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「――なるほど、霊現象の原因はあの蔵の中にありそうですね」
「わ、わかるんですか!?」
若白髪の青年がサングラスの下で目を細め、座敷の窓から薄暗い庭を眺めた。伸び放題の庭木の奥から覗く土蔵の屋根。除霊を依頼したこの屋敷の老主人は、まだ詳しい話もしないうちから原因と場所を指摘するその慧眼に感心した様子で溜め息をついた。
実を言うと、最初は青年の見た目から、詐欺師なのではないかと疑いの眼差しを向けていた。襟足を短く刈った艶のない真っ白な髪。座敷に通しても外そうとしない色の薄いサングラス。そこら辺を歩いている若者と大差ないラフな服装。キャンパーが持つような大きなリュックサック。老人の目には、その辺にいるちょっと派手なひょろっとした若者、といった感じにしか見えなかったのだ。それも、十代後半か、頑張って二十代前半程度の。
だが、原因を一目で看破した点や、見た目に反して老成した落ち着きぶりに、きっとこの人なら必ずや除霊してくれるに違いない、と思えた。いや、日々の霊障に疲れきっていた老主人はそう信じることにしたのだ。
依頼人の老夫妻は終の住処として、この広い中古物件の屋敷を一年ほど前に購入した。しかし、この家は実は近所でも噂の幽霊屋敷だったらしい。この老夫妻の前にも既に何世帯も入れ変わっていたのだそうだ。そのため事故物件としての通知義務はなく、彼らはそんな事情も知らずに、安価だからと蔵つきの豪邸を買ってしまった。後になって話を聞きに行った不動産屋は、またかとうんざりした様子だった。
仏間ですすり泣く着物姿の女性、押入れの奥から恨めしげな顔で睨んでくる老人、天井からぶら下がる赤ん坊――。この一年で、夫妻は他にも様々な霊現象に悩まされた。奇妙な物音や金縛りなど、昼夜問わず起こる様々な霊障のせいでろくに眠れず、先日、ついに妻の方が過労で倒れてしまった。
霊など気のせいだ見間違いだと自分をごまかし続けてきたが、こうなっては仕方がない。主人はついに重い腰を上げて方々の知り合いを尋ね回った。ゼロからオカルト界隈に飛び込むよりは、知り合い経由のほうが詐欺もなかろうと思ってのことだった。そして、信頼できる知人から紹介してもらったのが、この霊能者だか拝み屋だかの白髪の青年なのである。
「そうなんです。あの土蔵は江戸時代からあるものらしく――」
「早速、中を拝見してもよろしいですか? あ、すみません。どうぞ、お話を続けてください」
土蔵の鍵を何とか探し出し、青年と依頼主は庭用のサンダルを引っ掛け、ともに広い庭を進んでいく。空は高く晴れ渡っているというのに、この庭はいつもどこか薄暗く、依頼主を嫌な気持ちにさせた。本来なら夫婦で家庭菜園でもするはずだったのに――。長いこと人の手が入っていないせいで、芝生や雑草は伸びに伸び、植木は枯れ果て、全体がひどく荒れていた。
庭の隅、漆喰で固められた堅牢な土蔵からは、近寄りがたいほどに不吉な気配が漂っていた。実際、引っ越した初日にがらくたを詰めて以来、中に入るどころか近づいたこともない。ここが原因だと言われれば納得せざるをえなかった。黒ずんだ木製の扉を鎖すダルマ錠は赤茶けた錆で覆いつくされ、すっかり風化している。主人が慣れない手つきで巨大な錠を取り外すと、甲高い悲鳴のような軋み音を立てて巨大な扉がゆっくりと開いた。
「何でも、昔、ここは庄屋さんの屋敷だったそうで――」
「ははあ、なるほど」
土蔵の中には降り積もった埃と闇が静かにわだかまっていた。文目も分かず、とはこういうことを指すのだろう。鉄格子のはまった小さな窓からの光など、吸いこまれてしまいそうなほどに濃い闇だ。主人が調べた屋敷の来歴に丁寧な相槌を打ちながら、青年はサングラスを外すこともなく、ためらいもなしに闇の中へと足を踏み入れた。
「それで――どうも、その妹が姉の旦那と共謀して、姉を殺そうとしたらしいのです」
「なるほど」
「それが原因で姉が死んで以降、祟りでその家族が――」
老主人は中に入るのを躊躇し、結局入り口に立ったまま様子を見ることにした。相槌を打つ青年の声は、分厚い漆喰の壁にこだまし、まるで闇そのものが話しているかのようで、ひどく不吉に思えた。がさがさと何かを探る物音。サンダルが床を擦る足音。そして――地を這うほどに低い女の呻き声。
「い、今のは何ですか!?」
「――ご主人」
「ひゃあ!」
暗闇からいきなり現れた白い顔に、老主人は危うく転びそうになり、すんでのところで青年に助けられた。彼は小さく笑う。
「いや申し訳ない、驚かせるつもりではなかったのですが。それよりこっち、ちょっと見ていただけますか」
「は、はあ……」
青年が懐から取り出したスマホのライトが土蔵の闇を白く切り取った。土蔵の中には――老夫妻の荷物が雑然と置かれているだけだ。暗さに慣れてきた目に、銀というよりは完全に真っ白な青年の髪がぼんやりと光って見えた。
「一体何が……」
「こちらです」
青年が壁の上部を照らし出す。そこに明るく切り取られていたのは小さな古びた神棚だった。
「あっ……」
「先程ご主人がおっしゃっていたお話の姉ですが、どうやら殺害計画自体は上手くいかなかったものの、妹と旦那の裏切りに気が狂ってしまったようですね。その後、家族の手によって、世間体のためにこの土蔵に閉じこめられていたのでしょう」
「そんな……」
「誰からも助けられることもなく――彼女はここで、狂死した」
サングラスの下で青年は遠い目をし、静かに言葉を紡いだ。まるで見てきたかのような――それとも、彼には見えているのだろうか。老主人はぞっと身を震わせる。狂女の怨念がこの土蔵に詰まっているのだ。恐怖に思わず後じさりする老主人の方を振り向き、神棚を指さして青年は言った。
「あの神棚は、のちに彼女を祀ったものです。彼女を神として祀り上げ、その荒ぶる魂をお慰めしようとしていたのですね」
「それを私たちは蔑ろにした……」
そうなりますね、と青年は静かに頷き、落ちこむ老主人の背に優しく手を添えて、外へ出るよう促した。外の眩しさが目の奥を刺し、思わず立ちくらむ。
「彼女の怨念が、他の霊も呼び寄せているのでしょう。ここは霊の吹き溜まりと化しています。今夜、この土蔵にこもって僕がお祓いをいたします。強い怨念ですから――もしかしたら何日かかかるかもしれません」
「は、はい」
「その間、決して土蔵に近づいてはなりません。いいですね」
「はい」
正直なところ、頼まれても近寄りたくはなかった。老主人はとりあえず神妙な顔で頷く。青年は座敷に戻ると、大きなリュックを背負い直し、玄関で靴を履きながら依頼人に頭を下げた。
「では、僕は精進潔斎を済ませて、また今夜こちらに伺います。奥様にもよろしくお伝えください」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
青年は何かあればこちらに、と言って名刺を渡すと、軽く手を上げ、大きなリュックを背にぶらぶらと歩き出した。
名刺には電話番号と『鳴上鼎』と青年の名前だけがぶっきらぼうに書かれていた。
「わ、わかるんですか!?」
若白髪の青年がサングラスの下で目を細め、座敷の窓から薄暗い庭を眺めた。伸び放題の庭木の奥から覗く土蔵の屋根。除霊を依頼したこの屋敷の老主人は、まだ詳しい話もしないうちから原因と場所を指摘するその慧眼に感心した様子で溜め息をついた。
実を言うと、最初は青年の見た目から、詐欺師なのではないかと疑いの眼差しを向けていた。襟足を短く刈った艶のない真っ白な髪。座敷に通しても外そうとしない色の薄いサングラス。そこら辺を歩いている若者と大差ないラフな服装。キャンパーが持つような大きなリュックサック。老人の目には、その辺にいるちょっと派手なひょろっとした若者、といった感じにしか見えなかったのだ。それも、十代後半か、頑張って二十代前半程度の。
だが、原因を一目で看破した点や、見た目に反して老成した落ち着きぶりに、きっとこの人なら必ずや除霊してくれるに違いない、と思えた。いや、日々の霊障に疲れきっていた老主人はそう信じることにしたのだ。
依頼人の老夫妻は終の住処として、この広い中古物件の屋敷を一年ほど前に購入した。しかし、この家は実は近所でも噂の幽霊屋敷だったらしい。この老夫妻の前にも既に何世帯も入れ変わっていたのだそうだ。そのため事故物件としての通知義務はなく、彼らはそんな事情も知らずに、安価だからと蔵つきの豪邸を買ってしまった。後になって話を聞きに行った不動産屋は、またかとうんざりした様子だった。
仏間ですすり泣く着物姿の女性、押入れの奥から恨めしげな顔で睨んでくる老人、天井からぶら下がる赤ん坊――。この一年で、夫妻は他にも様々な霊現象に悩まされた。奇妙な物音や金縛りなど、昼夜問わず起こる様々な霊障のせいでろくに眠れず、先日、ついに妻の方が過労で倒れてしまった。
霊など気のせいだ見間違いだと自分をごまかし続けてきたが、こうなっては仕方がない。主人はついに重い腰を上げて方々の知り合いを尋ね回った。ゼロからオカルト界隈に飛び込むよりは、知り合い経由のほうが詐欺もなかろうと思ってのことだった。そして、信頼できる知人から紹介してもらったのが、この霊能者だか拝み屋だかの白髪の青年なのである。
「そうなんです。あの土蔵は江戸時代からあるものらしく――」
「早速、中を拝見してもよろしいですか? あ、すみません。どうぞ、お話を続けてください」
土蔵の鍵を何とか探し出し、青年と依頼主は庭用のサンダルを引っ掛け、ともに広い庭を進んでいく。空は高く晴れ渡っているというのに、この庭はいつもどこか薄暗く、依頼主を嫌な気持ちにさせた。本来なら夫婦で家庭菜園でもするはずだったのに――。長いこと人の手が入っていないせいで、芝生や雑草は伸びに伸び、植木は枯れ果て、全体がひどく荒れていた。
庭の隅、漆喰で固められた堅牢な土蔵からは、近寄りがたいほどに不吉な気配が漂っていた。実際、引っ越した初日にがらくたを詰めて以来、中に入るどころか近づいたこともない。ここが原因だと言われれば納得せざるをえなかった。黒ずんだ木製の扉を鎖すダルマ錠は赤茶けた錆で覆いつくされ、すっかり風化している。主人が慣れない手つきで巨大な錠を取り外すと、甲高い悲鳴のような軋み音を立てて巨大な扉がゆっくりと開いた。
「何でも、昔、ここは庄屋さんの屋敷だったそうで――」
「ははあ、なるほど」
土蔵の中には降り積もった埃と闇が静かにわだかまっていた。文目も分かず、とはこういうことを指すのだろう。鉄格子のはまった小さな窓からの光など、吸いこまれてしまいそうなほどに濃い闇だ。主人が調べた屋敷の来歴に丁寧な相槌を打ちながら、青年はサングラスを外すこともなく、ためらいもなしに闇の中へと足を踏み入れた。
「それで――どうも、その妹が姉の旦那と共謀して、姉を殺そうとしたらしいのです」
「なるほど」
「それが原因で姉が死んで以降、祟りでその家族が――」
老主人は中に入るのを躊躇し、結局入り口に立ったまま様子を見ることにした。相槌を打つ青年の声は、分厚い漆喰の壁にこだまし、まるで闇そのものが話しているかのようで、ひどく不吉に思えた。がさがさと何かを探る物音。サンダルが床を擦る足音。そして――地を這うほどに低い女の呻き声。
「い、今のは何ですか!?」
「――ご主人」
「ひゃあ!」
暗闇からいきなり現れた白い顔に、老主人は危うく転びそうになり、すんでのところで青年に助けられた。彼は小さく笑う。
「いや申し訳ない、驚かせるつもりではなかったのですが。それよりこっち、ちょっと見ていただけますか」
「は、はあ……」
青年が懐から取り出したスマホのライトが土蔵の闇を白く切り取った。土蔵の中には――老夫妻の荷物が雑然と置かれているだけだ。暗さに慣れてきた目に、銀というよりは完全に真っ白な青年の髪がぼんやりと光って見えた。
「一体何が……」
「こちらです」
青年が壁の上部を照らし出す。そこに明るく切り取られていたのは小さな古びた神棚だった。
「あっ……」
「先程ご主人がおっしゃっていたお話の姉ですが、どうやら殺害計画自体は上手くいかなかったものの、妹と旦那の裏切りに気が狂ってしまったようですね。その後、家族の手によって、世間体のためにこの土蔵に閉じこめられていたのでしょう」
「そんな……」
「誰からも助けられることもなく――彼女はここで、狂死した」
サングラスの下で青年は遠い目をし、静かに言葉を紡いだ。まるで見てきたかのような――それとも、彼には見えているのだろうか。老主人はぞっと身を震わせる。狂女の怨念がこの土蔵に詰まっているのだ。恐怖に思わず後じさりする老主人の方を振り向き、神棚を指さして青年は言った。
「あの神棚は、のちに彼女を祀ったものです。彼女を神として祀り上げ、その荒ぶる魂をお慰めしようとしていたのですね」
「それを私たちは蔑ろにした……」
そうなりますね、と青年は静かに頷き、落ちこむ老主人の背に優しく手を添えて、外へ出るよう促した。外の眩しさが目の奥を刺し、思わず立ちくらむ。
「彼女の怨念が、他の霊も呼び寄せているのでしょう。ここは霊の吹き溜まりと化しています。今夜、この土蔵にこもって僕がお祓いをいたします。強い怨念ですから――もしかしたら何日かかかるかもしれません」
「は、はい」
「その間、決して土蔵に近づいてはなりません。いいですね」
「はい」
正直なところ、頼まれても近寄りたくはなかった。老主人はとりあえず神妙な顔で頷く。青年は座敷に戻ると、大きなリュックを背負い直し、玄関で靴を履きながら依頼人に頭を下げた。
「では、僕は精進潔斎を済ませて、また今夜こちらに伺います。奥様にもよろしくお伝えください」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
青年は何かあればこちらに、と言って名刺を渡すと、軽く手を上げ、大きなリュックを背にぶらぶらと歩き出した。
名刺には電話番号と『鳴上鼎』と青年の名前だけがぶっきらぼうに書かれていた。
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