【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第8章 蔓延

5 迫りくる暗雲

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 7月31日

 この日は衝撃的なことが二つあった。一つは禍津町まがつちょうの各地で警察官が襲撃されたこと。須田すだが隠し撮りした髙瀬たかせを捜査員が撃ち殺した映像がYourTubeやKikTok、SwitterなどのSNSで拡散され、それを見て義侠心に駆られた者たちが禍津町に押し寄せ、抗議活動をし始めた。そしてその一部は暴徒化し、警察官に向かって石や瓶などを投擲し出したのだ。これに対し、警察庁側は機動隊を要請し、その取り締まりに努めた。捜査本部ではこのような事態も想定されていたらしく、機動隊が到着するまでは迅速だった。

 衝撃的だったもう一つの出来事は、禍津町の南西部に位置する紫明湖しみょうこで女性の遺体が上がったことだ。遺体は首元を食い千切られ、身体中の血を抜かれてミイラみたいな状態で見つかったという。かろうじて見つかった、女性の物と思われるポシェットの中から出てきた身分証からその遺体は聖蓮せいれん女子高校の教師、倉田くらたこよりのものだと判明した。死者・行方不明者が相次いでいるクラスの担任だ。こちらには消防隊が出動し、さらに紫明湖をさらった結果、同様のミイラのような遺体や首無し死体が多数見つかった。31日の時点ではまだその全体像が把握できないのだという。


 明日から久遠寺くおんじで始まるお焚き上げ供養を前に、いよいよ周囲に暗雲が立ち込めてきているように思われた。弓削ゆげから天冥てんめい将門まさかどの影武者に関する推察を聞いた浦安うらやすは、遠藤えんどう橋爪はしづめを付き従えてK署署長に8月1日から二週間の間久遠寺の警護をすることを願い出た。警察庁本部の言いなりの署長は当然首を縦に振らず、浦安たちは直接、沖芝おきしば管理官に願い出る。沖芝には天冥から聞いた詳細も話した。沖芝は天冥の妖化あやかしかに関する考察を笑うこと無く興味深く聞いていたが、いざ警護の話になると、事件が立て続けに起こってひっ迫していることを理由に苦渋の顔を示した。元々公安調査庁付きとなっている浦安や弓削班はいいが、それ以外の人員は割けないと言う。禍津町での抗議活動も激化することが予想され、捜査員の手が足りないと主張する管理官の言い分も当然のことに思えた。

「起きた事件の捜査より、これから起こる事件を未然に防ぎたいのです!」

 浦安はこれからも人々が危険に晒される可能性を語り、それを防ぐことが出来るのは天冥だけだと力説した。その熱く語った言葉が沖芝管理官の心を動かしたという。管理官にも高校生の娘さんがいるらしく、その娘さんを守りたいという気持ちも働いたのだろう。もはや禍津町で起こっている数々の事件は通常の捜査手法では対処し切れないのは明白で、一蹴されてしかるべき神頼みに一筋の光明を見出したい心境に駆り立てたのだ。沖芝管理官は、これは特例中の特例なのだと前置きした上で、久遠寺の警護に遠藤班と橋爪班も加えてくれた。しかしそれが譲歩できる最大限なのだった。

 遠藤と橋爪はそれぞれの班員を説得し、浦安と弓削班を加えた総勢十名が二週間の寺の警護に就くこととなった。寺の中に入るのは浦安と弓削のみが許され、残りの者は寺の外壁回りを警護する。寺の中の人員を最小限に留めるのは、捜査員自身が妖化する場合を踏まえてのことだった。すでに目から流血させていた弓削は、自分は外壁がいいのではないかと訴えたが、天冥曰く、その程度の危険性は捜査員全員にあり、五十歩百歩なのだそう。この日、夕刻から本堂で遵奉じゅんぽう住職の読経による予行演習が行われ、弓削と浦安は本堂にて住職の後ろに正座し、その二時間に及ぶ経を聞いて身を清めた。住職の両側では弾正だんじょうが太鼓を叩き、草太そうた磬子けいすを打って練習しており、そこに気が散ってなかなか経に集中できない弓削だった。だが二人とも、そこそこに手慣れてきてはいた。経が終わって足が痺れ、生まれたての子鹿みたいにして立つ弓削を、二人とも大笑いしていた。

 その日の夕刻、弓削と浦安は天冥に境内に呼び出され、明日に際しての最終注意事項を聞いた。

「明日からの二週間、日没の19時から日の出の5時まで、寺には誰も入る予定はありません。なのでもし、寺に押し入ろうとする者がいたなら、その者は将門に操られていると見て間違いありません。必ず寺の前で食い止めて下さい。そしてもし突破されることがあったならば、迷わず撃ち殺して下さい。撃つ時は必ず頭を狙って下さい。くれぐれも、躊躇なきよう」

 天冥の鋭い目線が二人を捉え、弓削は生唾を飲んだ。射撃練習はそれなりに積んではいるものの、人に向けて撃ったことなどまだ一度もない。まして、寺に押し入っただけではせいぜい不法侵入の罪に問われるくらいだ。そんな軽微な罪の者を撃ってしまっては自分が人殺しの罪に問われるのではないだろうか?そんな弓削の思いを読んだように、天冥の手が弓削の肩を掴む。天冥の弓削を見る目に、力がこもる。

「その一撃が人類を救うのです。躊躇してはいけません」
「でも……」

 不安げに見上げた弓削の顔の前に手をかざし、天冥がその言葉を遮る。

「では分かる範囲で、妖化についてもう少し詳しくお話します。まず前兆は目からの流血。この世界と黄泉よみの世界とを隔てる次元はグラデーションのようになっていると前に言いましたが、その流血は黄泉の世界に一歩近づいたことを示しています。ですが、この段階ではまだ十分に引き返せる余地があります。現代の医療にはまだその対処療法はありませんが、陰陽道には救う術があります。病にかかったのと同じように考えて差し支えありません。流血の段階では、その者はまだ人間なのです」

 天冥はそこで話を区切り、弓削の顔を、そして浦安の顔をしっかりと見据える。弓削の胸の奥から悲しさとも安堵とも分からぬ感情が湧き上がり、瞳に水の膜を張る。浦安が弓削の背を優しく二度叩き、弓削は仕切りに頷いた。

「ですが、この段階で理性は薄れ、犯罪行動も厭わなくなります。感情の起伏は大きくなり、その波に飲まれてしまえば、外観が変わります。すなわち、首が伸びたり、首だけで飛び回ったりするのです。こうなればもうその者は人間とは言えません。モノノケとなったのです。人に害を及ぼすモノノケを撃ったところで、それは害獣を駆除するようなもの。人殺しとはなりません。もちろん現行の法にモノノケの定義はありません。が、政府はまだ人の段階で処分に走っているのは知っているでしょう?法整備が為されるのも時間の問題です。正しく法が作られるためにも、一刻も早く事態を収束させ、検証に時間を費やさねばなりません。分かりますね?」

 天冥の冷涼とした言葉が頭に響く。けれど、それは胸の奥にまでには届かない。弓削の頭に警官に撃たれた髙瀬たかせの顔と、それを悲しむ三国みくにの顔が過った。すでにモノノケとなったとしても、その者にはそれまで培った人としての営みがある。亡くなれば、悲しむ人もいる。そんな人を撃てる自信が持てなかった。この役目はもっと担うに相応しい人間がいるのではと思ってしまう。だがもう猶予が無いのも事実。天冥が話を続ける。

「そして、一番気をつけなければいけないのは影武者の存在です。もちろん彼らも人間ではありません。悪霊です。なので彼らは霊的な存在であり、肉体を持ちません。彼らが何か物理的な行動を起こそうとする時、人間の脳を乗っ取り、その人物に成りすまして動くことになります。これが一番厄介であり、その身体を停止しなくてはいけないのですが、見た目は完全に人間です。瞬時の見極めが重要になります」

 その言葉には戦慄が走った。弓削よりも前に、浦安が声を上げた。

「そんな!それではその見極めを誤れば人間を撃つことになってしまう。それに、身体が乗っ取られただけならその中身はまだ人間なのではありませんか?それを撃つというのは、それこそ人殺しなのでは?」

 浦安の叫びに、弓削も心で首肯した。それに対し、天冥の目が怪しく光る。

「将門の影武者に乗っ取られるというのは狐憑きで語られるような霊障とは次元が違います。それはすなわち、霊的な死を意味します。乗っ取られた身体に、元の魂が戻ることはありません。その者はすでに死んでいるのと同じです」

 天冥の説明に、浦安がうーんと低く喉を鳴らす。浦安の気持ちが分かる。天冥の言うことは理路整然としてはいるが、立証された訳では無い。ここからは信じるか信じないかの話になってくる。そんな思いをまた察したのか、天冥が言葉を補足する。

「もちろん、今すぐそれを証明しろと言われてもそれは無理な話です。ですが、そもそもの根本を考えてみて下さい。なぜ、この禍津町に怪事件が多発しているのか、そして、なぜ明日からのお焚き火業を将門の影武者が襲ってくるのかということを。彼らはそれが必要だから襲うのであり、彼らの目的はこの世の黄泉よみ化です。ここで食い止めねば、それはすなわち人類の滅亡に繋がるのです」

 浦安は再びうーんと唸り、顔を上げて天冥に向く。

「分かりました。でもせめて、その、影武者が襲って来るとして、事前に人間と見分けをつける方法はないのですか?」

 その質問に天冥は目を細め、コクリと一つ首肯する。

「あるにはあります。将門の影武者には影が無いと伝承では伝えられています。ですが、それを鵜呑みにするのは危険です。彼らもそんなあからさまな弱点をみすみす晒したりはしないでしょう。何らかの方策を取っているはずです。物が見えるということは、簡潔に言えばその物の持つ波動を眼が感知するということ。すなわち影が無いということは物理法則の次元が一つ進み、その者の身体を光が反射することなく透過していると言えます。だとすれば、その弱点を見せないためには、次元をこちら側に寄せて光を反射させればいいのです。ですが…」

 そこで天冥は境内の真ん中で高く組まれたお焚き火用の組木を仰ぎ見た。

「この結界から立ち昇る火はモノノケの真実の姿を浮き立たせます。この火の前に立てば、影武者は本来いるべき次元に立ち返り、光を透過させることとなるでしょう。すなわち、この火の前では影が無くなります。最悪もし判断に迷った場合は、それで判断して下さい」

 そして二人の顔を交互に睨む。

「ですがくれぐれも、判断が遅きに失することのないよう」




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