで何も遮蔽物はなく、男が田んぼを突っ切ったとしてもその姿が見えないはずがない。

 まさか!?

 家から離れる振りをしてもう一度家に戻った可能性を思い浮かび、慌てて玄関に引き返すも、そこには少女の姿すらなかった。

「穂乃香ちゃん!」

 少女の名を叫びながらもう一度家を一周するが、少女の姿も男の姿もどこにも見当たらない。

(まさか、家の中に入った?)

 男の姿が見えた裏手まで行くと板張りの引き戸があり、半分開いた状態になっていた。扉を開いて中を覗くと、そこは台所への上り口になっていて、中から漏れ出てくる生臭い風に混じって鉄臭い匂いが鼻をついた。それは鼻血を出したときに鼻腔を通る匂いに似ていた。

「穂乃香ちゃーん!中にいるの!?」

 勝手に行動する少女にイラッとしたが、もしかしたら男を見て逃げだしたのかもしれない。もしさっきの不審者がもう一度家の中に入ったなら、穂乃香も危険な状況だ。草太はスマホを出してライトを点け、薄暗い台所を慎重に照らしながら、靴のまま中に踏み入った。もし男が中にいても刺激しないよう、ゆっくりと歩を進める。炊事場の前を通って台所を抜けるとフローリングの廊下があり、すぐ前には玄関の磨りガラスから差す光が見えた。廊下のすぐ右手のドアを引くと、そこは広々とした応接室で、高級そうなカーペットの上に質の良さそうなソファーセットが据えられている。家の外観に比べて中はモダンなリビングに仕上がっているが、草太はその部屋から感じられる生活臭に違和感を覚えた。

(確か、事件があったのは二年前だよな?何で家具がそのままにされている?ひょっとしてもう違う家族が住んでいるとか…?)

 そのリビングは家の真ん中にあって窓はなく、暗がりをスマホのライトで照らしながら、電灯のスイッチを探す。天井には丸い大きなシーリングライトがあり、入口の壁にそれを点けるリモコンがホルダーに収めてあったが、リモコンを押してみてもライトは点かなかった。ふと、強い耳鳴りに襲われた。同時に視界がボヤける。急に度の強い眼鏡をかけさせられたように、目の前の景色にピントが合わなくなる。キーンという高い機械音がし、仕切りに首を振る。ボヤけた視界に黒い影が映り、ドクンと胸が大きく脈打つ。

 何かがいる!

 影を方を向き、目を細める。影はノイズのかかった画像のようにゆらゆらと揺らいでいて像を結ばないが、こちらを伺っている気配だけははっきりと分かった。全身が粟立って後退り、後ろのリビングボードにドスンとぶつかる。ゴトンと何かが落ち、急に激しい頭痛に襲われて頭を抱えて屈み込んだ。

 頭痛に身動きが取れなくなり、しばらくうずくまっていた。結構長い時間そうしていた気がするが、実際は数分というところだろうか。急に耳鳴りが止み、頭痛もスッと引いていった。視界も戻り、影が見えた方に目を凝らすが、そこにはすでに何もいなかった。辺りにも何者の気配もない。リビングボードから落ちた物を見るとそれは立て掛けてあった写真立てで、フレームの中には家族四人の写真が収まっており、みんな幸せそうに笑っている。その写真を手に取り、携帯のライトを向けてまず娘の顔が目に入ってギョッとした。その少女の顔は、穂乃香にそっくりだったのだ。

 え…どういうこと!?

 背筋に大きなミミズが這ったような感覚がした。シェアハウスを出る前に見た記事には被害者の詳細は書かれていなかったが、慌ててスマホを操作してさらに事件の詳細を書いてある記事を探してそこに載っている被害者の顔写真を出し、目の前の家族写真と照らし合わせる。間違いない。この家の家族が被害者だと確認できた。そして中学生の長女の名前が穂乃香で、さっきまで一緒にいた少女と同じ名前で同じ顔だと確かめたときは全身の肌が粟立った。さらには、記事では三人家族となっているが写真立てには四人写っている。もう一人の顔に焦点を当てたその時、家の奥からガタッと大きな音がした。

「穂乃香ちゃん!?」

 驚いて怒ったような声が出た。これはひょっとしてたちの悪いイタズラなのでは…そんな希望的な予感もよぎるが、何かの悪巧みだとしても、このまま少女を置き去りにして去るわけにはいかない。リビングからもう一度廊下に出て、突き当りの玄関を右に折れて音のした方向にゆっくりと歩を進める。廊下左手のガラス戸には日焼けして黄ばんだカーテンが引かれている。それを透過して夏の真昼の日差しが明るく照らしているのが救いだった。

 右手には襖があり、そこを開けると八畳くらいの和室で、壁際にシックなタンスが並んでいる。畳にライトを向けると、赤黒い染みがロールシャッハテストの模様のように広がっているのが見て取れた。だが二年前の事件の血の跡が残っているなどあり得ないことだ。やはり巧妙に仕掛けられた悪巧みの可能性も捨て切れない。

 その夫婦の寝室であろう部屋には人の気配はなく、さらに廊下を奥へと進む。廊下は右に折れて裏ぐちの方に向かっていて、その廊下に沿って二つの部屋がある。手前の部屋の木戸には可愛らしい丸文字のカラーレタリングで「ほのか」と書かれたプレートがかかっており、ゴクリと唾を飲んでその扉をゆっくり引いた。この家の長女は当時中学三年生で、勉強机には受験生らしく参考書や問題集が並んでいる。部屋の角にはファンシーな模様の天蓋ベッドがあり、部屋のあちこちに散りばめられた小物もその年の女の子らしい彩りで満ちている。

 ガタン

 奥で音が鳴り、ギクッと背筋が伸びる。どうやら音はこの部屋の押入れから出ているらしい。そっと部屋の中に滑り込み、ハンガーラックから木製の丈夫そうなハンガーを一つ手に取る。そしてそれを右手で掲げながら左手を押入れの襖の取っ手に手をかけた。そして一気に引く。

 ドサッ

 と、何か重いものがもたれ掛かり、その上部からぬるっとした液体が垂れて草太のTシャツの胸のあたりを濡らす。窓から差し込んでくる光でそのもたれかかった物体が人の形をしているのが分かった。その人型はセーラー服を着ている。着ているのだが、何かがおかしい。この姿勢でもたれられたら、耳の横に相手の顔が触れるはずだが、その感触がないのだ。ゆっくりと、首を回す。そして、相手の頭が無いのを確認する。だが驚くのはまだ早い。マネキンの可能性もあるのだ。だが……

 相手の身体に触れる生々しい肉感が、それが人の身体であることを告げていた。首から先が千切れて、真っ赤な断面から赤黒い液体が流れて草太の服に広がっていた。心なしか、人肌の温かさも感じていた。
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