【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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最終章 決戦

9 浦安誠の闇落ち

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 令和5年8月19日

 浦安うらやすはH県の県庁所在地である市の、コンサートホールの前に立っていた。アルマジロの背のようなドーム型のホールの前には鯨幕が張られ、入り口前のポールには日本国旗が高らかと掲げられていた。この日、禍津町まがつちょう久遠寺くおんじで起こった襲撃事件で殉職した警察官たちの合同葬儀が行われている。そこに公安調査庁特務調査室室長である室町むろまちも参列するという情報を浦安は掴んでいた。浦安は喪服の内側に忍ばせている、リボルバー式拳銃の硬質な出っ張りをスーツの上から撫で、意を決して会場に足を踏み入れた。

 一週間前、コミケは阿鼻叫喚の坩堝るつぼと化した。襲来した無数の飛頭蛮ひとうばんは次々に人々を噛み千切り、恐怖した人々は目から血を流し、自らの首を長く伸ばして無事な人を襲い始めた。さらには駆けつけた警察官たちもろくろっ首化していき、地獄のような連鎖が起こっていた。浦安は駿佑しゅんすけの前に臥して泣いている乃愛のあを抱きかかえ、何とか会場の外に連れ出した。駿佑と神坂かみさかの遺体はそのまま放置するより他なかった。神坂のお手伝いの女性、千草ちぐさは格闘技経験者だったようで、襲ってくる魔物たちを手技足技で蹴散らしてくれた。何とか安全な所まで来ると、二人とはそこで別れた。事態の収拾がついてから遺体を引き取りたい二人に対し、浦安は自分のやるべきことに思いを巡らせた。そして一つのことに辿り着く。それは、室町を倒すことだった。

 コミケでの惨劇はさすがに民衆から隠すことは出来なかった。会場にはそこそこ名の通った配信者も多数来場していて、難を逃れた彼らはこぞって現場の映像をアップした。政府は会見を開き、人の首が伸び、頭が飛び回る現象が起こっている事実を認めた上で、それはウイルスが原因ではないことを頑なに強調した。だが原因はまだ究明中とし、その曖昧さがかえって国民の不信を招いた。人々は人間が化け物になって襲ってくるという事態に恐怖し、家々の戸を固く閉ざした。新型ウイルスによるパンデミックを経験していたこともあり、その対応は早かった。当然海外の知るところにもなり、諸外国は日本への渡航を禁止し、日本人の受け入れを拒否した。日本は事実上、海外からロックダウンされた。

 そんな状況での本日の合同葬儀だった。政府としては正式にウイルスの存在を認めていないので、中止にすることは出来なかったのだろう。いや、きっとさらなる恐怖の伝搬を目論んでいるのかもしれない、H県では警察官が仕事の合間を縫って一度は会場に足を運ぶことが責務とされた。K署の署長、副署長をはじめ、お偉方の式典出席も義務とされていた。

 浦安は式典の始まる時間の直前を狙って会場を訪れていた。浦安自身は何の疚しいことは無かったが、ノワールの側に組みしているとこはすでに敵陣営に伝わっていて、ひょっとしたら途中で拘束されるなんてこともあるかもしれない。会場の重厚なガラス戸を抜けると、浦安は慎重に歩を進めた。ホールへの開き戸を開けると線香の香りが鼻を突く。スモッグを炊かれたようなモヤのかかった薄暗い空間の奥で、スポットライトの線状が壇上の献花を眩く照らしていた。ユリやカーネーションの白で統一された花々が浮き上がり、緩やかに流れるクラシックの音が厳かな雰囲気を演出している。ポツポツと献花台に上がり、焼香する人の姿が見える。浦安もその方向に足を向ける。神経を尖らせ、周囲へ目線を走らせる。臙脂えんじ色の客席には遺族と思われる人たちがかなりお互いの間隔を開けて座っていた。怖くて出掛けられなかった人もかなりいるのだろう。閑散とした会場に、浦安に近づく人の気配は全く無かった。

 献花台の階段を登り、天井の梁から吊るされている亡くなった者たちの遺影からK署強行犯係の一角を見る。橋爪はしづめ速水はやみ番場ばんばと、目線をスライドさせるごとに瞳に水の膜が張る。酒井田さかいだの顔を見た時は口の中に苦みをおぼえて少し眉根を寄せたが、本来の彼女も間違いなく犠牲者の一人だろう。そして弓削ゆげのハツラツとした顔を見、胸の底から熱いものが込み上げた。お前たちのかたきは俺が取ってやる、そう心で呟き、浦安は目線を手元に戻した。手早く焼香を済ませ、客席に向いて主賓席を見渡す。警察官僚が神妙な面持ちで座る中に、見慣れた署長の顔も見えた。そして一番端の席に、室町の姿があった。浦安はゆっくり階段を降り、その方向に向かう。と、突然、署長が立ち上がった。

「浦安!逃げろ!」

 声と同時に、祭壇の裏手からバラバラと黒服を着た警官が躍り出る。たちまち浦安は警官たちに取り囲まれた。やはりマークされていたのかと、眉間に苦渋のシワを作る。すばやく懐に手を忍ばせるが、官僚席と浦安の間に警官たちが垣根を作り、浦安から隔てられる。浦安自身も四方から銃を向けられた。

「浦安警部補、拳銃不法所持及び警察官服務規程違反の罪により逮捕します」

 浦安を取り囲んだ県警本部の警察官が罪状を読み、手錠を持って浦安に近づく。妖化あやかしかした者を散々撃っておいて何の拳銃不法所持かと睨んだが、身じろぐと警官たちの拳銃を持つ手に力が入り、浦安はなすすべなく両腕に輪っかを嵌められた。そこで、警察官たちの作った垣根を分け、室町が前に出てくる。

「私はあなたを見込んでいたんですがね、こんなことになり残念です」

 室町は銀縁眼鏡の奥で相変わらずの冷徹な目を光らせていたが、その口角は今まで見たことないくらい上がっていた。浦安は両脇を警官に固められながら、憎しみの目を室町に向けた。

「あんたが最後の影武者、将頼まさよりなんだろ?あんたらは一体何をしたい?この世に恐怖を振り撒くことに何の意味があるんだ!?」
「はて、何のことやら、と言いたいところなんですがね、まあいいでしょう。我らの計画も九割方完成しました。誰がどう足掻いてももうこの状況は覆せませんからね、特別に我らの目的をお教えしましょう。我らはね、平等な世の中の実現を目指しているんですよ。一部の権力者が暴利を貪る、そんな既得権益の蔓延はびこる枠組みを解体してね」
「平等?お前の言う平等とは、全ての人が平等に不幸になるってことだろ!」

 浦安は叫び、口中の唾液を集めて室町の顔に吐きかけた。室町の眼鏡に粘度の高い液がべっとり張り付き、室町は不快に眉間のシワを寄せて礼服の内側からハンカチを出し、緩慢に眼鏡を取ってレンズを拭いた。

「あなたのその、強靭な精神には感服します。あなたは奥方との生活を優先し、早々と出世を捨てたらしいですね。その世俗に染まらない姿勢が我らの傀儡にならない要因となったのでしょう。私はね、そういった者にこそ、我らのブレインに加わって欲しいと思っています。傀儡などいつでもどこでも作れますからね。どうです?こんなところで犬死にせず、我らと共に新しい世を作ってみませんか?」

 そう言った室町の目の奥に暗赤色の灯が灯る。そこに邪悪な本性を見た浦安は、献花の白い影を映した床に眼を落とし、吐き捨てるように言った。

「殺せ。お前らの作る世に未練は無い」

 それを聞き、室町は大きく嘆息する。

「そうですか、分かりました。ではあなたは、奥方を一人残して逝くと仰るのですね?」

 室町のその言葉に、ハッとして顔を上げた。室町を睨んだその視界の隅に、ホールの薄暗い通路の奥から、数人の人影が近づいているのが見える。その内の一人の着るスーツの色が紫なのが遠目でも分かった。訝しげにそちらを向いて目を凝らすと、二人の男に挟まれている女の姿が認められた。その女の顔を見て、浦安は大きく目を見開く。

「まこっちゃ~ん、あんたの愛しの君を連れて来てやったぜ~!」

 紫スーツが嬉しそうに声を張る。

「係長~!奥さん、初めてお会いしましたかが、なかなか綺麗な人じゃないすかあ~。うっらやましいなあ~」

 朝霧あさぎりともう一人、遠藤えんどうに挟まれて通路を歩いてくるのは、妻の君枝きみえだった。君枝は細い肩をさらに落とし、項垂れながら浦安に近づいてくる。そして浦安の前まで来ると、憔悴しきった青白い顔を上げた。

「君枝……」
「あなた…直輝なおきが…直輝が!」

 浦安はその名を聞き、全身に戦慄を走らせた。君枝が泣いている。その涙の色が、真っ赤だった。

「直輝がどうかしたのか!?」

 君枝はそれに答えず、崩折れた。側に行ってやりたいが、浦安は警官に両脇を固められて動けない。朝霧が、君枝の耳に口を寄せた。

「いいんですよ、君枝ちゃん。もうこんな苦しいのから解放されちゃっても」

 泣き声を上げる妻の耳元で朝霧が囁くのを見て、浦安は身をよじって警官の手を外そうとする。が、がっちり掴まれた腕は外せない。

「おい!何を言ってる!妻は関係ないだろう!解放してやってくれ!」

 気色ばむ浦安に、遠藤が歪んだ笑みを向けた。

「あれあれ~?係長、僕ら別に、奥さんに何にもしちゃあいませんよ。息子さんが職場で化け物化した同僚に噛み千切られてお亡くなりになりましてね、その死に様を見てもらおうとお連れしただけですよお」

 遠藤の言葉に、頭を殴られたような衝撃を受ける。そして脱力し、浦安も膝から崩れた。両腕の警官も力を緩め、冷たいリノリウムの床に浦安の尻がヘタヘタと着く。



 息子の直輝は大人しいが優しい男だった。

「僕は父さんみたいに犯罪者に果敢に立ち向かうなんて勇気はありません。でも僕なりに父さんの正義感はしっかり受け継いでるつもりです」

 大学を卒業した日のお祝いに親子三人で懐石料理を食いに行った日、直輝はそんなことを語っていた。直輝はH県の県庁所在地にある市役所の福祉局に配属され、障害者や高齢者の支援に従事するようになった。慎ましいが芯のある、そんな息子に育った姿を浦安は誇らしく思い、仕事一辺倒だった自分に代わって立派に育ててくれた君枝に感謝した。コミケの会場から帰ってきて以来、自分は潜伏して妻にも居場所は告げていなかったのだが、その直輝がまさかそんなことになっていようとは!政府は緊急事態宣言を頑なに出さず、役所や教員などの公務員に通常勤務を強いていた。それは少しでも恐怖を蔓延させたかったからで、直輝はその犠牲になったのだ。


 この世界はもう腐ってしまった。脳のネットワークが破壊され、人の首が伸びたり、身体を切り離して頭だけで飛び回ったりして見た目が醜悪に改変されてしまうように、人と人のネットワークもいざ指令塔が改悪されると、組織全体が黒く染まってしまう。その様相は牛乳に墨汁を垂らすようなもので、じわりじわりと根を張った漆黒は、気がつけば世界全体をダーク色に染め上げてしまうのだ。

 肩を震わせて喉の奥から嗚咽を洩らす浦安の前から、忍び笑いが聞こえた。ギョっとして前を見ると、妻が口を横いっぱいに広げて笑っている。忍び笑いはグビビという濁音のくぐもった声に代わり、やがて君枝の首がフルフルと振動し、ぬらっと、その青筋を浮き立たせた頚椎を伸ばし始めた。そしてポタポタと顎から赤い雫を滴らせながら、浦安を見下ろした。その視線に捉えられ、浦安は固まった。赤黒く変色させた三白眼には、有り有りと殺意がみなぎっていた。

「あれあれ~え?係長の奥さん、係長のことを実は恨んでたみたいですねえ。仕事仕事でずっと放っとくからですよぉ」

 遠藤の嘲る声が、浦安の絶望を増幅させた。浦安は悔恨にギュッと目を瞑った。

「いいよ、殺してくれ。お前に殺されるなら、本望だ」

 シュルシュルと蛇が近づいてきたような音がする。首筋に、妻の吐息が感じられた。クワッと口が開かれた気配がし、覚悟して固く握った拳を膝に押し付けた瞬間、バンと銃声が鳴った。飛沫が顔にかかり、コロンと膝に丸いものが落ちる。

「いい顔になってきましたね。あなたが覚醒した折には、我らの幹部としてお招きしますよ。あなたは出世には興味ないかもしれませんがね」

 室町の言葉に、朝霧が、遠藤が、爆笑している。静々と目を開けると、向かいの身体から長く膝まで伸びる君枝の顔があった。遠藤が撃ったのだ。浦安はその妻の顔を抱きかかえ、慟哭した。妻の体液で赤く染まった身体を激しく震わせ、声を上げて泣く男の目から流れる涙も赤かった。会場の客席では、そんな浦安を喝采するように、遺族たちが長く首を伸ばし、ゆらゆらと揺れながら嗤笑ししょうで頭を震わせていた。



 
 その後、浦安はH県警本部の地下牢に留置された。暗い檻の中で、浦安はただ項垂れて座っていた。絶望感、悲壮感、自己嫌悪、そんなものが黒い波となって打ち寄せた。その漆黒の海に抗うことなく呆然と揺蕩たゆたうのはどこか心地よくもあった。それでも君枝の、そして直輝の顔が過ると、激情が湧き上がってきて胸を掻きむしった。殺せ、殺せと頭の隅で声がする。細胞の一箇所が燃え上り、その炎が次々に燃え広がっていく感覚がする。全身が熱くなり、ウガアと声を上げたくなった時、

「おっさん!そっちに行っちゃダメ!戻ってきて」

 頭の片隅でそんな声がし、目を開ける。暗闇に目を凝らすと、鉄柵の向こうに、ぼうっと人の形を浮き上がらせている。それはあの不思議な少女の姿。浦安は火を吹き上げるような目で少女を射抜く。

「お前は、力を持っていながら俺たちを助けてくれなかった!今更何の用だ!」

 我ながら、地獄の底から出すような声だった。少女は静かに首を振る。

「あたしはただのバランサー、正義の味方なんかじゃない。影の力が大きくなれば光に、光の力が大きくなれば影に力を貸す存在。でもね、今は影の力が大きくなり過ぎてる。お願い、あたしに力を貸して」

 つむぎはそう言って、浦安の方へ手を差し伸べた。浦安はその包み込むような眼差しに引き寄せられ、四つん這のまま少女に近づくと、柵の間からその手を伸ばした。ふと、少女の隣りに何かいるのに気づく。暗闇に青白く目を光らせ、少女の淡い光を受けて銀色の毛並みを浮き立たせている。その獣が、突き出した浦安の腕に向かって大きく口を開けた。そしてガブッと噛みつき、鋭い牙が手首の血管を貫いた。




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