孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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 まだ朝の早い時間に、準備中の札がでている食堂の扉をアーレンは開いてずかずかと中に入っていった。

「おい、まだ開店前だぞ!」

 奥の厨房から苛立たし気な声がして、険しい顔をしたアーレンと同年代くらいの男性が出てきた。
 思わずアーレンの後ろに隠れた私は、アーレンを見たその男性の顔が驚愕に染まるのを見た。

「久しいな、ルーク。元気にしているようだな」
「アーレン殿下……!」

 ルークと呼ばれたその男性はアーレンの前にさっと跪いた。
 ぽたぽたと零れる涙が、ルークさんの足元の床を濡らしていった。

 アーレンの説明によると、ルークさんはサミーと同じで徴兵されて東の山脈への遠征に参加し、そこでアーレンと戦友となった。
 家族で食堂を経営していたこともあり、ルークさんは料理上手で、戦場で手に入る限られた食材でいつも美味しい食事を作ってくれたのだそうだ。
 遠征の後は王都に残って職業軍人になることもできたが、足に怪我を負っていたこともあり、故郷に帰って家業を継ぐことを選んだ。

「きっと、生きておられると……アーレン殿下が、亡くなるはずがないと、信じておりました……!」
「すまない。心配をかけたな。いろいろとあったんだ」

 しばらくこの町に滞在するから協力してほしいというアーレンのお願いを、ルークさんは二つ返事で承諾してくれた。



 それから約半年。
 私たちはルークさん住むエケルトという港町で家を借りて暮らしている。
 ルークさんが出征していたことは町の人は皆知っているので、アーレンを戦友だと紹介するとすぐに受け入れられた。
 ただし、念のために私はアリア、アーレンはレインという偽名を使い、魔法具で髪と瞳を目立たない茶色に変えている。
 ここまですれば、もうアーレンの正体がバレることはないだろう。

 エケルトにしばらく留まることにしたのは、半年も旅を続けたので、そろそろ飽きてきたというのが一つと、数日だけ滞在するのではなく、長期間住んでみることでわかることもあるだろうから、ということだった。
 私も、しっかり腰を据えてメルカト以外の町を見てみるいい機会だと思っている。

 アーレンは漁の手伝いをしたり、近隣の畑を荒らす魔物を退治したりしている。
 体力もあり魔法が少しだけ使える(という設定にしている)アーレンは、とても重宝がられているそうだ。

 一方私は、アーレンが外で働いている間、家に一人でいるのは暇なので、ルークさんにお願いして食堂の一画を借りて簡単な服の補正や補修をする仕事を始めた。
 ほつれた袖や裂けた裾を縫い合わせたり、ボタンをつけたりするのだ。
 港では肉体労働をする人が多いので、服も痛みやすい。
 場所が食堂ということもあり、簡単なものだと食事前に依頼し、食後にすぐ受け取って帰ることができるということで、私も重宝がられるようになった。
 
 メルカトにいたころもお針子として働いていたが、基本的にずっと一人で家に籠っていたので、お客さんと接したことはなかった。
 補修した服を渡すと笑顔でお礼を言ってもらえるという当たり前のことが、私には新鮮だった。
 またお願いするよと言われると、とても嬉しくなる。
 私がお針子になったのは他にできることがなかったからという理由なのだが、最近はお針子でよかったと心から思っている。

 ルークさんともすぐに仲良くなった。
 呪いや祝福などの詳細を説明するわけにはいかないので、「とある事情により出奔した」というざっくりとした説明でも、ルークさんはなにも訊かずに受け入れてくれた。
 王族のアーレンには言えないことの一つや二つあっても当然だということをよく知っているのだろう。
 私のことは、「妻のアリアだ。逃げる途中で出会って、そのまま連れてきた」とこれまた簡単に紹介された。
 どちらも大事なところが抜けているだけで嘘ではない。
 
 夕方近くになると、アーレンが私を迎えに来る。

「お待たせアリア。今日は魚を貰ってきたぞ」

 今日は港で漁の手伝いをしていたアーレンは、新鮮な魚を入れた笊を手に眩しい笑顔で戻ってきた。
 そのまま私を抱き寄せて、額にキスをしてくれる。
 店内にいる数人のお客さんとルークさんが、そんな私たちを生暖かく見守っているのを感じる。
 これは毎日のことなのだが、人前でキスをされるのにはまだ慣れない。
 私がどう思っているのかわかっているはずなのに、恥じらうのが可愛いとか言ってアーレンはやめてくれないのだ。
 こういうところだけ、アーレンはやっぱり意地悪だ。

「さぁ帰ろうか。じゃあな、ルーク」
「ルークさん、また明日」

 ルークさんの定食屋から歩いてすぐのところに私たちが借りている家がある。
 家に帰って二人きりになると、まず髪と瞳の色を変えている魔法具の指輪を外す。

「おかえり、アーレン」
「おかえり、ナディア」

 こうして本来の姿に戻ってからキスをするのが私たちの日課なのだ。
 蕩けるような金色の瞳と漆黒の黒髪のアーレンは、今でも毎日見惚れてしまうくらい素敵だ。
 
 それから、一日中肉体労働をしていたアーレンが身を清めている間に、私が夕食の準備をする。

 今日の献立は、アーレンが貰ってきた魚の切り身の塩焼き、魚のアラで出汁をとったスープ、パン、茸のバター炒め、ハムと旬の野菜のサラダだ。 
 メルカトでは新鮮な魚なんてほとんど見たこともなかった私も、魚の捌き方と料理法をルークさんに教えてもらったので、今ではお手の物だ。

「このお魚、美味しいわね!なんていう魚なのかわかる?」
「確か、エノクとかいう名前だ。この時期によく獲れるんだそうだ。今日もたくさん網にかかっていたぞ」
「そうなのね。それなら、明日ルークさんのお店でも料理されてるかもしれないわね」
「そうだな」
「今日もね、ルークさんが作ってくれた賄いがとても美味しかったのよ。残り物で作ったリゾットだったんだけど、最後に少しだけスパイスを入れるのがコツだって教えてくれたの。今度作ってみるわね」
「それは楽しみだ。俺の方は、焼いた魚を挟んだサンドイッチを食べた。あれも美味かった」
「それって、港の西側にできた新しい屋台じゃない?ソースが独特だって聞いたわ」
「そういえば、変わった味のソースだったな。今度の休みに食べに行ってみようか」
「うん!美味しかったら、私も真似してみないと!」

 やる気を漲らせる私を、アーレンの金色の瞳が優しく見つめる。

 アーレンは少し日に焼けて、秀麗な顔に精悍さが増した。
 整った容貌に、隠しきれない品のある物腰。
 穏やかで深い知性を感じさせる眼差し。
 田舎の港町では、異質と言っていいくらいに目立っている。
 当然ながらアーレンに熱を上げている女性が両手の指では足りないくらいいるらしい。
 
 異質ではありながらもアーレンが受け入れられているのはルークさんのおかげでもあるが、それ以上にアーレンが自然と人を惹きつける魅力を持っているからだ。
 すんなりと人の間に溶け込み、すぐに馴染んでしまう。
 いつも周囲に注意を払い、困っている人がいたらさっと手助けをして、恩を着せるようなこともしない。
 さりげない配慮や気遣いができて、それでいてダメなものはダメだとはっきりと言う。
 揉め事が起こったら、双方の言い分をしっかりと聞いて、それからどちらも納得できるような落としどころに上手に導くのだそうだ。 

 多分だけど、東の山脈で軍を率いていた時も、アーレンは同じようにして人の心を掴んでいたのだと思う。 
 これは天性のものだ。
 やろうとしてできるものではない。
 こういうところは、元王子様ならではなのだろう。

 こうして、アーレンは女性だけでなく男性からも信頼や好意を向けられるようになった。
 私はそんなアーレンを誇らしく思っている。
 本当は、女性にはあまりモテてほしくはないのだが、アーレンは毎日仕事が終わればすぐに私のところに帰ってくるし、休日もずっと一緒にいる。
 たくさんキスをして、抱きしめてくれる。
 夜はほぼ毎晩肌を重ねて、体温を分け合うようにくっついて眠る。
 言葉だけでなく全身で愛を伝えてくれるので、なにも心配はしていない。

 私は愛される喜びを噛みしめる日々を送っている。
 このままここに住みつくのもいいかもしれない、と思っていた。
 
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