いつの間にか大切な日々。

花岡橘

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「いつの間にか大切な日々。」

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 俺という男は、どうしていつもこうなのだろう。
「はぁっ~。」
 大きなため息をつきつつ鞄を自転車のかごに入れる。乗って帰れば楽なのだけれど、今日は何だか歩きたい気分だ。落ち込んでいるのには当たり前だが理由がある。今日の放課後にあった出来事が原因だった。
 
 杉森啓太。それが俺の名前だ。年齢は十六歳。都内の私立高校に通う高校一年生。家族構成は、父さんと、母さん、俺とは別の私立の女子高に通っている二つ年上の姉ちゃんがいる。この姉ちゃんなのだが、結構美人なので、時々学校の先輩や友達に紹介を頼まれる事がある。そんな時は自分の事ではないのだけれど、少しだけ優越感に浸ってしまう時がある。ちなみに、俺の容姿は母さん似(姉ちゃんは父さん似)で、別に不細工でもなければ特にイケメンというわけでもない(しかし、友達から言わせると女受けする顔立ちなのだとか)。学校の成績は中の上位だ。このままでいけば、たぶんどこかの私立大学には入れるだろう。部活は中学の時からテニス部に所属しているが、高校に入った現在は、ほとんど幽霊部員としての活動しかしていない。友達は親友が一人いる。中二の時、同じクラスになった事がきっかけで仲良くなった高藤良哉だ。高藤は同じ高校に通っていて、クラスは別になってしまったが、現在も付き合いが続いている。いつもなら一緒に帰るのだが、今日はあいにくうちのクラスで文化祭の打ち合わせがあったので、帰る事は出来なかった。そして、俺の今日のため息の原因にもなっているのが、この文化祭の打ち合わせだった。

文化祭、ほとんどの学校では、普通は秋に行うものなのだが、うちの学校は何故だかクリスマス間際に行う。そのせいで毎回クラスの出し物は、受験がせまっている三年生達は❍❍研究等の展示物発表が多く、まだまだ余裕のある一・二年生が中心となって盛り上げていかなければならなくなる。このクリスマス間際……三年生にとっては迷惑な時期の開催とも言えるが、一・二年生で多くの恋愛沙汰から遠ざかっている人達からすると、恋人ゲットのチャンスでもあり、意外と好評である。現在はちょうど八月末で、そろそろ準備を始めないといけないのだが、うちのクラスは中々まとまりがない。未だに出し物が決まらないのだ。そうして連日、放課後の打ち合わせが繰り広げられているというわけだ。
「一―Aの出し物について必ず一人一案考えてくるように。明日、HRの後で文化祭の打ち合わせをするからな。」
 担任の先生は昨日そう言った。もちろんみんながちゃんと考えてくるわけがなく、停滞ムードに陥りそうな周りの空気だったが、さすがにそろそろ決めないといけないと感じた一部の真面目な生徒達が一人いくつかの案を出してくれたので、それによって救われた感があった。
「それでは、この中から投票で決定する、でいいですか? 賛成の人は挙手をお願いします。」
 学級委員の声が教室に響く。
「うぃーっす。」
「はーい。」
 時間差でみんなの手が挙がってゆき、だらだらと声が返っていく。そして、投票の結果、決まったのは“メイドカフェ+(プラス)女装男子のショー付”だった。ありきたりといえばそうだし、どこの文化祭でもしょっちゅう見かけるメイドカフェだが、オマケに付いた、この、女装男子のショーが曲者だった。
「男子十五人全員でのショーになると大変だし、何人かメインを選抜した方が良いと思いまーす。」
 男子の一人が言う。
「いいね!」
「他にショーを支える裏方男子を作るべき!」
「賛成!」
 何人かの女装絶対拒否男子が大きく頷く。
「十五人で踊った方が見栄えは良いと思うけど……。裏方って言うんなら衣装とか全部用意してもらうぞ。」
 冷静に突っ込みを入れたのは委員長の秋山和彦だ。
「う、無理……。じゃあ女装無しの二列目男子でヨロシク……!」
「おう、前列よりも激しいダンスで目立ってもらおうじゃねーか。」
「そんなあ! 秋山いいんちょ~たのむよ~。」
 副委員長の原田美夕が皆のフォローを入れる。
「まあダンス苦手な人もいるだろうし、メインで踊る女装の何人か、と盛り上げる人何人か、とか良いと思うよ? 女装の衣装とか全員分よりは少し楽だよ。」
 他の女子達からも意見が出る。
「ねーねー、AKBみたいに選挙しよっ! メイン選抜選挙!」
「さんせーい!」
 話がここまで来て、俺は何となく嫌な予感がしていた(この“嫌な”とは、不吉な、というよりは、何か笑ってしまうな“脱力的な嫌な予感”と、いう方が正しい)。
「それじゃあ、そうするか……。」
 秋山が言うと、さっきまで黙って聞いていた先生が
「二列目男子も気合入れて参加するんだぞ!」
きちんと釘をさす。
「へーい!」
 二列目になる気満々の奴らが返事をする。
そして、投票が始まった。
 結果は……もちろん、予感がはずれるわけもなく、俺は女装男子のメンバーに見事選ばれてしまったのだった。
「と、いう事でこれからよろしく!」
 投票が終わり男子全員での打ち合わせの中、女装男子メンバーの一人、絹田が言った。選ばれただけあって、中々の“女顔“をしていると思う。
「女装って、衣装とか用意するのメンドクサそ。」
 軽い口調で言った中原はジャニーズ系の顔立ちで基本的に“チャラ男”の部類の奴だ。
「まさか俺もとはな……。」
 少し落ち込んだ表情の秋山が言う。
「女装……似合うと思うか?」
 メガネをはずし周囲をぐるりと見回す。
(確かに……)
 誰もがそう思ったに違いない。不細工では無いが、どちらかというと男顔だ。体系もガッシリしていて色も浅黒い。どうやら一部のメガネ男子好きの“オタク女子”投票数により選ばれた可能性が高いようだった。
「メガネははずさない方がいいんじゃない? ファンいるみたいだし。ま、何とか頑張ろうよ♪」
 明るい口調でとりなしたのは、加宮だ。身長も低めで髪の毛もパーマをかけている。たぶん一番化粧映えがするのではないだろうか。
「とりあえず、よろしく……。」
「よろしくお願いします……。」
 モサっとした話し方で挨拶をして来たのは根津と上川の二人だ。とりたてて女顔というわけでも無いが無難に女子に見える格好は出来そうだ。それに、この二人は本人から異議申し立てが出なさそうな所で票が入っているとみる。
「とりあえず、女装して踊る男子チームが七人。盛り上げ役になる裏方男子チームが八人。それぞれにリーダーを決めて役割を分担してやっていこう。」
少しだけやる気を戻した秋山が、話を進め出す。委員長だけあって進行が上手い。またたく間に役割やら何やらが決定されていく。そんな中、今回の目玉の女装にかかせない、ある役割についての話になった。
「杉森、頼んだぞ、メイクと衣装は、お前の姉ちゃん頼みだ!」
「は? それを一人では無理くねえか?」
「バカ言うな! ダンスに歌にプチ演劇、台本は委員長に作ってもらうとして、俺たちもいっぱいいっぱいだ!」
「……っ!」
 どうやら男子チーム七人のうち、女兄弟がいるのは俺一人のようだ。俺が姉ちゃんにメイク技術を習い、お裁縫を習い、みんなに教える……という担当に抜擢されそうな雰囲気になる。
「女友達が多いやつとか、彼女いるやつとかにも頼めるだろう!」
 その一言を言う前に
「予算は渡すから、生地とかメイク道具とかも揃えるの、よろしく! お前の姉ちゃん、一度会ってみたいなぁ~!」
 最後の一言を聞いて、例によって俺は、つい
「それは……ちょっとだけ考えとくよ……。って、分かった……よ。」
 姉ちゃんの事を持ち出され、少しだけ気をよくした俺は、結局引き受けるはめになってしまったのだった。
「しょうがなかったよなぁ。」
 自分に言い聞かせながら商店街を通り抜けていく。本当はいつもだったら川沿いの土手を自転車で帰るのだが、今日は何だか雑踏に紛れたい気分だった。
「それにしてもいい匂いだ。」
 まだ八月だというのに、商店街にはたこ焼き屋や焼き鳥屋の屋台出ている。ふと、一つのたこ焼き屋の屋台に目を留める。そこには女子高生が一人並んでいた。制服からすると姉ちゃんと同じ高校だ。何となく、俺は彼女から目が離せなかった。外見が俺好みの清楚なタイプだったから、というのもあるけれど、ただ単に腹が減っていて俺も買おうかどうか迷っていたのが、一番の理由かもしれなかった。俺はそのまま、その彼女から少し距離を置いて後ろに並んだ。彼女は、今まさに焼き立てのたこ焼きを受け取る所だった。そして振り向いた瞬間、お互いほんの一時目が合って、軽い会釈をして別れた。
「すんません、八個入り一つ下さい。」
「あいよー。五百円ね。」
 俺はすぐさま、たこ焼き屋台のおやじに注文をする。お金を渡しながら、彼女には何も興味が無かったかのように平静を装った。何だか恥ずかしかったからだ。
(結構可愛かったな……。)
本当はかなり可愛かった。でも、やはり恥ずかしさが手伝って、自意識の中でも彼女の容姿への形容をぼかしてしまう事に、少しだけおかしさを覚え一人で笑ってしまった。
「へい、出来たよ。早く持って帰りな。」
おやじに声をかけられ、たこ焼きを受け取る。まもなく夕飯の時刻だという事に気付き、結局食べる事なく家路に着いた。
 
 夕飯の食卓は、いつも通りの風景だ。ただそこに俺が買ってきたたこ焼きが混ざっている事だけが、どこか滑稽だった。
「美味しい!」
「そうだな。昔懐かしい味だ。」
「これどこで買ってきたのよ?」
 矢継ぎ早に家族の声が上がる。関西ではたこ焼きも食卓に上がるというけれど、ここは関東で、うちでは滅多にそういうおかずは現れないからなのか、箸がさっそくそちらに向かったようだった。
「どこだったっけ。木ノ町商店通りだった……かな。」
 俺はたこ焼きを頬張りながら答える。特に有名というわけでもなさそうだったが、確かにたこ焼きは美味かった。
「後で詳しく教えてよ! 学校帰りにみんなで買いに行くからさ。」
 姉ちゃんが言う。ちょうど良い。俺は文化祭の事を話す機会が出来た事に少しだけほっとした。
 
 夕食後、すぐに俺は姉ちゃんの部屋へ行った。秋山に書いてもらった、“必要な事メモ”を持って。秋山は委員長だけあって、本当にマメな奴だ。打ち合わせの帰り際、文化祭の各担当の奴ら全員にこのメモを渡して回っていた。
(ああいう奴は彼氏にしたらマメにメールとかしてくるんだろうなあ。)
 と、どうでもいい事を考えながら隣の部屋のドアをノックする。
「姉ちゃん、ちょっと話があんだけどー。」
 返事が返ってくる。
「なあによ? いいよ、入りな。」
 部屋のドアを開けると、姉ちゃんはベッドの上に座って雑誌を読んでいる所だった。たぶん有名なファッション雑誌だろう。
「ごめん、邪魔する。実はうちの高校の文化祭の事なんだけど……。」
 俺は、今までの経緯を話し、秋山にもらった“必要な事メモ”を渡す。それを見た姉ちゃんは少し笑いながら
「随分マメな委員長なんだ。あたしにお礼の言葉まで書いてる。」
 そう言った。秋山は、面倒くさい事はまかしてしまえ、的な奴らとは違い、少しだけすまなさそうな顔をしていたのを思い出す。自分が一番大変なくせに、損な性格な奴だ。
「うん、いいよ! 引き受けた。」
 良かった、そう思った瞬間だった。
「……というか、引き受けてもらう!」
「へ?」
「あたしの知り合いに、ヘアメイクの学校に通っている人がいてさ。その人にメイクの仕方は習いなよ! 向こうも勉強中なんだし、気のいい人だから引き受けてくれるはず。衣装の方は……それって、全部お手製じゃなきゃダメなのかな? 全部作るのきっついと思うよ? どこかで借りたりとか、女子に頼んで下に履くスカートは同じようなもの揃えるとかしたら少し楽だよ。それに、残念ながら私もそんなにお裁縫って得意じゃないんだ。授業でそんなに家庭科の時間、ましてやお裁縫とかってやってないんだよねぇ。」
 俺はそれを聞いて少しだけ拍子抜けした。言われてみれば、姉ちゃんがお手製の洋服を家族に披露した事はなく、もちろん小さい頃から特別に家庭的ぶりを発揮していた事はなかった。
「姉ちゃんは、何でも出来ると思ってたよ。」
 つい、本音が出てしまった俺に
「あはははは、まさかあんたシスコン? なによそれ~」
 爽やかに笑い飛ばす姉ちゃん。俺もつられて笑ってしまった。
「とにかく、とりあえずはヘアメイク、頼んでみるね。その人が服飾関係の人とかとも知り合いだといいのだけど。」
「そこまでしなくってもいいよ。でも、出来れば衣装のデザインみたいのは考えてくれる人いると嬉しいかも。ま、作るのは学校の家庭科の先生にでも手伝ってもらうよ。」
「んーと、デザインかぁ。テレビの歌番組でも録画してAKBの衣装でも見ながら作るとか、もしくはネットとかで調べれば女の子の衣装の型紙とかきっとあると思う。」
 姉ちゃんが言う。
「そうか。それ、良いかもね。」
 俺は頷く。確かに一番手っ取り早い方法だ。似せて作る、もしくはネットにあるものをそのまま使わせてもらう。たいして問題にはならないだろう。
(でも……)
 なんとなく俺は秋山の事を思い浮かべた。他の奴らならともかく、秋山が担当だったならば、必ずオリジナルなものを考えてきただろう。たぶん必死で。そう思うと、すぐに丸写し、ではなく、アイドル雑誌の一つでも買うなり、ネットを調べるなりし、自分なりのデザインを考える多少の努力はしなければいけないような気がしていた。きっと、この“メモ”のせいなのだ。
(こんなところにご丁寧にお礼まで書くから。)
 姉ちゃんから返してもらったメモを手にしながら思った。俺は、この文化祭に対して少しだけ、真面目に取り組む意欲が湧いてきていた。
 翌日、学校に行くとさっそく秋山が話しかけてきた。
「おはよう、杉森。昨日の件どうだった?」
「あー、そうだな、現在交渉中&検討中ってところかなぁ。ヘアメイクはどうにかなるかもしれないけど、衣装の方は最終的に家庭科の花田とか、もしくは女子にも手伝ってもらわないと無理かも。」
 俺は正直に答えた。
「全部自前で作るのはやっぱり難しいよね。」。
「女子の方のメイド服はみんなで作るらしいぜ。時間余ったら頼めんじゃねえの?」
 すでに学校に来ていた加宮と中原が一緒に話しかけてきた。秋山は、少し悩んでいるような様子だったが、
「とりあえず、ヘアメイクの件が決まったらもう一度皆で話し合おう。」
 案外軽い口調で答えてくれたので、俺は少しだけ気が楽になった。
「俺、デザインとかさ……ちょっと調べて考えてみるわ。色んなアイドルの衣装を繋ぎ合わせれば 適当なの浮かぶかも。ま、オリジナルが一番だけどさ。」
「どうせならめちゃくちゃ可愛らしいのとか考えてみれば? フリフリの!」
「セクシー系だろ!すね毛は剃らずに足を見せる! これぞ女装男子のショー魂! ……どう?」
 笑いながらみんなであれやこれや案を出し合う。こんな風に、普段はそこまで親しくなかったクラスメイトとの交流が深まるのは学校行事の狙いの一つなのだろう。もちろん逆に険悪になってしまう場合もある。親友の高藤のクラスは話がまとまらず相当苦労したと言っていたし、俺も中学の時は嫌な思いもした事がある。高校でのクラスは今のところ順調に話は進んでいるようだった。
 
 夕方、HRが終わると高藤と待ち合わせて商店街の中にある書店へ立ち寄った。そして芸能人等が載っている雑誌があるコーナーに行き、参考になりそうなものを探していると、
「これなんかどうだよ?」
 高藤が面白そうに一冊の雑誌を俺に見せてきた。そこには今人気のアイドルがたくさん載っていた。もちろん目当てはステージ衣装なのだが、一般的な高校生男子としてはやはりグラビアの方にも目がいってしまう。あれが可愛いこれはちょっと……などとやりとりをしているとあっという間に時間は過ぎ去ってしまった。結局、その雑誌を一冊購入し書店を出た。
「あ、俺もう一つ用事思い出した。もう遅いし、お前先帰ってていいよ。」
 俺は言った。
「いいよ、付き合うぜ。」
「ちょっと時間かかりそうな用なんだ。ごめん。」
「そっか、分かった。じゃあな。」
 そう言って高藤と別れた。俺は自転車のかごに雑誌を入れ元来た道を反対方向へ歩き出した。そして、後ろを振り返って高藤がいなくなったのを確認した後、少しゲームセンターで時間をつぶす。しばらくしてからゲームセンターを出て、商店街の中を歩き出した。昨日と同じぐらいの時間帯だった。そう、俺は、あのたこやき屋の屋台へ寄ってみたかったのだ。何となく。
「昨日の今日だし、いるわけないよなぁ。」
 よっぽどたこやき好きでもない限り、夏の暑い中二日連続で買って帰る人はそうそういないだろう。そんな事を考えながら道を歩いていると、いつの間にかあのたこやき屋の所に着いていた。今日はお客さんが何人か並んでいて繁盛しているようだった。俺は客の中から彼女の姿を探した。が、見つからなかった。やはり今日は来ていないらしい。考えてみれば、もっと先に来ていたかもしれないし、また会えるなんていう偶然が起こる事は奇跡に近かった。
「何やってんだろ、俺。」
 自嘲しながら、また反対方向へ今度は自宅へ向かって歩き出した。夕暮れ時、少し涼しい風が吹いてきて心地良かった。今日は会えなかったけれど、それでも、俺は何故だか彼女にもう一度、会えるような気がしていた。
 
 姉ちゃんに文化祭の事を話してから一週間が経っていた。中々連絡がつかなかったらしい知り合いのヘアメイクの学校に通っている人、というのは男性で、姉ちゃんの友達の元彼という特に俺には不必要な情報を耳に入れ、会う機会が出来たのはそれからさらに二日後の土曜日だった。
「はじめまして、姉の菜々美の弟の啓太です。」
 俺は、用意してきた菓子折りを渡し、丁寧に挨拶をした。
「お、君が弟君かぁ。はじめまして、俺は月沢周一。お菓子までもらっちゃって、ありがとねぇ。」
 会う場所は都内の撮影スタジオの一角だった。今日は午前中から学校で借りているらしく、モデルさんやらカメラマンやら他のスタッフの人が騒がしく出入りをしていた。
「こんな場所にお邪魔してしまい、すみません。」
「いいの! 俺が言ったんだからねぇ。最初から自分達だけで化粧し合ったって分からない事があるよ。どんな事も実際にこの目で見なくちゃ。だから気にしないでねぇ。」
 何となく語尾が気になる人だな、と思った。テレビなどで見かけるヘアメイクの人はお姉系が多いためかもしれなかったが、この人もやはりそういう雰囲気を持っていた。
(友達の元彼って言っていたし、まさか違うよな……。)
 初対面ならば誰でも感じる事かもしれなかったけれど、こういう思考が先入観を持って人を見る、という事だとしたら、それは少しだけ改めるべき事なのだろうか。
「それで、文化祭で踊るんだって? しかも男の子だけで! 何年か前からそういうのはやってるけどいつ見ても受けるよねぇ。」
「そうなんですか。」
「うん。それに、最近は普通に男の子でも化粧したりするでしょ。」
「雑誌とかテレビで見たりはするけど……。俺はあんまり興味なくって。」
「それ、あんたが可愛い顔してるから!」
「そ、そうでしょうか?」
「そ、生まれつきの顔に感謝! お肌のケアと髪の毛のケアときちんとして、後はファッションセンスも磨いてねぇ。」
 何だか変な話になってきたので、俺は話題を戻す事にした。
「とりあえず……とりあえずっていうのも大変失礼と思うんですけど、メイクの仕方と、後は髪の毛? 簡単なカツラとかの作り方とか知っていたら教えて欲しいです。」
「うんうん。そうだねぇ。これから雑誌の撮影があってさ、俺たち学生がメイクさせてもらえる事になってるから、まずはそれを見ててねぇ。その後ゆっくり話しよう。ちょっと時間かかるかもしれないけど、大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございます!」
 俺はお礼を言った。そうだ、まだ彼も学生でここは試験場みたいなものでもあるのだ。気付くと周りに何人かの教師のような人が集まってきて話をしていた。場の緊張感が伝わってきて俺も少しだけ深呼吸をして姿勢を正す。
「それじゃ、そこの椅子にでも座って待っててねぇ。ちなみに俺のヘアメイク担当の子は五人目に登場。ブーツをアピールしてるから、良かったらチェックしてみて!」
 そう言われて俺は大人しくそこにあった椅子に座る。周りの人は俺に対して気付いていても、特に何も言ってくる事は無かった。
 それから十分ほどして、撮影が始まった。カメラマンの後ろ手には、ヘアメイクを担当した生徒さん達と教師らしき人達が見守っている。俺は隅の方で椅子に座ってそれらを見守っていた。最初の一人目、二人目、と次々にモデルさん達が登場する。最初はコートのアピールなのか、それぞれ違うタイプのものを来て代わる代わるポーズをとる。カメラマンが的確に指示を出しシャッターが押されていく。モデルさんは見た事が無い人たちばかりだったけれど、それぞれに綺麗な顔立ちをしていた。ヘアメイクの仕方は俺にはどちらかというと地味に思えた。一時間くらい経った後、四人目の登場に差し掛かった辺りで彼が一旦戻ってきた。他の生徒と一緒にカメラの先を見ている。真剣な目だった。五人目が登場した。さっきまでと違い、少しだけ柔らかな雰囲気のモデルさんが、ヒールの高いすらっとしたブーツを履いて登場した。ポーズを取りながら顔をカメラに向ける。綺麗だった。彼はそれを見届けた後、またどこかへ行ってしまった。五人目のモデルさんは、繰り返し様々な角度から写真を撮られていたがしばらくして戻って行った。その後、彼が担当したモデルさんが再度登場したのはそれからまた一時間後だった。ブーツはさっきとは全く違うモコモコした毛の付いた短めのものだ。雰囲気も髪の毛をカールさせて可愛らしくなっていた。俺は少しだけ驚いた。メイクでこんなに変わるものなのか……。それは他のモデルさん達にも一様に言える事だった。着替える度に、それに合わせて雰囲気が少しずつ変わっているようで、それがヘアメイクの技術なのだろうか。こんな風に人の顔や雰囲気をじっくり見る事が無かったので俺はその面白さに少しだけ見入ってしまった。
「どう? 楽しかった? つまんないかな。本当はメイクをする所に来てもらえれば良かったんだけど、先生からNGだされちゃって。ごめんねぇ。」
「いえ、充分勉強になりました。服とか着替える度に髪型とかメイクとかちょっとずつ変えてるんですね。すごいなぁ、と。」
「そうそう! アピールするのは品物だから基本地味に見えるんだけど、これが結構時間かけてるんだよねぇ。」
 撮影が全て終わるまでに結局五時間近くかかった。時計を見るとすでに午後の四時を過ぎている。今日の撮影は通信販売雑誌の一部分に使われるとの事だった。
「出来上がったら送ってあげるよ。こんな事、中々無いチャンスだったし、俺も本気で勉強したんだよねぇ。啓太君にも少しは為になったみたいで良かった。それから、ごめん、実はこれから学校に一度戻んなきゃならなくって、今日はここでお別れになるかな。」
「そうでしたか……残念ですが今日はこれで帰ります。本当にありがとうございました!またあらためて教えてもらいに行きます。」
「今度はちゃんと教えてあげるからねぇ。カツラも作るんだもんね! モデルはもちろん啓太君と啓太君のお姉ちゃんで。」
「やっぱりそうですよね……。」
「がんばろう!」
「分かりました! それでは、また宜しくお願いします。」
 そう言って次の約束をした後、俺は彼に別れを告げ撮影スタジオを後にした。外に出ると午後の日差しはまだまだ暑くて少しだけ眩暈がした。

「えーと、それじゃあこれから文化祭の打ち合わせを始めるぞ。」
 担任の先生の声が教室に響く。その声を受けて委員長と副委員長が立ち上がり黒板の前へ行く。
「まずは各担当班に分かれて現状の報告をお願いします。」
あのスタジオ撮影の見学を終えてから二週間が経っていた。その間に俺は、姉ちゃんと一緒に月沢さんにヘアメイクの仕方を習いに行き、少しではあるが上達もしてきてはいた。また、カツラは作るのが大変らしく、だからと言って購入するにも値段が高い、との事で悩みあぐねていたが、有難い事に月沢さんの知り合いのコスプレ店から無料で借りられる事になったのだった。しかし、当たり前だが衣装の方まで借りるわけにはいかず購入するにしても値段もあるしサイズ等の問題も出てくる。やはり生地を一通り買い揃え、作るのを誰かに頼むしか無かった。俺はその件を、今日の話し合いで決めようと思っていた。
「モデルの知り合いでも出来たか?」
「いいなぁ~俺も行きたかったんだけど!」
 これまでの経緯を話すと早速みんなから、からかい、というよりは羨みの声が上がる。
「急に決まってさ、話す機会無かったんだ。」
「俺も少し興味あったかも。」
 委員長の秋山までそんな事を言い出すから、俺は少しきまりが悪いような気分になった。
「ま、でもその学校に通っている月沢さんに教えてもらえるなら良かったよ。カツラも借りてくれたし。後は衣装だけだな。」
「ああ、やっぱり作るの、誰かに頼まないと…。」
「それなんだけどさ、女子に聞いたら自分達ので精一杯って言われちった。あいつら優しさが足りねぇよ。」
「それに女子は下は制服のスカートを使えるんだぜ。楽だよなあ!」
「やっぱり家庭科の先生と相談かな……。他のクラスの出し物にもよるかも。同じ事考えてる奴らがいたら手伝ってもらえないかもなー。」
「そしたらみんなで教えてもらっちゃおうよ!」
 家庭科の花田先生は少女趣味な服装を好み少し不思議ちゃんぽい所があるのだが、基本的な性格は気さくでノリが良く、うまくいけばある程度手伝ってくれる可能性があった。
「確かにあの先生なら可愛いフリフリ衣装大好きそうだもんな。」
 結局委員長の秋山と俺が先生に打診する事になった。
「杉森、今日、これ終わったら聞きに行ってみないか?」
「ああ、いいよ。」
 打ち合わせが終わると、俺達は家庭科室に行く事にした。花田先生は、授業以外の時、あまり職員室にはおらず大体はこの家庭科室の奥にある家庭科教員部屋にいるのが普通だった。
「失礼します。」
「どうぞ。入っていいわよー。」
「あら! 珍しいコンビ!」
 入るなり、いきなり先生からそんな言葉が飛び出してきて俺は少し驚いてしまった。確かにこの文化祭がきっかけでよく話すようにはなったけれど、そこまで珍しいのだろうか。などと疑問に思っている俺を余所に秋山はさっそく衣装の件の相談を持ちかけていた。
「すみません、僕たち今日は一―Aの生徒代表で伺ったのですが、今度の文化祭の件で先生にお願いがありまして……。」
 要は、デザインまでは考えられるが、衣装作りが大変なので手伝ってください、とそれだけの事なのだが、秋山の生真面目に切々と語る姿は、先生の力が必要なのだといういかにも切迫したような雰囲気を醸し出していて、さすがだと思った(もちろん秋山は本当に嘘偽りなくそう思っているのだろうけれど)。
「うん、OK。今年はそういうクラスがまだ来ていないし、可愛いお洋服は作るのも見るのも大好きよ! 家庭科クラブでの展示物もあるから全面的に、とはいかないけれどそれでも良いかしら?」
「はい!よろしくお願いしますっ!」
 俺達は揃って返事をした。それから日程等の事を先生と相談してから学校を出たのは、もう午後の六時を過ぎていた。秋山とは帰る方向が逆なので校門の所で別れ、俺は一人自転車に乗りながらまた、商店街の方へと進み出した。最近は文化祭の打ち合わせの後にここを通るのが俺の日常になっていた。文化祭での俺達のグループはそれぞれ帰る方向が違ったり、バス・電車に乗る人、迎えが来たり、彼女が待っている人など様々だったので、一人で商店街を通る事が出来る絶好のチャンスだった。別に親友の高藤と帰るのが嫌なわけではかったのだが、ただ単に彼女にもしもう一度会えるのならば、それは俺一人だけの時がいいと思っていた。自転車をゆっくり漕ぎながら、たこやき屋の屋台をチラ見する。今日もやはり彼女の姿は見当たらない。そのまま俺はそこを何食わぬ顔で素通りする。こんな事を、すでにもう十回くらいは繰り返していた。額には汗が滲む。もうすぐ十月になるというのに、まだまだ暑い日は続いていた。
 
 帰宅した俺に、先に帰ってきていた姉ちゃんが話しかけてきた。
「ねえ、月沢さんが、あんたに話があるみたいよ。後で電話くれってさ。何か約束でもあるの?」
「? そうなんだ。特に約束は無かったと思うんだけど……分かった。後でかけてみるよ。」
 夕食後、俺は自分の部屋に行き携帯を手にする。月沢さんのアドレスを探し電話をかけた。電話音が鳴る。
「ぷるるるるー」
「ぷちっ」
 出た、と思った瞬間電話が切れた。そして今度はまた、俺の携帯に月沢さんから電話がかかってきた。
「ごめんねぇ。電話ありがと! ちょっと話があったんだ。」
い きなり要件を話し出す。何度か会っているせいもあるのか、もう彼の話し方が気になる事はなくなっていた。
「いえ、こちらこそ、いつも色々と教えてもらいありがとうございます。」
「いいのいいの! 俺も楽しいしねぇ。ところで……来月最後の週の土曜日、空いてない?ちょっとした“修行”に出かけるんだけど、一緒にどう?」
 唐突な話に俺は戸惑ってしまった。
「はぁ……“修行”っていうのは、どういった、あの……。」
「それは行ってからのお楽しみ! 俺、啓太君には色々期待しちゃってるんだよねぇ。」
「え? それは……その、何をでしょうか……?」
 もごもご口ごもる俺に
「色々な事! まあ、期待がどうこうというよりも、実際に啓太君のこれからに何かの足しには必ずなる経験だと思うから、とりあえず、俺の助手としてついてきて欲しいんだ。啓太君可愛いから、きっと“修行”にお邪魔する先で喜ばれると思うしねぇ。」
「はぁ……。そうですか。」
「いいかな?」
「はぁ……わ、分かりました。恰好はいつもの感じでいいんですか?」
「大丈夫! そういうのは気にしなくていいよ。でもあんまり香水プンプンとかは止した方が良いかもねぇ。ま、そういう事で土曜日朝七時に家まで迎えに行くから、それじゃ!」
 あっという間に話は終わって電話は切れてしまった。途中、俺の部屋をこっそりのぞいていた姉ちゃんは茫然としている俺の顔を見て
「どうしたの? 何かあった?」
 気遣ってくれたのだが、それに答えるまでに頭の中で処理が追いつかなくて時間がかかってしまった。
 
 月沢さんの唐突な電話の翌日、学校の授業が終わると親友の高藤と二人で秋葉原へ行く事になった。コスプレショップの視察、と言った所だ。カツラは月沢さんの知り合いのコスプレショップで調達できるが、まだデザインの方が決まっていなかったので、高藤に付き合ってもらう事にした。行く途中、俺は高藤に月沢さんに誘われた“修行”の事について話した。
「すげぇね、それ。“修行”って何だろ。もしかして本格的にそっち方面の事だったりして……。」
 そう言って笑う高藤。
「それは無いって! 一応言っとくけど、月沢さんはお姉系じゃないんだからな。普通の男の人だよ。あと、本当にいい人なんだよ。ちょっとテンション高くて自分のペースに巻き込んじゃうとこあるけどな。」
「そっか。でも話聞いてると、その人学生さんて感じはしねぇな。何か深いとこあるって言うか……。」
「そう! 俺時々それ思うんだよね。確か一度社会人になってから学校に入り直したって言ってたから。苦労してるのかもな。」
「なるほどねー。なんにせよ、何かちょっと羨ましいよ。文化祭でも学校の外でも燃えてるじゃん。俺んとこはマイペース。まだ一年なのに出し物も『クリスマスの歴史と音楽』だぜ。クリスマス系の映画DVD借りてきては毎日一本ずつみんなで鑑賞会だよ。後は音楽CDも借りまっくてる。家に帰れば担当部分の年表作りだし。」
 俺は少し笑ってしまった。
「それはそれで楽しそうだけど。」
「まあな。」
 だらだらと話しながら電車を乗り継いで秋葉原に着く。目当てのコスプレショップを何件かのぞいて衣装を見る。大体が結構な値段が付いていて驚きだ。アニメ系以外にもアイドル系のものもたくさんあった。もちろん似せているだけなのだろうが、よく作られている。
「ここまでうまくは作れないだろうけど、家庭科の花田も手伝ってくれるし何とかなるかな。」
「大丈夫だよ。あの先生がいるなら。」
 偵察後、二人でクレープを買って食べながら帰った。男二人でクレープを買っても特におかしく思われないパワーが秋葉原にはあるような気がした。

 十月に入った。いつの間にか時は過ぎてとうとう月沢さんの“修行”について行く日が明日にせまっていた。文化祭準備で俺の分担分については、衣装のデザインは姉ちゃんに手伝ってもらい何となく形になっているし、後は委員長の秋山と一緒にデザイン画を家庭科の花田先生の所に持っていきOKをもらうだけで良さそうだった。
「可愛いじゃないの! フリフリフリ! よくあるパターンだけどフリフリが付いている場所がとってもセンスがあるわよ。あ、ここにもフリフリね!」
 予想以上に花田先生は俺(と姉ちゃん)が考えたデザインを気に入ってくれたようだった。フリル部分が多いからなのか、何故だかしきりにフリフリを連呼している。
「このデザインでOK! フリル作りは少し面倒なのだけれど、時間はまだまだあるからみんなで気長に作っていきましょ。生地は安めのものが売っているお店を知っているから、そこに行って見てみたらどうかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます。行ってみます!」
 返事をした後、俺達は二人で目を見合わせた。
「良かったな、杉森。」
「ああ。結構大変だったけど、みんなが相談にのってくれたから出来たんだよ。ありがとう。」
 俺は素直に嬉しかった。色々な衣装を参考にしたとはいえ、自分で何とか辿り着いた形がこのデザインなのだ。姉ちゃんにも親友の高藤にも色々な人に感謝したい気分になっていた。
 その日の帰り道、秋山と生地を買いに行く日を約束して、俺はまた商店街を自転車で通り過ぎる。今日、もし会えたら、きっといつもよりもずっと簡単に彼女に話しかけられる、そんな風に思えたから、ゆっくりゆっくりペダルを踏みしめながら通り過ぎた。そして、たこやき屋の屋台には、もちろん彼女の姿は無かった。明日には“修行”が控えている。俺は少しの落胆と共に家路に着いた。

 「『必要なもの。エプロン・三角巾・マスク。+(プラス)優しさ』ってこれ……何?」
 夕食後、“修行”に興味深々の姉ちゃんが俺の部屋に来て机の上に置いてあるメモを読み上げた。
「月沢さんに“修行”に行くのに必要なものありますか? って聞いたらそう答えたんだ。」
「調理実習でもするの?」
 姉ちゃんが笑いながら俺に聞く。実際に俺も思った事だった。
「よく分かんないけど、一応用意してみたよ。調理実習用のエプロンと三角巾。マスクは母さんにもらったし、優しさは……俺、優しいかなぁ?」
 人に優しくした事なんてあっただろうか? 俺はふと考えてみた。
「十分優しいって。気付いてないの? そんなに一生懸命文化祭の用意しちゃってさ。」
姉ちゃんはやっぱり笑っていた。俺にはよく理解出来なかった。文化祭の用意をするのは、担当が決められているからであって、しかもその分担が少し多いのは俺が断れなかったからなのだ。ただ単に俺が優柔不断だから、ではないのだろうか。自分の性格が俺にはまだ分からないでいた。
「まあ、とにかく何とかなるよな……。」
 俺は一人で呟いた。
「そう思えるのが、あんたの良い所だよね。ま、がんばって! 後で話聞かせてね。」
 姉ちゃんはそう言いながら部屋を出ていく。それを見守りながら、俺はベッドに寝転んだ。
「“修行”…か。」
 これが終わればたこやき屋の屋台で彼女にまた会えるといいのに、そんな都合の良い事を考えながら、その言葉をもう一度、一人で呟いた。
 
 翌日の朝、母さんが早めに用意してくれた朝食をとりながらテレビを見ていると、たまたま変えたチャンネルで仕事の番組がやっていた。その番組では、色々な職業に就いている人達が紹介されるのだが、今日は一人のヘアメイクアーティストの特集だった。月沢さんも、いつかこんな風にテレビで紹介されるような人になるのだろうか。もしそうなら、俺の体験はとても貴重なものになるのかもしれなかった。それにテレビに出るような人になる、ならないに関わらず、まだ決まっていないとはいえ俺の将来の進む道と、月沢さんの存在とは随分とかけ離れているように思う。きっとこんな体験をする事は二度とないだろう。文化祭が終われば、月沢さんも俺をメイクの勉強に誘う事は無くなるはずだ。そう考えると、現在この時は本当に大切なものなのだ。それはまるで、一度しか会っていないたこやき屋の屋台の彼女の存在と似通っているようにも思えて俺は不思議な感覚に陥った。朝食を終えて、支度を済ませるとタイミング良く玄関からチャイムが聞こえてきた。月沢さんだった。
「おはようございまーす!」
 元気よく月沢さんが挨拶をする。
「まあ、本当にいつも娘も息子もお世話になりまして、ありがとうございます。それにしても今日も素敵なファッション! うちの息子にも見習わせたいわ。」
「嬉しい! 今日も『さりげなくお洒落』を装ってみたんですよ! やっぱ分かります?いい男目指しているって事~。」
「あら、目指さなくても充分いい男よ!」
 母さんがお礼を言いながら菓子折りを渡している。
(用意してたのか……。)
 姉ちゃんが逐一俺達の話を母さんにしているせいか、月沢さんに、やけに親しげに話しかけている。確かに家に何度か迎えに来てもらってはいるけれど、あんな風に談笑している母さんを見るのは、少し恥ずかしくもあった(もちろん月沢さんは気にもしていないと思うけれど)。
「じゃ、行ってくるよ。」
「気を付けて行ってくるのよ。迷惑かけないようにね! 月沢さん、よろしくお願いします。」
「はーい、分かりました! 啓太君、今日もまた一つ、大人の階段を上って帰ってきますからねぇ~。」
 軽やかに挨拶を返した月沢さんの車に、俺は乗り込む。外は曇りの無い晴天。少しの緊張感の中、車は都内を走り抜けていく。
「あのー、今日はどこに行くんですか。」
「内緒! というわけじゃあないけれど、着いてからでもいいでしょ。啓太君には、もしかしたら少し戸惑う事もあるかもしれないけど、こんな機会もあるんだなーなんて楽しんでくれたら嬉しいかな。」
「はぁ。あ、でも俺本当に月沢さんに最初の時から実際の撮影現場見せてもらったり、メイクを教えてもらったり、貴重な体験をさせてもらって感謝しているんです。きっと月沢さんじゃなかったら、今日も“修行”についていこうなんて思わなかったと思うし。ありがとうございます!」
「あれー嬉しい言葉をありがとう。でもねぇ、ホント言うとね、こっちの方がありがとう、なんだよねぇ。俺はさ、一度会社員してて、その後現在の学校に通い始めたからさ、感性が出来上がりすぎ、ってよく先生に注意されてたんだよね。だから啓太君の若いっていうか、型にハマってない見方とか意見とかがすごく参考になったんだ。退屈だった講義も真面目に聞くようになったんだよ、これでも。」
「真面目じゃなかったんですか?」
「そうなんだよねぇ。」
 俺達は笑い合った。月沢さんにも眠たくなる授業があるのだと思うと、なぜだか親近感が湧く。そんな事を話し合っているうちに、車は都内のはずれにある市道を走っていた。窓から見える景色も田んぼや畑が多く、いわゆる都会の中の“田舎”の風景だった。
「もうすぐ着くからねぇ。」
 月沢さんの言葉を聞いてから、数分ほどして車は目的地に着いた。そこは、デイサービス施設が隣に併設されている特別養護老人施設だった。
「おはようございまーす。」
 車から降りて施設に入り月沢さんが挨拶をする。
「あ、月沢さん! おはようございます!」
 入り口に入ってすぐの所にある受付の窓口から職員らしき人が顔を出した。
「リクエストにお応えして、またまた来ちゃいました! 今日もよろしくお願いしまーす。」
「こちらこそ、前回もとっても好評だったんです。入居者の方もデイサービスに来ている方もものすごく喜んで下さって。あの……そちらの方は? 同じ学校の方なんですか?」
「あ、この子は、俺の助手なんです。今回限定なんですけど。まだ高校生なので至らない所もあるかと思いますが、よろしくお願いしまーす!」
「えー高校生なの? どうりでお若いと……。きっと皆さん喜びますよ。私、ここの職員の山岡と申します。よろしくお願いしますね。」
「あ、はい。えっと僕は杉森といいます。よろしくお願いします。」
「助手さんなんですね。しっかりお手伝い、頼みますよ!」
 俺は何となく今日の“修行”の内容に気付きながら、職員らしき人に挨拶をした。
「それじゃ、お化粧道具の準備等が終わりましたら談話室に来てくださいね。皆さんお待ちしていますから。」
 そうだ、今日の“修行”は、やはりヘアメイクだったのだ。
「俺がまだ会社員してた頃、偶然テレビで介護施設に行ってお年寄りにメイクをしたりして喜んでもらう仕事があるのを知ったんだよねぇ。ちょうどその時、俺を可愛がってくれてたお婆ちゃんが施設にいて、いっつもつまんなさそうな顔してたからさ、試しに母親の化粧道具一式借りて休みの日に行ってメイクさせてもらったの。もちろん、メイクなんて生まれてこの方一度もした事がなかったし、女性向けの雑誌を一大決心して買って、見よう見まねで、だったんだ。下手くそだったと思うよ。でもねぇ、啓太君、お婆ちゃんはさ、出来上がった顔を鏡で見て、笑ったんだ。恥ずかしいって言いながら、でも嬉しそうに笑ってくれた。その時の顔は“お婆ちゃん”じゃなくて、一人の“女性”の顔だった。そして俺の技術なんか関係なく、本当に綺麗だった。俺は、あの時の感動が忘れられなくてヘアメイクの道を志す事を決めたんだよねぇ。今ではモデルさんみたいな人にヘアメイクする事もあるし、これからもっと華やかな場所に起用されるように目指すつもりでもいるけれど、それでも、この場所が俺の原点なんだって事、忘れたくないんだ。だから半年に一度ぐらいで、ここに“修行”にお邪魔させてもらっているわけ。」
用意をしている間、月沢さんは“修行”に至る経緯等を詳しく話してくれた。
「そうだったんですか。何だか素敵ですね。」
 その話を聞きながら、俺は素直にそう感じた。そしてそんな風に自分の生きていく道を見つける事が出来た月沢さんを羨ましくも思った。
「精一杯、助手頑張りますね。プラス優しさで!」
「ありがとう、ノーギャラだけど、よろしくねぇ~。」
 そう言って二人で笑い合ってから、俺達は施設の人達が待つ場所へと向かった。俺の最初で最後の“修行の助手”体験の始まりだ。
 
 「こんにちはー!」
 “修行”は月沢さんの、そんな陽気な挨拶から始まった。最初は緊張していた俺もじきにその場の雰囲気に慣れていった。施設の方達は皆良い人ばかりで、たいして役にたっていない“助手”にもとても優しかった。月沢さんの手伝いをしながら、普段は滅多に話す事のない高齢の方達とも色々な話をした。皆、とても喜んでいた。そして、月沢さんのヘアメイクは本当に素晴らしかった。バッチリメイクでは無く、ほんの少し顔に色を足すだけでお婆ちゃん達は見違えるほど綺麗になったし、ほんの少し髪型を変えてみたり、帽子を被ってみたりする事で、お爺ちゃん達は顔つきがいきなりシュッとなる。当たり前なのだけれどここにいるのは間違いなく“女性”と“男性”なのだという事をあらためて認識させられた。皆の良いところを生かしてヘアメイクしていく月沢さんの技術は、まだ学校に通っている学生だなんて俺には到底思えなかった。そんな時、施設の職員の一人が俺に教えてくれた。
「お爺ちゃんお婆ちゃん達ね、皆これが終わる度に少しだけ、毎日の笑う回数が増えていくのよ。不思議でしょ。私はヘアメイクの仕事の事はよく分からないけれど、月沢さんは、外見だけ取り繕うのと違って、もっと内側にも何かしてくれてるんじゃないかって思うのよねえ。」
「俺も、そうだと思います。」
 話に応えながら俺は、もしかしたら俺も月沢さんに何かしら内側に影響を受けている一人なのかもしれないと感じていた。
「さあ、全員おめかししましたね? お散歩に行きましょう!」
全員のヘアメイクが終わると、皆で連れ立って施設の周りを歩く事になった。皆、ほのぼのと談笑しながら道を歩く。俺も一人のお婆ちゃんの車椅子を押しながら時々にすれ違う人の視線を受け止めていた。そしてこの、少しだけの散歩の時間を何故だか愛おしく感じていた。
「ありがとうございました。」
「また、機会があったらどうぞお越し下さいね!」
 散歩が終わると俺達は後片付けをして、昼前には施設を後にした。帰り道、道路沿いのファミレスで遅めの昼食をとり、また車に乗り込む。
「今日はありがとうございました。またまた貴重な体験をさせて頂いて感謝しています。」
「ははっ、いいよお礼なんて。こちらこそ感謝なんだからねぇ。今日も、これまでも、とても楽しかった。」
「俺も、本当に楽しかったです。」
「文化祭、お姉さんと一緒に見に行くからねぇ!」
「実は、それはちょっとだけ恥ずかしいんですけど、でも色んな人に楽しんでもらえるように精一杯頑張ります。」
「うん、啓太君なら大丈夫。俺直伝のヘアメイク術もあるしねぇ!」
「そうですね。直伝ですからね!」
 そんな事を話している間に、あっという間に車は俺の自宅に着いてしまった。家では俺の帰りを待っていた母さんと姉ちゃんが月沢さんに挨拶をする。月沢さんは恐縮しながら母さんが用意していた菓子折りを貰って帰っていった。
 こうして、俺の“修行”は幕を閉じた。

 それからひと月と少し経った。“修行”が終わっても、一向にたこやき屋の彼女とは会えないまま、いよいよ文化祭開催のある十二月になった。三年生は推薦入学が決まった人達以外は受験の用意で勉強まっしぐらの中、俺達一年生は祭りを控えてどこか手持無沙汰な様を呈していた。俺達のクラスの文化祭準備は、最初が中々決まらなかった事に反してもうすでに最終段階に入っていた。男子チームはメイク道具や衣装の用意、ショーで踊るダンスの振り付け、プチ演劇の台本が完成し、後はその歌やダンスや演劇の練習を何度かするだけになっていた。女子チームのメイドカフェも必要な物は全て用意済で、前日の仕込みを待つばかりとの事だった。
「寒いな~。」
「ほんと、寒いな。」
 十二月ともなるとさすがに外の気温は低くなりコート無しでは歩けなくなった。俺と親友の高藤は学校の帰り道、いつもの川沿いの土手では無く明かりの多い商店街を自転車で通り抜けていた。もう少しすると、あのたこ焼き屋の場所が近づいてくる。俺は高藤に言う。
「なあ、たこ焼き、食べるか? 美味いとこ知ってるんだ。」
「おう。」
 もしかしたら、今日こそが彼女との再会の日かもしれない。出来るなら一人の時が良かったのだけれど、今はもう高藤にその事を知られても恥ずかしくは無いような気がしていた。
「もうすぐだ。」
 自転車の速度をゆっくりと落としていく。遠くにたこ焼きを待つ人の並ぶ列が見える。
「なあ、文化祭、楽しみだな。」
 高藤が言う。
「ああ。」
 俺が答える。ちょうど何か月か前には、その事で悩んでいたのに、いつからそんな風に思うようになったのだろう。面倒な事も、楽しみに変わる事があるものなのだ。そんな事を俺は一人考えていた
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