白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都

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6 秘密の伝言

 孤児院から戻ってきたヘンリックは、午後の分の仕事を終わらせた後は執務室に居残って仕事をしていた。エーヴェルトも遅くまで残って仕事をしていたので何をしているのかを聞いてみたら、宰相補佐の仕事をしているのだと言っていた。

 翌日のヘンリックは疲れもあったせいか、普段よりも寝過ごしてしまった。

 慌てて食堂へ来てみたものの、ローゼリアは既に食事を終わらせており、出仕時間にはまだ早いというのに、既に王宮へ出掛けてしまった後だった。

 帰りが遅かったせいでヘンリックは昨晩もローゼリアと食事を共にしていなかった。彼らの場合、食事を共にするというよりも、同じ場で黙々と食事をしているだけという表現の方が正しいのだが、それでもヘンリックはローゼリアと同じ空間で食事をしたかった。

 なのでヘンリックは王太子妃の執務室に寄り、妻の顔をひと目見てから自分の執務室へ行くつもりだった。

 ヘンリックはローゼリア用の執務室のドアを空ける時にうっかりノックを忘れてしまった。

「すまないローゼリア、今朝は寝過ごしてしまっ……」

 ドアの向こう側にいたローゼリアは柔らかい表情で笑っていた。そしてローゼリアの隣には彼女の実兄であるエーヴェルトがいて、彼もまた優しい表情を浮かべており、兄妹で笑い合っていたのだった。

 朝の光が二人の白金色の髪をキラキラと輝かせていた。

 ローゼリアは両手で本を胸に抱きしめ、エーヴェルトはそんなローゼリアの頭を軽く撫でている。

 彼らは兄妹だが、まるで仲の良い恋人同士のようにヘンリックには見えてしまった。

(あんな表情、見たことが無い)

 ヘンリックの胸の中に黒い感情が少しずつ広がっていく。

 昨日の孤児院でもローゼリアは笑っていたが、エーヴェルトに見せている笑顔は子どもたちに見せた以上に親しい者へ向ける笑顔だった。

 そして突然ドアを開けたヘンリックの顔を見た途端、ローゼリアはスッと笑顔を消して無表情となり、エーヴェルトは仕事用の胡散臭そうな笑みを浮かべるのだった。

「昨日妹からフォレスターに置いてある本を持ってきて欲しいと言われていていたので、持ってきたのです」

 そう言ってエーヴェルトはローゼリアの執務机に置かれた数冊の本に触れる。重厚そうな装丁の本は学術書か何かなのだろうか?

「随分仲が良いのだな。王宮の図書室には充分な蔵書量がある。調べ物をするならばそちらですればいい」

 そうヘンリックが返すと、エーヴェルトは眉を下げる。

「いえ、この本はエルランド語で書かれた本なので、この国では我が家にしかない本なのですよ」

 実は読書が趣味であるヘンリックは、ローゼリアがどのような内容の本を読んでいるのかが少し気になったのだが、ローゼリアがサッと机の引き出しに仕舞ってしまったので、本の題名まで確認ができなかった。

「本日は殿下をお待ちせずに出てきてしまい、申し訳ございませんでした」

 他人行儀な口調でそう言うと、ローゼリアは頭を下げる。おそらく先に朝食を食べて終えてしまった事を言っているのだろう。

 いつからだろう、ローゼリアが自分に対して丁寧ではあるが淡々とした態度を取るようになったのは? ヘンリックは初めて会った時のローゼリアの事が思い出せなかった。覚えているのは、顔合わせをする数日前に言われた事だった。

 フォレスター公爵令嬢はわがままな令嬢で、王妃になりたくてヘンリックと婚約者になった。だから不用意に仲良くなってはいけないと。

 そして、どんなに思い返してみてもローゼリアが自分に対して社交用以外の表情を見せる事はほとんどなかった。まるで作られた人形、ローゼリア・フォレスターとはそういう女性なのだとヘンリックは思っていた。

 しかし、実際の彼女は姿も中身も自分がこうだと思っていた彼女とはまるで違っていた。控えめで大人しいが執務はしっかりこなしている、家族や小さな子供には優しい女性だった。

 ローゼリアを良く無い令嬢と認識していたヘンリックは、他の令嬢とはにこやかに話すのに、彼女とだけはいつも視線を合わせなかったし、言葉もろくに返してこなかった。

 その上ヘンリックは二年ほど他の女性に目移りをしていたのだ。その上で結婚をしてしまった。彼女とはマイナス要因を積み上げた過去しかなかった。自分のしてきた事の結果が今のローゼリアとの冷え切った関係であるのだとヘンリック思い知ったのだった。

 夫婦になるという事を自分は甘く考えていた。

 子供の頃のように誰かが何とかしてくれる、そんな事はなく自分とローゼリアの距離はいつまで経っても縮まらないもののように思えてしまう。

「いや、その事はいい。ここには朝の挨拶をしようと思ってきただけだから」

 それだけ言ってヘンリックは王太子妃用の執務室を出た。空き部屋を三つほど挟んで王太子用の執務室があるので、自分の執務室にはすぐに着いてしまった。

 自分の執務室に入り、ドアを閉めたヘンリックは大きなため息を吐く。

 今日も側近や他の文官たちより早い時間に来てしまった。いつもヘンリックよりも先に来ていたエーヴェルトはまだローゼリアのところにいるので、執務室には誰もいなかった。

 ヘンリックは自分の席に腰を下ろそうと思って椅子を引く。

「ん? ……なんだこれは?」

 ヘンリックは自分の机の上に昨日は無かった紙片を見つけたのだった。

 それは積まれた書類の一番下から少しだけ見えるように挟まれていたメモのようであった。昨日執務室を最後に出たのは自分だったが、その時にこのようなものは無かった。

 不用心ではあったが、ヘンリックは気にする事もなく手の平ほどの大きさの紙片を取り出して広げてみると短いメッセージが書かれてあった。

――本日夕刻、王宮の中庭で待っています。Mより

(M……、マリーナか?)

 ヘンリックの頭の中でマリーナの顔が浮かぶ。

 最初の頃は穏やかそうな女性だと思っていたのが、打ち解けていくうちに甘えてきてくれるようになり、時々は我儘な態度を取ったり勝ち気な雰囲気を出したりと、いつも自分は彼女に振り回されてきた。これまで会った事がないタイプだったからか、彼女に振り回される事は不思議と楽しかった。

 ヘンリックがメモを見ながら、マリーナの事を懐かしく思い出していたらドアが開く気配がしたので、咄嗟にメモを引き出しの中に隠した。引き出しを戻したそのタイミングでローゼリアとの用事が済んだらしいエーヴェルトが入室してきた。

 メモを仕舞ったところを見られたかどうかは微妙なところであった。

「どうかされましたか?」

 エーヴェルトを凝視してしまったせいか、彼は不思議そうな表情を浮かべてヘンリックを見ている。

「……何でもない」

「そうですか、もしかして妹との事を気にされましたか?」

 先ほどのヘンリックの変化を見逃さなかったエーヴェルトの鋭い指摘にヘンリックは驚くが、今は彼らの事よりもマリーナと会う事を考えたい。

「いや、そうではないのだが……。少し気になる案件があるので考え事をしていたんだ」

「よろしかったら相談に乗りましょうか?」

 エーヴェルトがヘンリックに近づこうとしたので、隠し事のあるヘンリックは無意識に手で牽制する仕草をしてしまった。

「いい、大丈夫だ。仕事に取りかかってくれ」

「わかりました」

 ヘンリックは様子を伺うようにチラリとエーヴェルトを見たが、エーヴェルトの視線は既にヘンリックには無く、いつものように業務に取りかかる準備をするために机に積まれた書類を検め始めていた。

(見られたのか? どちらだ?)

 ヘンリックは取り繕うように至急と書かれた書類を手に取って仕事を始めたのだったが、仕事をしながらもあのメモに書かれた内容を何度も反芻していた。

 ヘンリックはもう一度だけマリーナと話がしたい、そう強く思っていたのだった。

 そして、彼は不用意に待ち合わせ場所へ行ってしまった事を後悔するのだった。
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