【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

文字の大きさ
100 / 144
第8章 蔓延

6 フラグ立つ

しおりを挟む
 7月最終日の夜、弓削ゆげ久遠寺くおんじの境内で橋爪はしづめとともにお焚き火の組木を見上げていた。橋爪はこの日までの業務に関する報告書を提出し、明日からの警備に備えて現場の下見にやって来たのだ。夕食を終えると遵奉じゅんぽう住職は天冥てんめいを伴って鷹田たかだ神社へと最終打ち合わせに出掛けた。朱美あけみもそれに合流するようで、寺には帰って来ていない。つむぎはきのう、掃除が終わった時点でどこかに出掛けてしまい、今日は顔も見せていない。弾正だんじょう草太そうたも、ノワールに帰ったのか予行演習の後から姿が見えなかった。そして浦安うらやすは天冥の説明の後、公安調査庁特務調査室の室長である室町むろまちに呼び出されてK署に戻って行った。なので橋爪が来た時、寺には弓削しかいなかった。今襲われて準備した舞台を壊されたらどうするのだろうと、不安にかられていたので橋爪の顔を見て少しホッとした。

 むせ返る湿気の中でカエルの輪唱が相変わらず賑やかに鳴っていた。広い境内の真ん中には月明かりにお焚き火用の組木がその輪郭を浮き立たせている。木が崩れて舞台に引火しないように太い丸太でロの字に囲われ、さらにその周囲に一片が五メートル程の舞台が地面より一段高く設けられていた。舞台には赤い敷布を張り、その四隅よすみには忌竹いみだけと呼ばれる青竹が立ててある。風が吹くごとに、その笹の葉がサヤサヤと揺れた。竹同士は細い縄で繋がれ、そこにギザギザに切った白い紙が等間隔に垂らされている。これは紙垂しでと呼ばれるもので、ギザギザなのは雷形すなわち神鳴りを表すのだそうだ。さらにその外側に一片十メートルほどの正方形にしめ縄を張り、その角々には火を絶やさぬように補充用の薪が積み上げられていた。弓削は橋爪に、予め天冥から聞いていたそれらの舞台装置の一つひとつを説明してやった。

「つまり、俺らの仕事はこの一番外側のしめ縄の中に誰も入れないことだな」

 橋爪はそう言いながら、結構広い場所を取った三重の正方形の中を感慨深げに眺めた。弓削はそんな橋爪の相変わらず職務に忠実な姿を見て、この期に及んでも心が揺れている自分との違いに引け目を感じた。

「あんたさ、どこまで信じてここにいるの?」
「どこまで、て?」
「だからさ、その、将門まさかどとか影武者とか、そういう話」
「正直、荒唐無稽な話だなとは思う。だが浦安係長がここの警護をするって決めたんなら、俺はそれに従うだけだ」

 へえ~と、感心とも呆れともつかない声が漏れた。橋爪の迷いのない横顔を見つめ、この男なら躊躇なく侵入者を撃つんだろうなと思った。

「あんた、そんなに係長のこと信奉してんの?」
「信奉…とはちょっと違うな。尊敬、ともちょっと違う。何ていうか、あの人はいざという時、間違った選択をしないだろうと踏んでいるんだ」
「何でよ。何でそう言い切れんの?」

 橋爪はフッと鼻から息を漏らし、頭上の満月に遠い目を向ける。

「あれは、俺がK署に赴任して間もない頃、隣りのN市で起こった殺人事件の捜査の手伝いに係長と一緒に赴いたんだ。認知症を発症して寝たきりになった老人が包丁で刺されて死んだ。状況証拠は全てその妻に向いていた。介護疲れが動機なのだろうと推察され、後は自供さえ取れれば立件に持っていけると県警の捜査主任は踏んでいた。浦安係長は別にそれに異を唱えはしなかったが、執ように周辺の敷鑑しきかんを進めた。その頑なな行動は、他の捜査員たちからは失笑を買っていた。結論から言うと、犯人はその家に短期間だけ出入りしたことのあった介護福祉士だった。妻が新型ウイルスに罹患してしまい、仕方なく介護福祉士を雇ったんだ。そいつは家を訪れているうちにたまたまタンス預金の存在を知って合鍵を作り、妻が戻って介護を解かれてからも彼女の留守中を狙っては時々侵入してその金をクスねていたらしいんだ。そして事件の日、いつものように幾ばくかの金を盗もうとしたら、その日に限って老人の意識が明瞭になり、自分の行動を諌められて思わず刺してしまった、と。それでさ、後で係長に聞いたんだ。何で妻が犯人と思わなかったのかと。係長は夫の衣服や食器類などがいつも清潔に、きちんと整えられているのを見て思ったんだと。こんな夫に愛情のある人が例え一時の感情であれ、夫を刺殺したりはしない、と」

 そこまで語ると、橋爪は弓削に視線を移した。その顔からは清々しい笑みが溢れていた。

「あの人はさ、人間をちゃんと見てるんだよ。俺たちは机上の理論を重視しがちだが、係長を見てるとそれは人としっかり向き合ったデータを持たない者の逃げに思えてくる。人の行動を理論立てて考えるのは大切だが、人と向き合い、その根本をしっかりと見極めなければ空論に陥ってしまう。今回の事件だってそうだ。科学やら常識やらに振り回されていたら、本質は見えない。実際、わけの分からないことが起こってるんだ。俺は係長の経験を信じ、その判断に従おうと思う、ただそれだけだよ」

 そう言ってにっこり笑う橋爪が憎たらしくも頼もしく思えた。自分の迷いを補強してもらえた気がした。

「あんたって、鉄面皮に見えて意外にお人好しなのね。あ、いい意味でよ、いい意味で」
「お、おう、褒め言葉として受け取っとくよ」

 二人で笑い合う。ふと、弓削はずっと聞きたかったことを口にする。

「あんたさ、初めて会った時、あたしの胸を見なかったでしょ?あれ、何で?興味無かった?それとも、そういうふうに意識してた?」

 我ながら変な質問をしたと思う。鼻で笑われるかと思ったが、橋爪の反応は意外に誠実なものだった。

「興味がないわけじゃない。打ち明けるとさ、事前に遠藤えんどうさんから聞いてたんだよ。弓削に胸のことを言うと蹴り飛ばされるぞって」
「な!蹴ったりなんかしない。ちょっと靴を踏んづける程度よ」
「いやその分厚いパンプスのかかとで踏まれたら結構ダメージでかいぞ」

 言って、少年のような顔で笑う。弓削も意外なカラクリに気が抜け、一緒になって笑った。ゲコゲコとカエルも笑う。緩んだ時間が駆け抜ける。そして、少年のような顔が男のものになる。橋爪は弓削から視線を外して天に向く。その瞳に、北極星の瞬きが宿る。

「あー、えーと、何だ、弓削は、さ、俺のこと、嫌いか?」

 咄嗟に聞かれ、弓削も天を見る。満天の星空が、少し滲む。

「べ、別に嫌いとかじゃないわよ」
「じゃあ、好きか?」
「ば!何で二択なのよ。普通よ、普通」
「そっか、普通…か」

 目の端で捉えた橋爪のシルエットが、心なしか俯いた。そしてガバっと顔を上げ、身体ごと弓削に向く。

「俺はさ、お前のこと、何て言うか、好き…なんだよな。あ、胸が大きいとか小さいとか、そんなことどうでもよくてさ、その、女性として、好きだ」

 急な告白に、弓削は唖然として橋爪の顔を仰ぎ見た。真摯に弓削を見つめ、その瞳には星空が移ったように煌めいている。その姿が、次第にぼやけてくる。


(やめなよ、変なフラグ立ったらどうすんの?)

 急に朱美の声が聞こえたような気がした。胸が高鳴り、深呼吸する。

「あた、あたしは、さ、一度、好きな人を亡くしてるんだ。学校の先輩でさ、女性だった。好きだったの。彼女も、あたしのこと好きになってくれた。あたしよりも、ずっと、ずっと。でもあたしには覚悟が足らなかった。いざという時になって、ちゃんと先輩と向き合えなかった。先輩はショックを受けたと思う。それで、自分で自分の命を絶った。あたしのせい。あたしのせいなんだ!だからあたしには、人を好きになる資格なんてないの!」

 ポタポタと、生温い雫が頬から滴る。胸に両手を埋め、頭上の神様に祈る。これでフラグは立てました。だから、悪い運命は全てあたしの方に移して、と。

「資格がないなんて、言うな」

 橋爪が弓削の肩を抱き寄せる。弓削はその胸を、心ゆくまで濡らした。カエルの合唱が、嗚咽にかき消される。時間が流れ、弓削が落ち着きを取り戻した時、橋爪の胸板が大きく伸縮した。

「なあ」
「ん?」
「男は、好きになれないか?」
「んー、分からない」

 本当は今、ときめいている。先輩の時とは違う、ゆったりとした安心感に包まれている。いつまでもこの胸に抱かれていたいと思う。

「あのさ」

 橋爪の改まった呼びかけに顔を上げる。ちょうど目の前に自分を見下ろす橋爪の顔があり、しばし、見つめ合う。橋爪の唇が開く。

「この、さ、事件のかたが付いて落ち着いたら、二人で、しょ、食事に、行かないか?」

 そこはキスじゃないんかい、と、心の中で突っ込みを入れながら、弓削は満面の笑みで頷いた。そしてニタっと口端を伸ばし、パンプスで橋爪の茶色い革靴を踏む。グゲッという声が、カエルの合唱にいい合いの手を入れた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド

まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。 事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。 一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。 その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。 そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。 ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。 そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。 第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。 表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

処理中です...