【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

文字の大きさ
24 / 144
第2章 切迫

8 Gは禁句

しおりを挟む
「刑事さん…だよね?えーとお名前は……」

 朱美あけみと名乗った店長が浦安うらやすの顔を覗き込んだとき、この女、お水慣れしてるな、と弓削ゆげは思った。朱美は弓削たちと反対側に座る客と話していて二人の声は聞こえていなかっただろうが、隣りの駅で事件が起こったことは当然知っているだろうし、雰囲気から二人が刑事だと当たりをつけるのは容易だろう。そしてあんな愁いを帯びた顔で覗き込まれたら浦安さんだって……

「当たり。浦安です。二年前はお世話になりました」

 満面の笑みを朱美に向けた浦安に、ほら、と思う。あんなのは相手に喋らせる初歩中の初歩のテクニックだ。弓削はずっと自分の話が遮られている状況に面白くない顔をしながら、二人のやり取りを見守っている。そんな彼女の胸中を慮ることなく、浦安はずっと目尻を下げた顔を朱美に向けていた。二年前といえば鮫島さめじま家の一家惨殺事件が起こったときで、浦安も弓削も捜査に参加した。このバーに来るのは弓削は始めてだったが、浦安はその当時もここに来ていたのだ。

「あー、うんうん、覚えてます覚えてます。あんときはこちらこそお世話になりました」

 ペコンと頭を下げる朱美に、うそつけ、と弓削は心の中で突っ込んだ。ブラウンアッシュのロングボブを揺らしながら首を傾げる仕草があざとい。弓削は浦安がなかなかこちらの話に集中してくれないのを苛立った。しかし浦安の朱美にした次の質問に、実は彼が捜査の延長線でここに来ていたことを思い知らされる。

「ここに、忌野いまわの君もよく来てるって聞いたけど、最近も来てるの?」

 忌野とはこの店の近くの派出所に勤務する巡査だ。実は忌野にはある疑惑が持ち上がっていて、鮫島の家の事件が無かったらその調査を弓削の班がすることになっていた。

「いまわの?誰だっけ?」

 朱美が首を傾げたとき、浦安は一つのボトルを指差した。そこにはボトル棚の右端の、比較的背の高いボトルが置かれたその一番前に、下半分に何やら英字がズラッと書かれているウィスキーがある。ボトルネックには忌野の名前がしっかり書いてあった。浦安はきっと、店に入った時点であのボトルに目をつけていたのだろう。

「あーあ!ヨウちゃんかあ~。いっつも下の名前で呼んでるから分かんなかった」

 朱美のわざとらしい声が響く。

「よく来られてますよ。前回はえーと、いつだったかなあ~?確か…三日前とか?」
「あれ、ブッカーズだよね?忌野君はいつもあれを?」
「はい。ヨウちゃんはいつもあれ取ってくれます。て、やだあ、まこっちゃん、何か取り調べみたい」
「あれ?俺の名前…」
「はい、グワシのまこっちゃん!ね、ちゃーんと覚えてるでしょ?」

 グワシのまこっちゃん…一体何の二つ名なのだと白い目で浦安を睨む。浦安はバツの悪そうに弓削をチラッと見ると、しきりにきれいに刈り込んだ短髪を掻いた。薄くなった前髪はすでに汗でキューピーみたいになっていた。

「ねえねえまこっちゃん、一体この町どうなってんの?二年前の惨殺事件も驚いたのに、またおんなじ場所で殺人とか。しかも今話題の連続殺人だっていうじゃない?ちょっとさあ、怖いんですけど」

 朱美はまるで忌野の話題から逸らすように、眉を寄せてそんなことを捲し立てる。まあこの町の住人としては気になるのは当たり前か。相手はその事件を担当してるであろう刑事なのだ。

「う~ん、それはホントに申し訳ないと思ってます。今回も一日も早く犯人を上げる所存であります」

 浦安がおどけた口調で敬礼をし、朱美が吹き出す。

「何それ、ルパン三世の銭形警部?」 
「やつはとんでもないとのを盗んでいきました!あなたの心です!」
「あはは、似てる似てるぅ~!」

 二人でキャッキャやっているのを鼻白んだ目で眺める。ふと、浦安の肩越しに、向こうのカウンター端からこちらに視線を向けている黒い大きなカラスのような姿を捉えた。まだそれほど酔っていないはずだと目を擦り、カウンターから顔を突き出して浦安の左端を見る。そこには弓削たちが入ってきた時からいた先客が一人座っているのだが、改めて見ると全身真っ黒だ。黒い長袖のワンピースの肩にはこの暑いのにフェザーショールをかけている。ショールからは黒い羽毛がみっちりと生えており、それがカラスのような姿に見えたのだ。頭には大正時代のモダンガールが被るような黒いクロッシェ帽、帽子からは黒い網状のチュールが下に垂れて目元を隠していた。目元は隠れているのだが、そこからはっきりと自分を見る視線が感じられた。

 弓削が一点を見つめて固まっているのに気づき、浦安も自分の左隣りを見る。そこに座っていた先客を見ると、その奇異な格好の客をしばし見つめる。二人の視線に気づき、朱美がああと呟くと、黒いカラス姿の方に手をかざし、

五月山さつきやま天冥てんめいさん。今日、A県への旅行から帰って来たのよ」

 と紹介してくれた。そして朱美は五月山に向き、

「こちらはK署の刑事さん」

 と紹介した。両者はペコンと頭を下げ合う。五月山の後ろには確かに大きめのキャリーバッグが壁にもたせかけてあった。キャリーバッグの色も黒だ。

「あの、暑くありません?その格好」

 弓削が無遠慮な質問を投げかけると、

「冷房、苦手なんです」

 と、蚊の鳴くような声で返す。澄んだアルトの声だった。そしてすうっと、弓削の方に長くて細い腕を差し向けた。小枝のような指先が指しているところを辿ると……

 弓削は自分の胸を見下ろす。なるほど、先程から感じていた姿勢は自分の胸を見ていたのだ。

「何カップ?」

 五月山がポツンと聞き、

「じ…G、です」

 と、弓削は屈辱に耐えるような顔で答える。おおーと、朱美が感嘆の声を漏らす。そして見比べるように五月山の胸を見た。

「天冥さんのぺったんこの胸とは大違いだね」
「朱美ちゃんそれ、セクハラです」

 五月山が朱美に返す言葉を聞き、いや、あんたが胸に話を持っていったんだろうが、と弓削は食って掛かろうとした。が、慌ててズボンのポケットからハンカチを取り出した浦安が仕切りにこめかみあたりを拭いながら、

「いやあ~それにしても今年は暑いねえ。私ら捜査員にはきつくてかなわんよ」

 と、朱美に話題転換を促すように白々しい声を上げた。浦安は弓削が胸の話を極端に嫌うのを知っている。署でも弓削を胸のことでからかった署員と彼女が喧嘩するのを何度も止めていた。弓削の方も浦安のそんな気遣いが分かり、出かかった言葉をゴクゴクとビールと共に飲み下す。そしてジョッキが空になると、焼酎をロックで出すよう朱美に頼んだ。

「で、今日はどんな捜査をやってたんだい?」

 ようやく浦安が自分の話を聞く態勢に戻ってくれ、弓削はさっきの苦々しい思いを上乗せして感情剥き出しに語った。

「聞いて下さいよ!今日はずっとセフィロトの入り口を車で張って出入りする人をカメラでパシャパシャ撮ってたんですけどね、あのヤロウ、車中でずっと自分の気持ち悪い恋愛観を語ってくるんですよ!学生のコンパかって!あんなことより自分、青井の行確(行動確認)に回りたいです。だってあいつ、明らかに怪しいじゃないですか!?」
「ちょっと!滅多なこと言わないように」

 浦安は荒れ気味な弓削の声を制した。他に二人しかいないとはいえ、捜査上のことを漏らすわけにはいかない。幸い朱美はまた五月山と話し込んでいる。それを見て、浦安は安堵とも失望とも取れるため息をついた。弓削が担当するかどうかは別として、浦安自身も青井の行確は必要だと考えている。だが、現状の捜査ではそこに人員は投入されていなかった。

 
 時刻も10時を回った頃、ボックス席に店の常連が入ってきた。それを期に、浦安が弓削にそろそろ帰ろうと言う。弓削の家はK署のあるK駅から都会方向に四駅のところにあるのだが、今夜からしばらく禍津町まがつちょうの公民館に寝泊まりすることになっていた。禍津町からK署まで車で30分ほどかかり、毎回そんな移動していては大変だろうと町長が仮の宿舎として提供してくれたらしい。二年前の捜査ではそんなことは無かったので、公安調査庁から何らかの政治的な手回しがあったのかもしれない。

 少し飲むピッチが速かったことを、重い頭で今更ながら反省した。浦安に応じて腰を上げかけた時、ふいに右耳に寄せられた黒い顔に気づく。ボックス席の奥にあるトイレに立った五月山が弓削の後ろを通りかかりしな、耳元に顔を寄せてきたのだ。そしてそのよく通るアルトボイスで囁いた。

「あなた、死相が出てるわよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百の話を語り終えたなら

コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」 これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。 誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。 日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。 そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき—— あなたは、もう後戻りできない。 ■1話完結の百物語形式 ■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ ■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感 最後の一話を読んだとき、

視える僕らのシェアハウス

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/14:『さむいしゃわー』の章を追加。2025/12/21の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/13:『ものおと』の章を追加。2025/12/20の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/12:『つえ』の章を追加。2025/12/19の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/11:『にく』の章を追加。2025/12/18の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/10:『うでどけい』の章を追加。2025/12/17の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/9:『ひかるかお』の章を追加。2025/12/16の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/8:『そうちょう』の章を追加。2025/12/15の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/7:『どろのあしあと』の章を追加。2025/12/14の朝8時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

処理中です...