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第9章 終焉
2 狂撃
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久遠寺は漆黒に覆われていた。ついに飛頭蛮に侵入され、北極星は暗雲の中に隠れてしまった。浦安はおそらく将門の三体目の影武者と思われる男の視界で拘束されている。男は遠藤の姿をし、遠藤の声で喋る。いつから遠藤は影武者に乗り移られたのだろう?浦安と遠藤の付き合いは5年になる。最初からそうだったのか、それとも途中から影武者に入られたのか?いずれにしろ、影は浦安のすぐ側に迫っていたのだ。寺の警護など浦安のチームが引き受けるべきではなかった。
浦安の後悔を嘲笑うように、空中を浮遊する三体の顔がギャヒギャヒと獣じみた笑い声を上げている。そのうちの一体、佐倉心晴の顔が恍惚の声を発した。
「ああ…麗しの漆黒の君様……漆黒の君様が目の前に……」
心晴の顔はふらふらと天冥に寄っていく。それを合図にするかのように、他の二体の顔もお焚き火の外周で舞う巫女たちに襲いかかった。
「お上がりなさいお上がりなさい、きっと神様の元で修行を積んだ者の血は美味しいよ~」
先導するような遠藤の声に、少女の顔をした三体の飛頭蛮は口を横いっぱいに広げ、タラタラとよだれを垂らす。そのよだれには寺の外壁で襲ってきたであろう機動隊員の血が混じり、赤黒く濁っていた。
「喝!カァーツ!!」
天冥は榊󠄀を打ち払って懸命に飛頭蛮たちに気をかけるが、さっきのろくろっ首のようにはうまくいかず、少女の顔は一瞬鬱陶しそうに顔をしかめるだけで止まることなくまた前へ進む。伊藤唯の顔が北の巫女の前に到達し、首元で大きく口を開けた。そこへ朱美が走り込み、バットでボールを打つように持っていた松明を振りぬく。松明は唯を捉え、ギャッという悲鳴とともに舞台外へと弾き飛ばす。だがもう一方の水谷鈴の方はノーマークになってしまい、舞台の東にいた巫女の首に喰らいついた。巫女の悲しげな悲鳴が響き渡り、血しぶきを上げながら飛頭蛮の餌食となっていく。
鈴の顔が巫女の首をガシガシと千切れるほどに喰い漁る。それを悔しそうに見る朱美の元へ、弾き飛ばされた唯の顔がまた迫っていく。天冥は榊󠄀を打ち振るい、漆黒の君、漆黒の君とまるで酔っぱらい親父がキスを迫るようにしつこく口を突き出してくる心晴をやり過ごすのに精一杯だ。
「うん、やっぱり一等兵は役に立つなあ~。あ、そういう僕らはまあ軍曹ってとこかな?軍曹になるとね、一等兵と二等兵を思い通りに動かせるんですよねえ~」
遠藤はさっき言った講義の続きのつもりなのか、嬉しそうに浦安に仕切りに話し掛ける。浦安はその視線を躱す術なく固まったままだ。ふと、目の前を何かが凄い勢いで通り過ぎた。
「朱美さん!!」
見ると、それは青井草太だった。お堂で磬子を打っていた草太が駆け出してきたのだ。草太は浦安と遠藤の間を通り、朱美のいる場所に向かう。が、途中何かにつまずき、そのまま朱美の方へと倒れ込んだ。
「あ」
間抜けな声を上げ、草太は倒れた勢いのまま朱美の足首を掴む。足を掬われた朱美はそのまま舞台の方へと傾き、袴をもつれさせながら舞台の段差に足を引っ掛け、勢いよくお焚き火の中へとその身を投じた。不幸な連鎖だった。ガランと積まれた薪が崩れる音がし、炎が、朱美の衣装に覆い被さって炎上する。天冥の祝詞を散々吸った炎は通常よりもかなり獰猛で、たちまち朱美の身体を飲み込んで鮮紅色の火柱を上げた。
「きゃああああああー!!」
一瞬のことだった。朱美の咆哮が響き、一同の顔が閃光で照らされる。遠藤の視線が外れているのに気づき、浦安は朱美を焼くお焚き火へと駆け寄る。天冥が九字を切り、心晴をかろうじて弾き飛ばすと朱美を助けようとお焚き火に手を伸ばす。懸命に火の中を探り、朱美の腕を掴んで引っ張り上げる。火は天冥の腕に燃え移り、天冥は苦痛に顔を歪めながらもその腕を離さずに舞台に引き上げようとした。が、業火は容赦なく生きた細胞を炭に変え、朱美の二の腕でポキンと折れてしまい朱美と天冥を突き離した。咄嗟のことに天冥は炎の中に埋もれていく朱美に追いすがるが、浦安はそんな天冥を両脇から抱えてお焚き火から離れさせた。
「もう無理です!あなただけでも火から離れて!」
燃え移った袖の火を叩き消し、火の中に入って行こうとする天冥を抱き止める。取り残された朱美はすでに火の海の中に埋没し、バチバチと火花を散らせた。そのうちの一つが大きな火の玉となって舞台袖で放心している草太の元へと飛ぶ。それは草太の胸に当たって弾け、草太は惚けた表情から、その相貌を崩して泣き笑いし始めた。
「あは……あはは……あはははは……」
目の前で起こったことが受け止め切れず、心を崩したか…浦安はへたり込んで笑い声を上げる草太に眉を寄せてなすすべなく見つめた。その時ふと、傍らの自分の影を見る。燃え上る炎に炙り出された影はゆらゆらと揺れながら暗闇に向かって伸びているが、天冥を抱きかかえているはずなのにどう見てもその厚みは一人分の幅しかない。
「放しなさい!まだ終わっていない」
浦安の動揺に気づいたように天冥がきつい口調で言い放ち、浦安は即座に天冥を放したが、影は分岐することなく浦安にだけ接合されていた。すかさず遠藤の足許を見る。そこからもやはり影は伸びていなかった。
「いいねえいいねえ、みんな、狂ってしまいなよ~!さあ~今宵の宴もそろそろクライマックスですよ~お!」
遠藤の歓喜に満ちた声とともに、北側の巫女、そして西側の巫女から悲鳴が上がる。唯と鈴が喰らいついたのだ。南側の巫女が泣き喚き、ガタガタ震えながら東門へ駆け出す。その涙の色は真っ赤だった。
「漆黒の君様ぁ~!あなたはあたしのもの!あたしだけを見てぇ~!」
弾かれていた心晴の顔がしつこく迫る。天冥は心晴に向いて榊󠄀を振り上げる。そして呪文を唱え、榊󠄀を振り下ろす。が、榊が九時の軌道を描く前に、バキュン、と、銃声が鳴った。天冥が胸を抑え、よろめく。
「天冥さん!」
浦安が駆け寄るが、純白の狩衣がみるみる血に染まっていく。
「そろそろ終わりって言ってるでしょおが!往生際が悪いからそうなるんです」
遠藤が銃で撃ったのだ。
「漆黒の君様~!」
心晴が天冥の首元で大きく口を開ける。幸い、心晴はずっと天冥一筋で、傍らの浦安のことが見えていない。浦安は左腕で天冥を支えながら、湧き立つ怒りを右手に集中させ、むんずと心晴の髪を掴んだ。
「お前は、しつこ過ぎる!」
野球のオーバースローでお焚き火の中に投げ入れる。ぎゃあああと叫び声を上げ、心晴の顔はたちまち火の玉となる。
「おおーっと、ただ死にしないでね~!君はじゃあそのままあっちに行きなさーい!」
その状況を見た遠藤が北に手をかざす。すると火の玉となった心晴がゆらゆらと本堂の方へと向かい出した。
「そっちは!そっちはダメだ!」
お堂では遵法住職が一心に経を読んでいる。すでに天冥の祝詞は途切れ、舞を舞う巫女もいなくなり、太鼓や磬子の打ち手もいなくなったのに、そして住職もその事態に気づいているだろうに、臆することなく朗々と経を読み上げている。その背後から、心晴がゆっくりと近づいている。
「住職!逃げて下さい!飛頭蛮が後ろから近づいている!」
浦安は力の限り叫んだが、また遠藤の視界に捉えられて動けなくなる。住職には浦安の声が届かなかったのか、彼は微動だにせず経を読み続けている。ついにお堂へと辿り着いた心晴はあざとくも住職の前へと回り込んだ。住職の読経が途切れる。心晴の視界に入り、動けなくなったのだ。心晴は炎に包まれながらも、住職の前でクワッと口を開ける。だが噛みつく前に燃え尽き、ボトンと住職の膝に落ちた。そしてそれは火種となって住職の袈裟に引火し、みるみる住職を燃え上がらせた。住職は声を上げることもなく座禅の姿のまま黒い炭と化していき、起点となって周囲の仏具を飲み込んだ。金色に輝いていたお堂に朱が混じり、たちまちぱっくり開いた炎魔の口の中のように、本堂のシルエットに修羅の表情を巻き上げていった。
憐憫の情に浸っている暇はなかった。舞台の片隅で、浦安は倒れた天冥を抱えている。その隣りにはへたり込んでヘラヘラと笑う青井草太。そこにはもう戦える者は残っていなかった。巫女を食い散らかした唯と鈴が、次の獲物を求めて寄ってくる。後は自分たちが食われるのをただ待つだけだった。
と、東門から銀色に光る何かが走ってくる。それは遠藤に背後から飛びつき、脅威のスピードで背中から遠藤を抑え込んだ。
「ぎょええ!何だお前は!」
遠藤が突っ伏した姿勢から驚く声を上げる。その遠藤の背に乗る者をよく見ると、それは一匹の狼だった。通常よりもかなり大きく見えるその狼は、お焚き火から吹く熱風に銀色のたてがみを靡かせ、鋭い爪の生えた前足で遠藤を組み伏せている。そしてまるで笑っているように喉元まで裂けた口を限界まで開いて唾液をダラダラ垂らすと、ギザギザに尖った白い歯を剥き出しにして遠藤の首元に噛みついた。そしてガシガシと血肉を巻き上げながら骨まで噛み砕き、遠藤は断末魔とともに、コロンと、その頭を胴体から切り離した。
狼は月に向いて咆哮し、次はこちらに駆けてくる。敵なのか味方なのか分からず浦安は身を固めた。狼は跳ね上がってその大きな口に一つの黒い物体を咥える。唯の顔だった。ガリガリと音を立てながら脅威の咬合力でその頭を噛み砕くと、すかさず跳び上がって次は鈴の頭を前足の爪で引き裂いた。転がる鈴に犬がボールで遊ぶように追いすがり、前足でガシガシと顔を削っていく。鼻も、目も、えぐり出してすっかり中をくり抜いたボウルみたいになってしまうと、狼はまた顔を上げて雄叫びを上げた。
それと同時にゴロゴロと雷雲が鳴り、北極星を覆っていた暗雲は南に広がって満月をも完全に隠してしまうと、そちらを睨んでいた狼はすうっと身を屈め、やがてダッシュで門の外へ駆け出していった。ピカッと当たりに閃光が走り、バリバリと落雷の音が激しく轟くと、ザアッと大粒の水滴が落としてくる。山際の天気は移ろいやすいが、こんなに急激な豪雨を浦安は知らなかった。浦安は空を見上げた。どこが境界か分からない漆黒から、雨水が激しく顔を叩きつけてくる。それに抵抗するようにお焚き火は粘り強く燃えて続けていたが、次第に勢いを弱め、ついには鎮火し、墨色の煙を上げるだけとなった。
辺りにはザアザアと雨音だけが響き、視界には胸を撃たれて倒れた天冥と放心した青井だけが残る。やっと終わった……浦安もがっくりと肩を落とした。そこには勝利感など微塵もなく、ただ空虚な闇だけが広がっていた。
浦安の後悔を嘲笑うように、空中を浮遊する三体の顔がギャヒギャヒと獣じみた笑い声を上げている。そのうちの一体、佐倉心晴の顔が恍惚の声を発した。
「ああ…麗しの漆黒の君様……漆黒の君様が目の前に……」
心晴の顔はふらふらと天冥に寄っていく。それを合図にするかのように、他の二体の顔もお焚き火の外周で舞う巫女たちに襲いかかった。
「お上がりなさいお上がりなさい、きっと神様の元で修行を積んだ者の血は美味しいよ~」
先導するような遠藤の声に、少女の顔をした三体の飛頭蛮は口を横いっぱいに広げ、タラタラとよだれを垂らす。そのよだれには寺の外壁で襲ってきたであろう機動隊員の血が混じり、赤黒く濁っていた。
「喝!カァーツ!!」
天冥は榊󠄀を打ち払って懸命に飛頭蛮たちに気をかけるが、さっきのろくろっ首のようにはうまくいかず、少女の顔は一瞬鬱陶しそうに顔をしかめるだけで止まることなくまた前へ進む。伊藤唯の顔が北の巫女の前に到達し、首元で大きく口を開けた。そこへ朱美が走り込み、バットでボールを打つように持っていた松明を振りぬく。松明は唯を捉え、ギャッという悲鳴とともに舞台外へと弾き飛ばす。だがもう一方の水谷鈴の方はノーマークになってしまい、舞台の東にいた巫女の首に喰らいついた。巫女の悲しげな悲鳴が響き渡り、血しぶきを上げながら飛頭蛮の餌食となっていく。
鈴の顔が巫女の首をガシガシと千切れるほどに喰い漁る。それを悔しそうに見る朱美の元へ、弾き飛ばされた唯の顔がまた迫っていく。天冥は榊󠄀を打ち振るい、漆黒の君、漆黒の君とまるで酔っぱらい親父がキスを迫るようにしつこく口を突き出してくる心晴をやり過ごすのに精一杯だ。
「うん、やっぱり一等兵は役に立つなあ~。あ、そういう僕らはまあ軍曹ってとこかな?軍曹になるとね、一等兵と二等兵を思い通りに動かせるんですよねえ~」
遠藤はさっき言った講義の続きのつもりなのか、嬉しそうに浦安に仕切りに話し掛ける。浦安はその視線を躱す術なく固まったままだ。ふと、目の前を何かが凄い勢いで通り過ぎた。
「朱美さん!!」
見ると、それは青井草太だった。お堂で磬子を打っていた草太が駆け出してきたのだ。草太は浦安と遠藤の間を通り、朱美のいる場所に向かう。が、途中何かにつまずき、そのまま朱美の方へと倒れ込んだ。
「あ」
間抜けな声を上げ、草太は倒れた勢いのまま朱美の足首を掴む。足を掬われた朱美はそのまま舞台の方へと傾き、袴をもつれさせながら舞台の段差に足を引っ掛け、勢いよくお焚き火の中へとその身を投じた。不幸な連鎖だった。ガランと積まれた薪が崩れる音がし、炎が、朱美の衣装に覆い被さって炎上する。天冥の祝詞を散々吸った炎は通常よりもかなり獰猛で、たちまち朱美の身体を飲み込んで鮮紅色の火柱を上げた。
「きゃああああああー!!」
一瞬のことだった。朱美の咆哮が響き、一同の顔が閃光で照らされる。遠藤の視線が外れているのに気づき、浦安は朱美を焼くお焚き火へと駆け寄る。天冥が九字を切り、心晴をかろうじて弾き飛ばすと朱美を助けようとお焚き火に手を伸ばす。懸命に火の中を探り、朱美の腕を掴んで引っ張り上げる。火は天冥の腕に燃え移り、天冥は苦痛に顔を歪めながらもその腕を離さずに舞台に引き上げようとした。が、業火は容赦なく生きた細胞を炭に変え、朱美の二の腕でポキンと折れてしまい朱美と天冥を突き離した。咄嗟のことに天冥は炎の中に埋もれていく朱美に追いすがるが、浦安はそんな天冥を両脇から抱えてお焚き火から離れさせた。
「もう無理です!あなただけでも火から離れて!」
燃え移った袖の火を叩き消し、火の中に入って行こうとする天冥を抱き止める。取り残された朱美はすでに火の海の中に埋没し、バチバチと火花を散らせた。そのうちの一つが大きな火の玉となって舞台袖で放心している草太の元へと飛ぶ。それは草太の胸に当たって弾け、草太は惚けた表情から、その相貌を崩して泣き笑いし始めた。
「あは……あはは……あはははは……」
目の前で起こったことが受け止め切れず、心を崩したか…浦安はへたり込んで笑い声を上げる草太に眉を寄せてなすすべなく見つめた。その時ふと、傍らの自分の影を見る。燃え上る炎に炙り出された影はゆらゆらと揺れながら暗闇に向かって伸びているが、天冥を抱きかかえているはずなのにどう見てもその厚みは一人分の幅しかない。
「放しなさい!まだ終わっていない」
浦安の動揺に気づいたように天冥がきつい口調で言い放ち、浦安は即座に天冥を放したが、影は分岐することなく浦安にだけ接合されていた。すかさず遠藤の足許を見る。そこからもやはり影は伸びていなかった。
「いいねえいいねえ、みんな、狂ってしまいなよ~!さあ~今宵の宴もそろそろクライマックスですよ~お!」
遠藤の歓喜に満ちた声とともに、北側の巫女、そして西側の巫女から悲鳴が上がる。唯と鈴が喰らいついたのだ。南側の巫女が泣き喚き、ガタガタ震えながら東門へ駆け出す。その涙の色は真っ赤だった。
「漆黒の君様ぁ~!あなたはあたしのもの!あたしだけを見てぇ~!」
弾かれていた心晴の顔がしつこく迫る。天冥は心晴に向いて榊󠄀を振り上げる。そして呪文を唱え、榊󠄀を振り下ろす。が、榊が九時の軌道を描く前に、バキュン、と、銃声が鳴った。天冥が胸を抑え、よろめく。
「天冥さん!」
浦安が駆け寄るが、純白の狩衣がみるみる血に染まっていく。
「そろそろ終わりって言ってるでしょおが!往生際が悪いからそうなるんです」
遠藤が銃で撃ったのだ。
「漆黒の君様~!」
心晴が天冥の首元で大きく口を開ける。幸い、心晴はずっと天冥一筋で、傍らの浦安のことが見えていない。浦安は左腕で天冥を支えながら、湧き立つ怒りを右手に集中させ、むんずと心晴の髪を掴んだ。
「お前は、しつこ過ぎる!」
野球のオーバースローでお焚き火の中に投げ入れる。ぎゃあああと叫び声を上げ、心晴の顔はたちまち火の玉となる。
「おおーっと、ただ死にしないでね~!君はじゃあそのままあっちに行きなさーい!」
その状況を見た遠藤が北に手をかざす。すると火の玉となった心晴がゆらゆらと本堂の方へと向かい出した。
「そっちは!そっちはダメだ!」
お堂では遵法住職が一心に経を読んでいる。すでに天冥の祝詞は途切れ、舞を舞う巫女もいなくなり、太鼓や磬子の打ち手もいなくなったのに、そして住職もその事態に気づいているだろうに、臆することなく朗々と経を読み上げている。その背後から、心晴がゆっくりと近づいている。
「住職!逃げて下さい!飛頭蛮が後ろから近づいている!」
浦安は力の限り叫んだが、また遠藤の視界に捉えられて動けなくなる。住職には浦安の声が届かなかったのか、彼は微動だにせず経を読み続けている。ついにお堂へと辿り着いた心晴はあざとくも住職の前へと回り込んだ。住職の読経が途切れる。心晴の視界に入り、動けなくなったのだ。心晴は炎に包まれながらも、住職の前でクワッと口を開ける。だが噛みつく前に燃え尽き、ボトンと住職の膝に落ちた。そしてそれは火種となって住職の袈裟に引火し、みるみる住職を燃え上がらせた。住職は声を上げることもなく座禅の姿のまま黒い炭と化していき、起点となって周囲の仏具を飲み込んだ。金色に輝いていたお堂に朱が混じり、たちまちぱっくり開いた炎魔の口の中のように、本堂のシルエットに修羅の表情を巻き上げていった。
憐憫の情に浸っている暇はなかった。舞台の片隅で、浦安は倒れた天冥を抱えている。その隣りにはへたり込んでヘラヘラと笑う青井草太。そこにはもう戦える者は残っていなかった。巫女を食い散らかした唯と鈴が、次の獲物を求めて寄ってくる。後は自分たちが食われるのをただ待つだけだった。
と、東門から銀色に光る何かが走ってくる。それは遠藤に背後から飛びつき、脅威のスピードで背中から遠藤を抑え込んだ。
「ぎょええ!何だお前は!」
遠藤が突っ伏した姿勢から驚く声を上げる。その遠藤の背に乗る者をよく見ると、それは一匹の狼だった。通常よりもかなり大きく見えるその狼は、お焚き火から吹く熱風に銀色のたてがみを靡かせ、鋭い爪の生えた前足で遠藤を組み伏せている。そしてまるで笑っているように喉元まで裂けた口を限界まで開いて唾液をダラダラ垂らすと、ギザギザに尖った白い歯を剥き出しにして遠藤の首元に噛みついた。そしてガシガシと血肉を巻き上げながら骨まで噛み砕き、遠藤は断末魔とともに、コロンと、その頭を胴体から切り離した。
狼は月に向いて咆哮し、次はこちらに駆けてくる。敵なのか味方なのか分からず浦安は身を固めた。狼は跳ね上がってその大きな口に一つの黒い物体を咥える。唯の顔だった。ガリガリと音を立てながら脅威の咬合力でその頭を噛み砕くと、すかさず跳び上がって次は鈴の頭を前足の爪で引き裂いた。転がる鈴に犬がボールで遊ぶように追いすがり、前足でガシガシと顔を削っていく。鼻も、目も、えぐり出してすっかり中をくり抜いたボウルみたいになってしまうと、狼はまた顔を上げて雄叫びを上げた。
それと同時にゴロゴロと雷雲が鳴り、北極星を覆っていた暗雲は南に広がって満月をも完全に隠してしまうと、そちらを睨んでいた狼はすうっと身を屈め、やがてダッシュで門の外へ駆け出していった。ピカッと当たりに閃光が走り、バリバリと落雷の音が激しく轟くと、ザアッと大粒の水滴が落としてくる。山際の天気は移ろいやすいが、こんなに急激な豪雨を浦安は知らなかった。浦安は空を見上げた。どこが境界か分からない漆黒から、雨水が激しく顔を叩きつけてくる。それに抵抗するようにお焚き火は粘り強く燃えて続けていたが、次第に勢いを弱め、ついには鎮火し、墨色の煙を上げるだけとなった。
辺りにはザアザアと雨音だけが響き、視界には胸を撃たれて倒れた天冥と放心した青井だけが残る。やっと終わった……浦安もがっくりと肩を落とした。そこには勝利感など微塵もなく、ただ空虚な闇だけが広がっていた。
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