騎士団長の象さん事情

鈴木かなえ

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 久しぶりに間近で見たニナは、以前より少し痩せているようだった。
 その理由が自分と象さんであることは明らかで、フレデリックは胸が痛んだ。
 そんなフレデリックの心をよそに、象さんはうるさく『ぱおーん』と鳴き続け、エルネストとハワードに執務室を追い出されてしまった。

 宿舎の自室で、フレデリックはまた頭を抱えた。

 もうずっと発散できていない性欲が溜まりに溜まっていて、先ほどのニナの姿がチラチラと脳裏をよぎって、大声で叫びたい気分だった。

(これではいけない。頭を冷やさなくては)

 それに、ニナがもし解呪に手を貸してくれるなら、せめて象さんを清潔な状態にしておかなくてはいけない。
 フレデリックは頭から冷水のシャワーを浴びて、鼻をだらりと力なくぶら下げたままの象さんをきれいに洗った。

 焦燥でじりじりしながら待っていると、ついに扉を叩く音がした。

「団長、リンドールです」

 その声が聞こえた瞬間、象さんが即座に反応して鳴き始め、フレデリックはまた頭を抱えた。

 ニナは象さんが鳴いている理由も知っているはずだと思うと、恥ずかしくて仕方がないが、フレデリックの意志では象さんを止めることはできない。

 だがそれと同時に、ニナが来てくれたことが嬉しくて、顔がニヤけそうになるのを必死で堪えた。

「団長!あの、エル兄さんとハワード先輩から、団長がどのような状況かは説明を受けました。まず、呪いを解いてしまいませんか」

 赤く頬を染めながら、生真面目に言うニナはどこからどう見ても可愛い。

「私、団長のためなら頑張れます!だから、どうしたらいいのか教えてください!」

 健気なニナも、食べてしまいたいくらい可愛い。
 そして、そんなニナにこれからさせることを思うと、申し訳なさでいっぱいになる。

 ああ、それにしても。
 自分の気持ちを認めてから最初のニナとの接触が、象さんだなんて酷すぎるのではないか。

 フレデリックは己の運命を呪いながら、ニナの目前に象さんを晒した。

 幸いにもニナは橙色の瞳を丸くしただけで、怖がったりドン引きしたりする様子はない。

 そして、ニナの手が触れると、あれだけなにをしても力なく垂れ下がるばかりだった象さんの鼻が即座に反応した。
 
(やった!)

 と思った次の瞬間、象さんの鼻がニナの両手でしっかりと握られ、その心地よさにうっと息がつまった。

(これは……想像以上にヤバい)

 すっかり硬くなった象さんの鼻を真剣な顔でニナが扱くと、つい喘ぎ声が漏れそうなほど気持ちが良くて、久しぶりに感じる快楽にフレデリックは歯を食いしばった。

(よかった……手だけでイけそうだ)

 手だけで無理だったら、口でしてほしいとお願いしなければならないところだったが、そこまではしなくてよさそうなのは不幸中の幸いと言っていいだろう。

 射精感は予想よりかなり早くやってきた。

(このままだと、事務官の制服姿のまま、ニナが……)

 ニナが白い体液で汚される様を想像し、フレデリックはぞくりとした。
 なんとも淫靡なその光景を見たいという欲望が湧き上がってきたが、騎士としての意地で思いとどまり、ガウンの裾で精を受けた。

『ぱおおおおおおおおんんん!!!』

 腰が溶けてしまいそうなほどの快楽と、耳をつんざく象さんの咆哮。
 同時に、股間がふわりと柔らかな布のようなもので撫でられたような感触。

 どうやらそれが呪いが解ける感触だったようで、射精が終わった頃には象さんはいなくなり、懐かしいフレデリックのフレデリックが戻ってきていた。

 安堵の溜息をついてニナに目をむけると、なにやら怪訝な顔をしてさっきまで象さんだったフレデリックをじっと見ている。
 たった今色事を終えたばかりだというのに、その橙色の瞳には艶めいたものは一切ない。
 ただただ不思議なものを目にして、これはなんだろう?ぐらいにしか思っていないようだった。

 呪いが解けたとはいえ、性欲が溜まりまくっていたフレデリックはまだまだ臨戦態勢のままで、できることならこのままニナを寝台に引きずりこみたいところだったのだが、ニナはそんなことはちっとも考えていないようだ。

 一仕事終えた後の清々しい笑顔で立ち去ろうとするニナを慌てて引き止め、手を洗わせて時間を稼いだ。

(ここで好きだって告白なんかしたところで、受け入れてはもらえないだろうな。それ以前に、ニナは今の行為がどういう意味のものなのかすら、理解していないんじゃないか)

「リンドール……なにか、礼をさせてほしいんだが……ほしいものとか、ないだろうか」
「いいえ、ほしいものは特にありません。私が団長を助けたかったからしたことなので、お気になさらないでください」
「だが、それでは」
「もちろん、このことは誰にも言いませんよ。業務の一環のようなものですから、守秘義務もありますし」
「業務の一環……」

(やっぱりそうか……)

 エルネストとハワードは、ニナがフレデリックに気があるみたいなことを言っていたので期待していたのだが。

(俺のことが好きだからじゃなくて、業務だから抜いてくれたのか)

 いい笑顔のニナが立ち去った後、フレデリックは一人で肩を落とした。



「教えてくれ……俺は、どうしたらいいんだ……」
「いや、そこは普通に口説いたらいいじゃないか」

 様子を見に来てくれたエルネストは、呪いがやっと解けたというのに萎れたままのフレデリックに呆れた顔をした。

「口説く……?」
「そうだよ。これからは、またニナの近くに行けるんだから。なにも問題ないだろ?」

 エルネストは簡単に言うが、それはフレデリックにとっては大問題だった。

「口説くって……どうやるんだ?」
「え?なに言ってんの?おまえだって、女を口説いたことくらいあるだろ?」

 そう言われて、フレデリックは過去の記憶を探った。

「……ない」
「……は?」
「……一度もない」
「一度も?嘘だろ?」
「……なにもしなくても、女が寄ってくるから……」
「うっわ~……なんだよそれ……腹立つな……これだから顔のいい男は」

 眉を寄せたエルネストだったが、ここではっと悪友を見た。

「ま、まさか……!まさか、初恋だとか……?」
「……」

 フレデリックは沈黙したまま耳まで赤くなり、エルネストは片手で額を覆った。

「ええぇぇ……だからか!?だから、あれだけ拗らせてたのかよ!?」

 もうすぐ三十路になろうかという経験豊富なはずの色男が、まさかここまで来て初恋を拗らせているだなんてだれが想像できるだろうか。

「頼む、教えてくれ……俺はどうしたらいいんだ……ニナのことは、おまえがよく知ってるだろう?」 
「まぁ、幼馴染だからな……」

 エルネストは難しい顔で腕を組み、寝台に腰かけたままのフレデリックを見下ろした。

「ニナを口説いたとして。それから先はどうするつもりだ?」
「どうする、とは?」
「言っただろう。ニナも結婚適齢期なんだよ。適当に遊んで捨てる、みたいなことはしないよな?」
「そ、そんなことはしない!」
「じゃあ、責任とれるか?」
「責任……」
「ニナの家族のことも含めて、だぞ。責任とれないっていうなら、俺はおまえに協力しない。ハワードと俺で、ニナに見合い相手を選ぶことにする」
「……!」
「ニナは俺たちのことを信頼してる。俺たち二人が薦めた相手なら、受け入れるだろう。ニナにだって幸せになる権利があるんだからな」

 ニナが、他の男と結婚する。
 ニナに、他の男が触れる。
 ニナの珈琲を、他の男が口にする。
 ニナの手が、他の男の……

「だ、ダメだ!責任とる!リンドールは、俺が嫁にする!他の男になんて絶対に渡さない!」

 フレデリックの藍色の瞳を、エルネストはじっと見つめた。

「本当だな?」
「本当だ!」
「誓えるか?」
「剣にかけて誓う!リンドールは、俺が幸せにする!」
「もしニナを泣かせたら、今度は俺が象さんの呪いをかけてやるからな。しかも、一生解けない改良版のやつだ」
「っ!の、望むところだ!象さんだろうがキリンさんだろうが、好きにするがいい!」

 決意を漲らせるフレデリックに、エルネストは重々しく頷いた。

「わかった。それなら、協力しよう」
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