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種火

第一話 始動

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「どうだったー? ここまで歩んできて、何か変わった?」
「ああ、いろんなことがあったよ。正しいだけじゃ世界は変えられない」
「ふふっ、確かにいろんなことがあって、いろんな人と出会ったもんねえ」


 少女と少年は空を見上げる。


「これは、君のための物語なんだから、精進したまえー」
「ははっ、なんだよそれ。この世界は物語なんかじゃねえよ」


 二人は微笑み合い、歩き出した。
 それぞれが選んだ道へ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 クーヴェル村。
 それは、シュヴァールタと呼ばれる大陸の中央に寂しく存在している村の名前である。
 広大な土地の中に、小さな集落がいくつか点在していて、その全ての集落を村長のジオという老人の男が纏めている。
 村の半分以上を山が囲み、唯一の移動経路は深い森を抜けなければならない。
 いわゆる、秘境という場所である。
 人の流れは少なく、村を訪ねて来る者も一年に数回いるかどうか。
 
 眩暦一三五年、三月。

 それは冬を超え、微かな春を感じる月夜のことだった。
 クーヴェル村を取り仕切る男、ジオは巡回の為、人気のない山側を歩いていた。
 普段から、この村では魔物の襲撃はほとんどなく、本来巡回の必要もあまりないのだけれど、最近になって村の西側に流れ者が入ってきていると聞いたジオは、村全体の警備を見直すことにしていたのだ。
 噂に聞いた限りでは、その流れ者に害意はなく、真面目に村の仕事を手伝っているとのことだったが、村を守る者として、できる限り安全対策はしておきたかったのかもしれない。
 
「ふむ、異常はなしか」
 
 通常通り、予想通りに巡回は進行していく。
 しかし、ジオは山の麓にある森の奥で、何かが光ったのを目撃する。

「何じゃ今のは、魔法のような輝きじゃったが、誰かおるのか?」

 ジオは全神経を森の奥へ向けるが、一向にその後の動きは見られない。 
 その代わり、小さく弱々しい声がジオの耳の届いた。

「やはり誰かおるのじゃな。おい! そこにいる者、返事をせい! 抵抗しないのであれば、今夜くらいは宿を準備する!」

 返事を期待するが、森からは何も返ってはこなかった。

「一体何なんじゃ。浮浪者であればそれなりの対応をせねばならん、ここで待っていても仕方があるまいな」

 ジオは意を決して森へと足を踏み入れる。
 護身用に持ってきた槍はあるが、彼に武術の心得があるわけではないので、森で槍を扱うことがどれだけ難しいことなのか、ジオにわかるわけもない。 

 慎重に足を進め、周囲の音や動きに集中する。
 ジオの耳に、再び声が届く。

 それは小さくも何かを訴えるような声。

「これは泣いておるのか、子どもか?」

 ジオの耳に届いた声は、まるで生まれたばかりの赤子の産声に近いものだった。
 当然、ジオは思考する。
 こんなところに赤子がいるわけがない。
 ましてや親がそばにいるのであれば、先程の自分の言葉に反応していたはずで、それがなかったということは親がいないか、何らかの怪我を負って応えられる状況にないか。
 槍を握る手に緊張が走るが、ジオはそのまま進んでみることを選んだ。

 茂みを掻き分け、木々の間を縫うように、その声のする方へ向かっていく。
 声は近い。

 ここまで来ると、ジオにもおおよその状況に目星をつけることができていた。
 先程の光は、森の中で何かに襲われそうになったところを反撃するためのもので、何とか撃退はできたものの、おそらくはこの声の子の親だろうが、術者も同時に怪我を負ってしまい気を失ってしまったのだと。

 そうとわかれば、早く救出しなければ手遅れになりかねない。
 ジオがそう判断してしまうのも、仕方がなかった。
 事実、この一連の行動がなければこの物語は生まれていなかったわけで、物語の冒頭二千文字にして、ジオはこの物語の救世主となってもいいのかもしれない。

 ジオは槍を置き、できるだけそこにいるであろう誰かを、驚かせることがないようにゆっくりと茂みを抜けた。

「……」

 その場には一人しかいなかった。
 正確にはジオを含めて二人だけれど、ジオの視界には何度見直しても、いくら周りを見渡しても、その場には立って歩くことも儘ならない赤子が一人だけだった。

「ど、どういうことじゃ」

 自らの予想が外れてしまったことよりも、この場に似つかわしくない赤子という存在が、ジオを混乱させる。
 さらには、青い炎が赤子を守るように包んでいて、その光景は異質というしかなかった。
 
 ジオは一瞬躊躇うも、万が一、青い炎がこの子を傷付けているのであれば、それをどうにかできるのは、この場にいる自分しかいないと、覚悟を決めて赤子に手を伸ばした。

 ジオの手が赤子に触れると、炎は勢いを増し、ジオの体まで包み込んでしまうが、その炎に熱はなく、寧ろ深い愛を具現化したような温かみをジオは感じた。
 
「これは何が起こっておるんじゃ、この炎は?」

 炎に包まれながら、ジオは赤子を優しく抱き上げる。 
 腕に乗る重みは、目の前の赤子が確かに存在していることを証明してくれていた。
 赤子は小さく泣き続けている。
 その涙がジオの腕に触れた瞬間、ジオの視界が暗転する。

「こ、これは! なんと……」

 真っ暗な世界で、ジオの目の前にいたのは一匹の真っ白い竜だった。
 ジオは驚きの余り、尻餅をつきそうになるが、それでも赤子のことを落とさなかったのは賞賛すべきなのかもしれない。
 竜はこちらに対し、攻撃するでも威圧するでもなく、ただ真っ直ぐにジオの腕に抱かれた子を見ていたが、ジオたちを暫く観察した後、ゆっくりと顔を近付け、優しく息を吹きかけた。
 その吐息は、青い炎となり二人を包むが、やはりその炎に熱はなく、ジオは癒しや愛情を感じることができた。 
 
「その子を頼みます」

 炎の中で、ジオは母のように優しく、愛に溢れている声を聞いた。
 そして同時に、その声は自らの子を誰かに託さなくてはならないことを嘆き悲しんでいるようにも聞こえた。
 竜とジオの視線がぶつかり、竜は微かに微笑んだ。
 
 炎は消え、目の前の竜もいつの間にか消えてしまっていた。
 ジオは自分たちが森の中に帰ってきていることに気が付いたが、今自分が見たものが何なのか全くわからないと言った様子である。
 
「この子は、りゅ、竜の子ということか? 普通の人間の子にしか見えんが。そもそも何でこの場所におったんじゃ」

 解決していない問題は山積みだけれど、ジオの頭では堂々巡りが永遠に終わらず、その疑問を解決する前に、腕の中の赤子を村へ連れ帰り、どう育てていくのかを考えることにした。

 ジオが治めるクーヴェル村の人口は、全ての集落を合わせても五十人にも満たない。
 村の中に点在している集落全ての村民の顔を把握しているジオは、その中に子どもがいる一家を思い出す。
 偶然というべきか、運命というべきか、つい最近子どもが生まれたと報告があった一家を、ジオは思い出すことができた。
 ライルとルージュの間に生まれた子の名前はマリア。
 この集落にいる唯一の子どもであり、子育てをしている一家である。

「ライルたちのところに相談して、この子の世話を手伝ってもらうことができればいいんじゃが。明日、頼みに行ってみるか」

 ジオは森の麓へと引き返しながら、これからのことで頭を抱えそうになるが、いつの間にか腕の中で眠ってしまっているその子を見ると、自分が何とかせねばと奮起できた。

 ジオの家にはジオ以外誰も住んでおらず、妻は数年前、村に現れた魔物の被害によって亡くなってしまっている。
 当然赤子が口にできるものなど、都合よくあるわけもなく、かろうじて今朝絞った牛の乳が残っていたので、ジオはそれを暖炉で温め、少しずつ飲ませることにした。 
 
「ほっほ、お腹は空いとったんじゃな。すまんの、もう暫くこれで我慢しとくれ。そうじゃな、これから先この村で生きていくというなら、お主にも名前が必要じゃな。婆さんと昔考えた名じゃが、儂らに子どもができたらそう名付けようと決めておったんじゃ、男の子ならアクト、女の子ならヴィオレ。お前さんは……そうか、男の子か。ならばお主は今日からアクトじゃ、よろしく頼むぞ!」

 ジオはアクトを高く抱き上げ、嬉しそうに笑った。
 アクトもつられたのか、その状況が楽しいのか同じように笑っていた。

「アクト、その名は遥か昔の勇者の名前から取ったんじゃ。子どもの頃に、儂の前の村長に聞いたことがあってな、子どもながらに憧れたんじゃ。世界を救うために剣を振り、魔物と戦い、竜を討つ……? 竜、そうじゃ! この子はもしかしたら竜の血を引いておるやもしれん。世界の脅威となり得る存在、それを儂の一存で育てていいのか?」

 アクトは飽きもせず、ジオの腕の中で笑っている。
 無邪気で無垢で、何にも染まっていない純粋な笑顔。

「しかし、この子を殺すことはできん。この村で真っ直ぐ育てて、人の痛みを知れば、力に任せて暴れるなんてことはせんかもしれん。幸い、あの場にいたのは儂一人じゃし、森で拾ったことは言わねばなるまいが、竜のことは墓場まで持っていくしかなさそうじゃな」
 
 またしても頭を抱える問題が出てきたが、アクトの笑顔と、自分たちの住む平和な村での生活が何かを変えるかもしれないという希望に賭けてみることにした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 翌朝、ジオは朝日が昇ると同時に家を出て、ライルたちが住む家へと向かった。
 幸運なことに、ライルたちはジオの家からそう遠くない所に家を構えており、徒歩で数十分歩けば着く程度だった。
 ジオの腕にはもちろんアクトが抱かれており、出発する前に牛の乳をたらふく飲んで満足したのか、熟睡している。 

「全く、呑気というか豪胆というか……」

 ジオがライルたちの住む家に着くと、ちょうどルージュが門から出てくるとことだった。

「あら、村長こんな朝早くに珍しいで……すね。その子はどうしたんです?」

 朝の挨拶の前に、ルージュはアクトに気が付き、ジオに疑問をぶつける。
 それはジオにとっても納得の展開であり、想定内ではあった。

「昨日山の方を巡回しておるときにな、森の中にこの子がおってな。周りに親の姿も見えんもんで、一旦儂が預かることにしたんじゃ」
「山の、中ですか……」

「見たところ、普通の男の子じゃ。赤子じゃし、この村で保護し、いつか親が探しに来た時に返すということにしようと思っての」
「それで、うちの助けが必要ってことですか?」

「お、おう。その通りじゃ、儂じゃ乳は出せんし、いつまでも牛の乳というわけにもいかんじゃろうと思って……今この村で子どもを育てておるのは、ライルとルージュだけじゃ。頼むっ! 儂に協力してくれんか?」
「大きい声を出さないでくださいよ、せっかく寝てるこの子が起きちゃいますよ。ふふっ、いい寝顔ですね。うちの子に負けないくらい可愛い。……いいですよ、この子の世話は手伝います。マリアにも遊び相手ができますし、この子がどんな境遇であの山の中にいたのかは知りませんけど、この子には何の罪もないし、何の罰を受ける必要もないわけですからね」

「本当か? 恩に着る。この子の名は、昨日決めたんじゃ。アクト、この子はアクトじゃ」
「まあ、アクトね、いい名前ですね。わかりました、今日からうちで預かるのがいいですか? ……そうですね、一旦うちに入りましょう、ライルも交えて三人でこれからのことを決めますか」

 ジオはルージュの言葉に従い、門を通り、家の中へ入っていった。
 この後ライルを交え、アクトをどう育てていくか三人でみっちり話し合い、ジオが再び門を通る頃には日は沈みかけていた。
 ジオの腕にはアクトは抱かれておらず、ルージュの姿も見えないが、その代わり、ライルがジオを見送りに来ていた。

「ライル、ルージュ。本当にありがとう。儂の我儘を聞き入れてくれて」
「村長、何度もいいって言っただろ? 人の少ない集落なんだ、助け合って当然! それにあんなに可愛い赤ん坊を見殺しになんかできねえって。ルージュも同じこと言ってたろ? ただ、この村でのアクトの親はあんたなんだ、村長。ちゃんと定期的に顔見せには来てやれよ?」

「当たり前じゃ、儂がそんな無責任に見えるか? 毎日会いに行ったって構わんのじゃぞ?」
「いや、それは勘弁してくれ……。流石に毎日は……」

「ふん、わかっておる。任せると決めた以上、邪魔はせん。たまに顔を見るだけでもいいんじゃ、あの子が健やかに育ってくれれば良い」
「ああ、そこは任せてくれ。マリアと同じように大切に育てるさ。つっても既にルージュの方は、自分の子みてえな感じだったけどな」

 ライルとジオは互いに軽口を交えつつも、これからのことを再確認し、その場で別れた。
 この日から、アクトはライルとルージュの家で大切に育てられ、マリアとは姉弟のように成長していくわけだが、その日常に頻繁に現れるジオのことを、アクトは怖がっており、その度に悲しむジオをライルたちが慰めるというのがお決まりの流れとなっていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 月日は流れ、アクトとマリアは八歳となっていた。
 アクトとマリアは健やかに育っており、喧嘩をすることもあるが、いつも元気に走り回り、周囲を笑顔にしていた。
 そんな二人の存在はいつの間にか村中に知れ渡っていた。 
 
 村は夏を迎え、収穫祭の準備で賑わっている。
 クーヴェル村では毎年夏至の日、各集落の収穫物を持ち寄り、一年間の収穫への感謝と次の一年の豊作を願って、朝から晩まで騒ぎ通す習わしがあり、それを収穫祭と呼んでいた。
 村長であるジオはもちろん、ライルやルージュも収穫祭に向けて、この時期は狩猟や収穫に家を空けることが多くなっていた。

 そうなると、アクトとマリアは家で留守番することになるわけで、さらに言えばこの年代の子どもが家で大人しく待つなんてことができるわけがなかった。
 
「アクトーっ! 早く早く、置いて行っちゃうよーっ!」
「待てってば、マリア! 迷子になっても知らねえぞー!」

 二人が向かっているのは、村の西端にある森。
 名前もないただの森ではあるが、二人が嬉々としてその森を目指すのには理由があった。
 
「西の集落の武人が、何体もの魔物を倒して村を守ってくれた」

 アクトとマリアは、自分達が暮らす集落でそんな噂話を耳にした。
 まだ魔物さえ見たことがない二人にとって、その噂話は英雄譚に近しいものとなり、無邪気にもその英雄に会いたいと家を飛び出して行ったのだ。

 噂によると、その武人は西の森でいつも魔物と戦っているらしく、二人はそれを信じてとにかく西に向かって走っているというわけである。

「アクトっ、その武人さんってどんな人かな?」
「さあ、でも何体も魔物を倒してるって言ってたし、でっかい巨人みたいかも!」

 好奇心に駆られ、二人は走る。
 道中何度も声を掛けられたりもするが、二人が足を止めることはない。
 収穫祭の準備で大人たちがあちこち駆け回っているこの時期、子どもが集落を走り抜けて行くことくらい誰も気に留めない。
 それが、たとえ立入を禁止されている西端へ向かっていたとしても。
 
 二人は知る由もなかったことではあるけれど、ここ数年の間、西側からの魔物の侵入が増えており、西の集落の民は、戦う術を持つ者以外の森への立入を禁止していたのだ。
 ジオやライルたちもそのことは知ってはいたのだけれど、二人に伝えるときっと西側に行きたがるだろうと考え、話し合った結果、二人にはまだ伝えないでおこうと決めた矢先の今日となってしまったのは、不運だったとしか言えない。
 噂を制限することは不可能であり、その噂を二人が耳にしてしまったこともどうしようもなかった。

 二人にとって最も不運だったのは、収穫祭の時期に動き出してしまったこと。
 二人にとって最も幸運だったのは、噂されていた英雄が実在していたこと。

 西の森は誰も拒むことなく、その口を開いている。






 
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